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「また何かあればいつでも来い」と仰る先生に力なく笑い、お礼を言ってお辞儀をする。気を遣わせてしまったことを申し訳なく思いつつ、また試験前には寄らせていただくことにした。私ひとりではどうも手に負えないのだから、やむを得ない。
私は数学準備室を出てすぐ扉に寄りかかり、小さくため息をついた。
ふと、目の前に誰かが立っているのに気付き、慌てて顔をあげる。
「邪魔だ。どけ」
「っは、はい……!」
朝礼などに壇上で見る顔が目の前にあり、小心者の私は心臓が縮んだ気がした。慌てて扉の前から避けると、彼は私を一瞥し、あとはそもそも私の存在そのものがなかったかのように、ふいと目をそらして部屋の中に入って行った。……あ、ノックしてなかったな、あの人。なんて、どうでもいいことを頭の隅で考えながら、軽く息を吐く。
「……びっくり、した……。」
今しがた数学準備室に入って行った男こそ、この学園の生徒会長、和泉充である。
性格は先ほどの通り、あまり礼儀正しいとは言い難い。朝礼なのに敬語で話さず、言っていることはなかなか強引なことが多い。……だが、そんな不遜な態度ですら許せてしまうほどのあのカリスマ性は、高校生が身につけるにしてはやや大人すぎる。
それほどに、彼の人気は凄まじかった。実家がお金持ちということはあるかもしれないが、それだけで生徒の心をあれだけ惹きつけるのは、並大抵のことではない。学業も成績はいつもトップだし、能力の方も、下手な教師よりよっぽど器用に扱うと聞いている。
おまけに彼は容姿が良い。赤い髪に赤い目はなかなか奇抜で、野性的だ。そのくせ彼がする仕草の一つ一つがきれいなため、上品にすら感じてしまうから怖い。目鼻立ちもくっきりしており、いつも強気な目は自分のステータスに基づいた自信と責任感に満ちている。これでモテないと言えばウソだが、どうやら女の人にはあまり興味はないようで、浮いた話はあまり聞かない。まぁ、私の耳に届いていないだけかもしれないけれど。
彼の威圧感に少しの間固まっていた私だったが、すぐ我に返ってその場を後にした。あのままあそこに突っ立って、追っかけだと思われたら対処しきれない。彼にいつも言い寄っている“親衛隊”なるものに勘違いされても、それを切り抜けるだけのコミュニケーション能力を、私は持ち合わせていないのだ。
「……平和が1番」
この学校に入って間もない頃に学んだ第一信条をぽつりと呟き、その場を後にした。
「……失礼します」
「ん。……あぁ、和泉か」
机に向かって何かを書き込んでいた滝沢に一礼して、和泉は室内に入る。
「どうかしたか?」
「先日の案件ですが……。」
言いながら資料を取り出し、和泉は滝沢に手渡した。
滝沢がざっと資料に目を通している間に、和泉は追加の説明を加えていく。顔は資料から上げないものの、滝沢の返事はしっかりとしていた。
「――……ということで、よろしいでしょうか?」
「よし、大丈夫だろ」
何でもないように資料を手渡す滝沢に、あっさりそれを受け取る和泉。綾が見たら目を丸くしそうな数分のやり取りはしかし、有能な2人だからこそできる芸当である。
用事がすんで部屋を後にしようとした和泉だったが、ふと思い出したように滝沢に向き直った。
「そう言えば、さっき部屋の前に1人女子生徒がいましたよ」
「女子生徒……あぁ、大崎か?」
「名前は知りませんが……あれ、出待ちじゃないんですか?」
その整った容姿のせいで過去に何度もトラブルがあったためか、和泉は女という女を信用していない。今も話しながら、眉を寄せて苛立った顔をしている。滝沢も事情は分かっているため苦笑いしかできなかった。
「大崎は違ぇよ。真面目だし、そういう積極的なタイプじゃない」
「ハッ!どうだか」
嘲るように鼻で笑うと、和泉は今度こそ扉に手をかけ、「失礼します」と一礼して部屋を出た。残された滝沢はただ1人、彼の将来を案じるばかりである。
1人の部屋で苦笑して、彼は数学嫌いで気の弱い女生徒のために、問題集作りを再開させた。
まだ転生ネタ出てこない……。次かその次か……その……次か……。
……はい、頑張ります。