聞こえない声
バサリと先ほどまで読み上げていた書類を放る。盛大に散らばる紙片が舞い散る中、瑞貴は最初から聞く気もない八束に目を眇める。
「……受験生は己の体調管理不足。同じく陸上少年も自らの限界を知りながらの無謀な行為ゆえの事故。あの一家は妻の妊娠中に反省の甲斐なく夫が浮気を繰り返し、その妻は腹に子を抱えたまま離縁を決意。───たいしたもんだ」
「お褒めに預かりどーも」
平然と返す八束に、傍らの浅葱の方が胃がキリキリと痛む。この冷気漂う空間にいるだけで圧し掛かるプレッシャーに押しつぶされそうだというのに、さらに八束が空気を重くする。
「もっと耳を澄ませろ。本当に必要な祈りを拾い上げずして何のための存在だ」
不遜な八束の態度など相手にせず、瑞貴は淡々と続ける。
「大声で騒ぎ立てるような身勝手な祈りの中に、必ずあったはずの声を、お前は何一つ拾おうとしない。そのでかい耳は飾り物か?」
ギシリと音を立てて革張りの椅子に背を預け、足を組む。さらに腕組みをしたまま瑞貴は馬鹿にしたように鼻で笑う。
「あ~最近耳掃除サボってて、色々聞こえないんですよねぇ、とくにどうでもいい説教とか」
軽く笑いながら告げる八束に、瑞貴は本当に話にならん、と一言呟くとその長い足で重い机を蹴りつける。
硬い音を立てて床のカーペットに波を描きながら机が八束と浅葱のすぐ近くまで飛んでくる。軋む音を立て深く掛けていた椅子から立ち上がると、瑞貴は八束の目の前に立ち、見下ろした。
「いっそお前のその有り余ってる力を、他の奴に投げ渡してやりたいよ」
神としては赤ん坊に等しい八束だが、その力は同じ時期に生まれた神の中では抜きん出ていた。だが正しい使い方をしないようでは、宝の持ち腐れでしかない。だれもがそう感じながらも、最初から聞く気のない八束にはどれほど苦言を呈しようとも無駄に終わる。
「……お前は、私と出会った時のことを、覚えているか?」
今までの叱責するような瑞貴の口調が、不意に穏やかなものに変わる。その言葉に、馬鹿にしたような笑みを浮かべていた八束の表情が無に変わる。
「───んなもん、昔すぎて忘れちまったな」
用件がそれだけなら、俺は帰るわ。皆に背を向け、ひらひらと手を振りながら八束は部屋を後にする。
……周りの懸念など不要とばかりに。