04-14:エピローグ
次回は12/20ごろから再開です
「―――はぁっ、はぁっ」
砂浜へと着地し、《災いの枝》を消失させた緋織は、荒い息を吐きながらその場にうずくまっていた。
本当に全霊、今までにないほどの激しい戦いは、緋織の持つ大量のプラーナすら枯渇させかかっていたのだ。
しかし、と緋織はその場で視線を上げる。
「……美汐様、そこで待機を」
『でも、緋織ちゃん!』
未だ上空にいる美汐へと通信機で告げ、何とか申し訳程度に息を整えた緋織は、立ち上がりながら眼前の存在を見上げる。
漆黒の―――あるいは、闇色の鱗を持つ巨大な蛇。
まず間違いなく刻印獣であろう存在であるそれは、ニーズホッグが沈黙すると共にその拘束を止め、静かに緋織の事を見下ろしていた。
(……敵意は、感じない。けど―――)
間違いなく神話級であろう刻印獣ではあるが、決して緋織の事を威嚇しようとはしてきていない。
ただ静かに、その黄金の瞳で周囲の事を観察している。
その姿は、非常に理性的なものにすら感じられた。
と―――
「夜月!」
一人の少女が、巨大な蛇へと向かって駆け寄る。
咄嗟に緋織は止めようとしたものの、彼女はそんな緋織の仕草にすら気付かず、巨大な蛇へとその手を触れさせた。
その顔に浮かんでいるのは、驚愕と歓喜。
「凄い、凄いよ夜月! こんな事で来たんだ! あははっ、流石あたしの親友!」
そんな桜花の言葉に、巨大な蛇―――夜月は、僅かながらに息を鳴らした。
舌を出し入れし、空気が漏れるような音を鳴らしたその仕草。様子を見つめていた緋織には、それがどこか苦笑のようにも感じられた。
やはり、と―――緋織は、小さく呟く。
(この刻印獣……人並みの知能を持っている)
警戒しつつ、それでも手を出すような真似はしない。
危険ではない相手を討ち取る必要は無いし、現状殆ど全員が疲弊してしまっている状態だ。
この状態では、無理な戦いは危険を伴ってしまうだろう。
ただでさえ、一人重傷を負ってしまったというのに―――
「そうだ、四之宮さん!」
「戦いの後で気が抜けてるからって、忘れてるのはちっと薄情なんじゃないのか、隊長」
背後から声をかけられ、緋織は振り返る。
そこに立っていたのは、若干の苦笑を浮かべた新森だった。
慌てた様子どころか、非常に落ち着いている彼に対し、緋織は小さく首を傾げる。
「副隊長、四之宮さんの救助は―――」
「ああ、《閃光》にやらせた……と言ってもまあ、即死してないだけマシ、というレベルのダメージだったんだがな」
そんな彼の言葉に、緋織は唇を噛む。
ムスペルヘイムに所属する治癒系能力者でも、それほどの重傷を癒す事は難しい。
例え一命を取り留める事が出来たとしても、二度と剣を握れなくなってしまうのではないか―――そんな事を考え顔を俯かせた緋織の頭に、ぽんと新森の手が乗った。
そして驚いて顔を上げた緋織の頭を、新森は強制的にある方向へと向けさせる。
そこには、地面に横たわる新森へと手を伸ばす着物の少女の姿があった。
「彼女は……?」
「……涼二の知り合いの、Sの能力者だそうだ」
少女―――雨音は己が力を正仁の体内へと流し込み、そのプラーナの流れに乗りながら彼の体を癒してゆく。
潰れていた半身が瞬く間に再生されてゆくその姿に、緋織は思わず目を見開いていた。
あれほどの治癒能力は、ユグドラシルでも見た事が無かったのだ。
「やれやれ、あんなのと知り合ってるとは……一体、涼二の奴は何をしていたんだかな」
「……」
そっと、緋織は雨音から視線をずらす。
その傍らに立つ青年―――氷室涼二へと。
彼は正仁の治療を終えた雨音へと二言三言話しかけた後、その視線をある方向へと向けた。
そこにいたのは、先ほど蛇に話しかけていた桜花と、その傍らに立つ双雅の姿。
「……ああ、もう」
あまりにも多くの事が起こりすぎて、混乱している。
涼二と再会できた喜びもあるし、倒さなければならない能力者である《悪名高き狼》の事もある。
さらにはこの巨大な蛇の刻印獣、そして強大な治癒能力者の少女。
何から処理していいのか分からぬまま、緋織は深々と嘆息していた。
けれど、とりあえず―――
(……あの三人が、纏まっているんだったら)
涼二と双雅と桜花、その三人が幼馴染である事は、緋織は知る由もない。
二人の方へと近寄って言った涼二。そちらへと視線を向けている二人と、急速にその巨体を縮め、普通の蛇―――それでも十分に大きいが―――に戻った夜月は、彼を歓迎するように迎えていた。
嘆息と共に、何事かを話している三人。それに僅かながらに羨望を感じながら、緋織は彼等の方へと歩み寄ってゆく。
と―――ふと、緋織は視界の端に映ったものに視線を向けた。
それは、先ほどの正仁の事を癒した雨音の姿。彼女は黄金の狼を伴って、頭部を失い地面に倒れるニーズホッグの方へと近寄っていたのだ。
まさか癒すつもりか―――などと考え、苦笑する。
生命活動の停止は確認したのだ。確実に絶命しているものを生き返す事はできないし、そんな事をするメリットもない。
心配はいらないだろうと判断し、視線を戻して―――
「―――逃げてくださいッ!」
―――絶叫が、響いた。
咄嗟に、全ての視線がその方向―――雨音の方へと向けられる。
彼女は狼の背に乗せられ退避しようとしている最中、周囲へと向けて大声で話しかけてきていたのだ。
「これは生き物じゃないんです!」
その言葉は、しかして、逆効果でもあった。
誰もがその言葉の意味を図りかね、硬直してしまったのだ。
そしてそれは、最後の逃げる為のチャンスを潰してしまっていた。
首を失った龍は爆発するようにその場から身を起こし―――
『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――ッ!!』
―――吹き荒れた爆風によって、周囲の人々は逃れる間もなく吹き飛ばされていたのだった。
* * * * *
「―――これが貴方の望みだと言うのですか」
「然り。育て上げてきた甲斐があったというものだよ、《予言の巫女》」
対峙する二つの影。
一つはスーツに身を包んだ男、そしてもう一つは白いローブに身を包んだ人物。
全身をすっぽりと覆うその姿は、見た目からでは女性と男性の区別をつける事すら出来ない。
辛うじて、鈴を鳴らすようなその声で女性であると知る事は出来ていたが。
ユグドラシルの最上階、大神槍悟が使っている執務室。
大きくガラス張りになったそこは、曇り空を映している。
その下で、その手に折れた刀を携えながら、《予言の巫女》―――霞之宮星菜は声を上げる。
「……貴方はそれほどまでに、この世界が憎いと?」
「ああ、憎いよ。途方もなく、この在り方を認める事は出来ない。故に―――」
その先を、己の渇望を語る事無く、男―――路野沢は口を閉じる。
彼の様子に眉根を寄せつつ、星菜は小さく息を吐き、その折れた刀を構えた。
「……それが貴方の意思、この世界の行く末だと言うのなら―――」
その刀身に刻まれているのは、無数のルーン。
そしてそれを構える彼女の手には、無数の傷痕のようなものが刻まれていた。
そう―――いくつもの、いくつもの、傷痕のようなルーンが。
「私は、あの方に選ばれた者として、一度彼の地に到達した者として―――世界の意思に抗いましょう」
「ああ、実に素晴らしい答えだよ、《予言の巫女》。実に度し難い。故に……」
路野沢は嗤う。
その口元に浮かぶ軽薄な笑みは、何処までも存在感が無く、まるで仮面のように歪んだもの。
そんな路野沢の表情を不快感と共に受け止めながら、星菜は凛とした声を上げた。
「私は霞之宮星菜です。もう、貴方の操り人形でいるつもりはありません」
「おや……今まで無気力に従って来た者の言葉とは思えないのだがね」
「ええ、私は今まで貴方に従ってきた。最早届かぬと知ってしまったから……あの方の祝福すら奪われてしまったのだから」
けれど、と星菜は呟く。
僅かに顔を上げる事で、そのローブの下の顔が僅かながらに明らかになる。
その顔にもやはり傷は刻まれ、それぞれが意味を成す形となっているのが分かる。
それは、この世の常識に当て嵌めればありえざるものだ。
「それでも、この剣を持つ者として、最期の責任を果たしたい―――結局は自己満足ですよ。私は私の剣を取り戻したい、誰よりも高く上り詰めたい。それが叶わないから……せめて一矢報いたい。他の人間は関係無い、ただこの一撃にのみ私の価値はある」
僅かながらに皮肉気な笑みを浮かべ、星菜はそう告げる。
折れた切っ先を突きつけるようにしながら、彼女はただ全てを燃やすかのように残る力を振り絞る。
その様を見つめ―――路野沢は、ただ楽しそうに笑い声を上げた。
「ふ、はははは……! 流石だ、忌まわしき天主に選ばれただけの事はある。その思想、己の為に生きる在り方―――やはり君は、超越せし者の器であったと言う訳だ」
それはこの世ならざる理。
全てを知るからこそ、二人の解脱者は必要以上の言葉を交わさない。
大神槍悟ですら知らぬ、この世界の真実を。
「始まりの刃、全ての力が刻まれていたその根源……砕け散った君の刀は、僕の手で再生させよう。君もまた、我がヴァルハラで眠るがいい」
世界が、震える。
全てが塗り替えられてゆく感覚に、星菜は恍惚に満ちた戦慄を感じていた。
相手は遥か格上の存在。そして、それを理解出来ている自分の力を、肌で感じる事が出来たから。
自らが積み重ねてきたその力もまた、決して無駄なものではなかったと分かったから。
「―――兄弟は兄弟に向かって争い、互いに殺し合う」
それは、世界に対する恨み言。
路野沢の口からこぼれ出たのは、何処までも深く醜い怨嗟だった。
「―――姉妹の子供たちは、親族関係を汚す」
それ故に、その恨みは世界を汚す力となる。
星菜は、ただその言葉をじっと聞いていた。
その力は圧倒的、そしてその力が使われれば、己に勝ちの目など一つとして存在しない。
「―――世界は恐慌に包まれ、姦淫は世を覆うだろう」
けれど、それは己の全てを曝け出す事に他ならない。
それは即ち、彼という存在の全てにダメージを与えられるのが、その刹那しか存在しないと言う事だ。
勝てはしない、必ず敗れるだろう。けれど、せめて一太刀―――そう決意し、星菜は枯渇しかかった己のプラーナを練り上げる。
その身に刻まれたルーンは、本来その身にあらざるもの。
必要以上に刻まれたルーンは、例え一つだけであったとしても余分な魂の流出を招き、その命を削ってゆく。
最早、後は無いのだ。
「―――斧の時代、剣の時代。楯は斬り裂かれ地に墜ちる」
路野沢の足元より、炎が溢れる。
しかしそれは何かを焼く事はなく―――ただ、周囲の全てを塗り替えてゆく。
燃え堕ちる宮殿を、見上げるようにしながら。
「―――風の時代、狼の時代。神々の黄昏は、今ここに始まるのだ」
星菜は、全ての魂を刃へと―――かつて、全ての始祖ルーンが刻まれていた神器へと注ぎ込む。
鼻は何も感じず、手は刃を持っている実感すらなく、耳に入ってくる音も消える。
その視界も徐々に薄暗く染まってゆく中―――彼女は、僅かながらに己を滅ぼす力の名を聞いた。
「■■―――《■■:燃え堕ちよ神々の栄華》」
それは、炎に燃える楽園。
侵略する炎によって焼かれた神々の栄華。
形成された炎の奥に見えるのは、その身を焼かれながらも武器を振るう英雄達の断末魔。
己もあの中の一人に加えられてしまうのだと知りながら―――星菜は、最期に小さく笑みを浮かべていた。
「予言しましょう、路野沢―――いいえ、ロキ」
清浄なる白色の輝きを纏う刀は、彼女の命全てを燃やしたもの。
その一点に限り、彼女の輝きは、決してこの絶対なる世界に劣るものではなかった。
それ故に、路野沢は彼女を祝福する。
「貴方は、あの子達を読み違える―――必ず、です」
そして―――
「さらばだ、英雄殿」
かつて日本に落ちてきた隕石の中身をたった一人で迎撃し尽くした英雄、霞之宮星菜は―――己の魂全てを焼き尽くし、絶命した。