05-2:共同戦線
「それで、だ。お前達は、一体どうするつもりなんだ?」
傍まで寄ってきた二人の少女―――美汐と緋織に対し、涼二は小さな苦笑と共に肩を竦め、声を上げた。
彼としても対応は考えあぐねている所。彼女達は、涼二の中でも少々特殊な部類に分類される人物だった。
上司、部下は関係なく、彼女達はかつての友人。
状況によっては敵である事に変わりはなく、そしてそうなった時には涼二としても手を抜くつもりなど無い。
しかしながら、現在は少々状況が微妙な所だった。
「……私達は、ニーズホッグを追います」
「その状態でか? 総力を当てて尚討ち取る事は出来ず、満身創痍と言った状況。そして、奴と戦うにはプラーナも足りていないだろう。今の状態では、勝ち目があるとは到底思えないが?」
「それでも、だよ。涼二君」
涼二が口にしたのは純然たる事実。
しかしながら、それを受けても尚、英雄たる才覚を持つ少女は決して退く事はなかった。
その瞳に強い意志を込め、美汐は涼二へと語り掛ける。
「私達がニーズホッグを倒しきれなかったから、命を落としてしまった人がいる。あの人達を死なせてしまったのは、私達の罪だよ。私達は、彼らの期待に応える事が出来なかった」
「だから今度こそ、ってか?」
「彼らは信じてくれたから。だから、その心に応えたい」
理想論だと断ずる事も出来るだろう。普通の人間であれば、口にするだけで実行する事など出来はしない。
けれど、涼二は、彼女が―――大神美汐が、それを違える事無く実行する人間であると知っていた。
故に、涼二は小さく嘆息する。彼の目的の一つであり、シアから受けた依頼―――美汐の護衛は、果たさなくてはならない課題であったからだ。
「……取引だ、美汐」
「何かな、涼二君?」
「俺達の事を……ここにいる面子で言うならば、俺を初めとして、ここにいる男やあそこの二人、そしてお前達を癒した女。俺達の事を見逃せ」
「涼二……ッ!?」
どこか咎めるように、そして信じられないとでも言うかのように、緋織が声を上げる。
彼女は、《悪名高き狼》―――双雅と涼二が、協力関係にあると信じたくなかったのだ。
同時に現れたのは偶然だと、あくまで無関係だと、そう思っていたかったのだろう。
それを他ならぬ涼二の口から否定され、緋織はその理由を問うかのような視線を彼へと向けていた。
しかしそれに対して小さく苦笑すると、涼二は緋織から視線を外して美汐へと向けた。
「俺達の事を見逃してくれるのならば、この後のニーズホッグとの戦いに協力しよう。どうせ、移動手段は用意してあるんだろう?」
「あはは、流石に分かってたね。うん、それじゃあその条件でお願いするね、涼二君。涼二君もそのお友達もすっごく頼りになるし、期待してる」
「美汐様!」
その言葉を聞きとがめ、緋織は大きく声を上げる。
しかし、美汐はそんな彼女の言葉に対し、普段とは違う凛とした表情を浮かべたまま首を横に振った。
その佇まいは、護られる姫のものではなく、兵を率い前に立つ王のもの。
故に彼女は、己の小さな願望よりも、多くの人を救う為の選択をする。
「緋織ちゃん。私達のすべき事は、ニーズホッグを倒す事だよ。確かに、向こうにはお父様もお兄様もいる。でも、だからと言ってそれは絶対じゃない、だから私達は最善を期す必要があるんだよ」
「それは、そうですけれど……」
「別に、涼二君と話しちゃダメな訳じゃないんだよ。聞きたい事があったら聞けばいい。だけど、今は急がないと」
美汐が視線を向ける先は遥か東、密都の方角。
そこに向かう事は、今この場にいる者達にとっての急務であった。
ニーズホッグは未だ健在、そして、その向かう先には護るべき者たちがいる。
ならば、美汐がそれを見過ごす道理は無い。
そのあり方を、彼女の道を見届け―――涼二は、小さく笑みを浮かべた。
「移動手段は《爪の戦船》の力か? どの道、あまりゆっくりしている暇は無いだろう?」
「うん、そうだね。緋織ちゃん、全体の状況確認と指示をお願い」
「……はぁ」
深く、本当に深く、緋織は息を吐く。
そして目を瞑り―――次に顔を上げた時そこにあったのは、いつも通りの凛とした鋭い視線だった。
ムスペルヘイムの隊長、磨戸緋織に相応しいその姿に、涼二と美汐は小さく笑みを浮かべる。
その姿こそが彼女に相応しいと、二人は誰よりも理解していたから。
「了解しました。隊員の状況……戦闘継続が可能かどうか、直ちに調べさせます」
「プラーナの補給はどうなってる?」
「……流石に、この状況を何とかできるほどの量は揃えてません」
プラーナを回復する事が可能な霊石はかなり貴重な道具である。
いかなユグドラシルとはいえ、神話級を回復させ切るほどの量は用意できなかったのだ。
それは仕方ない、と涼二は小さく肩を竦め、周囲へと視線を巡らせる。
基本的に、周囲に散らばる隊員達は、補助系の者達以外はほとんど力を使い果たしている状況。
そして、先ほどニーズホッグと戦っていた神話級能力者達は、加速能力を持つ新森とシャール、そして防御の時のみ力を使っていたエイシール以外は、ほぼ力を使い果たしている状況だ。
正仁はそれなりにプラーナを残してはいるが、怪我の失血から意識が朦朧としている状態である。
(……直接戦闘は厳しいだろうな、こりゃ)
基本的に、上位の能力者であればあるほど、燃費は悪くなってしまうものである。
このような大規模な戦闘があった場合、神話級は継続して戦うのが難しくなってしまうのだ。
無論、節約を意識して戦えばその限りではないが。
とはいえ、今回は節約など到底不可能な相手。これ以上無理に戦闘すれば、無駄に命を散らす事に繋がるだろう。
(それに―――)
大神槍悟には、消耗して貰わねばならないのだ。
万全の状態の彼を倒せるとは、涼二も思ってはいない。
涼二にとっての目的は、あくまでも仇敵である男のみ。ニーズホッグなど、気にするべき相手ではないのだ。
隊員に指示を出すため踵を返した緋織の背中を見送り、涼二もまた仲間達の方へと歩き始める。
と―――
「ありがとう、涼二君」
「……礼を言われる筋合いはないと思うがな、美汐」
背中にかけられた言葉に、涼二は小さく肩を竦めながら振り返った。
変わらぬ様子で立っているのは、淡い笑みを浮かべた美汐。
彼女の性格を把握しているが故に、言っても無駄であるという事を理解しつつも、涼二は小さく嘆息してから声を上げる。
「俺はあくまで、あのバカを……幼馴染を回収しに来たに過ぎん。全部俺の都合だ。だから、お前が気にする事じゃない」
「それでも、助けて貰ったんだから、お礼は言わないと」
「……一々律儀な奴だな、お前は」
再び、嘆息。
やはり彼女には、その手の言葉は通じないと―――相変わらずである事を呆れつつも、どこか懐かしさを覚え、涼二は苦笑を零していた。
そしてそれに合わせるかのように、美汐も笑う。
「……ねえ、涼二君」
「何だ?」
一しきり笑った後、そう切り出した美汐。
そんな彼女の言おうとしている言葉を予測しつつも、涼二はそう問い返していた。
彼女の望みは、涼二も理解している。故に、彼女が口に出す言葉は―――
「私を……手伝ってくれないかな?」
「……今回は協力すると、そう言ったが?」
「もう。分かってるんでしょ、涼二君?」
「……はぁ」
三度目の嘆息には、どこか呆れのようなものが混じっていた。
そこに僅かな苦笑を交え、涼二は一度目を閉じる。
涼二とて、美汐の言わんとしている部分は言われずとも把握している。
彼女の目指す頂点の在り方、彼女の目指す覇道は、共存を目的としたものだ。
故に彼女は、多くの手助けを必要としている。手を取り合って多くを救う道を選ぶ在り方こそ、大神美汐の性質なのだ。
故に―――涼二は、それに賛同する事は出来ない。
「私は……私だけじゃ、戦えない。皆の力が、涼二君の力が必要なの。だから―――」
「無理だよ、美汐。俺には無理だ。それに、お前は俺がいなくても戦えるだろう」
「そんな事っ」
「あるよ、もう俺は必要ない。お前にはもう十分、お前を慕ってくれる仲間がいるだろう」
言って、涼二は周囲を見渡す。
ここにいるムスペルヘイムの隊員達―――彼らもまた、美汐の為に戦う事が出来る人間達だろう。
彼女を慕い、彼女を護り、彼女を助ける為に戦う事が出来る者達だ。
彼らのほかにも、美汐を助けてくれる者などいくらでもいる。ミーミルも、フレキも―――皆、彼女の目指す理想の為に歩んでくれるだろう。
故に自分は必要ないと、涼二はそう口にする。
「大丈夫だよ、美汐。お前なら、きっとこの国を引っ張って行ける」
「なら……涼二君は、それを見届けてくれるんだよね?」
「……ああ、当然だろ」
僅かながらの逡巡は、気づかれる事なく空気に溶ける。
それが尾を引く前に僅かな苦笑で隠し、涼二は冗談交じりの声を上げた。
「しかし、今まで何をしてたのかを聞いてくるもんだと思ってたんだがな」
「あはは、それは緋織ちゃんが聞くべき事だと思うからね。だから、私は聞かないでおくよ」
「そうかい……ああ、そうだな」
踵を返し、涼二はヒラヒラと手を振ってみせる。
そして彼は、そのまま仲間達の方へと足を進めていったのだった。
* * * * *
風が流れる。
水没した高層ビルの上、遥か彼方を見渡せるその場所で座禅を組みながら、《必滅の槍》こと大神槍悟は静かに瞑想を続けていた。
先ほど、一度だけその力、必中にして必殺の一撃を放った後、彼は再び沈黙を保ち続けている。
そんな父親の背中を無言で見つめながら、大神徹は所在無さげに視線を巡らせていた。
と―――そこに、階段を上がってくるような音が響く。
「ん……?」
誰か呼んでいたのか―――気にはなったものの、瞑想している父親に問いかける事は憚られ、徹は訝しげな表情で屋上への入り口の方へと視線を向けた。
そちらからは確かに人の気配と、そして強力なプラーナの気配が近付いてきている。
感じる力の波動は、かなり上位の能力者である事を告げていた。
そして―――その扉が開く。
「やれやれ……私は科学者であって戦闘職では無いのですがね……こんな所まで昇らせないで頂きたい」
「《豊穣の飛剣》……!? アンタまで来たのか?」
「ええ、総帥に呼ばれたもので。まあ、数合わせですよ」
現れたのは薄茶色の短い髪の男性。
彫りの深い精悍な顔には眼鏡がかけられており、どこか落ち着いた雰囲気をかもし出す人物だ。
しかしそれも、纏う白衣によって若干ちぐはぐな印象を受けてしまう。
豊崎翔平。《豊穣の飛剣》のコードネームを持つ、ドヴェルクの主任となっている男だ。
若干神経質そうな印象を受ける豊崎は、小さく嘆息を零しながら瞑想する槍悟へと声をかける。
「総帥、私はあくまでも科学者です。このような場所にいても役には立てないと思いますが?」
「―――謙遜するな、《豊穣の飛剣》。仮にも始祖ルーン能力者だろう」
「ここにいるのは全員がそうですがね……そもそも、データ上私の能力ではニーズホッグにダメージを与える事は不可能な筈ですが」
「それで己がいる意味が無いというのならば、私は随分と貴公を過大評価していた事になるな」
「……やれやれ」
槍悟の物言いに、豊崎は再び深々と嘆息する。
彼には何を言っても無駄だと悟ったのだ。
そんな二人の姿を交互に見比べ、徹はぽつりと声を上げる。
「始祖ルーン能力者三人か……確かに、現状だったら最大の戦力かもしれない。けどよ、親父。本当に大丈夫なのか?」
「ふむ……不安か、徹」
と―――そこで、今まで微動だにしなかった槍悟がようやく動きを見せた。
彼は肩越しに振り返り、徹の方へとその視線を向ける。
既に壮年と言うべき年齢ではあるが、その眼光の鋭さと、纏うプラーナの密度はいかなる者にも引けを取らない。
見知っているとはいえ強大な力の波動に、徹は思わず息を飲みながらも続けた。
「そりゃ、そうだろ。俺だって、普通の相手だったらここまで言わないさ。けど、相手はこれでもかって言うほどの神話級能力者を退けた、文句なしのバケモノだ。それに、始祖ルーン能力者だって混じってたんだぞ?
これで慎重になるなってのが無理な話だ」
それは紛れもなく事実であり、そして実際には、徹が思う以上の能力者が集って、それでも勝てなかった相手なのだ。
槍悟による助けが無ければ、ムスペルヘイムの者達も、そして美汐も、決して命はなかっただろう。
それは、どれほど分の悪い戦いであろうか。
そんな徹の言葉を受け―――槍悟は、口元に僅かな笑みを浮かべる。
「案ずるな、徹」
「……っ」
低く力強い声。それには、その言葉通りの力が込められていた。
何事にも揺るがぬ巌のように、ただ悠然とそこにある。
ただそれだけであるというのに、その存在感は何処までも強大で、背後にある者達に安心感を与えるものだった。
それが大神槍悟の覇道―――王者としての在り方。
それを見続けてきた徹だからこそ、決して揺るがぬ父の在り方に、ある種の安堵を覚える。
「成程、相手は確かに強大だ。何よりも強く、そして何よりも厄介な力を持っているだろう。
だが、それは敗北に直結する理由にはなりえない―――少なくとも、私にとっては」
その自信は、確かな実力に裏打ちされた事実。
彼が誰よりも強力な能力者である事は、紛れもなく本当の事だった。
故にこそ、大神槍悟は揺るがない。
己が敗北する宿命に無い事を、誰よりも良く知っているのだから。
「ここは私の死すべき場所ではない……私は負けんよ、そしてお前達もだ。決して敗北は無い、安心するといい」
「やれやれ。一体何処からそれほどの自信を持ってくるのやら、私としては疑問なのですがね」
「無論、私の《宿命》からだ」
どこか笑うように呟かれた言葉―――その声色に、徹は思わず目を見開いていた。
真面目で実直、悪く言えば融通の聞かない父が、僅かながらに笑みを見せた事に驚いていたのだ。
しかしそんな笑みも僅かな時間で姿を消し、槍悟はゆっくりとその場に立ち上がった。
大きく伸び上がってゆくその背は、決して曲がる事無く真っ直ぐに天を目指している。
そしてその力強い視線は、射抜くように正面へと向けられていた。
「……来たか、宿敵よ」
僅かな声、力強い視線。
それによって、徹は己の父から視線を外し、父の視線の彼方へとその目を向けていた。
未だ見えぬその姿―――しかし、既にその強大なプラーナの気配はこの場まで近付いてきていた。
強大な力と強靭な身体、全てを兼ね備えた真正の怪物、ニーズホッグ。
しかしそれを前にしながらも、《必滅の槍》の鋭き意志には一部の曇りすら存在していなかった。
「では、開幕だ友よ。これが貴公の言う最後の戦争ならば、せめてその終わりまで楽しませて貰うとしよう」
そして―――その身は、黄金のプラーナに包まれたのだった。