屋上
藤野が絵を描かなくなってから、もう二ヶ月以上になる。正確に言うと、描かなくなったのではなく、描けなくなったのだ、と私は思う。
理由は、話の中ではよく聞く類いのもので、でも、実際にそうなってしまった人を見るのは、はじめてだった。だから、私は自分がどうすべきなのかわからないし、藤野はきっと、いや絶対、私がその理由を知っていることに気づいていない。
どうしたものやら、とついた溜め息は、偶然にも私の悩みの種と、かさなった。
「ねえ、藤野」
ふりむいて声をかけても、藤野はぼうっとどこか一点を見つめているばかりで、まったくこっちを見ない。おなじように、フェンスの向こうをのぞきこむと、私の悩みの種の種、つまりは彼女が、ふたつくくりにした髪をゆらして歩いていた。
「藤野」
さっきよりも強くいうと、藤野は弾かれたように後ずさった。
「いつから、そこに」
「結構まえから」
そう言うと、藤野は勢いよくはしりだした。自分のスケッチブックをほっぽって。
「あ、逃げるな!」
私は反射的に叫んだけれど、おいかけなかった。藤野は案外足の速いやつで、みかけによらず足の遅い私は追いつけるはずがない。
私はあきらめて座りこみ、スケッチブックを広げた。屋上を舐めるような風がふいて、ページが勝手にめくれていく。
白いページが続いたあと、不意に色があらわれた。どこか古ぼけた校舎と生命力あふれる若い木の絵。まぶしい光と、濡れたような影のコントラストが見事だ。
また溜め息がもれそうになって、私はあわててスケッチブックを閉じた。
おもしろくない。
いつまでも眺めていたい絵が描けるのに、描かなくなったことも、そのことについてなにも言わないことも。ずっと絵だけでなく、藤野のことも見てきたはずなのに、今さらどうしようもない溝みたいなものがあることも。
口を開けば、不平不満ばかりが零れそうだ。
でも、ここにはそれをきいてくれる人などいないので、ぎゅっと唇をかみしめる。
私は、どうしたらいいのだろう。