05-12:死想曲
遠く離れていった二人の少女の気配には目も向けず、涼二はただゆっくりとその足を進めてゆく。
視線の先にいるのは、仇敵たる大神槍悟。しかし彼を前にしても、涼二の意識は何処までも冷たく透き通っていた。
決して怒りを感じていない訳ではない、決して憎しみをもっていない訳ではない。
ただ、総ての感情が凍て付いたかのごとく固定され、動いていないだけなのだ。
「ふむ―――流石、と賞賛を送るべきか。《災いの枝》も我が娘も、まだ未熟な部分はあるものの、強力な能力者には違いない。
いかにプラーナを消費していたとはいえ、あの者達を始祖ルーンも使わずに制するとはな」
「……」
槍悟の言葉に対し、涼二は答えない。
至極、どうでもいい事だったからだ。
彼女達が持っていたのはKとDとG―――計三つの始祖ルーン。
それだけの力が相手となれば、通常は戦闘にもならずに一方的に蹂躙されるだけになるはずだ。
しかし、先ほどの彼女達は続く戦闘で多くのプラーナを消費しており、全力を出すには至らない状況だった。
仮に全力を出す事が出来たとしても、たった一撃のみとなる―――それは、涼二が最初から読んでいた事だ。
彼女達を退ける事も、予定通りでしかない。
そんな表情一つ動かさない涼二の様子に対し、槍悟は小さく肩を竦める。
それは決して嘲るものではなく―――僅かながらに、哀れみを交えたものであった。
「私の成れの果て……成程、このようになっていたかも知れぬという事か」
それは、求めるべきものを失ってしまった存在。
行くべき道が崩れ、断崖の果てに奈落へと落ち、それでも尚過去の光を求め続けた者の末路。
元々あった、『愛する家族と共に生きたい』と言う願いは行き先を失い、その形を変容させてしまった。
新たに得た渇望は、彼を破滅に導く以外の何物でもなく―――幼いながらもそれに気付いた少年少女達の手によって、それは何とか方向修正されていたのだ。
けれど、それもまた、元に戻ってしまった。
(―――そういえば)
何故二人は止めなかったのだろう、と涼二は自問する。
仲間達に対する想いは、かつて失われた渇望の残滓。
その中でも双雅と桜花は、戦いの日々を生きた涼二にとって大切な日常であり、二人もそれを理解していた筈。
だと言うのに、彼らはどうして己の事を止めようとしなかったのか―――僅かに残った感情が、その疑問を訴えていた。
あの二人は、その思いに気付いていなかったのか、と。
(いや……あの二人の事だ、気付いていたのかもしれないな)
僅かながらに笑みを零し―――涼二は、己の中で疑問を完結させる。
それに気づいていれば、彼らは何の躊躇も無く自分に協力してくれるだろう、と。
例え日常と言う役割を捨て去ってでも、氷室涼二の願いに協力してくれるだろう、と。
それは、最初で最後の我が儘だから。
(だから……ここで、終わりにしよう)
そして、涼二は歩みを止める。
目の前にいるのは、彼にとってすべてであった姉、氷室静奈を奪った存在。
それを殺して、終わりにするのだ。
歪んでしまった氷室涼二の渇望を、僅かながらに他者に向いた感情を自壊させて、元通りの存在へと。
今ならば、かつて初めて四つのルーン全てを発動した時に得た願いを、果たす事が出来るから。
「……さて、そういえば白貴を手中に収めていたのだったな。あれも我が一部だが、貴公の願いに賛同しているのか?」
「どうでもいいな。俺の願いは俺だけのものだ。俺以外の何にも、貴様を殺させない」
確かに、防御する事を許さない白貴の力ならば、動けない状況に追い込みさえすれば勝利が確定する。
けれど、涼二はそんな結末を認めるつもりはなかった。
奪ったのが槍悟ならば、槍悟の総てを奪うのも自分なのだと、そう決めていたのだから。
そんな涼二の言葉に対し、槍悟は小さく苦笑する。
その僅かな笑みの中には、理解の色が浮かべられていた。
「よかろう、ならば《氷獄》よ―――ここで、消えるがよい」
その手に形成されるのは、黄金の槍。
先ほどの戦いで多くのプラーナを消費したとはいえ、その輝きには一点の曇りも無い。
完成された能力、決して外れる事無く、命中すれば必ず相手を滅ぼす絶対の力―――《必滅の槍》。
目を、魂を焼かんとするほどの輝きを放つその力に対し、涼二はただその瞳を輝かせた。
宿す力は、かつて氷室静奈が得ていたはずの強大なルーン。
それを扱う為に、彼自身の姿も変貌して行く。
「I、L、H、Th―――」
長く伸びた黒髪と、輝く青紫の瞳。
崩壊した街の中、十五年前に対峙したものと同じ人影は―――その時とは比べ物にならぬ程の練度で、その力を放っていた。
そして、空間に満ち溢れる圧倒的な二つのプラーナは、互いに押し合うかのごとく軋みを上げる。
その中心で―――二つの力は、突如として爆ぜた。
「貫け―――《必滅の槍》ッ!」
「凍て付け―――《氷獄》ッ!」
互いが互いを関する力を発動させ、至近距離で炸裂させる。
交錯するのは黄金の槍と、溢れるように発生する無数の氷の茨。
そして周囲を満たす嵐は、総てを凍て付かせる雨を広範囲へと振り撒いていた。
茨に絡め取られれば、決して逃れる事は叶わず氷像と化す事になる、死に満ちた氷の世界。
しかし黄金の槍の一閃は、襲い掛かる嵐を真っ二つに切り裂いていた。
決して外れる事の無い宿命を宿した最強の能力―――しかしそれは、涼二の能力を最後まで貫く事無く、茨の森の中で絡め取られ、その動きを止める。
それに対し、槍悟は大きく目を見開いていた。
「何……ッ!?」
今の力は、彼の第四のルーンにして、三つ目の始祖ルーンたる■の力を意識的に込めた物だったのだ。
その槍に込められた宿命は、敵を貫き、撃滅させると言うもの。
それは、例え相手が始祖ルーンによる防御を行ったとしても、能力をキャンセルされない限りは必ず実行される。
にもかかわらず、その力を止められたと言う事は―――
「そうか、貴公……宿命を失っているのか。やってくれるな、一樹」
―――槍が向かってゆくべき的が失われていると言う事。
■のルーンを彼以外の殆どの者が知らない理由は単純である。それが空白であるために記号が存在せず、刻まれていても誰も気づかない為。
そして、それは全ての人間に等しく刻まれている為に、能力者の間での差と言うものが存在していない為である。
《必滅の槍》はこの性質を利用している。
即ち、対象とした存在の持つ■のルーンに向かって飛翔し、それに命中するまで止まらないという能力なのだ。
けれど、もしもその的となるルーンが失われていたとしたら。
―――二つの始祖ルーンによって、■のルーンが塗り潰されていたとしたら。
「凍て付け……ッ!」
「ふ、はははっ! 成程、貴公こそ我が天敵と言う事か!」
放たれた氷結の暴風雨を槍の一閃で吹き飛ばしながら、大神槍悟は歓喜に笑む。
己の力が唯一通じぬ相手―――それこそ、彼が対等に戦える存在なのだから。
条件は対等。互いに強大なプラーナと、二つの始祖ルーンを持っている。
能力の練度は高く、その制御力という点に関しては極まっていると言っても過言ではない。
そして持ち合わせる力は、どちらも一撃必殺―――どちらが先に一撃を加えるか、ただそれだけの勝負。
陳腐で、単純で、計り知れぬほどに膨大な、力と力のぶつかり合い。
「はああああああッ!」
「おおおおおおおッ!」
打ち合わされる黄金の槍と、氷の剣。互いの力は相殺され、次の瞬間には新たな力が形成される。
襲い来る氷の茨は、触れたものの動きを止めてしまう束縛と停止の力。
けれどそれは、吹き上がる黄金のプラーナによって溶かされ、槍悟の体に辿り着く事はない。
それでも、涼二の力は広く広がり、全方位から仇敵へと向かって襲い掛かっていっていた。
「成程、厄介なものだ」
嵐に舞い上げられて降り注ぐ雨は、全てが《氷雨》と同じもの。
一滴でもその身に触れれば、身体は凍て付き自壊する事となるだろう。
けれども、槍悟の身体より吹き上がるプラーナがそれを阻んでいる。
本来ならば無駄の境地でしか無いその防御方法は、大神槍悟が確かに本気であることを示していた。
彼は消耗を一切加味せず、全力で力を解き放っているのだ。
その上で、彼は笑みを浮かべている。攻めあぐねるほどの強敵に対して。
「蒼き雷よ―――」
対し、涼二はただ純粋に、目の前の相手を倒すために力を重ねていた。
その激しさは、緋織たちを相手に抑えていた姿が嘘であるかのように。
彼が腕を振り下ろすと共に打ち下ろされた雷は、それが触れた場所に巨大な氷の花を発生させる。
HとIの力によって蹂躙されてゆくその場所は、さながら氷で作り上げられた庭園。
その中心で、無数の茨を従える少女の姿をした青年は―――場違いな事に、その光景に懐かしさを感じていた。
(姉さんの気配、姉さんの匂い)
刺すように冷たい空気の中で感じるのは、かつての姉の気配。
今まで、涼二は四つのルーン全てを全力で行使した事はなかった。
そもそも、そこまでする必要がある相手がいなかったというのが理由なのだが―――それ故に、彼は今感じているこれを、体感した事はなかったのだ。
果てしない力の奔流の中で遠くなってゆく感覚の中、耳に届いているのは吹き荒ぶ風の音。
甲高く空を裂くその音は、涼二には何故か、一つの歌に聞こえていた。
(姉さんの、歌―――)
姉に背負われ、燃え落ちる世界を生き延びていた時に聞いた声。
歌詞も何も無い、ただの鼻歌のようなもの。
けれどもそれは、確かにその魂に刻み付けられていたのだ。
それは、深い怨嗟の中で歪められても尚美しく―――
「―――vulnerant omnes,ultima necat」
―――同時に、何処までも救われぬ彼の魂を、これ以上無く再現したものへと変質していた。
瞳に刻まれたルーンは、その輝きを増し、内側に封じられたものを顕現せんとその光で周囲を塗り潰す。
その力は、今までに放たれていたものよりも更に異質であり―――それを目の当たりにした槍悟は、先ほど以上の驚愕に目を見開いていた。
「これは……! 面白い!」
降り注ぐ雨も、吹き荒ぶ嵐も、打ち下ろされる雷も、全てはその槍によって破壊される。
氷室涼二の攻撃は必殺ではあるが、必中ではない。
現在においては、槍悟の力もそれは変わらない―――それ故に状況の変化とは、彼にとっては脅威であり好機でもあった。
ゆえに槍悟は全霊を込め、黄金に輝く槍を形成する。
例え必中と言う性質を失っていたとしても、その力は、涼二の放つ束縛と停滞に勝るとも劣らぬものであった。
今までどおりの戦況であれば、その防御を貫く事も可能であるかもしれない。
故に―――
「―――《死想曲・終刻》」
―――涼二の内より溢れ出たその力こそが、全てを左右する鍵であった。
* * * * *
「派手にやってやがんなァ、おい」
遠景を見つめ、双雅は肩を竦めながらそう呟く。
その視線の先で繰り広げられているのは、涼二と槍悟の戦い。
吹き荒ぶ風で大樹が凍て付き、放たれる黄金の波動でそれが粉砕される。
荒唐無稽とすら取れるその光景は、正しく神話に語られるべきものであった。
双雅は僅かながらに戦意がうずくのを感じつつも、やれやれと嘆息して己を抑える。
アレは涼二の敵なのだ、と。
「なァ、お前らどう思うよ? 人間辞めてるレベルの涼二に対して互角ってのも、大したモンだよなァ。ああ、それともあの総帥殿がすっげェんだっけ? まあ、正直どうでもいいけどよ」
「ッ、う……」
「が……く、そ」
益体も無い言葉と共に双雅が向けた視線の先には、上層階が吹き飛ばされている高層ビルと、その上で横たわる二人の男の姿があった。
新森とシャール―――共に、ムスペルヘイムでもトップクラスの実力を持つ神話級の能力者。
しかしながら彼らの力も、二つの始祖ルーンを持つ双雅には遠く及ばなかった。
それは、純粋な相性の問題とも言える。
「まァ、何つーか? お前らの攻撃、軽いんだわ。涼二みたいな空間攻撃は苦手だけどよ、お前ら相手しやす過ぎ。もうちょっと頑張りま賞ってか? あァ、最近の学校でそういうのあるのかね。俺学校とかいった事ねェからしらねェけど」
「何の、つもりだ」
「あァ?」
双雅の言葉には相変わらず益体は無く―――それも彼の『自由』であるのだが―――それを聞きながら、新森は苛立ちに満ちた声を上げる。
純粋な速さを売りにしているが故に、それ以上の速さと重さに勝てなかった二人。
彼らは、今現在己が生きている事それ自体に疑問を抱いていた。
「何故殺さない、貴様は何を考えている……?」
「あー……何? 殺されたいとか、新手のマゾか? 流石に引くぜ? ドン引き」
「質問に答えろッ!」
「はいはい、真面目さんだねェ。まァ何つーか、勘?」
「は……?」
面倒臭そうに双雅が言い放った言葉に、上半身を起き上がらせたシャールは思わず絶句する。
理由にもなっていない言葉を言い放った双雅の表情が、何処までも本気であったからだ。
「ビビッと来たッつーか、お前らまだ使い道があるような気がするんだわ。つー訳で、まだ生きてろ。殺されたいんだったらその後で殺ってやるよ。
んじゃ、まあ桜花の所にでも顔出すかね」
「な―――待」
て、と言う言葉は続かなかった。
その前に、双雅は即座に加速してその姿を消していたからだ。
あまりにも身勝手な言葉を言い放ち姿を消した双雅に、新森は忌々しげな様子で舌打ちをする。
「一体、何だって言うんだ……!」
遠く、理解の及ばぬ話ではあったが―――この戦場は、確かにその様相を変えようとしてきていたのだった。