博と学の中間
戦後の占領政策の一環として実施された教育改革。いわゆる6・3・3・4制はそれほど抵抗なく学者たちに受け入れられましたが、同時に一つの些細な問題を生みました。
旧学制で規定されていた学位は最高峰である博士と大学を卒業したものに与えられる学士のふたつ。改革により両者の間にもう一つ学位を設ける必要が出たのです。
かくしてその名称を決めるために日本の有名な学者たちが一堂に会し、あれやこれやと議論を始めました。
道を修めたのだから道士がいいだろうという先生。学を究めたという意味で究士はどうでしょうと控えめに提案する少壮の学者。いやいやここは分かりやすく少博士とするべきではないかねとしわがれ声をあげる老教授。などなど。
一部にはこれで学者かと首をかしげたくなるようなセンスの持ち主もいるにせよ、百花繚乱の中には魅力的な案も多く、簡単には決まりそうもありません。
そんな中にやおら手を挙げた壮年の男、名前は湯川秀樹。
湯川と言えば一部ではノーベル賞受賞の噂さえささやかれるほどの理論物理学の権威。漢詩の素養もある文理両道の秀英です。彼の鋭敏な頭脳からいったいどんな言葉が紡ぎ出されるのだろうと周囲の期待の中、湯川博士は自信ありげに提案しました。
「みなさんどうでしょう。博士と学士の間ということですから、ここはひとつ『中間士』としては」
結局、新しい学位の名は修士と決まりました。




