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ホラント――十字架

 空の戦いを知らない人は言う。所詮お前たちは殺し屋だと。

 しかしそれは物事の一面しか見たことのない者の戯言であろう。空の男たちの日常はただ飛ぶことにあった。

 その日だってそうだったのだ。


 滑走路から全力で駆けあがったあと、スロットルを絞り巡航に入る。

 どこまでも続く青い空。絵の具をこぼしたような雲は、季節と時間と人の心根によって様々な景色を見せる。白やグレー、時に薄茜色の雲を突き抜けると、見まごうばかりの光景に出合うのだ。

 世の中にこれほど美しい青い色があることを知るのは、ひとにぎりの男たちだけなのだ。幸運なことに私はそれを知る一人だった。

 空の男たちにとっては、そうした何の不安もない世界に身を置いている時間のほうが遥かに長いのだ。殺し合いなど一瞬で終わるものなのだ。できうれば、この自由で平和な空を思うがままに飛びたい。

 空の男の願いとは、そういう祈りでもあった。


「アードラー・エルフより、アードラー・アインスへ、聞こえるか?」

 いつも私と空の自由を奪うのは地上の連中だった。

「こちらアードラー・アインス、聞こえるぞ」

「敵機情報を伝える。方位二三五度、距離約一二〇マイル、高度八五〇〇メートル、機数おおよそ二〇だ」

「了解。これより迎撃に向かう。到着まで約二〇分。何か変化があったら教えてくれ」

「了解。アードラー・エルフ、通信終了」


「あいかわらずそっけない連中だな」

 ホラントが言った。

「あいつらに空のことなど理解できん。それだけさ」

 私は答えた。

「おい、オトマール、フラフラするな。スロットルをもう少し開けろ!」

 ハインツは相変わらず、がなっている。

 こんなお粗末さでやれるのか? さすがに私は一抹の不安を感じた。

「高度1万まであがる。遅れるなよ」

 私は心に芽生えた不安を打ち消すかのように青空を見上げて高度を上げる操作をした。

 エンジンは軽やかに私の意思に従っていた。

「ハインツ、オトマールはどうだ? いけそうか?」

 それでも消せない不安で、私は無線機に向かってがなった。

「おいおい、エーベルハルト、お前までがなるな! それじゃオトマールもさすがにチビっちまうぜ。お守りは俺に任せておけ。お前はお前のなすべきことをしていればいいんだ」

「ああそうだな。それじゃ、機銃の点検といこう」

 私はそう言うと、機銃に弾丸を装填し、安全装置を外した。

「アードラー・アインス、ファイエル!」

 引き金を引くと同時に鳥はたちまち猛禽の顔を見せ、必要最小限の弾丸を空中に放った。

「よし、大丈夫だ」

「アードラー・ツヴァイ、ファイエル!」

 ホラントの機からあやまたず弾丸が放出された。

「アードラー・ドライ、ファイエル!」

「アードラー・フィーア、ファイエル!」

 ハインツとオトマールが続く。

「オトマールはハインツのケツと敵機の動きを見失うな。やることはそれだけだ。無理に銃撃しようなどと思うな。わかったか!」

「はい。大尉」

 オトマールのまだ少年じみた緊張した声が聞こえた。

「単縦陣で一撃離脱。離脱後、高度を確保ししだい再攻撃。やることは単純だ」

 私やハインツ、ホラントにすればやりなれた戦い方だった。

 だから、私の心には何の心配もなかった。

 だがオトマールはどうだろう? 破裂せんばかりの不安と恐怖。あいつはそれに打ち勝てるのだろうか……。


 私は思わずハインツのいる位置を顧みて、視線を合わせた。ハインツは左手の親指を立ててニヤリと笑った。

「いた。全機体制を整えろ! いいか、やることはひとつだ。忘れるな!」

 私は大きな声でそう叫ぶと愛機を左にひねり急降下に移った。とたんに仲間たちの姿が視界から消え、私は一羽の凶暴な鳥になった。

 いつもと変わらない大気を切り裂く音。私の冷静さとは裏腹に興奮しているかのような派手なエンジン音と心地よい振動。人機一体となって舞い降りた鳥から鉄の鉤爪が伸ばされた。


 ――ダダダ……ダダダダダ……!

 打ち出された弾丸は巨大な敵機のエンジン部分に吸い込まれるように飛んだ。だが何の反応も示さない。引き金から指を離しながらバレルロールをうち爆撃機の腹の下に潜る。遠くから誰かの放つ銃声が聞こえた。

 振り返るとホラントの機が銃撃を終えて、私の後を追ってきた。

 敵機はほんの少し苦しそうにのたうちはしたが、悠然と飛び続けている。

 私は機銃座の銃弾を避けられる位置を本能的に嗅ぎ出して、再攻撃のために上昇に移った。

 ハインツが加えた銃撃に爆撃機は大きく呻いて、ついに黒々としたオイルのまじった煙を吐き出した。

「オトマール、撃たんでいい! とにかく俺のケツを追ってこい!」

 ハンイツの冷静な声が聞こえた。

 私は安堵してニ撃目への体制を整え、急降下へと移った。


 三度の攻撃で二機の爆撃機を撃破した。ヒヨッコ連れの小隊にしては充分すぎる戦果だった。私の心は燃えていた。

 でかいつらをしてドイツの空を飛ぶ、こいつらが許せなかったのだ。私と愛機はさも当たり前のように四撃目に移った。

 その時のことだった――

「ちくしょう、振動だ」

 ホラントの声だった。

「おい、大丈夫か? 無理せず離脱しろ!」

 私は本能的にそう叫んだ。

「いや、この攻撃がすんでからだ。それぐらいなら耐えられそうだ。俺はあいつらを信じるぜ」

 嫌味と尊敬という天秤がホラントの中で尊敬の側に傾いた瞬間、ホラントの機から何かがはじけ飛ぶのが見えた。

「おい、何かが吹っ飛んだぞ! 多分尾翼だ」

 ハインツが叫ぶ。

 誰かの歯がガチガチと鳴る音がどこからか聞こえた。

 私はホラント機が良く見える位置へと機体を操り、速度を落とした。幸い爆撃機たちは何の反応も示さなかった。

「ヤバイぜこれは、このままじゃ……」

 スピンに陥りそうな機体を必死になだめるホラントの必死さが伝わってくる。

「ホラント、脱出しろ! 機体なんかに拘るな!」

「ああわかってる。誰がこんなポンコツに拘るもんかよ!」

 私はホラントの天秤の向きが変わったことを感じた。

「ちくしょう! 風防が開かない」

 狭いコクピットの中でうごめくホラントを見れたのはそれが最後だった。

 ホラントが風防を開けようとして操縦槓から手を離した瞬間、メッサーはスピンという自由を選びとった。

「ちくしょう開きやがれ! ちくしょう!」

 メッサーはまるで意志あるもののように激しくスピンをはじめた。

「おいスピンだ! フットバーを蹴れ!」

 それがどれほど虚しい台詞なのか、私は知っていた。だが、叫ばずにはいられなかったのだ。ホラントがバーを蹴ろうが蹴るまいが、それに反応する尾翼が無いのだから。

「おい誰か、誰か助けてくれ!」

 尾翼を失った十字架のごときメッサーは狂おしくスピンしながら、どんどん高度を失ってゆく。

「いやだ! こんなことで死んでたまるか! おい誰か! こいつを開けてくれ!!」

 螺旋を描きながら落ちてゆく十字架から聞こえてくる悲痛な叫び。地表はもうすぐそこにあった。

 十字架は火柱を上げ、やがて火球となった。


 ホラントは最期にいったい何を祈ったのだろうか? 私は悲しさのあまり、それすら感じることができなかった。

あらゆる戦いの中で、ホラントの死ほど私の心を苦しめ苛んだものはなかった。

 その日から、私は心底戦争という奴を忌避しはじめたのだ。戦いの中で死に逝くものはいい。だがホラントはそうではなかったのだから。

 私の脳裏には、あの十字架が張り付いたまま離れないなのだ。

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