01-7:謎と異変
「……ふむふむ」
高級マンションの一室。
カーテンが閉められ、若干薄暗い室内―――そこには、何台ものコンピュータが並べられ、その画面を輝かせていた。
そんな大量のコンピュータの前に座りつつ、スリスは小さく声を漏らす。
その画面上では、いくつものウィンドウが目まぐるしく変化している。
Hの電気信号による端末操作、そしてAの情報処理能力によるマルチタスク。
それらの力を操る事でスリスは入力機器に触れる事無く、そのルーンの力のみでコンピュータを操作し、ハッキングを続けていた。
(面倒な事してくれるなぁ、これ……ダミーファイルに、しかもアクセスしたら自動で検知するシステムかぁ)
胸中ではそう呟くものの、そんな数多の仕掛けを難なく躱し、スリスは情報の探索を続けてゆく。
感覚のみで様々な情報を処理できるスリスには、使える端末さえあればどのような情報であれ見る事は容易い。
例えそれが、大企業が機密として抱えるような情報だったとしても。
意識を枝葉のように伸ばし、光のように走らせ、スリスはありとあらゆる情報を取得して行った。
(根こそぎ行ってるけど、それでも情報が少ない……やっぱり警戒されてるかなぁ、セキュリティもかなり厳しくなってるし)
痕跡は残していない為、侵入経路はバレていない。
リスク回避を意識しているスリスは、いくら能力が優れていると分かっていても、入念に安全策を練った上で侵入を行っているのだ。
そうやっていくつもの情報を手に入れてゆくが、その大半は表側―――静崎製薬本来の仕事に関する内容ばかり。
その中で情報が暗号文化されている気配も無く、スリスはただ、何重にも張り巡らされたトラップを掻い潜りながら情報を探していた。
「これも違う、かぁ」
治療用の薬を始めとして、サプリメントの類―――そして、開発していると宣伝しているルーン能力抑制の薬。
通常の企業ならば生命線とも呼べる情報の束ではあるが、簡単に手に入る以上はそれよりも隠したいものがあると言う事だろう。
スリスは、さらに意識を集中させる。発動している三つのルーン、その内のPの力が、隠された秘密を悉く暴き立てるのだ。
「ん……これは?」
と―――そんな情報の波の中から、スリスは一つの文章を取り出した。
何やら、報告書のような内容の文章。消し忘れたファイルと言った風情のものだ。
或いは、書き終わって提出する直前の文章か。
「……いや、どっちでもいいかな。一応、断片とは言え欲しかった情報だし」
外部ネットワークに繋がっていないコンピュータの中へと放り込み、そのデータを再生する。
そこに書かれていたのは―――ルーン能力の強化に関する研究の報告だった。
そんな内容に対し、スリスは思わず息を飲む。
「ルーンの強化実験……一応各国の主要研究機関が行ってる内容だけど……まさか、一企業がそんな事をしてるなんて」
今現在人々が持っているルーン能力は、皆後天的に備わった力が多い。
無論、十五年の月日が過ぎ、先天的にルーン能力を持って生まれてくる人間も増えたが―――どちらにした所で、その力は予め定められた限界を超える事は無い。
ルーンの大きさと、プラーナの量。それだけは、訓練で変わるようなものでは無いからだ。
故に、ルーン能力は才能に大きく左右される力であると言える。
また、強力なルーン能力者の数は、かなり少ない。
能力者のうちの大半は人間級と人外級。それらに数は劣るが、巨人級もそれなりに見る事が出来る。
けれど、災害級からは極端に数が減り、全体の5%ほど。
神話級に至っては、さらにその十分の一ほどの数しか存在しない。
その為、高位の能力者の価値は非常に高いのだ。
だからこそ、ルーン能力者を強化する実験と言うのは何処でも行われるものとなっているのである。
「ルーン強化、それに人工ルーンの実験まで……一企業に許可が出るはず無い」
情報が何処で削除されているかを調べ、スリスはそこから削除されたデータを復元してゆく。
現れるデータは、先ほどと同じくルーンの強化実験についての報告、さらには人工ルーンの実験に関する報告だ。
ルーン強化と同じく、様々な期間で研究されている人工ルーン。
ルーン能力を持たない人間に人の手でルーンを刻み、能力を発言させる事を目的とした実験。
しかし、ルーン能力の発動の仕組みは解明されているものの、発動後どのように現象へと変換しているのかのプロセスは殆ど明らかになっていない。
だからこそ、この実験は難しいとされているのだが―――
「おいおいおい、これは……」
スリスは、そこに記されていた情報に対し、思わず口元を引き攣らせていた。
そこには、各国の研究機関―――その中でも、最も進んでいるユグドラシルですら掴めているか分からないような情報がいくつも転がっていたのだ。
曰く―――通常のルーンは全て始祖ルーンと繋がっており、霊体より発せられたプラーナは始祖ルーンへと送られ、そこで干渉力へと変換されて戻ってくる。
その処理の際にルーンの発光現象が起こり、ルーンと始祖ルーンの接続を確認する事が可能。
その為、始祖ルーンの解析する事で、人工ルーンも始祖ルーンとの接続を可能にすれば―――
「……依頼主さんは、これを欲しがってたって所かな」
渇いた喉を鳴らし、スリスは呻くように声を上げる。
どうしてこの企業はここまで研究が進んでいるのか―――それは、考えるまでも無い。
彼らは、始祖ルーンの持ち主である静崎雨音を抱えていたからだ。
彼女の身体、彼女のルーンを調べ上げる事により、彼らはその事実―――かどうかはまだ微妙だが―――を発見するに至った。
「収穫はあった、けど……もうちょっと調べた方が―――」
そう呟き、スリスは再び端末へと集中しようとした、次の瞬間。
唐突に部屋の扉がノックされ、そこから一人の少女が姿を現したのだ。
それは、今まさに調べていた人物である、静崎雨音。
「失礼します、スリスさん。そろそろお昼の時間ですよ」
「おー、ごめんごめん。すぐ行くねー」
雨音は世間知らずで天然な箱入りお嬢様だと思っていたスリスだったが、時折その認識を裏切られる事があった。
彼女は非常に要領がいいのだ。教えられれば、使った事の無い器具もすぐさまマスターしてしまう。
一度聞けば大半の事を覚えてしまう頭の良さは、あのガルムすらも唸らせるものがあった。
ただし、その注目する点が若干ずれているのは玉に瑕だが。
ともあれ、今回も一度で自動調理器の使い方を覚えた雨音が、昼食を用意してくれたのだ。
そんな彼女の姿に頷きつつ、スリスはハッキングを中断してコンピュータを外部から遮断、シャットダウンして席を立つ。
「それじゃ、行こっか」
「あ、その前にガルム様を呼ばなくては―――」
「あー、うん。それはボクがやっとくから、雨音ちゃんは食事の準備の方をお願い」
「? はい、分かりました」
苦笑いを浮かべつつ言ったスリスの言葉に、雨音は若干疑問を覚えていたようだったが、特に気にせず彼女は頷いて歩いてゆく。
そんな背中を見送り、スリスは深々と嘆息を漏らす。
「……アレは、雨音ちゃんにはちょっと刺激が強いからなぁ」
苦笑いと共に、スリスは雨音が向かったのとは別の方向へと歩く。向かう先は、この階層にある部屋の一つ。
そこは、外から様々な品物が持ち込まれている部屋となっていた。
その持ち込まれている品とは―――
「おっちゃーん、お昼―――」
「ぬふぅぅぉおおおおおおおおおおおおおおおおぅッ!」
「……」
扉を開ける鳴り響いてきた雄叫びと、猛烈な汗の臭いに思わず挫けそうになりながら、スリスは深々と嘆息しつつ部屋の中へと入った。
鼻をつまみながら廊下の扉を開け―――その奥にある部屋は、邪魔なものは撤去され、全面にマットが敷かれている。
周りに置かれているのは大量のトレーニング器具。
どれもこれも重量最大にして置かれているそれらは、スリスでは1mmたりとも動かすことは出来ないような代物だ。
そして、その片隅―――そこに、巨大な錘を背負ったまま懸垂をするガルムの姿があった。
ぎしぎしと悲鳴だか歓喜なんだかの音を響かせる筋肉に、スリスは深々と嘆息を漏らす。
「おっちゃん!」
「ぬぅうううう……む、スリスか」
「そうですよ、スリスちゃんですよー、っと。おっちゃん、お昼ごはんが出来たってさ」
「ふむ、雨音君か?」
錘を床に置きつつ、ガルムが首を傾げる。
その重さによる衝撃で一瞬体が浮き上がるが、気のせいだったという事にしつつ、スリスは小さく肩を竦めた。
「あの子、結構頭がいいみたい。普通に勉強してたら、結構いい所まで行けたんじゃないかな」
「だが、半ば軟禁同然に扱われていた、か」
「うん……始祖ルーンの持ち主だったからって言っても、流石にちょっと違和感があるかな」
始祖ルーンを隠したかったと言うなら、何もそこまでする必要はない。
学校に行けないなら行けないなりに、家庭教師でも何でもつければいいのだから。
けれど、それにした所で、ルーン能力に関する知識が無いと言うのはどう考えても不自然である。
「……こういう表現は、悪いと思うけど」
「む?」
「雨音ちゃんは、飼われていた。そんな感じがするんだ」
「……ふむ」
言って、スリスは一枚の書類をガルムへと差し出す。
タオルで汗を拭いつつそれを受け取ったガルムは―――次の瞬間、その眼を見開いていた。
その書類に記されていたのは、『雨音』と言う少女の養子縁組に関する内容。
「……雨音君は、静崎義之の実娘ではなかった、という事か」
「そう。どんな経緯で彼女を見つけたのかは知らないけど、始祖ルーンに目をつけて連れてきたのは確かだろうね」
そしてその目的は間違いなく、始祖ルーンを研究する事による人工ルーンの完成。
だとするならば、あの厳重さも頷ける―――そう胸中で吐き捨てるように呟き、スリスは小さく嘆息した。
きっとそこには、親子の情は無い。ただの実験材料……ただ、それだけの存在として扱われてきたはずだ。
そんな憤りを吐き出す場所も無く、ガルムがシャツを纏う姿を、スリスはぼんやりと眺める。
「まだ、調べるべき事はいくつかある。詳細が分かったって訳じゃない。けど……」
「何か、思う事でもあるのか?」
「ん……まだ、予想でしかない。けど、あいつらは雨音ちゃんを人間として扱っていなかった……そんな風に思える」
―――だから、赦せない。そんなスリスの言葉が発せられる事はなかったが、ガルムは彼女のそんな考えを僅かながらに察知して、小さく肩を竦めていた。
仲間達の事情は、互いに把握しているのだ。彼も、スリスの抱いている思いがどのようなものであるか、容易に想像する事ができたのだろう。
「ただの道具、実験材料……その為にルーンを弄って、制御不能なまでにして、まるでボクの目と同じように―――」
「―――スリス」
「ぁ……ご、ごめん」
「いや、君の言いたい事も分かる。私としても、そのような横暴を赦すつもりは無い」
服を着込んだガルムの背中を追い、スリスは部屋の外へと歩き出す。
決して穏やかな心境と言う訳ではなかったが、彼女はガルムの言葉によって多少の冷静さを取り戻していた。
そんな頭の中に、次にすべき事柄がいくつも浮かび上がってくる。
そして、そんな気配を肌で感じ取ったのか、ガルムはくつくつと方を揺らしながら声を上げた。
「まず、研究資料。そして、彼女に施されている実験の詳細。そして、依頼者への問い合わせと言った所か」
「……今回の依頼者、かぁ。何を考えてるんだかね」
「さて。少なくとも、今は味方であって欲しいものだがね」
見た目から何処までも肉体派に見えるガルムであるが、その実非常に思慮深く、知識も豊富である。
二手、三手と先を見据えるその様は、時にスリスと涼二の道標となっていた。
「今の彼女の状態が実験によるものであったとして、ならばどうすればその体質を治す事が出来るのか。
残念ながら、我々の技術力では到底不可能な事だ。故に、協力者が必要となる」
「……それが、今回の依頼者って事?」
「雨音君に情が湧いてしまっている今の君達ならば、その方が良いのではないか?」
「う……」
ガルムの台詞に、スリスは言葉を詰まらせる。
涼二が自分にとっての全てであると認識していた彼女にとっては、少々据わりの悪い事実だったのだ。
彼女は思わずぷいと視線を背けながらガルムを追い越し、そのまま雨音のいる部屋の方へと歩いてゆく。
「ふふふ」
「むー……」
手玉に取られている。筋肉の塊の癖に。その老獪さは何なんだ―――と、スリスは胸中で叫ぶが、言えば余計にドツボにはまる事は分かりきっていた。
小さく嘆息し、辿り着いた部屋の扉を開ける―――
* * * * *
「……しかしまぁ、随分と溜まってるな」
講座の中身の確認を行い、涼二は思わずそう呟いていた。
まだ二十歳にも満たない若者が持つには、桁が一つか二つ大きいと思われるこの額。
二、三年は遊び呆けても、まだまだ余るであろうそれに、涼二は小さく溜め息を吐き出す。
「どうせ使わないしな」
たまに欲しいものが出来れば買うが、そもそも物欲に乏しい彼にはそういったものが出来る事すら稀だ。
そして暮らしに関しても無駄な贅沢をするような性質は無く、あのアパートに落ち着いている。
―――要するに、仕事が無い時は暇なのだ。
(さて、どうするかな)
指紋と静脈認証に用いた己の左手を見下ろし、そこに手袋を嵌め、金の使い方に関して思いを馳せる。
家具を新調するか―――特に古くなったものも無い。
食事でもしに行くか―――高級料理でも、そうそうなくなるような額ではない。
ゲームでも買うか―――ゲームセンターにある筐体を丸ごと買ってもなお余る。しかも双雅が入り浸りそうだ。
「……ほんっとうに、どうするかな」
とりあえず当面の生活費は降ろしてきたので、しばらくは見る事もないだろう。
どうせ報酬が入る度に悩んでいる事でもあるのだ、今更気にしても仕方ない―――と結論の先送りを行い、涼二はバイクに乗り込んだ。
「まあ、アレだ。双雅や桜花に飯でも奢ってやるか」
建設的な使い方とは言えないが、昨日のショッピングをキャンセルしてしまった負い目もある。
その分の埋め合わせをしてもバチは当たらないだろう、と涼二はバイクを動かす前に携帯電話を取り出した。
とりあえず電源を切りっ放しにしていた事を思い出し、ボタンを押して電源を入れる。
(さてと、どうやって誘うか―――)
下手に出れば面倒な事を約束させられかねない―――小さく肩を竦め、涼二は頭を悩ませる。
以前、悪ふざけで女装させられかかった事はまだ記憶に新しかった。
微妙に冗談では無い。
ともあれ、会話を脳内でシミュレートしながら、通話履歴を呼び出す―――その、瞬間。
「っと」
唐突に手の中の電話が震え、涼二は思わず携帯を取り落としかけていた。
何とかそれを掴み、画面を見れば―――そこに映し出されていたのは、スリスの名前。
何か起こったのだろうかと首を傾げ、涼二は通話ボタンを押した。
「もしもし。どうした、スリ―――」
『涼二! 雨音ちゃんが倒れた!』
「は……な、何ッ!?」
今度は違う意味で携帯を取り落としかけつつも、涼二は話を聞くために強くスピーカーを耳に押し付ける。
一瞬、聞き間違えたのかと己の耳を疑うが、スリスの声はそんな甘い幻想を認めはしなかった。
『速く、戻ってきて!』
「ッ……分かった」
―――どうやら、埋め合わせはまたの機会になりそうだ。
舌打ちを交えながら通話を切り、涼二は来た道を戻るようにバイクを動かし始めたのだった。