05-21:最後の戦い
振り翳される灼熱の炎。それを熱から逃げるようにギリギリの場所で躱しながら、鎧を纏っていない双雅は目標の影へと向けて走る。
距離を掴みかけ、体が一部その熱によって焼かれてゆくが、僅かな火傷は瞬く間に治癒されて消えていた。
それを文字通り肌で感じ取りながら、双雅は小さく笑みを浮かべる。
「へッ、こいつァいいね」
痛みに耐えれば、必要以上の防御や回避をする必要は無い。
無駄な動きを行わず、的確な攻撃で敵へと攻撃を加えてゆく―――そのギリギリの距離を本能で嗅ぎ分けながら、双雅は影の前へと躍り出た。
当然の如く、影はその手にある《災いの枝》を振り下ろす。
当たれば骨すら残らず蒸発させられるであろうその熱量―――しかし、それに対して双雅は一切の恐怖を覚えていなかった。
そこにあるのは、ただ闘争本能に彩られた笑みのみ。
そして双雅は、その左手で思い切りアッパーカットを打ち出した。狙うのは、《災いの枝》の柄尻。
拳の部分のみ装甲に覆われた左手は、長剣とぶつかり合って甲高い音を奏でる。
「オオらァッ!」
そして更に、双雅は後ろに回されていた右の拳を思い切り突き出す。
例え始祖ルーンを失っていたとしても、上狼塚双雅は神話級のルーン能力者。
その威力は、ただの拳であろうと容易く鋼鉄を打ち砕くほどのものだ。
しかし―――影は、攻撃の命中と共に後ろへ大きく弾き飛ばされたものの、すぐさま体勢を立て直して見せた。
それに対し、双雅は思わず歯軋りをしてその姿を睨みつける。
「テメェ、ソイツは俺のルーンじゃねェかよ、おい」
感じたのは、Tの始祖ルーンの気配。
確かに、《災いの枝》の使い手たる緋織が宿しているルーンは、KとJとTだ。
しかし、元々の彼女が持っていた始祖ルーンはKのみである。
断じて、TやJの力を持っていた訳ではないのだ。
全て始祖ルーンで形成された力は、オリジナルである緋織のかつての出力すらも遥かに超える。
今の双雅が勝っている点は、Rによって得られる速力ただ一点のみだった。
「チッ……」
舌打ちと共に、双雅は駆ける。
影もそれを迎撃しようと構え―――その動きが、一瞬だけ鈍った。
「―――!」
それを認め、双雅は瞬時に判断し、影の右側へと回りこむ。
そしてそれと同時、左側からも神速の気配が割り込んだ。
氷の剣を携えるその姿に小さく笑みながら、双雅はレガースのついた足で影を思い切り蹴り飛ばす。
対し、その割り込んできていた人物は、歪んだ影へとその刃を思い切りたたきつけた。
その衝撃に大きく弾き飛ばされ、影はその姿を歪ませながら地面に落ちる。
油断無く視線を外さないようにしながらも、双雅は割り込んできた相手へと笑みの混じった声をあげる。
「よう、中々やるじゃねェか」
「……お前と肩を並べるなんて心底嫌だが、そうも言ってられないしな」
双雅の言葉を受けた人物―――シャールは、嘆息を零しながらも自分が斬り裂いた影から視線を外さない。
何故なら、そのプラーナの気配は未だに衰えようとしていなかったからだ。
そんな二人の視線の中で影は形を崩し―――元の緋織をモチーフとする姿を取り戻す。
その身体には、一切の傷はついていなかった。
「反則じゃね、あれ?」
「……不本意ながら、同意するしかないな」
頭を掻きながら言い放った双雅の言葉に、苦い表情でシャールは同意する。
いくら傷を与えた所で、元通りに再生させられてしまうのだ。
ジリ貧である事は二人共承知の上ではあったが、それでもここまで不利となっては脅威を感じざるを得ない。
影が刃を構えるのを見て、二人は再び緊張を高める。
瞬間―――両者の間に、一つの影が滑り込んできた。
「おおっ!?」
それは、獣のような鎧を纏った影―――双雅を模した存在だった。
傷らしい傷は無く、大きなダメージを受けている訳でもない。
しかし―――倒れた影を叩き潰すかのように、上空から神速の一撃が振り下ろされた。
「おおおおッ!!」
新森による流星のような突撃。
全力の加速を纏って放たれた蹴撃は、必殺の意志を込めて放たれたもの。
しかし影は、瞬時に反応してその場から身を躱して見せた。
地面は大きく抉れるが、それもすぐさま補修され、元通りになる。
「ちっ、いい反応しやがる―――っと!」
横合いから振るわれた《災いの枝》を躱し、新森は大きく飛び離れる。
距離があったために躱す事は難しくなかったが、それでも双雅の影から距離を置く事となってしまった。
そしてその瞬間、獣の鎧を纏う影が動く。
真っ直ぐと、音すらも置き去りにするほどの加速。その一撃は真っ直ぐと新森に迫り―――その間に、黄金の影が割り込んだ。
『―――っ!』
それは巨大な黄金の人狼。
しかしその荒々しい見た目とは裏腹に、彼は非常に引き締まった空気を纏い、ただ無言で飛び出してくる獣を迎え撃った。
本来動の極みであるはずの人狼化―――しかし、今あるそれは、静の極みとでも言うべきもの。
幾度も幾度も繰り返し、数え切れぬほどに積み重ね、研鑽した業。
全てを始祖ルーンによって構成された双雅の影は、ただ強く、ただ速い。
それは、何処までも単純な強さと呼べるものだ。
故に弱点らしい弱点など存在しない―――《悪名高き狼》と呼ばれる能力者が極限まで警戒されていた理由はそこにあるのだ。
それに勝るとすれば、方法は二つ。純粋な強さでそれを超えるか―――
『―――技術の極みでそれをいなすか、だ』
ガルムの腕が瞬時に翻る。
彼も双雅と同じルーンを持ってはいるが、始祖ルーンとそうでない物には絶対的な差が存在する。
それに対し、真っ向からぶつかろうとした所で無駄な事だ。
故にこそ、ガルムはこれまで積み上げてきた研鑽を以って強大な獣と相対する。
突き出されてきた拳に対して自分の腕を添え、その力の流れに合流し、僅かながらに力を加える事でそれを逸らし―――影の体を、上空へと向けて投げ飛ばす。
そして次の瞬間、勢いのまま遥か遠くへ投げ飛ばされていた影は、迸った炎によって巨大な爆発を起こしていた。
「ひゅゥ、やるじゃねェかオッサン」
『何、私一人では持たんよ。それより、そちらは大丈夫か!』
「っ……え、ええ!」
ガルムの声に対し、飛んできた影へと爆炎を飛ばしていた緋織は、若干呼吸を乱しながらも声を上げる。
彼女の担当は無数に溢れ続ける能力者たちの影への対処。
それらは始祖ルーンによって作り上げられたものではなく、緋織一人でも戦う事は難しくない相手ではあったが、いかんせん数が多い。
度重なる戦いの後で疲弊した彼女にとっては、例え有象無象であろうとも楽な相手ではなかった。
しかし、攻め手は決して容赦はしない。
「ふむ……成程。少々見くびっていたようだ。では、これでは如何かな?」
言って、路野沢は手を掲げる。
それと共に複数の光の弾が燃え上がる世界の中に弾け―――唐突に、巨大な黒い影が発生した。
否、それは周囲の地面より土を巻き上げると、徐々にその身を包んでゆく。
黒く硬質な、その身体を形成しながら。
「な……」
「……こういう仕組みだったって訳か、オイ」
そこに現れたのは、以前倒されたはずの巨大な龍。
《黒翼の悪龍》―――ニーズホッグ。かつて何処までも苦戦し、その上大神槍悟の力が無ければ倒す事が出来なかった怪物。
そんな存在が、まるで何事も無かったかのように以前と同じ姿を現していた。
だが、現れる影はそれだけに終わらない。
その影は決してニーズホッグのように大きいわけではなく、その傍らに立っていては到底目立つ存在とは言えない筈だった。
けれど―――その場の誰もがその姿に気付き、そして決して目を離すことが出来なくなっていた。
大柄な立ち姿は揺らめく影で、決してその全貌が分かるという訳ではない。
しかし、その手に携えられた槍は、決して見間違える事などありえなかった。
「お父……様」
小さく、呆然と呟かれた美汐の言葉。しかしその声は、不思議なほど大きく周囲へと響き渡った。
黄金の長大な槍。それから放たれる莫大なプラーナは、それが紛れもなく、あらゆる物を貫き破壊する絶対の一撃である事を示していた。
《必滅の槍》―――最強の能力者たる大神槍悟の持つ、唯一にして最強の力。
その力は、双雅以上に単純かつ強力だった。
路野沢があらゆる能力を模倣して使役できる事は誰もが理解しており、それ故に誰もが恐れていた展開。
大神槍悟の模倣は、この場の全員が警戒して余りあるほどの強大な能力だった。
「こんな、こんなの……!」
「あー……ったく、どっちか片方だけにしとけってんだ」
思わず半歩後ずさる緋織と、いつも通りの声音ながら硬い表情をしている双雅。
否が応でも理解せざるを得ない。路野沢は、その気になれば容易く自分達を滅ぼせるという事に。
時間稼ぎにすらなりはしない。避けようのない滅びが、その切っ先を向けているのだ。
「では諸君、これにて終幕にするとしよう。世界の基点となる彼女が消えれば、その世界は消える。その理ごと、食い破ってくれよう」
「―――っ!!」
路野沢の言い放った言葉に、雨音は思わず息を飲む。
確かに、この場が多少なりとも持ちこたえられているのは、他でもない彼女の力故だ。
それがなければ、彼らは当に消耗して敗北していただろう。
だからこそ彼らは、雨音を守るために動き出そうとする。が―――
『OooooaaAAAAAH――――――ッ!!』
ニーズホッグの方向と共に発せられた薄闇が、彼らの身体を縛り付けた。
雨音の世界の理が消える訳ではない。けれど、その身に宿った能力は著しくその力を弱めてしまった。
始祖ルーンがあったからこその拮抗も、今は全く存在していない。
そして彼らの動きが鈍ったその瞬間―――黄金の槍は、容赦なく投げ放たれた。
「くッ!!」
「やらせない! 光よ―――!」
咄嗟に放たれるのは白貴の矢。
あらゆる能力を打ち消すその矢は、《必滅の槍》の進行を僅かながらに押し留める。
そして次の瞬間、周囲に満ちる日の光が、美汐の手の中―――その光の剣へと収束する。
ニーズホッグと同様に、暗い闇に包まれる周囲。しかしその手の中にある刃は、かつて無いほどの光を湛えていた。
「《断罪する極光の神剣》―――ッ!!」
そして、その光は刹那の合間に放たれる。
それは圧倒的な破壊力を秘めた光そのもの。放たれた極光が駆けるそのスピードは正しく光の速さ。
振り下ろされた光の刃が遥か先に駆け抜けるまで、一刹那すら懸かってはいない。
光の刃は反応すら赦さず駆け抜け、《必滅の槍》を真っ二つに斬り裂くと共に、その先にいたニーズホッグを袈裟斬りに両断していた。
―――能力を減衰する薄闇の領域が、一瞬だけ晴れる。
その場にいた者たちは咄嗟にニーズホッグの能力による領域から抜け出し、雨音たちを護るように構えた。
けれど路野沢はそれに追い打ちをかけるような真似はせず、芝居がかった様子で拍手しながら声を上げる。
「素晴らしい一撃だ。例え超越者の理を一身に吸収した一撃であろうと、君は今一瞬とは言え父の力を超えた。中々にいい物を見せてもらった……が、どうやら限界のようだ」
「ッ……はぁっ、はぁっ」
路野沢の言葉に歯を食いしばりながら、美汐はその存在を睨み据える。
認めがたくはあるが、彼の言葉は紛れも無い事実であった。
ただでさえ消耗していた美汐は、今の一撃で残るプラーナを使い尽くしてしまっていたのだ。
最早、豆電球ほどの光すら灯す事はできないだろう。
そんな美汐へと嘲笑を浮かべ、路野沢は手を掲げる。
「幕引きには良い頃合だ。それでは、これにて芝居は終わりとしよう」
その言葉と共に、槍悟の影の周囲に何本もの《必滅の槍》が形成される。
一本一本に込められた力は決して強くはない。が、それでもその力は圧倒的と言わざるを得ないものだ。
その槍の葬列を前に―――ただ一人、懐から煙草を取り出して口に加えた双雅は、皮肉った笑みを浮かべつつ声を上げた。
「おいバカ二人、あんまりタイミング見すぎてんじゃねェぞ」
小さなものでしかないその声―――それを掻き消すかのように《必滅の槍》は放たれ―――
「―――どっ、かあああああああああん!」
―――地面を割って唐突に現れた大蛇の体に、全てが受け止められていた。
「ゴメン夜月、痛いけどちょっと我慢! ここならすぐに治るから!」
「……この乱入方法はどうなんだよ、お前」
現れたのは巨大な黒蛇、夜月。
そしてその口の中から飛び出してきたのは、一人の青年とその人物に背負われた少女の姿。
その姿は紛れもなく、徹と桜花のものだった。
身体能力を強化しながら飛び降りた徹は、その背の桜花を放り投げるように地面に降ろす。
「うひゃっ!? ちょっと、女の子の扱い悪い!」
「いいから急げ! お前らも呆けてるんじゃない!」
「お、お兄様……?」
信じられない、といった表情で美汐が呟く。
そんな彼女に微笑みかけながら、徹は視線を桜花―――そして、立ち上がった彼女が駆け寄って行った涼二の方へと視線を向けた。
桜花の手の中にあるのは、一本の植木。根ごと掘り返されてまだ土がこびり付いているそれは、先ほどまで植えられていた事が分かる代物だ。
「む―――■よ。一人たりとも逃すな」
再び放たれる《必滅の槍》。
しかしそれが放たれるよりも僅かに早く―――手の中の植木をへし折った桜花は、それを涼二の体へと突き刺していた。
「いい加減起きろ、このバカ!」
突き刺さった植木は、光となって涼二の体の中に消える。
それは怜の作り上げたもの。プラーナを吸って成長し、実を結ぶ植物。
その枝の中にも、無論の事大量のプラーナが残っている―――そう考えて、悠は桜花に指示していたのだ。
プラーナとなって植木が消える、僅かな刹那。
《必滅の槍》は狙い違わずそこにいる全ての人間へと殺到し―――
「―――痛ぇ上に五月蝿いんだよ、このバカ」
―――地面より伸びた氷の茨によって、絡め取られていた。