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絆と別離

 ホラントの死を目の当たりにした私が、ハインツ達と合流したとき、敵爆撃機は飛び去っていた。

 それほど長い時間、あの十字架を見たとは、とうてい思えなかったのだが、普段の感覚を取り戻した私は、ホラントの十字架が祈りそのものであったことに気づいた。

 伝染する悲しみは味方を危機に陥れる。だから私は自分にも他人にも非情であるという生き方をすでに会得していたことに、この時は心から感謝したものだ。

 しかし、戦後私は何に対しても非情であるという生き方を体の隅々まで沁みこませていたせいで、嫌というほど長いあいだ苦しんだのだ。

 だが、その話をするのは、まだ先のようだ。


 基地へ帰投する間中、ハインツはあいかわらずがなっていた。

 背伸びした青年と、まだ少年から抜け出しきれていないオトマールの会話は、寒々とした私の心をどれだけ温めたことだろう。

 見上げれば嘘などなにひとつない青空が全身全霊をもって私を包み込んでいる。雲の流れ、変わってゆく形から、穏やかな風があることがわかった。

 翼の前方に広がる田園風景は、ドイツのどこにでもあるような風景だったが、それでも私は日々に牧歌的な風景を楽しんだ。特に麦が収穫される季節は美しかった。黄金色に色づいた大地を風が吹き抜けてゆくさまが、ありありと見渡せたのだ。

 そこから少し目線を上にあげれば、遥か彼方にはノルトハウゼンの山々が霞みがちに見える。中でも目立つのはハルツの森と、なだらかな女性的な稜線を見せるブロッケン山だった。年に一度、魔女たちが集まるという伝説をもつ山だ。

 整備員や空を知らない男どもは、原因不明の墜落事故が起こるたびに、箒に乗った魔女にでも出会って手元が狂ったのだろうと、面白半分に言っていたが、もちろん私がそんなことを信じることはなかった。

 私はこの平和なドイツの空から見える光景が好きでたまらなかった。ともに戦った連中のほとんども、こうした気持ちを抱いたことだろう。だがこの時にも、戦争が終わった後にも、そうした会話ひとつする機会に恵まれなかったのだ。


「おい、そろそろ基地だぜ。順番はどうするんだ?」

 ハインツの剛毅な声が私を現実に引き戻した。

「まずオトマール。ヒヨッコの着陸をふたりで見届けたあと、ランデブーで滑り込むか?」

 祖国ドイツの景色に癒されたせいだろうか、私らしくない冗談を言った。

「おいおい、あんな狭い滑走路にランデブーなんて気でも狂ったか?」

 ハインツが笑う。

「お前と心中なんて、俺だってごめんだぜ。燃料は?」

「俺の機はまだ余裕があるぜ」

「じゃ、オトマール、俺、お前でいいだろう」

「さてさて、オトマール君。着陸の手順はわかるかね?」

「中尉、あまりちゃかさないでください」

「おうよ。お前、このソーティーの間に随分と大人げた口をきくようになったな。まあいい。何もいわんから、やって見せろ」

「はい、中尉」


 それは見るも無残な着陸だった。

 一度目は危険なスピードだったため、やり直させた。

 二度目はなんとか車輪を地面に着けたが、バルーニングを起して何度も跳ねた。あやうくプロペラで地面を叩く寸前に、オトマールは着陸をあきらめた。

「荒れた滑走路だ。教官どものいる綺麗な更地だなんて思うなよ。もう一回だ」

 ハインツががなる。

 イアホーンを通して、オトマールの乱れた呼吸音が聞こえる。

「落ち着けヒヨッコ。力を抜いてやるんだ」

 ハインツのさえずりは、相変わらずがなりだったが、私はそこに親鳥の厳しさと優しさを見つけ出し、思わず微笑んだ。

 オトマール、三度目の挑戦。今度はさっきより跳ねることなく地面を掴んだ。

 負けん気の強い少年の甲高い声が、次々に着陸停止操作に移っていることを男たちの耳に響かせた。


「じゃあ、俺だな。ハンイツ燃料はあるか?」

「ギリギリだ。一発できめろよ! 後はないからな」

「ああ、わかっている。親鳥が口だけじゃないことを見せないとだしな」

 私は慣れ親しんだ操作を半ば無意識に行いながら、最終進入の第四旋回点へと機首を向けた。

 風は向かい風であり、これほどの好条件はなかった。

 いつもより緩めた速度で旋回を終えると、もう滑走路は目の前にあった。

 ドスンと強めにタイヤを地面にぶつける。瞬間、脚固定指示のランプに異常がないことを確認しながら操縦槓を軽く引いて、タイヤを地面から放す。そして再度タイヤを地面にぶつけると、流れるような早さで停止操作をはじめた。

 機体はオトマールが停止している遥か手前でアイドリング速度に達した。軽くエンジンを吹かしながら、オトマールの横まで走らせると、一八〇度ターンしてエンジンを切った。

 風防を開いて機外に出たあと、メッサーの下をくぐって歩きはじめた時、確実に地面を捉えている感覚が湧きあがってきた。

 私はオトマールの方に向かって歩きながらいった。

「おい。着陸ってのはこういうのをいうんだぜ」

「はい、大尉。見事な着陸でした」

 私は自分の発した言葉に少し虚しさ憶えながら、彼の横まで行くと、親指を立てて合図をした。

 下に二回、上に一回。

「お前はこうだった。まあそのうちに馴れるさ」

 そういってオトマールの背中を強く叩いた。

「さて、それじゃ、お前さんの教官殿の着陸を見学するとするか」

「はい、大尉」

 私とオトマールは並んで立ったまま、ハインツの機に視線を注いだ。


 それは見事な進入だった。何の無駄もなく、どこにも力みのない、まさに鳥そのものだった。

 オトマールはハインツ機の動きを追いながら、着陸操作を声に出してブツブツとささやいていた。

「そろそろタッチダウンだ。良く見ておけ。一度タイヤを地面に当てて、脚に異常がなければ着陸だ」

 私は戦場流の荒っぽい着陸法をオトマールに教えたあと、爆音を響かせるメッサーに視線を戻した。

 ワンバウンド、ツーバウンド。そのはずだった。しかし、ハインツの機はツーバウンドすることなく、そのまま地面に叩きつけられた。脚が折れたのだ。プロペラが地面を削り、凄まじい土埃を舞い上げた。

「くそ! 厄日だ!!」

 私はそう叫ぶと、間近にある自転車を見つけ、走り出した。

「オトマール、お前はそこにいろ。来るな!」

 思い出したように振り向いてそういうと、わき目もふらずに自転車のペダルを漕いだ。

 すでに飛行機であること、鳥であることを投げ出したメッサーはもう停止していた。

 奇妙なサイレンを鳴らしながら、消防車や救急車がそこへと向かっていた。

 不思議と不安は感じなかった。私は途中で自転車を捨て、消防車に拾ってもらい、ようやく現場へ辿り着いた。 風防の緊急解放レバーをひねり、風防を開けるために力いっぱい踏ん張った。窓枠が変形して開かないのではないかと思ったが、風防はすんなりと開いた。

「ハインツ! 無事か?」

「ああ、なんとかな。脚関係のどこかに弾を喰らってたみたいだな。固定指示器はまともだったから、いけると思ったんだがな」

 不時着時に照準器に頭部をぶつけたのだろう。ハインツの額から血が流れ、その周りが腫れあがっていた。

「燃えだしそうか?」

「いや、大丈夫だろう。オトマールの野郎が二回も失敗しやがったから、こちとら燃料はスカスカだったのさ。そのおかげで助かったともいえるがな」

 ハインツは笑ったが、その顔には痛々しさがあった。

「さあ出よう、手を貸すぜ」

 私は手を差し出した。

「そいつがちょっと無理らしい。足が挟まってるらしい。感覚がない」

 私が視線を走らせた先には計器盤に挟まれ、どす黒い血に染まったハインツの足があった。

「おい、レスキュー! 頼む」

 体を半分ずらし、レスキュー隊員に状況を見せた。

「こいつは時間がかかるぜ。エンジンが重さで垂れ下がっちまってるからね」

「そうか。とにかく急いでくれ」

「なあエーベルハルト、ヒヨッコはヒヨッコなりに親鳥に恩返しをしたんだろうな」

「ああ、そうだな。あいつにその気はなかっただろうが、そうなった」

「卒業だな。葉巻をくれ。一服やりたい」

 ハインツはそう言うと、疲れた表情を隠そうともせず、ヘッドレストに頭を預けた。


 私は暮れかかる日差しを浴びながら、奴が救出されるまで、そこにいた。

 ハインツが自由になるまで、たっぷり二時間はかかったように思う。だが、ハインツはそれで本当の自由を失った。傷が原因で足を切断することになったのだ。

 それっきり、奴と空を飛ぶ日はこなかったのだ。

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