01-8:少女の真実
「―――ガルム、スリス、どうなってる!?」
「涼二!」
「……病人の前だ、静かにな」
バイクでもと来た道を後戻りし、拠点へと帰ってきた涼二は、すぐさまベッドのある部屋へと駆け込んでいた。
そこにある大きな寝台と、その両側に立つ二人。そして、ベッドでうなされる雨音の姿。
顔を上気させて呻き声を上げている彼女に、涼二は小さく舌打ちをしつつも部屋の中へと入ってゆく。
「スリス、これはどういう事なんだ?」
「……かなり厄介な状態だよ。ここまでは流石に予想できなかった」
タオルで雨音の汗を拭いつつ、スリスが声を上げる。
その顔に浮かんでいるのは、普段はあまり見る事の出来ない焦燥の様なものだった。
そしてそんな表情のまま、スリスはその視線を涼二の方へと向ける。
「雨音ちゃんの身体には、色々と厄介な実験が施されていたんだ」
「実験……?」
「人工ルーンの研究で、身体を調べられていた。それだけだったら……いや、それだけでも許せる事じゃないけど、まだどうにかできる範囲だった。
でも、彼女に施されていたのはそれだけじゃない」
言って、スリスは雨音の肌に直接触れぬよう気をつけながら、その身体へ己のプラーナを流し込む。
瞬間―――
「っ、これは……!」
―――その腹部にある始祖ルーンを取り囲むように無数の光のラインが現れ、雨音の全身を覆っていった。
時に曲線を、時に鋭角を描きながら広がるそのラインは、整然と並べられた記号のように見える。
「一体……?」
「人工ルーン研究で用いられた、プラーナの回路だろう。彼女はこれによってルーンの力を反転させられていた。NOT回路のようなものだな」
「人の手で、ルーンの効果を逆転させていた……」
思わず、涼二はそう呻く。
予想できていた事ではあるし、他に可能性が考えられなかったのは事実だ。
しかし、改めて聞くと現実味の無い事ではある。が、これを見た以上はそうも言っていられないだろう。
舌打ちをし、涼二はその光のラインへとじっと目を凝らす。
「ん……?」
そして、ふと気付いた。
薄いパジャマの上からでも見える光のライン―――その一部が、途切れている事に。
細い糸で描かれているようなもので、注意して見なければ気付けなかったが、素肌の部分に浮かび上がっているラインの一部が途切れていた。
「……まさか」
「気付いた、涼二? これだよ、問題だったのは」
「プラーナのラインが途切れた所為で、力の循環不良を起こしているようだ。どうやら、全体にも強化人間としての処理が施されているようだが……そちらよりも、やはりこのラインが問題らしい」
強化人間―――体内のプラーナ循環効率を高め、運動性能を強化した人間の事だが、涼二はその言葉に思わず目を見開いていた。
強化人間を作り出すには非合法な処置が必要であり、基本的に一般に知られた技術では無いからだ。
生来の障害などはプラーナの循環不良によって起こっている為、その治療に技術の一部が用いられる事があるが、それ以外は表に出て来る事は無い。
「……一体、どれだけひた隠しにされていたんだ?」
「ボクでも発見するのにこれだけ時間がかかったんだ……厳重にも程があるよ」
「ちっ……どちらにしろ、一般の研究所程度じゃ処置のしようが無いか」
強化人間の調整にはそれ専用の器具が必要となる。
始祖ルーンの持ち主であり神話級能力者の雨音には、循環量強化によるプラーナの枯渇と言う事態は起こらないだろうが、それでも調整が無ければ長くは持たないだろう
「く……ッ!」
「落ち着け、涼二。迷った所で、我々に取れる選択はそう多くはないぞ」
「選択? 『他人任せにする』の間違いだろ」
「確かに。だが、我々には彼女を救えないのは事実だ」
何処までも正論なガルムの言葉に、涼二は唇を噛む。
自分達の持つ技術や能力では、雨音の身体を治す事はできない。
故に、技術を持つ何者かに彼女を預けるしかないのだ。
「可能性として考えられるのは三つだ。一つ、路野沢氏に協力を要請し、ユグドラシルの施設で彼女の調整を行う」
「却下だ。人工ルーンの技術と、始祖ルーン保持者を奴らに渡す訳には行かない。そんな事をすれば―――」
「他の始祖ルーンの持ち主も同じく犠牲になってしまうかもしれない、か」
ユグドラシルには何人かの始祖ルーン保持者が存在している。
この研究成果を渡してしまえば、ユグドラシルは確実に彼らを実験対象として扱うだろう。
ルーン能力者を量産される可能性がある事も痛いが、涼二にとってはそれ以外の問題も存在している。
かつての部下、思い入れを持っているあの少女もまた―――
「ッ……二つ目は何だ、ガルム」
「ふむ。二つ、今回の依頼主に接触する事」
「あの人たちの目的は、この技術だと思う……なら、これを盗み出して彼らに提供すれば、雨音ちゃんの調整機具を用意できるかもしれない」
かぶり振って問いかけ、それに対し戻ってきた答えに、涼二は再び沈黙する。
先程よりマシだとは思われる。が―――
「確実性に欠けるな、時間もかかり過ぎる……それにそもそも、そいつらはそこまで信用できるのか?」
「依頼主としては誠実だ。ただ、それ以上は私にも分からん」
つまり、技術に目が眩まないとも限らないと言う事だ。
被害の拡大は防げるが、それでも雨音に危害が及ばないとも限らない。
それに、雨音に処置を行えるだけの器具を揃えるまで、彼女が持たない可能性の方が高いだろう。
「……それで、三つ目は?」
「彼女を、静崎製薬に返す事だ。彼女は貴重な実験材料として扱われている……少なくとも、確実に調整は行われるだろう」
ガルムのその言葉に息を飲み―――だが、納得出来るその答えに、涼二は抗議の声を飲み込んだ。
分かっているのだ。選択肢など存在していない事は。
「……返した後に奪還する、か?」
「技術と共に彼女を奪い返すのが理想形だろう」
「そう……だな」
「だがな、涼二よ」
小さく、だが重い声が響き渡る。
涼二はその言葉に篭った気迫に息を飲み、ガルムの方へと視線を向けた。
ガルムの強い視線と、その瞳の奥にある深い知性の煌めきに、縫い止められたように涼二は言葉を失う。
「我らの目的は、あくまでもユグドラシルに対する復讐。彼女を救う事がそれに繋がるとは、私には到底思えんのだが?」
「それは……」
「ただの感情論で、我々全員を危険に晒すつもりか」
「ちょっと、おっちゃん!」
「いや、いい……黙っていろ、スリス」
「涼二……!?」
ガルムの言葉を咎めるように、スリスが叫び声を上げる―――が、涼二はそれを手で遮った。
そしてガルムの目をまっすぐと見上げ、声を上げる。
「……確かに、お前の言う通りだ、ガルム。俺は、この女に対して執着している。復讐には関係ないものだろう」
「ならば、彼女を救う必要は無い筈だ。依頼主の指示に従っているだけでいい。それ以上のリスクを背負う理由は無いはずだろう?」
「ああ、正論だよ。アンタは間違ってない」
肯定。
ガルムの言葉に対し、涼二は言葉を詰まらせる事も無くそう言い放った。
その言葉に、スリスは体を震わせるが、かろうじて吐き出そうとした言葉を抑える。
そんな様子に胸中で苦笑を漏らし―――涼二は、声を上げた。
「だがな、ガルム。アンタは、それで後悔しないのか?」
「む……?」
「俺は言ったはずだ、ガルム。このまま見逃す事もできる。そうすれば、誰もが平穏に暮らす事が出来る。
それでも、その選択をしてしまえば必ず後悔すると。俺はもう、後悔する選択をしないと―――アンタも、それに同調した筈だ」
鋭い視線。強い意志。
ただただ強固な意志を込め―――涼二は、ガルムへと向かって言い放った。
「答えろ、ガルム。アンタは、雨音を見捨てて後悔しないのか」
「……」
その言葉に、ガルムは沈黙する。
小さく肩を震わせているのは、怒りか、それとも―――
「ふ、ふふふ……」
「……おい、ガルム」
「はははははははは! やはり、期待通りの言葉を返してくれるな、涼二よ」
「……趣味の悪い試し方をするなよ、アンタは」
互いに、相好を崩す。
きょとんとした表情を浮かべているスリスを尻目に、涼二は小さく苦笑を漏らしていた。
だが、ガルムの言葉のおかげで決心する事が出来たのも事実であり、涼二はその事に対しても苦笑する。
(だが、これで決まりだ)
視線は、雨音の方へと。
ある筈のない姉の面影を見つめ、涼二は小さく頷く。
「……それに、回復系のS、しかも始祖ルーンの持ち主だ。味方に引き込みたい所だろう?」
「ふむ……確かにな。生傷の絶えぬお前には必要な力か」
「その為には、この逆転した状態の力を何とかしないとねぇ」
ようやく調子を取り戻したスリスが、からかうような口調でガルムに同調する。
そんな言葉に肩を竦めつつも、涼二は二人の方へと視線を戻した。
無茶な戦いをしている自覚がない訳ではない。
「さてと、それで方針は?」
「うむ。彼女を一度、静崎製薬の方へと戻すのは決定だ。ただし、我々だけでそれを行う訳には行かん」
「依頼主の方に連絡だね? それだったら、ボクに任せて! 向こうで繋いで来るから!」
走って出て行くスリスの背中を見送り、涼二とガルムは顔を見合わせて苦笑する。
彼女の姿からは、雨音を助けたいと言う思いが強く伝わって来ていた。
三人が三人とも、すっかりと彼女に情を持っていた事が、どことなく滑稽に思えたのだ。
ひとしきり笑い―――涼二は、声を上げる。
「さてと……それじゃあ、準備するか」
「うむ。まずは、依頼主を見極めねばな」
そこに含まれる色は、決して悲壮なモノなどではなかった。
* * * * *
『……貴方達の事を侮っていたつもりはありませんでしたが、まさかこの回線をつきとめて連絡してくるとは』
「それはつまり、甘く見ていたという事だろう」
コートを纏い、バイザーを装着した涼二―――《氷獄》は、画面に映った引き攣り気味の少女の顔に向けてそう言い放つ。
鉄森シア。ユグドラシルに協力する鉄森グループの若き経営者。
そんな人物が依頼主であった事に若干の驚きを覚えつつも、バイザーによって表情を隠しながら、涼二は声を上げる。
「こちらの状況に関してはそちらに送った筈だが……このまま人質が死んでしまえば、そちらの目的が果たせなくなるのではないか?」
『……そう、ですわね』
手元に資料があるのだろう、シアは画面の下を覗き込み、そこで何か紙を捲るような仕草を見せる。
そこにあるのは、スリスが送った資料に間違いない筈だ。
既に読んであったのだろう、軽く流すように読むと、彼女は深々と嘆息して見せた。
『……成程、確かに厄介ですわね。とは言え、普通ならばその程度無視してでも進める所ですが、始祖ルーン保持者となってはそうも行きません。しかも、Sとは』
「何か、特別扱いするような理由でも?」
『ええ、シングルルーンでSを持つ神話級能力者は過去に一人だけ例がありますが……その人物は、死んだ直後の人間ならばどのような状態でも蘇生させたと聞きますわ。それだけの力を手放すのは惜しい』
その言葉に、涼二はバイザーの下で視線を細める。
涼二から見ても常識外れなほど強大な能力。確かに、喉から手が出るほどに欲しいだろう。
あまり信用する訳には行かないが、とりあえずの味方として使う事は出来るだろう―――そう結論付け、涼二は声を上げる。
「では、静崎雨音の処置に関して、協力して貰えるという事でかまわないか?」
『ふむ……そうですわね。貴方達から受け取った資料は、データ化された一部のものだけ。わたくし達が望む情報までは至っていない。ならば、彼女を交換条件として利用するとしましょうか。
彼女の奪還は―――』
「俺達の仕事、という訳か」
『ええ、作戦の時間は追ってそちらに送りますので』
とりあえずは望み通りの状況を創り上げる事に成功し、涼二は小さく息を吐き出す。
しかし、重要となるのはこれから。まだ気を抜く訳には行かず、涼二は再び意識を研ぎ澄ませる。
この後は直接敵との戦闘になる可能性が高いのだ。油断していれば、どのような目に遭うか分かったものではない。
『―――会長、そろそろ』
『ええ、こちらもあまり悠長にはしていられませんわね。それでは、ニヴルヘイムの皆さん。ごきげんよ―――』
「……?」
画面に映るシアの表情が、一瞬固まる。
涼二は訝しげに眉根を寄せ、彼女が視線を向けている方向へと振り返る―――そこにあったのは、画面をじっと見据えるガルムの姿だった。
そしてさらにガルムの視線を追えば、彼が見ていたのは画面内に映っている巨漢の執事らしい男。
その男もまた、ガルムと視線を合わせ―――
「『ふんッ!』」
―――同時に、纏っていた服を盛り上がる筋肉で破き散らした。
「……って、何してんだアンタ達はッ!?」
「ふふ……やはり、あの時見た貴方の筋肉は伊達ではなかったようだな」
『貴方こそ。私の目に狂いは無かったらしい』
共にサイドチェストのポーズを決めながら語り合う二人―――と言うより、二つの筋肉の塊に対し、涼二とスリスは思わず画面から遠ざかる。
ポーズを移行し、ダブル・バイセップス・フロントのポーズで語り合う二人は、その様子に気付いていないようだったが。
(……って言うか、こんなモノまざまざと見せ付けられて、あのお嬢様は大丈夫なのか?)
他人事ながら、見ていて若干気持ち悪くなってくる筋肉二人に辟易しつつ、涼二は画面の中を覗き込む。
あまりのショックに気絶して、対応が遅れてしまったら問題がある―――しかし、そんな思惑は外れる事となった。
『嗚呼、何て大きく盛り上がった大胸筋……バルク、カット、どれを取っても素晴らしいですわ! やはり、わたくしの見立てに間違いはありませんでした!』
「涼二、あの人筋肉フェチ―――」
「言うな、分かってるから」
うっとりと筋肉に見惚れているシアの様子に頬を引き攣らせつつ、スリスの姿を画面外へと押し出してゆく。
別に見られた所で問題があるわけでもないのだが、涼二としては正直あんまり同類と思われたくなかったのだ。
(って言うかあのお嬢様、まさかガルムがいるから俺達を選んだんじゃないだろうな……?)
乾いた笑いと共に胸中で思考を吐き出すが、あまり冗談になっていないような気がして、涼二は思わず閉口していた。
そうだとしたら、色々と考えていたのが馬鹿らしくなってくるような事実ではあるが。
しかし、『ニヴルヘイム』の正体を突き止めただけでも十分な情報収集能力だ。
恐らく路野沢に接触したのだろうが、そこに辿り着くだけでもかなりのものである。
やはり、規模としては大きい所だ。
「……スリス」
「ん、調べとくんだね? どうしてユグドラシルの協力者なのに、その敵対者であるボクらの力を頼ったのか」
「ああ。どうやら、腹に一物抱えてそうだ」
言って、涼二は小さく笑みを浮かべる。
もしかしたら、大きな協力者となってくれるかもしれない、と―――