ふたたび中庭、b
「あの」
鈴を転がしたようなその声に、不意打ちをくらった気分になった。
「はい?」
まさかな、と思いながら顔をあげると、果たして、柔らかそうな黒髪をふたつにくくった糸巻さんが、すぐちかくにいた。思わずあげそうになった奇声を、どうにかのみこむ。
しずかに動揺している僕をよそに、糸巻さんはスカートのポケットを探りはじめた。すこし上気している頬を、気づかれないようにそっと眺める。
「へんなこときくけど、この紙に見覚えとか、ありませんか」
そう言って糸巻さんがとりだしたのは、流れるように美しい文字列がならぶルーズリーフの切れ端。
息がとまるかと思った。なぜなら、
「それ、僕も持ってる」
急いでポケットからたたんだ紙きれをとりだして、開いてみせた。
「今日の放課後、中庭に来てください。ほんとにおんなじだ。なんで?」
驚いた表情の糸巻さんと、目があう。好奇心に満ちたそのひかりがあまりにまぶしくて、言葉がなにもでてこなかった。
ぽす、と妙な音がしたのはその時だ。
「わ、黒板消し」
大きな声をあげた糸巻さんの指さす方を見ると、確かに黒板消しが落ちていた。
いったいどこから。
上を見やると、信じられない光景が広がっていた。
底抜けに高い九月の青空に、桜色の塊が浮かんでいる。かと思うと、まばたきするよりもはやく、それは砕け散り、欠片となってこちらへと落ちてくる。ひらひらと、音もなく、落ちてくる。
視界ぜんぶが桜色に染まった。僕はたまらず瞼をとじる。
「なんだこれ」
目をあけると、そこにあるのは、いつもとなにもかわらない景色だった。上は相変わらず、すかっとした青、下はコンクリートのつめたい色。
「なんだろう」
間があいて返ってきた鈴鳴りの声に、僕はすこし安心する。
そして、ふとわかった。こんなことができるのは、こんなことをしでかすのは、僕がしるかぎり一人だけ。
「木原」
「え、木原さん?」
見えるはずがないのに、糸巻さんはめいっぱい空をあおぐ。
「うーん、やっぱりわからないね」
犯人探しをあきらめて、こっちをむいた糸巻さんは、可笑しくてたまらないというように、目をほそめた。
「そっかあ、ふじの君って名前だったんだ」
「え?」
「顔に書いてるよ。見て」
糸巻さんから渡されたちいさな手鏡をのぞきこむと、そこには「ふじの です」という桜色の鏡文字を顔にひっつけたまぬけな僕がいた。
「木原め」
僕がひくく呟くと、糸巻さんはふきだした。
「なんだかわからないけど、おもしろいね」
そう言ってまた笑う頬にも、さっきの桜がひとかけくっついていた。
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