宵闇の中の明かり
フクロウの声が静かに鳴き響く真夜中。
僕は1階から聞こえてきた物音に目を覚ました。
はじめは泥棒でも押し入ったのかなと思って、枕元に置いておいた剣を握ったんだ。だけど、すぐにコンコンと木槌を打つ音が聞こえてきたので、まだマルティンさんが仕事をしているんだということに気付かされた。
おかげで目が冴えちゃった。
僕は急に水が飲みたくなって、暖かいベッドの中から這い出た。
そして、静かに部屋の扉を開けて吹き抜けの廊下へと出る。すると、そこには1階から漏れてきたロウソクの明かりが立ちのぼる火のように存在してて、屋内の薄暗さの中で燦然とした輝きを放っていた。
そんな廊下を歩き、隣部屋のアルマを起こさないようゆっくりと1階へと下りる――が、最下段のところでマルティンさんと目が合った。
僕は気まずさを感じつつ、マルティンさんのところまで寄っていった。
「――もしかして起こしてしまったかな?」
「ええまあ……」
「そっか。悪いことをしたね」
「……いえ。でも、水を飲みたくなって降りてきたのは間違いないんで、一概にマルティンさんのせいというワケじゃないです」
と言ったとたん、僕は言い淀んだ。
なぜなら、頭の中で湖での一件を思い起こされたからだ。
やっぱり、マルティンさんはただの靴職人さんのようには思えないよ。それに素早くアルマを助けて、アイツらに立ち向かっていった姿から考えても、なにか裏があるんじゃないかと勘ぐってしまう。
……だというのに、マルティンさんはアルマを心配させまいと口をつぐんでる。
僕はそれがどうしても納得がいかず、マルティンさんに問いかけた。
「――あの」
「ん? なんだい?」
「湖で起きた事件のこと、テレジアさんに話したんですよね?」
「……もちろんだよ。敵国のスパイかもしれないし、通報するのは国民として当たり前の義務じゃないか」
「じゃあマルティンさんご自身の素性については……?」
「…………」
「どうして黙っちゃうんですか?」
「すまない。伯爵にはお話ししたが、どうしても君とアルマには教えられないんだ」
「なぜですか? 間借りにも僕は教会騎士団の騎士です。それを踏まえた上で、教えていただくことはできないんですか?」
「ジュリアン君。私はね、それでも君を巻き込みたくないと思ってるんだよ」
「知ってます。マルティンさんはとても優しい人ですから――」
「なら、わかるだろ? この件は聞かなかったことにしてくれ」
「それはできません」
「……どうしてもダメかい?」
「どうしてもです。だって、アルマが可哀想だからに決まってるじゃないですか」
「……アルマが?」
「ご存じありませんか? ああ見えて、アルマも心の奥ではすごく心配しているんです。市場でパンを売っているときも、クララと遊んでいるときも――あまり顔に出しませんけど、アルマはアルマなりにマルティンさんのことを心配してるんです」
「そうか……。あの子はそんな風に心配してたのか」
「なのに、マルティンさんはぜんぜん話してあげてないじゃないですか。一方的な心配なんかしたってダメなんですよ。もっとアルマの気持ちも考えてあげてください」
とっさにマルティンさんが黙り込む。
それを見て、僕はどこへも逃がすまいと必死にその目をじっと見つめ続けた。
すかさず促すように説得を試みる。
「――教えてください、マルティンさん。アナタはいったい何者なんですか?」
「すまない。本当にそれを話すわけにはいかないんだ」
「そんなこと言わずにお願いします――どうか僕に話を聞かせてください」
すると、その言葉に反応してか。
数秒ほどして、マルティンさんが深くため息をついた。
「やっぱり、話さないとダメかい?」
「はい、どうしても……」
「――わかった、君に話そう」
「ありがとうございます」
ようやく折れてくれた。
僕はそのことをうれしく思いながらも、マルティンさんが開口するのを待った。
「君は私がこの国の生まれじゃないことは気付いているね?」
「はい……。それはこの前、つまり歓楽街でアレクシアとかいう女に呼び出されたときに知りました」
「やはり、あれは君だったのか」
「コソコソと泥棒みたいな真似をしてスイマセン……」
「いや、いいさ。それより、そのときの話をどれぐらい覚えている?」
「えっと……。ルオニール・ケイレスっていう人の名前と東レウル帝国って名前。それから、誰かを殺したことっていう話題が出たことですかね」
「……そうか。では、改めて君に詳しく話さないといけないね」
「お願いします」
そう言うと、マルティンさんは静かに語り出した。
「私はね、隣国の東レウル帝国から来たんだ――と言っても、逃亡同然だったんだけどね。そして、ルオニール・ケイレスとは私の本名のことだ」
「あの、逃亡って……?」
「つまり、君が知ったというユング侯爵を殺害しての逃亡だね」
「そんなっ……!? マルティンさんがそんなことをする人のようには思えません!」
「もちろん、私だってそんなことをした覚えはないよ」
「だ、だったら、それを証明すれば良かったんじゃ……?」
「それは無理だったんだよ」
「……無理? どうして?」
「たまたま私が殺害現場に居合わせて、それをある人物によって仕組まれたからさ」
「……ある人物って……まさか……」
これでようやくわかった――森であったアイツはマルティンさんにとって仇敵だったんだ。
……それじゃあユング侯爵っていうのは、いったい誰なんだろ?
僕はそれが気になった。
「名前はロンデルス・モンシア。かつて東レウルでユング侯爵の警護官だった私の上官を務めた男だ」
「……それがアイツですか?」
「そうだ。その当時東レウルはもっとも反映した時代に比べて、ずいぶん衰退していたんだ。おそらく現在でも悪化の一途をたどっているんだろうけど。そんな中で私は皇位継承権争いで皇太子派の中核だったユング侯爵の警護に就くことになった」
「それでどうしてマルティンさんがその人を殺害した容疑者にされなきゃいけないんですか……?」
「それは私が恋をしていたからだよ」
「……恋?」
「そう、恋だ。相手はユング侯爵のご息女でまだ幼い皇太子殿下の許嫁だった人だ」
「えっ? じゃ、じゃあ身分違いの恋っ!?」
「――まあそうなるかな?」
「うわぁ……」
おもわずビックリしちゃった。
でも、そうなると、アルマのお母さんは……?
僕はとっさのことにマルティンさんを問いただした。
「あの、その人って……。アルマのお母さんなんですか?」
「そうだよ。その女性、つまりアルマの母親であるオリーヴェは私が恋した女性なんだ」
「――オリーヴェ? それってお店の名前じゃ……?」
「気付いたかい?」
「じゃあお店の名前って、奥さんの名前を付けたんですか?」
「……そうだ。オリーヴェの名前はその名の通り『知恵と平和』の花言葉を持つオリーブの木から来ている。そんな名前だからこそ、彼女への愛の証として名付けたんだ」
「ステキですね……。マルティンさんが奥さんをすごく愛してたのがわかります」
「ありがとう。まあ、ある意味私たちが出会ったのは運命と言うべきかもしれないね」
「…………」
「でも、そんな関係をヤツは利用しようとした。実際のところ、皇位継承争いが激化してそれどころじゃなくなったようだ――私たちがそうなったのと時を同じくして、ユング侯爵が何者かに殺された」
そう言って、マルティンさんはうつむいた。
なんだかその顔は悲しい過去を懐かしむみたいだった。
……そういえば、アルマのお母さんって病死してるんだっけ。それだけにマルティンさんにとって最愛の人だったのかもしれない。
僕はそれを考えただけで、マルティンさんの心がわかった気がした。
「そもそもモンシアは反皇太子派から送られたスパイだったんだ――そのことに気付いたのは、ユング侯爵の殺害現場を目撃する直前のことだ。しかし、私はヤツによってユング侯爵殺害の実行犯に仕立てあげられてしまった。私は言い逃れできない状況に陥り、オリーヴェを連れてこの国へ逃亡することにした」
「それで面識があったんですね」
「ああ……。それだけにあの子には、私たちの過去を知らないでいて欲しかったんだけどね」
「……そうだったんだ」
お互いがお互いのことを心配しあっている――なんだか不思議な話だ。
いまのを全部を聞いて、どちらの気持ちもわかる気がするから一概にどちらかの味方をするなんてことはできない。
……だけど、このままなにもしないなんて。
僕はとても歯がゆかった。
続けざまにマルティンさんが言う。
「ここまで話せば、もう君でもわかるだろう? つまり、この話は君1人がどうこうできるレベルの問題じゃないんだよ」
「…………」
僕は言葉を返せず、黙り込んでしまった。
「そろそろ寝よう。明日も早いんだろ?」
「……あの、マルティンさん」
「なんだい……?」
「1つだけお願いがあります」
「言ってごらん」
「決して――決してアルマが悲しむような真似だけはしないと約束してください」
「……わかった。約束しよう」
「ありがとうございます」
よかった、これでアルマが心配しなくて済む。
そう思ったのは早計だった――
翌日、自宅からマルティンさんはいなくなった。
すぐにどこへ行ったのかは見当が付いた。だけど、それを知ったアルマが倒れ込んでしまったため、探すどころ話じゃなかった。
マルティンさん、どうして……?




