オトマールの祈り
連日続く激しい戦いは、私たちにひたすら眠ることをもたらした。
昼であっても、私たちは陽だまりの中で眠り、木陰で眠った。時折、敵パイロットの怯える顔が眠りを妨げたが、それでも二人は眠ることを貪った。そんな日が二週間も続いた。
疲れ果てた心は、目の前で起こっていることが夢なのか現実なのかすら分からなくさせていた。私たちはとうの昔に限界を通り越していたが、それでも飛び続けたのだ。
「今日は多いな、二百機はいるだろう」
その夜は、ベルリンの空を覆うような大編隊に遭遇した。
いったどこから攻撃すればいいんだ。
私は懸命に敵編隊の隙を探していた。必死なのは私だけではなかった。
広域無線はいつも以上にうるさかった。
「おい馬鹿野郎。どこを撃ってるんだ。俺は味方だ。高射砲。撃つんじゃねーよ!」
「ちくしょう、喰らった。もうだめだ!」
「こいつめ、いったいどれだけ喰らえば落ちるんだ。落ちろ、落ちろ、落ちやがれ!!」
「脱出だ! 脱出しろ!!」
阿鼻叫喚の巷の中で私は敵編隊の隙を探していた。
「あったあそこだ!」
敵爆撃隊も混乱している。高度差をとって大量にばら撒いた焼夷弾が、味方に当たって編隊が崩れ出したことに私は気づいた。
「オトマールいくぞ。いつも通りやれ! いいな!」
そういうと私は、崩れ落ちる編隊に機首を向けた。
常にフットバーを蹴り、機銃弾を避けながら、高度の低い敵機から順番に銃撃を続けた。
三機目を銃撃した後、速度の低下を感じて、私は退避に移った。
オトマールはどこだ? いつもならついてくるはずの機影が見えなかった。
「おいオトマールどこだ? どこにいる?」
「大尉。数発喰らいました。でも大丈夫です。大尉を見失ってはいません」
「わかった。とりあえず退避だ。降りられるだけ降りる。ついてこい」
「はい、大尉」
私は敵機のいない方向を嗅ぎだし、そこへ機首を向けた。
目の前には轟々と燃える街があった。激しい上昇気流が機体を揺すったが、私はそれを本能的に利用しようと考えたのだ。
後方にオトマールの機影が見えた頃、私はスロットルを緩めて、彼の横に並んだ。
致命的な損傷を受けていないことは一目でわかった。
「大丈夫か? 基地まで飛べそうか?」
「大尉。大丈夫です。でも頭がやたらと熱いんです。それになんだがヌルヌルして気持ちが悪いんです」
私はドキリとして隣を飛ぶG10のコクピットの風防に目を走らせた。そこにはどす黒い染みがあった。
私はオトマールが負傷していることを読み取った。
「おい、大丈夫なのか? その傷で基地までもつか?」
「わかりません、大尉。それよりなんだか疲れました」
「なにを言っている。俺はお前をつれて帰るぞ」
「大尉の顔も前も良く見えないんです」
私は心を締め付けられた。それまで一度も聞いたことのない、オトマールの弱音を耳にしたからだ。
何かが音を立てて崩れていくのを感じた。
二機のG10は炎に焼かれ気流に煽られながら、ゆらゆらと揺れた。
――しまった! 時計塔だ!
私は眼前に真っ赤に燃えながらそびえる時計塔を見た。
「オトマール前方に時計塔がある。避けろ!!」
「…………」
「おい、オトマール聞こえてるのか? おい、オトマール!」
「ああ、父さん。父さんそこに居たんですね。探してたんですよ」
「馬鹿野郎! 俺はお前の親父なんかじゃない! 気をしっかりもて、オトマール!」
「ああ、さっき僕が悪さをしたから怒ってるんですね……。ああ母さん、そんなところにいたんですか……」
「おい、オトマール! 避けろ! 避けるんだ! そいつはお前のお袋なんかじゃない! ただの時計塔だ! 操縦槓を引け! スロットルを開けろ! フットバーを蹴れ、右でも左でもいい、蹴れ! 蹴るんだ!!」
「母さん、何を祈っているのですか? ああ僕の……、じゃー僕もそこに行きますね。少しだけ待っていてください。一緒に……」
「オトマール! 避けろ! 操縦槓を引け! スロットルを開けろ! フットバーを蹴れー!!」
私はあらんかぎりの声をあげ、絶叫した。その瞬間、時計塔に巨大な火球が膨れ上がるのを見た。
オトマールの生命の時計はそこで止まってしまったのだ。
私は泣いた。それまで幾人もの友を失ってきたが、一度たりとも泣いたことなどなかったというのに。
涙で何も見えなかった。もう戦争も、生きることも、鳥であることも、何もかもがどうでもよかった。だから、そのあと私が何をどうして生き延びたのかすら憶えていない。
気が付いたとき、私はあの森と湖の飛行場の近くに不時着していたということだけだ。それは鳥の帰巣本能だったのかもしれない。
翌日、ヨーロッパの戦争は終わった。