市場にて/其の壱
「いち、に、さん、しー、ご……」
工房から運び出したパンをアルマが数えている。
これらはいまから朝市で販売する分だ。
なぜパンを売らなきゃいけないかというとアルマにはお母さんがいない。しかも、お父さんは靴職人で長時間を掛けて靴を作っていることもあり、代金をもらえるまでまとまった生活費を得ることができないのだそうだ。
だから、アルマはパン屋に奉公に出てお金を稼いでる。
さらにその合間を縫って、炊事洗濯をこなしているらしい。
そんなアルマに感心しながらも、せめて居候のお礼をしようと僕は朝市にパンを並べる手伝いをすることにした。
で、いままさに手伝いの真っ最中――
僕はパン屋のオジさんと一緒に陳列をしながら話し込んでいたというわけさ。
「これで先口分のパン五十二個は陳列完了ですね」
「よし。じゃあ販売の方はいつも通り頼むよ」
「お任せください」
「私は午後の分のパンを焼かなきゃいけないから工房に戻るよ。何か困ったことがあったら、すぐに聞きに来るんだよ」
「わかりました」
仕入れのやりとりが終えると、僕はオジさんにパンを運んできた木製のパレットを手渡した。
ふとオジさんが思い出したように話し始める。
「そういえば、またあの音を聞いたよ」
音? いったい何のことだろう?
僕にはさっぱりわからなかったけど、アルマはすぐ理解できたみたい。別のパレットに乗せられたパンを陳列台の端に置くとアルマは言った。
「またあの音がしたんですか?」
様子から察するに何度も聞いたことがあるってことなのか?
僕はどういう話なのかを知りたくてアルマに聞いた。
「ねえアルマ。いったい何の話なの?」
「……そういえば、ジュリアンには話したことなかったわね。実はここ最近朝早くパンの仕込みを手伝いに行ったときにね、ずっと奇妙な音がしてたの」
「奇妙な音?」
「そう。しかも、その音は一、二回じゃないの。まるで何かを砕いているような連続した音なのよ」
「砕くって……いったい何を?」
「それがなんなのかいまいちわからないのよ――で、気になってオジさんと一緒に調べてみたんだけど、どうやら足元のほうから聞こえてくるみたいなのよね」
「あ、足元!?」
「そうなのよ。幻聴かもしれないと思ったけど、毎日のように聞こえるから自警団に報告をしたの。でも、『空耳じゃないか』って無視されちゃって………」
「さすがに幻聴で済ませていい話じゃないと思うんだけどなぁ」
「でしょ~? だけど、自警団の連中ったら私の話をいっこうに耳を傾けないのよ? ホント頭に来ちゃうわ」
「なんかおかしな話だね」
「まったくよ」
とアルマが不満そうに言う。
でも、どうしてそんな音が足下からしてきたんだろう? 平和なヴィエナだけにそういう現象が起きるのかなぁ。
などと考えているうちにすべてのパンの陳列が完了――
帰ろうとするオジさんに一言挨拶をして、僕はアルマと一緒にパンを売り始めた。
「パン工房ブランのパンはいかがですか~? ふわふわウマウマのパンですよぉ~」
アルマが大きな声を上げて客を呼び込む。負けじと僕も声掛けを始め、二人でお客さんが来るのを待った。
その間、僕たちはおしゃべりをした。
「ねえアルマ。今日ってどのぐらい売れるかな?」
「そうねぇ~? 今日は大聖堂でミサがあるし、夜は家で粛々と食事を取るところが多いだろうから、いつもよりお客さんは多いんじゃないかしら?」
「ミサがあるんだぁ……。あのさ、ヴィエナのミサってどのぐらいの人が集まるの?」
「私もここ何年かは行ってないんだけど。確か五年前にお父さんと一緒にお祈りに行ったときは百人ぐらいはいたわね」
「へぇ~。やっぱ都会は違うんだねぇ」
「ジュリアンの村でもミサはあったんでしょ?」
「あったよ。でも、大聖堂ってほどの規模じゃななかったな……といっても、僕は剣の鍛錬ばっかで全然行かなかったけどね」
「それって神様に対して失礼じゃない。もう少し信仰心ってモノを持ちなさいよ」
「確かにそうだけど……」
「いい? 騎士になるのもいいけど、神様にお祈するってことも国を守ることに必要なことよ?」
なんだか正論を言われた気がする。
僕は思わず息を詰まらせた。アルマは僕より二つ年下のくせに働いていることもあって妙に大人ぶっている。
それでもって僕に説教するから、腹が立つったらありゃしない。だけど、言ってることも間違ってないから言い返すこともできない。
この歯がゆさをなんとかしてほしいなぁ。
そんな思いを抱いていると、アルマが別の話題を振ってきた。
「ところで知ってる? 公都はね、元々はなにもない小さな山だったのよ。そこに教会が建造されて、そのうち軍の砦として徴収されたの」
「え? そうなの?」
「お父さんから聞いた話よ。たまたま付近に商人たちが東へ向かう街道があったから教会に連なるように町ができたんだって。それから長い年月を経て、ファルナディル王家が古代帝国から分離独立して、いまのヴィエナの礎を築いたのよ。そして、最初に作られた小さな教会は大聖堂に改修されたってわけ」
「へえ、そうだったんだぁ~」
「地形、通行、権力……。この三つの条件があれば、どんな土地もひとつの都市形成の可能性を秘めているのだそうよ? まあこれもお父さんの受け売りだけどね」
「なるほど」
「それで? ニートで騎士バカなジュリアン君はどこかいいところへ入れるアテはあったのかしら?」
「いや、それが全然で……」
「なによ? まだなの?」
「そうは言っても、僕にはツテがあったわけじゃないし、誰かに紹介状をもらったわけでもなかったんだよ?」
「それでよく騎士になろうだなんて思ったわね。まったく、いまのままでいたらホントにニートになっちゃうわよ?」
「ニートはよしてよ。働いたら負けだと思うってのは名言だけど、人生まで負けてしまったらそれこそ負けじゃないか」
「……誰が上手いことを言えと言ったのよ」
アルマの言葉にひたすら苦笑いを浮かべる。
そう、そうなのだ。
ヴィエナに来て、はや一ヶ月――僕は未だに騎士になれていない。
それどころか、アルマの家に居候させてもらいっぱなしで、本当にニートになりかけている。ガンバってるつもりだけど、やっぱり貧乏な田舎貴族ってだけでどこも相手にしてくれないんだ。
「なんとかしたいなぁ……」
と最近はため息ばかりついている。
明日からガンバるなんて言い出したら、きっとアルマにどやされる。早く騎士になって見返してやらなきゃ。
そんなことを考えていると、突然聞き慣れない音が聞こえてきた。
「バサバサバサッ――」
と、音を立てるそれは人間が関係するような音じゃなかった。どちらかというと、普段耳にするがない何かを揺さぶる音だ。
僕はその音が気になって、おもわず目を向けた。
すると、いつの間にかずんぐりむっくりの鳥が陳列台の縁を止まり木代わりにして休んでいた。
全身は真っ白な毛。でも、所々に白樺の木の樹皮みたいな黒い毛が混じって、目は強面がすごんでるみたいに細く鋭かった。ここまで観察してみれば、僕だってわかる。
ソイツの正体――それはフクロウだったんだ。
珍妙な鳥の出現にアルマも驚きの声を上げていた。
「え? なんでこんなところにフクロウ?」
僕だってビックリだよ。しかも、こんな都会の真ん中にフクロウが飛んでくるなんて絶対あり得ない。
「誰かが飼ってたんじゃないのかなぁ~」
「どうしてわかるの?」
「だって、ほら見て」
と陳列台に止まったフクロウの胸元を指さしてみせる。
すると、そこには縄でくくりつけられた金色のネームプレートらしきモノが下げられていた。
「グリフィンドール……? 名前かしら?」
「たぶん、そうじゃないかな」
「だとしたら、持ち主のところから逃げてきちゃったのね」
とアルマが納得したように言う。
胸元にキラリと光る高級そうなプレートは、フクロウなのに偉ぶって見えるから腹が立つ。さらに顔つきが「ドヤぁ」って言ってるみたいで、ちょっとそのモコモコしたお腹に拳を入れたくなったよ。
……名前がスリザリンだったらよかったのに。
僕はそんなことを思いながら、プレートに飼い主の名前が書かれていないか確かめた。
だけど、残念なことに当ては外れてしまった。
「ダメだ……。プレートのどこにも飼い主の名前が書いてない」
「どうすんのよ? このままじゃ営業妨害もいいところじゃないの!」
「そ、そんなこと僕に言われても……」
「ジュリアンが責任とりなさい」
「いくら何でも横暴すぎるよぉっ!」
なんて言って、抗議してもアルマはいっこうに聞いてくれない。それどころか、冷たくあしらって何でもかんでも僕のせいにする。
こ、このままじゃまた足蹴りにされてしまう……
僕は対策を考えるべく、まずフクロウを捕まえることから始めることにした。
ところがこの選択が大間違い。フクロウは僕が横からゆっくり近づくのをわかっていたらしく、パッとつかもうと瞬間に別の店のテントの屋根に逃げてしまったんだ。
捕まえ損ねて声を上げる僕――
そんな僕をあざ笑うかのようにフクロウは屋根の上から「ホホッ」と鳴いて見下ろしていた。
なんかムカつくな……
「降りてこいっ! 男なら僕と一対一で勝負だ!」
って、アイツってオスなのかな?
まあいいや。どのみち捕まえないと何も始まらないしね。
僕は無理矢理にでも引きずり下ろそうと、フクロウが上った店の主人に断ってテントの柱伝いに屋根へとよじ登った。
「今度こそ逃がさない……」
自信ありげにフクロウを捕獲しようと試みる。
「まあ相手は結局鳥なわけだし簡単だよね?」
――などと思って飛びついたら、また逃げられました。おかげで屋根から転げ落ちそうになったよ。
しかも、あのフクロウ。
今度は20メートル離れた先のテントに移ったかと思ったら、さっきと同じように「ホホッ」と鳴いて僕を馬鹿にしやがった。
くそっ! 絶対に許さないぞ。
というわけで、もう一度トライ。鳥が人間に勝てないことを1から10まで人間の恐ろしさを教え込んでやらないと。
僕はゆっくりと屋根の上から降りると、また別のテントに飛び移ったフクロウを捕まえようとした。
だけど、柱に手を掛けようとしたとたん――僕はその動きを止めた。なぜなら、それは「どいてぇ~」という微かな声が耳に飛び込んできたからだ。
僕はとっさに振り返って、声のする方向を見た。すると、100メートルほど先の空の彼方からものすごい勢いで近づく女の子の姿が目に映った。