ジュリアンの失態/其の参
ロッテさんが出て行って、1時間半後――
だいたいの片付けが終わった。
「……ふぅ。ずいぶんとキレイになったな」
さっきまで書類が散乱して結構汚かったけど、掃除の甲斐あって見違えるようだよ。まるで部屋が輝いて見えるみたい……って、実際そんなことはないんだけどね。
でも、ガンバった甲斐はあったみたい。
部屋はずいぶんと片付いた気がする。
僕は自分の仕事を誇るように呼吸を整え、額から流れる汗を拭った。
見るなと言われた書類も結局見なかったし、部屋も隅々までピカピカになった。これなら、きっとテレジアさんも喜んでくれるに違いない。
そんなことを考えていたら、廊下側から「コツ、コツ」という誰かの足早な音が聞こえてきた。
とっさに扉の方を目を見遣る。
すると、足音はこの部屋の前で聞こえなくなった。
どうやら、ここへやってくるのが目的だったらしい。すぐに扉が開かれ、部屋に入ってきた人物の姿があらわになる。
そこにいたのは、テレジアさんだった――
「あれ? テレジアさん、会議に行ったんじゃ?」
「ちょっと緊急事態が発生して戻ってきたの……ロッテがどこに行ったわかるかしら?」
「ロッテさんなら別室でテレジアさんに頼まれた調べ物をするって言って出て行きましたよ」
「そう……ありがとう」
と言って、テレジアさんが再び扉を開けて出て行こうとする。
でも、なんだか慌ててるみたい。僕がこうして部屋をキレイにしたことに言及してくれないし、余裕がないようにも感じられる。
そんな様子におもわず声かけちゃった。
「あ、あのっ、テレジアさん!」
「なにかしら……?」
「緊急事態って、なにかあったんですか?」
「……公国騎士団が城の付近で活動する敵のスパイらしき不審者を発見したの」
「スパイっ!? あの、それってこの前の湖で遭遇した連中と関係あるんですか?」
「かもしれないわね。いま公国騎士団が全力で探し回っているわ――とはいえ、大半が西国との合同演習に出払っているから……」
「え? それってマズい状況なんじゃ?」
「ええ、だから私たち教会騎士団に救援の要請が来たのよ」
「つまり、取り逃がしてしまう可能性もあるってことですね」
「そういうことになるわね」
これはチャンスかもしれない。
テレジアさんの話を聞く限り、敵はアイツらの可能性が高い。そうなると、自然とマルティンさんと会う可能性もあるわけだし、そこで説得して連れ帰ればもうアルマだって悲しまなくて済む。
僕はその可能性を考慮して、テレジアさんに連れてってもらえるよう願い出ようとした。
「じゃあ僕も――」
「ダメよ。ジュリアン君は大人しく待機してなさい」
「…………え?」
ところが思わぬことに言葉を遮られてしまった。
テレジアさんの発言にすぐさま聞き返す。
「ど、どうしてですかっ!? 人手が足りないんじゃないんですか!?」
「確かに人手が足りないのは事実よ。でも、アルマさんのことで焦ってるいまのアナタを連れて行っても取り逃がしてしまうだけなの」
「……知ってたんですか……」
「ヴェラから話を聞いたわ――というより、最近のアナタの表情を見ていれば、なんとなく察しは付いてたもの」
「…………」
「誰かのために役に立ちたいという気持ちは十分わかってるつもりよ。でも、周りが見えなくなってるアナタを連れて行っても失敗を犯すのが目に見えているの……悪いけど、今回は我慢してちょうだい」
「それは僕が役に立たないって意味ですか?」
「そうじゃないわ。いまのアナタでは危ういっていうだけよ」
「だけど、僕はさっきもヴェラさんに同じようなことを言われて」
「ジュリアン君、焦ってはダメよ。きっとヴェラも心配して、アナタにそう言ったのよ」
「それは重々わかってるつもりです! だけど、僕はアルマのためになにかしてあげたくて……」
どうしてもテレジアさんを説得するだけの言葉が見つからない。なんとか説得してマルティンさんを見つける糸口を見つけなきゃ行けないのに……
僕は焦燥感から苛立ちを募らせた。
ホントは自分が役に立たないから上手になだめられてるんじゃないか――そんな疑念すら沸き立つ。だけど、テレジアさんがウソを言ってるようには思えない。
答えを求めて、テレジアさんの目をじっと見つめる。
「犯人は私たちが決して逃がしたりしないから、なにかあったときに備えて待機しててちょうだい――これも大切な任務よ」
しかし、テレジアさんの言葉はあくまでも僕に我慢を強いることだけ。やっぱり、僕はお荷物だって言われているようにしか思えないよ。
黙り込んで考えているうちにテレジアさんは扉を閉めて出て行ってしまった。
僕はテレジアさんのいなくなった部屋の中で1人考え込んだ。
決断を下すべきことは1つ――
それはもちろんアルマのためにも一刻も早くマルティンさんを探すということ。それにはまず連中の仲間とおぼしきスパイを捕まえるなきゃいけない……とはいえ、テレジアさんの命令を無視するわけにもいかないし。
いや、もう考えてる場合じゃない。
善は急げっ――なんとしてでも僕の手で捕まえるんだ。
僕は部屋の扉を開け、全力で市街地に向かって走り出した。
街に出てみると至る所で鎧を着た騎士とおぼしき人たちに出くわした。僕はスパイを捜そうと、その人たちとは別の方向へと駆け出した。
もちろん、アテなんてあるわけがない。
単純にカンを頼って探り当てるつもりなんだ。それがどういう結果を生むかわからないけど、とにかく走って、走って、走りまくって探さなくちゃいけない。
僕は町中をひたすら探し回った。
ふと「いたぞ!」という声を耳にする。
それは1本先の向こうの通りから聞こえてきモノらしい。おそらく公国騎士団か教会騎士団の団員がスパイを発見したんだと思う。
僕は我先にと現場へと急行した。
ところがその半途、「うわっ」と声を上げて誰かとぶつかりそうになる。しかも、その人物は外套を深々と被っていた。
一瞬だったから、ハッキリと顔を見たわけじゃない――でも、ソイツが騎士団が追いかけていたスパイだってことぐらいはわかる。
僕は進行方向を変え、すかさず逃げたスパイを追いかけた。
「待てぇ~っ!!」
スパイにはすぐに追いついた。
だけど、あっちもあっちですばしっこくて、追いついた僕を振り切ろうとしている。右に曲がっては、左に行き、また右に曲がったかと思うと消えてしまう。
その繰り返し――それでも見失うわけにはいかない。
おそらくこれは方向感覚を麻痺させるための罠だ。前後左右を見回して、相手がどっちに行ったのかを確かめればわかることなんだ。
じっくりと目をこらしながら、スパイが逃げた方向を確かめる――すると、意外にもスパイはすぐに見つかった。
確かあっちは商会の建物が併設された倉庫街のはず……ということは、どこかの倉庫に身を隠すつもりってことっ!?
僕は勘を元に先回りをすることにした。
とっさにスパイが向かった方向とは反対側の道へと走り出す。
え? なんで道がわかるんだって? そりゃあもちろん市場にはアルマと何度も来てるんだもん。
付近の道については、アルマからいろいろと聞かされてるし、実際クララを捕まえたときにだって通ってるんだよ?
毎日のように通ってれば、そりゃあだいたいの道がどこに繋がってるかわかってくるモノさ。
道を迂回して犯人が来ると向かってくるとおぼしき道へと曲がろうとする――が、そこで女の人と鉢合わせになってしまった。
僕は慌てて避けようとしたが、避けきれずに女性の「キャッ!」という悲鳴と共に倒れ込んだ。
「イタタタ……」
……もうこんな大事なときにいったい誰だよっ!?
そう憤りながらも顔を上げる――すると、そこにはエフィさんの姿があった。
どうもお尻をぶったらしく、目の前で腰のあたりをさすっている。ビックリした僕はエフィさんの名前を叫んで、その顔をマジマジと見た。
「こんなところでなにしてるんですか?」
「それはこっちの台詞です。ジュリアン君こそ、こんなところでなにしてるんですか?」
「あ、そうだっ! こっちに外套を被ったヤツが来たはずなんですが――――見かけませんでした?」
「いいえ……。そんな不審者は見かけませんでしたよ」
「そうですか……」
「なにかあったんですか?」
「……実は公国騎士団がスパイらしき人物を見つけたらしいんです」
「まあっ、それは大変ですね!」
「ええ、たぶんこっちに逃げてきたはずですけど……」
「なるほど……。アテが外れてしまったというわけですね」
「……そうみたいなんです」
うーん、あのまま普通に追いかけてれば良かったかなぁ……とはいえ、後悔しても仕方がないし。
僕は取り逃がしてしまったことに深いため息をついた。
そんなことを考えていると、エフィさんから声を掛けられた。
「ため息をついても仕方ないありませんよ。逃がしてしまったのは残念ですけど、別にジュリアン君のせいってわけじゃないんですよね?」
「えっ……? そ、それはそうですけど……」
「――おい、どうしてオマエがここにいる?」
刹那、エフィさんではない別の誰かの声がする。すぐさまその声に振り返ってみると、そこにセシルが立っていた。
僕は突然のセシルの登場に一驚して声を上げた。
「セ、セシルっ!?」
「オマエ、駐屯所で待ってろってヴェラさんに言われたはずだろ?」
「そ、それはそうだけど……」
「まさか俺たちが信じられなくて、自分で探し回ってたんじゃないだろうな……?」
「…………」
そう言われちゃったら、なにも言い返せない。
セシルの言ってることの半分は間違ってるけど、そう思わせるようなことをしている僕も悪いんだ。信じられなかったと思われても仕方がないよ。
見苦しいかもしれないけど、いいわけを言うしかない。
「二人で話してるところ悪いんだけど、私は行くわね……」
そんなことを考えていたら、エフィさんが割って入ってきた。
どうやら、その口ぶりから商会へ急いでるみたいだ。僕は慌ててぶつかったことを謝罪し、1人去っていくエフィさんの背中に手を振った。
それから、再びセシルの方を振り返って、ここに来た理由を説明した。
「あ、あのね……セシル。僕はどうしてもマルティンさんが見つけたくて――」
「それについては、ヴェラさんが気持ちを預けろって言っただろ? なんでその言葉を信じられねえんだよっ!?」
「もちろん、信じてるさ! で、でも、僕にだって深い理由があるわけで……」
「男なら見苦しいいいわけなんかするなっ!」
「……セシル……話を聞いてって……」
ダメだ、セシルは完全に怒ってる。
どう繕っても聞いてもらえそうにないよ。それどころか、ちゃんと僕と目を合わせて話をしてくれない……もうホント、どうすればいいんだ?
なんとかセシルに話を聞いてもらおうと声を掛けようとする――が、突然セシルから手袋を投げつけられたことで、その機会も失われてしまった。
……ってか、なにこれ? どういう意味?
僕はすぐに手袋を手にとって、その意味を問いただした。
「セシル? これはいったい――」
「決闘だ……」
「……え?」
「三日後、凱旋広場で俺とオマエとで勝負だ!」
「ど、ど、どうしてそうなるの……?」
「どうしてだって……? オマエはホントになにもわかっちゃいなかったんだな……」
「だから、どういう意味なのさっ!?」
「……それを決闘で教えてやる。正直俺はオマエに失望したよ――ジュリアン」
「意味がわからないよ……」
どうして? なんでこんなことになっちゃったの?
なにか僕がヘンなことした?
そりゃ確かにヴェラさんやテレジアさんに言われたことを守らなかったのは事実だよ。だけど、それだからって決闘するなんて、どう考えたって間違ってる。
困惑する僕をよそにセシルは厳しい表情でじっと見ていた――




