05-18:終焉の侵略
「……彼女は、大丈夫かね?」
「ああ、休ませた上で白貴様とシャール……あの小僧に見張らせてる。でないと、一人で出て行っちまいそうだからな」
腰を下ろしていたガルムの言葉に対し、新森は肩を竦めながら頷く。
話に上がっていたのは美汐の事。彼女は涼二がとりあえず大丈夫である事を知ると、自分達を逃がす為に残った徹を迎えに行こうと言い出したのだ。
無論の事、それは無謀以外の何物でもない。何の策も無く路野沢の前に出て行ったところで無駄死にをするだけであろうし、そもそも現時点まで徹が生き残っている可能性は限りなく低い。
結局、『今いるメンバーまで危険に晒すつもりか』と言う言葉に対し、美汐は折れていた。
その時の沈んだ表情を思い返し、ガルムは小さく嘆息する。
「話に聞いてはいたが……本当に心優しい少女だ。それに気丈だな。この状況でも尚、人の命を背負う覚悟があると見える」
「父と兄を失ったってのにな。本当に、人の上に立つ者ってのはたいしたモンだよ」
「美汐は、強い人だから。だからこそ、私達も彼女を支えようと思える」
「どうでもいいがな、隊長。お前さん、あの人の事を呼び捨てでいいのか?」
「……こんな状況だし、それに今更だよ」
新森の言葉に、緋織は小さく苦笑交じりに肩を竦める。
今この場にいるのは、ガルム、緋織、新森、悠、怜の五人。他のメンバーは、それぞれの仕事をするために動いていた。
ここにいるメンバーは、今後の行動指針に関してを話し合うつもりで集まってきている。
最早敵も味方も無い。ただ、成すべき事を成す為に。
「さて、まずはだが―――我々には、情報が少なすぎる」
ガルムが切り出した言葉に、円陣を組むように座っていた面々は一様に頷く。
何しろ、ここに来るまでにあまりにも多くの事が起こりすぎたのだ。
ニーズホッグとの戦い、ニヴルヘイムとユグドラシルの決戦、そして路野沢の出現。
どれもこれも大きすぎる出来事であるために、その状況を把握しきれていないのだ。
「そこで今、スリス……こちらの能力者に、各方面にハッキングを行って情報を探らせている。事後報告で悪いが、ここの情報施設を使わせてもらっているよ」
「まあ、緊急事態だからな……それより、《悪名高き狼》はどうした?
アレは見張っていないと何をしでかすか分からんのだが」
「ああ、彼なら『難しい話はゴメンだ』と言って、スリスとの連絡役をやっているよ。桜花君も一緒だったな。まあ、彼らも涼二があの状態のまま姿をくらますような真似はすまい」
新森の言葉に対してガルムは肩を竦め、シェルターの奥の方へと視線を向ける。
そちらは、先ほどスリス達が向かっていった方向―――悠から伝えられた情報で、外へと繋がる通信施設がある場所だった。
スリスの能力ならば、端末さえあれば情報を集めることは容易い。
それも、ユグドラシルに繋がっているこの場所ならば尚更だった。
「さて、あの男に関してだが……何か、分かる事は無いだろうか?」
その言葉に、全員が一様に沈黙する。
決して知らないと言う訳ではない。だが、路野沢の本性を知った今では、それが何処まで真実であったのかの判別が付けられなかったのだ。
路野沢一樹。ユグドラシル総帥、大神槍悟の相談役。始祖ルーン能力者である《予言の巫女》を所有。ニヴルヘイムの設立を手助けし、上狼塚双雅の生活をサポートしていた。
全て、事実だったのだろう。けれど、そこから先を知る者はいない。
否―――
「……“神”」
「それは、考えないようにしたい所ではあるがな」
緋織がポツリと呟いた言葉に対し、ガルムは小さく嘆息する。
先ほど相対したとき、路野沢が口にしていた言葉。
それは到底真実とは思えないものであったが、それでも考えずにはいられない話であった。
緋織とガルムの様子を見つめつつ、眉根を寄せながら頭を掻き、新森は声を上げる
「あの野郎の目的は、恐らく前隊長……涼二の力を手に入れる事なんだろう。それを奪われたとして、俺達は……そしてこの世界はどうなる? アンタは何か分からないか、室長さん」
「……お手上げですよ。僕も、彼に関する情報は殆ど持っていない。そもそも、僕はその先ほどの話というのをあんまり知らないんですが」
「っと、そうだったな……まあ、一度整理する事も必要か」
小さく息を吐き、新森はそう呟きながら肩を竦める。
その言葉に、正面に座るガルムも同意していた。
いかに荒唐無稽であれ、路野沢の口から放たれた言葉は、非常に重要な情報源だ。
彼の口にした話は、決して無視できるものでは無い。
「私達としても、到底信じられぬ話だ……とりあえず、口を挟まず最後まで聞いて欲しい。聞いた事をそのまま纏めただけなのだからな」
「……はい」
神妙な表情で悠が頷き、その傍らに控える怜も同調するようにコクリと頷く。
それでもその表情が驚愕に彩られるであろう事を予想しながら、ガルムはゆっくりと口を開いた。
「まず、だが……この世界が生まれたのは百五十年前らしい」
「は……?」
「事実かどうかは知らないが、あの男はそう言っていた。この世界は、元々この世界と似ている世界をコピーする形で作られたそうだ。
それを行った存在の事を、路野沢は『天主』と呼んでいたが……それに関しては情報が少なすぎる。
あの男が語った内容は、その天主とやらは、この世界で超越者とやらを育てようとしていたらしいと言う事程度だ。
霞之宮星菜という人物がそのお眼鏡に適ったとの事だったが……君は、その人物について心当たりは?」
「……! ええ、あります」
その名を聞き、悠は目を見開く。
それは、ユグドラシルでもごく一部の人間しか知らないはずの名前。
悠も、それを知っている人物としては、槍悟と路野沢しか心当たりが無いほどの存在であった。
「それは、《予言の巫女》の本名です。彼女の事は僕もよくは知りませんが……どうやら路野沢とは、ユグドラシル発足以前から知り合いだったらしいです」
「……成程。そして、そのまま存在をひた隠しにされていたと言う事か」
「でもそれなら、その人に話を聞けば何か分かるんじゃ……」
顔を上げた緋織が、名案だとばかりに声を上げる。
けれど、それに対して悠はゆっくりと首を横に振った。
「多分、無理だと思うよ、緋織」
「どうして?」
「彼女も始祖ルーン能力者だ、当然路野沢に襲われているはず。それに彼女の身体は、今の涼二と同じような状態だった。多分、もう生きていないよ」
悠の言葉に、緋織を始めとした面々は息を飲む。
今の涼二と同じ状態という事は、即ちプラーナの過剰流出によって魂が疲弊している状態だったという事だ。
しかし、涼二はあくまでも特殊な例。ならば、彼女はどのような経緯でそのような状態になったのか。
その当人の姿を思い浮かべながら、悠は続ける。
「僕も、彼女を目にした事は一度しかない。しかも、彼女はフード付きのローブを目深に被って姿を隠していたから詳しくは分からないけど……ちらりと見えた腕に、深い傷痕のようなものが見えた。刃物の傷のように見えたけど」
「刃物……それが、あの折れた刀と言う事か?」
悠の言葉を聞き、ガルムは小さく自問する。
路野沢の手にしていた刀。半ばから折れていたそれは、到底実用に耐えるものではないと思えたが―――
(あの刀が、始祖ルーンを吸収していたことは事実。あれが特殊な代物である事は確かだ)
目で見た事実は、事実として受け止めなければならない。
路野沢の言葉がどこまで真実であるかは判断ができなかったが、目を背けた所で解決にならない事は明白だった。
とまれ、とガルムは思考を斬り上げ、話を続ける。
「話を続けるぞ。その霞之宮と言う人物は天主に認められ、始祖ルーン……恐らく、始祖ルーンが刻まれたあの刀を与えられたのだろう。あの刀の事に関しては、どう思う?」
「そうですね……眉唾ではありますが、信憑性はあるように感じる。僕達の始祖ルーンは、全てあの刀に吸収されたようですし、特別な代物なのは確かでしょう」
「俺達は始祖ルーンなんて持ってないから分からんが、感覚的に分かるモンなのか?」
「ええ……確かに、私のKもあの刀に引き寄せられていた。ルーン能力でだって、あんなものが作れるとは思えない。そもそも、刃を創るJは総帥が持っていたのだし、総帥が倒れる以前から彼はあの刀を持っていた」
全員が、次々にあの刀の特殊性を言及する。
理解の及ばぬ武器。もしも全ての始祖ルーンが刻まれていたと言うその言葉が事実ならば、それを操る人物は一体どれほどの力を持つ者だったのだろうか。
文字通り想像を絶するであろうそれに、全員が思わず口を噤む。
どうにしろ、黙っていると言う訳にもいかないのだが。
「……続けるぞ。路野沢は、この世界が霞之宮星菜を育て上げる為の箱庭だったと言っていた。そして、それ以外の全ては彼女の糧となる存在だったと」
「……ルーン能力は、魂の力を糧として発動する。つまり、全ての魂を彼女に喰わせるつもりだった?」
「少なくとも、路野沢はそう解釈していたのだろうな。それが認められず、あの男は十五年前の災厄を起こし、あの刀を折った。
折れた刀―――そして恐らくは、そこに刻まれていた始祖ルーンは周囲に散らばり、能力と言うものが広がったのだろう」
十五年前の災厄を起こした―――ただそれだけでも信じがたい事だったが、誰もそれに口を挟まなかった。
最早対処の仕様が無いのだ。降ってくる巨大な隕石など、どうしようもない。
小さく嘆息をし―――そこで、ガルムは顔を上げた。
「さて、ここまでが経緯だが……」
「信じがたいですけど……証明も否定も出来ない、か。それで、彼の目的は?」
「恐らくは天主と言う存在への復讐……まあ、一方的な逆恨みではあったようだがな。そしてあの口ぶりでは、それに対抗する為に涼二を育て上げたとの事だったが」
「……考えてみれば、何もかもあの人の所為って事なんだ」
十五年前の事も、それ以降のユグドラシルの行いも、そして涼二の離反も―――全て、路野沢の掌の上。
何よりも許し難いその事実に、緋織は思わず唇を噛む。
十五年前の事がなければ、緋織は涼二と出会う事はなかった。けれど、それを差し引いたとしても、緋織にはその所業を許す事はできない。
多くを奪われたのは、紛れも無い事実なのだから。
「ともあれ、ここまでの話を事実とするなら、あの男の目的は天主と呼ばれる存在に挑む事だ。そして、その武器とする為に涼二の力を利用しようとしていた」
「つまり、前隊長の力は、その天主……あの野郎よりも格上の存在に通用するって事だな?」
「ッ……やっぱり、涼二に戦わせるつもり!?」
新森の言葉に、緋織はばっと顔を上げる。
その非難に満ちた表情に対し、新森は眉根を寄せながらも首を横に振った。
それを認めたくないのは、彼にとっても同じだったからだ。
「あの野郎は、ルーン能力を利用して遥か格上の存在と戦おうとしてるんだろう。ならばその為に、大量の力を蓄えようとする筈だ。その力が何か、分かるだろう?」
「それは……!」
言わずもがな、ルーン能力の源となるのはプラーナ―――即ち、魂の放つ力だ。
それを蓄えると言う事は、即ち多くの命を奪い、その力を吸収しようとしていると言う事。
例え素直に涼二の力を渡したとしても、見逃してくれるとは到底思えない―――そう、新森は口にする。
そして緋織もまた、頭の中に残る冷静な部分が、同じ結論を告げていた。
「相手の能力も不明、戦い方も不明。対し、こちらの有効だと思われる手はワイルドカード一枚だ。最も勝利の可能性がある戦い方は、恐らくそれだろうよ」
「……否定は出来ないな。私としても、認めたくはない事だが」
新森とガルムの言葉に、緋織は再び顔を伏せる。
緋織も、決してその言葉を否定する事は出来なかった。
そして何より、小を捨てて大を取る事は、今までのユグドラシルの在り方そのものだったから。
涼二も、その考え方自体を否定していた訳ではない。
(涼二は、その選択をするならば切り捨てられた小に復讐される覚悟を持てという事……でも、私は―――)
「おーう、オッサン。あのちみっこい嬢ちゃんから資料を渡されてきたぜ」
「む、双雅君か。感謝するよ」
と、そこにやってきた双雅の言葉に、緋織は思考を中断する。
彼はこの状況にもかかわらずいつもと同じ飄々とした様子で、持っている紙の束をガルムに手渡していた。
受け取ったそれをガルムは地面に広げ―――その目が、大きく見開かれる。
衛星写真と思われるそれに写っていたのは、火に包まれる巨大な城を中心とした風景だったのだ。
その異様な風景は、その城を中心として広がり、円形に世界を変容させている。
ある地点から唐突にビルのある風景に戻っているのだ。
「……これは、涼二や雨音君が使っていた、あの―――」
「いよいよ以って厄介だな、コレは」
ガルムと新森の意見が一致する。
雨音の持つSの力ですら、驚異的な効力を発揮していたのだ。
この世界がどのような性質を備えていたとしても、厄介である事に変わりは無い。
と―――そこに、周囲を見渡していたガルムが声を掛けた。
「なあ、桜花の奴がどこに行ったか知らねぇか?」
「何? 先ほど、君と一緒に行動していたではないか」
「ああ、先戻るって言ってたんだが……あのバカ」
桜花が今何をしているのか見当が付いたのか、双雅は小さく毒づきながらこの場を離れてゆく。
そんな彼の背中を見送りながら、緋織は拭いきれぬ不安の中、ただ必死に己を落ち着かせようとしていた。
―――この写真の中で侵食された世界は、シェルターの近くにまで広がってきていたのだ。