05-20:燃え堕ちる栄華
緋織の能力によって生み出された炎が揺れる。
それをぼんやりと見上げながら、美汐は小さく息を吐き出していた。
(私……ちょっと、眠っちゃってた?)
休まされている内にいつの間にか消えていた意識。
徹の事が心配で、不安で堪らなかったと言うのに、身体は休眠を要求してきていたのだ。
とは言え、それも無理のない事ではある。
ニーズホッグとの戦いの時から全力を尽くし、休みと呼べる休みも無いままここまで来てしまったのだ。
多少なりとも緊張の糸が途切れれば、その疲労を抑え切れなくなる事は道理だった。
と―――そこに、一つの声がかかる。
「……姉さん」
「あ……白君?」
大神白貴―――実の弟の声に、美汐は上半身を起こしながらその方向へと視線を向ける。
そこで胡坐をかくように座っていた白貴の姿に、美汐は小さく顔をほころばせた。
無論、目の見えない白貴には、美汐のそんな様子など気付けるはずも無い。
雨音の力ならば癒す事も可能になっていたかもしれないが、今はそれ所ではないと、白貴の目の処置は後回しとされていた。
「白君、ずっと見ていてくれたんだ」
「それは……確かに、そうだけど」
「ん? どうしたの? 何だか元気ない……ってまぁ、この状況じゃ元気なくても仕方ないか」
戦いに次ぐ戦いと、多くの犠牲、そして死した父。
どれもこれも、美汐が心を痛めるには十分なもの。そして同時に、不退転の決意を固めるにも十分なものだった。
ここまで来てしまったからこそ、多くの犠牲を出してしまったからこそ、ここまできて退く事はできない。
理想の為に犠牲になってしまった者達を、裏切る事はできないと。
しかし、白貴はそんな美汐の言葉に首を振る。
「違う、そういう事が言いたいんじゃない……どうして姉さんは、僕の前でそんな無防備でいられるんだ」
「え……?」
本気で分からない、といった様子で首を傾げる美汐に、白貴は深々と溜め息を零す。
どうしてそこまで暢気でいられるのか、白貴にはどうしても理解できなかったのだ。
「姉さん、僕は姉さんに矢を向けたんだ。姉さんを射ろうと、本気で撃とうとしたんだ。それなのに、何で僕の前で寝ていられるんだよ!」
苛立ったように、白貴はそう声を上げる。
かつての丁寧語はなりを潜め、ただ純粋に大神白貴という人間として。
それ故に、その荒げられた声も、美汐にとっては嬉しいものとなっていた。
確かに、白貴は幾度か美汐へとその能力を向けた事がある。
劇場の時は美汐自身を狙っていた訳ではなかったが、先ほどの戦いの時は、当てる気が無かった訳でもない。
もっと警戒されてしかるべきなのだ、と白貴は告げる。
けれど―――
「だって、私は白君のお姉ちゃんだからね」
「な……」
その言葉に、白貴は思わず身を硬直させる。
理由になってない、意味が分からない。さまざまな言葉が白貴の脳裏を駆け巡り―――結局の所、美汐の思いを説明するにはそんな言葉しか存在しない事も理解してしまった。
美汐は、ただ純粋に家族の事を思い、家族の事を信じている。
例えどれほど裏切られようと、信じると決めたものは信じ続ける。それは、白貴も涼二も同じ事だった。
最早言葉でいくら言った所で通じないという事を理解し、白貴は深々と嘆息する。
「はぁ……馬鹿馬鹿しくなってくるじゃないか、もう」
「え? え? 私、何か変な事言った?」
「いや、姉さんが変なのは今に始まった事じゃないから……」
「ちょ、ちょっと酷い!?」
何故そのような事を言われたのか理解できず、美汐が悲鳴を上げる。
そんな様子に苦笑し―――そして、白貴は首を傾げた。
目の前にいる美汐が、何故か小さく笑い声を上げ始めたのだ。
「姉さん?」
「ん? あー、うん。ゴメンね。ちょっと嬉しくなっちゃって」
「嬉しく……?」
相変わらずこの姉の感性は分からない、と白貴は思わず疑問符を浮かべる。
何者にも影響されない意志といえば聞こえはいいかもしれないが、それは融通が利かないという事とも同じだ。
大神美汐は、己の信じる世界の中で生きている。
それ故に、本来ならば他者には理解されないようなものなのだ。
Gの力がなくとも十分な統率力は持っていたかもしれないが、それでも今ほどの理解を得る事は出来なかっただろう。
そんな姉の理解不能な部分を考えながら、白貴は美汐の言葉を待つ。
そして美汐もまた、そんな白貴を待たせようとはせず、言葉を続ける。
「白君と話して、それで衝突して……ちゃんと仲直りして。私は、そんな事がしたかった」
「……普通の、姉弟のように?」
「そう……『普通』に憧れるなんて、私には似合わないかもしれないけど」
本来ならば美汐は雲の上の人間であり、対等な友人などそうそういない。
緋織は近しいながらも、立場は弁えた上で行動している。
かつての涼二も、公の場ではきっちりとその辺りを弁えていた。
美汐にとって、『対等』というものは存在しない。自分より格上の槍悟がいて、自分より格下の部下たちがいる。ただ、それだけだった。
けれど、白貴だけは。ユグドラシルに名を連ねている訳でもなく、美汐に仕えている訳でもない彼だけは―――
「私は……白君の本音が聞けて嬉しかった。拒絶されたのは悲しかったけど、それでも本音を聞けてよかったと思う。私は、白君のお姉ちゃんだから。
でも、お姉ちゃんって言うと何か上から目線で嫌かな……うん。とにかく、対等でいたいんだ」
「……僕の方が、ずっと劣ってるのに?」
「私だって、白君より劣ってる部分なんていくらでもあるよ。人間、そういうものでしょ?」
例えば、プラーナの量ならば確かに美汐が勝っているだろう。
しかし、そのファンクションの特異性はどちらも負けず劣らずといった所。
そして、こと能力の精密操作という点に関してのみ言えば、白貴の方が圧倒的に上であった。
そんな当たり前の事―――それでいて、一度も考えていなかった事に、白貴は思わず言葉を失う。
決して負けてなどいないと、対等なのだという美汐の言葉―――
(何だ……僕を貶めていたのは、僕自身だったんじゃないか)
―――その言葉に、白貴は己自身の在り方を自覚した。
己が今まで、いかに愚かな固定観念に囚われていたのかを。
そして大きく息を吐き出し、白貴は思わず苦笑を零す。それは、今までの押し留められていたものではない、白貴自身の笑みだった。
「はぁ……本当に、何でこんな事になったんだろう」
「白君?」
今まで白貴の心の中を占めていたのは、何処まで行っても付きまとう劣等感。
けれどそれは無意味だったのだと、勝っている部分も劣っている部分もあるのだと、他ならぬその相手によって告げられてしまった。
己が今まで以下に愚かな一人芝居をしていたのかを自覚し、白貴は己自身に呆れ果てて嘆息する。
けれど、それも決して無駄ではなかっただろう。
「うん……でも、こうやって姉さんと話せて、良かったと思う。それは、僕も後悔はしない」
「そうだね。私も、ちゃんと白君と話し合えてよかった」
「その『最後に』的なニュアンスはどうかと思いますけれども」
二人は互いの言葉に頷き―――そして、最後に間に挟まってきた言葉に気付き、同時にその方向へと顔を向ける。
そこには、相変わらずのほほんとした表情のままの雨音が立っていた。
彼女はゆっくりとその場に膝を付くと、二人の視線をものともせず美汐へと手を伸ばす。
「大丈夫ですか、美汐様? まだお疲れでしょう?」
「あ、えーと……この空気で普通に会話始めるんだ……」
「はい? どうかなさいましたか?」
「あー、いやいや、何でもない……って、雨音ちゃん、涼二君はもう大丈夫なの?」
あれほど献身的に介護していた彼女が涼二の傍を離れている時点で、それは最早約束されているような事ではある。
が、一応現状が気になり、美汐は雨音へと向けて声を上げた。
対し、雨音はどこか安堵の混じった息を吐きながら、ゆっくりと首肯してみせる。
「とりあえずは大丈夫でしょう。足りなかったプラーナも補給されましたし、今すぐにどうにかなる事はありません。目覚めるまでには、もうしばらくかかってしまうかもしれませんが」
「……そっか。ありがとう、雨音ちゃん。私の友達を助けてくれて」
「いえ、涼二様は私に家族と言うものを教えてくださいました。その恩義に報いたかったのです」
二人は淡く笑い―――そして、同時に噴き出す。
どちらも、考えている事は何処までも一緒だったから。
「はぁ。出来れば、もっと普通の時にお友達になりたかったね」
「ええ、そうですね。流石に、この状況では落ち着けませんから」
「タイミングの問題なのかな、それは……?」
白貴は苦笑し、そして立ち上がる。
その感覚を、徐々に広がりながら迫り来る強大な気配の方へと向けながら。
そしてそれには、後ろにいる二人も既に気がついていた。
「ガルムさんからの話、聞いたよね? プラーナは大丈夫なの?」
「はい。涼二様にあの林檎を食べさせていましたから、その一部を私も取り込む事が出来ました。一度の戦いぐらいだったら、乗り越えられると思います」
「うん、上々! それじゃ、頑張りましょう!」
力強く頷き、美汐と雨音もまた立ち上がる。
三人の位置している場所は、この空間でも比較的奥の方に位置していた。
それは、迫り来る力から最も遠い場所、そしてある意味では『後衛』とも言える立ち位置。
最も傷つく訳には行かないものがそこにあり、最も重要な場所であった。
「……今の私には始祖ルーンも無いし、プラーナも余裕は無い。だから、《光輝なる英雄譚》は使えない」
「私の力も……恐らく、あの方には通じないでしょう」
「僕は、出来る限りの迎撃をするよ」
彼女達の後ろには、司令塔である悠とその補佐である怜がいる。
そしてその傍には、未だ目を覚まさぬ涼二が横たわっていた。
そこには、未だ反応と呼べる反応は無い。けれど、雨音の力による維持を必要としなくなった以上、いずれ目覚めるはずだ。
そんな彼の姿をちらりと見つめ、小さく息を吐き出し、雨音は小さく声をあげる。
「Carpe diem quam minimum credula postero―――」
当たり前の日々が愛おしいと、過ぎ去ってゆくその一瞬一瞬を抱き締めたいと、そう願いを込めて雨音は謳い上げる。
いずれ来る終焉を、絶対の死を想い、それ故に今ある生を懇願する。
その日の花を摘む―――それこそが、静崎雨音の理。
「―――《死想生願・摘花》」
静かな宣言と共に、雨音の足元より白い花の花畑は広がり―――仲間達を全て包んだその瞬間、壁の向こう側より巨大な炎が巻き上がった。
それは急速に迫り、この場にいるメンバーたちを飲み込もうとして、花畑の手前で動きを止める。
否―――それは、決して止まった訳ではない。雨音の世界とせめぎ合い、互いに押し合っていたのだ。
「ッ……!」
かつて無い重量を感じ、雨音は歯を食いしばりながら気合を込める。
集中するのは己の世界の理を強化する事、そして今いる者達を己の世界に適応させる事だ。
この世界の癒しを受けられるのは、雨音が家族と認識できる者達のみ。
故に、今この場を切り抜けるためには、彼女達を家族として認識せねばならなかった。
(難しくは、ない……この方達は涼二様が信頼して、そして涼二様を信頼していたのだから)
それが涼二の一部だと認識する事が出来るなら、彼女達を理の影響下に置く事が出来る。
そうすれば、傷つく事は無い。日の光を浴びる以上、その身は常に最高の癒しを得る事が出来る。
己の力がしっかりと働いている事を確認し―――雨音は、二つの空に塗り潰された頭上を見上げた。
そこに君臨する、強大な力へと。
「さて……ここが君達の終焉の地という事でよろしいかな?」
「いい訳が無いだろう……それに、それはこちらの台詞だ!」
全員を代表するように、緋織が大きく声を上げる。
その手には既に《災いの枝》が握られているが、吹き上がる炎は以前と比べて明らかに弱い。
けれど、それでも彼女は一歩たりとも退く事は無かった。
この場には未だムスペルヘイムの隊員がいる。そうである以上、その隊長である事こそが矜持である緋織が退く事は無い。
そんな彼女の背中を見つめつつ、美汐は頭上の路野沢へと向けて声を上げた。
「路野沢さん! 退く事は……その戦いを止める事は出来ないのですか! それに、お兄様は―――」
「答の分かりきった問いはするものではないな、バルドル。君達に用は無い、求めるものはSとHとTh……ただそれだけだ。邪魔だぞ、疾く滅びるがいい」
路野沢の言葉と共に、炎に包まれた大地より無数の影が発生する。
その中でも一際強大な力を放っているのは、その手に炎の剣を携えた少女の影と、全身を禍々しい鎧で包んだ男の影。
それを確認し―――後ろに控えていた悠が大きく声を上げた。
「緋織の模倣は上狼塚君、そして上狼塚君の模倣はガルムさん! 新森さんとシャールさんは二人の援護に、緋織は雑魚を蹴散らして!」
『了解!』
悠の言葉に全員が動き、その通りに動き始める。
路野沢の力は、スリスが拾い上げた衛星写真である程度判明していた。
取り込んだあらゆる力を自分のものとして模倣する。それは、始祖ルーンを奪われた今の緋織達にとっては非常に厄介な能力だ。
正面から戦ったところで、勝ち目など存在しない。
自分が自分の相手をしたところで、相手は始祖ルーンを元に作り上げられた存在である以上、出力で敗北するのは自明の理だ。
それ故に、どこか一点でも勝っている場所があるのならば、それで対応する。
双雅ならば、始祖ルーンで固められた緋織の偽者であろうと、スピードで勝っているだろう。
そしてガルムならば、純粋に高い攻撃力を持つ双雅相手であろうと、そのテクニックで対応する事が出来る。
(けど、それは綱渡りだ)
悠は、胸中で小さく呟く。
こちらは一度たりとてミスが許されないのに対し、相手はいくら潰された所で代わりは存在する。
それは賭けを通り越して、ただの負け戦に他ならなかった。
蹂躙するのは路野沢であり、雨音たちには勝ちの目など存在していない。
路野沢には、まだ遊んでいる部分がある。その間は、持ちこたえる事も不可能では無いだろう。
けれど、圧倒的な物量で押されてしまえば―――
(だから、これは時間との勝負だ……頼むよ、涼二。早く目を覚ましてくれ……! それにあの子も、急いで―――)
懇願と共に、悠は顔を上げる。
どれほど絶望的であろうとも、ここまで来た以上諦める訳には行かない。
美汐の夢に集った者たちは、彼女が膝を折らない限りは、決して諦める事は無いのだ。
翼を広げ、雨音の世界の光を集めている美汐の姿を見つめながら―――悠もまた、己の闘いへと没頭して行ったのだった。