プロローグ
「おや……」
思わずそう声を上げると、尻尾しか見えない後ろ姿のまま顔だけを少し此方に向けたのだろう、細長いキツネ顔の動物が見えた。
と、言うか……
「……狐?」
訝しげにそう呟くと、フサフサとした尻尾が少し上に上がってまた元の位置に落ちた。
何本か。
「……主や、尻尾が多くないかぇ?」
尻尾は重なり合ったり尻尾と尻尾に隠れたりして全ては見えないが、尻尾だけでその向こう側の顔や胴体まで隠れる程多い。
「数えてみてもいいでありんすか?」
フサッ
そう音が立ちそうなモフモフさだ。若干不愉快そうな気配を感じるような気もするが、まあいい。
何本あるのか気になる。好奇心に任せて手を伸ばした。
「フーッ」
サッと身を翻した狐は正面から威嚇の空気音を上げる。空気が張り詰めて桜がざわざわと揺れた。まだ降り続く狐の嫁入りは何故か勢いを増したように感じる。
そんな中とった行動は、
「そう腹の立てることではおざんせん。
此処じゃ主も風邪を引こう、わっちの部屋においで。
好かねえならもう触りんせん」
笑顔だ。
笑顔と涙は女の最大の武器である。
暫く狐は前屈のまま威嚇の声を上げていたが、だんだんと落ち着いてきたのか威嚇を解いて、警戒はしたままなもののただ訝しげな瞳を此方に向けてくる。
ゆっくりと身を引くと、警戒させないように木から降りる。
やっぱり人間に慣れていない動物を部屋まで連れて行くのは至難の業かと、餌だけを持ってくる事を検討しだすと背後でストンと音がした。パッと振り返ると、狐が華麗に地面に降り立った所だった。
「おや、やっぱり主は言葉がわかっておりそうじゃな」
コロコロと少し笑うと、狐は距離を詰め過ぎない程度まで近寄ってきて、そこでピタリと歩みを止めた。尻尾は全方位にびっしりと生えているらしい。7本以上は確実だろう。
「濡れんすよ、こっちに来ては?
着物の裾が雨よけになる」
だが狐は近寄っては来ない。試しに一歩遠ざかってみた。
すると、狐も一歩分近づいてくる。一歩近づく。すると狐も一歩分遠ざかる。
「おやおや」
楽しくて少し笑うと、狐はその顔を見上げてくる。
「まあここに居ても仕様がないし、中にお入り。
今は誰も起きていんせん」
そう声を掛けて建物を目指して一歩歩けば、狐も一歩進んでくる。廓に入ってもそれは変わらず、階段も、部屋を潜る時も、一定の距離を保ったままの狐に、やはり少し笑った。
いい朝だ。