04-12:英雄と龍
無数の力が飛び交う。
それは炎であり、水であり、氷であり、光であった。
使い手からすれば抑えられている威力ではあるが、普通の人間なら一撃で消し飛ぶほどの力―――その中心に晒されながら、尚も無傷で黒き王者は君臨する。
『OOOoooooaaaaAAAAAAAAAッ!』
黒龍の放つ力。
胸元で輝くOの始祖ルーンは、その龍の周囲に黒い靄のようなものを発生させていた。
最初に現れた時には僅かに薄く広がっていた程度のそれ。
今では遠目からでも視認できるほどまで密度を増したそれこそが、ニーズホッグの放つ能力であった。
それへと向けて力を放ちつつ、周囲を飛び回っていた少女―――フォルスは、忌々しげに声を上げる。
「本当に通らないわね、このバケモノッ!」
「……あまり立ち止まりすぎないで下さい」
「フォルス、速く!」
「ああもう、分かってるわよ! ほんっとうに忌々しい!」
放たれた炎の槍は、ニーズホッグに近づくと共にその勢いを弱め、相手に到達するもその黒い頑強な鱗に弾かれてしまう。
プラーナの空気伝達率を著しく下げてしまうニーズホッグの能力領域。
それは、エネルギーを放出する能力を持つ者達にとっては天敵と言えるものでもあった。
そして基本的に、高位の能力者は放出系の能力を持つ者に多い。
即ち―――
『ぶっちゃけダメージ与えようとしても無駄な事だと思いますよー、室長も言ってる事ですし』
「対策を考える連中がそんな事言ってどうするのよ! さっさと次の行動指示!」
『はいはい、狙われてますよ、フォルスさん』
「げ……ッ!?」
およそ女性らしく無い声と共に、フォルスは頬を引き攣らせる。
通信機の向こう側にいる風鈴―――彼女の告げる言葉は、数秒先に現実となる未来だ。
そしてそれを肯定するかのように、ニーズホッグの七つの瞳がフォルス達の方へと向けられる。
その動作は、ミーミルによって告げられた情報と同じもの。
そう、それは最も注意しろと言われた動作だった。
それを見て、半ば引き攣った悲鳴を上げるかのように、セティが声を発する。
「エ、エイシールさん!」
「分かってます。E、Z、O―――《不破の城砦》!」
そんなエイシールの言葉と共に、銀の輝きが三人の周囲に広がる。
それは、あらゆる能力の干渉を防ぐ防御領域。
始祖ルーンを持たないにもかかわらず、ユグドラシル中最も強固な防御能力を誇るとされたその力。
Zによって出力を強化されているそれは、仲間を護る時に最も強く力が発揮されるものであった。
そしてその力が放たれると共に、彼女達へとニーズホッグの力が襲い掛かる。
『GraAhhhhhHHッ!』
「ッ―――!」
放たれるのは強力な重力波。
その威力は、能力による防御が無ければ人体を一瞬でミンチにするだけの重さを秘めていた。
あまりにも強大すぎる力を息を詰まらせながらも受け止め、エイシールはじっとニーズホッグの姿を睨んでいた。
―――刹那。
「相手の視界に入るなって言っただろうがッ!」
『GogaAAッ!?』
横合いから飛び込んできた疾風が、ニーズホッグの顔面を蹴り飛ばしてその視線を強制的に外させていた。
そしてその仰け反った顔面へと向け、氷の剣を持つ閃光が襲い掛かる。
新森とシャール―――共に、最速の能力を持つ二人の能力者。
しかしその二人の連携も、ニーズホッグに対しては決して有効と呼べるものではなかった。
ニーズホッグの目へと向けて振り下ろされた刃は、しかし他ならぬその眼球によって受け止められたのだ。
「目まで堅いってどういう事―――おわぁっ!?」
引き攣った悲鳴を上げ、シャールは放たれた重力波から身を躱す。
Uによって強化されたニーズホッグの身体は、どの部分も変わらぬだけの強度を秘めていたのだ。
とりあえず能力による干渉から解放されて移動するフォルス達を横目に確認し、新森は舌打ち交じりの声を上げる。
「マトモにダメージを与えられるのは隊長や四之宮の強烈な一撃だけ……しかも、そのダメージだってすぐに回復しちまうと来たか」
忌々しげにそう呟き、新森は再び移動する。
一箇所に留まっていれば、ニーズホッグの能力の的となってしまうからだ。
高速で中を駆けながら、新森は冷静に分析を続けてゆく。
しかしながら―――既に、一つの確信が彼の中に芽生えていた。
「……おい、聞こえるか冬木」
『はいはい、何でしょうかふくたいちょー』
「率直に聞く。ミーミルの坊主は何と言っている?」
『……』
通信機から僅かながらに響いたのは、その向こうにいる風鈴が息を飲む音だった。
そしてそれは、既に新森の考えを肯定しているような物でもあった。
それに対して、新森は舌打ちを零す。
「やはり、そうなんだな?」
『……はい。正直に申しますと、美汐様の力無しでは、戦闘体勢になったニーズホッグに現状の戦力だけでダメージを与える事は叶わないでしょう』
「だろうな……直接戦ってりゃ誰だって分かる」
『ですから、もう少しだけ待ってください』
「……急いでくれよ」
これは、見た通りのバケモノなのだと―――否定のしようのないその事実に、蹴りを放ちながらも新森は納得する。
人体ならば容易く砕け散るその攻撃も、ニーズホッグに対しては大した痛痒も与えられていない。
それだけに、それほどまでに、『格が違う』という言葉を実感した事は、新森には一度として無かった。
(いや―――)
一度だけ、たった一度だけ同じ感覚を味わった事があると、彼はかつての光景を思い返す。
あの黄金の槍が放たれた時に感じた感覚、どれほどの速さで駆けても追いつけぬその差を思い知らされた瞬間の事を。
そして、同時に理解してしまう。あの男と同じだというのならば―――
(俺達では、コイツには―――)
ハッ、と。小さく笑い捨て、新森は思考を切り上げる。
その先を考えた所で、詮無い事だからだ。
敗北という未来は存在してはならない。元より、背水の陣なのだから。
「水を背にしてるのはテメェの方のはずなんだがな、トカゲ野郎が……!」
『GAAAAAAAAAAAッ!!』
逆巻く嵐を、触れれば細切れにされる風の刃を躱し、肉薄した新森はニーズホッグの顎を蹴り上げる。
強烈なその威力に、龍の顎は天を向き―――その首を刈らんと言わんばかりに、光を纏う一閃が叩きつけられた。
正仁による強力な居合。その圧倒的な威力はニーズホッグの鱗を斬り裂き、その肉に刃を食い込ませる。
だが、それまでだった。人間で言えば薄皮一枚と言う程度の深さ、到底ダメージには数えられない程度のそれに、正仁は眉根を寄せながら後退する。
「やれやれ……最早詐欺だろう、これは」
刃を鞘に納め、正仁はRの力で加速しながらニーズホッグの視界より退避する。
攻撃に特化した能力である為、防御にはあまり向いていないのだ。
僅かながらにプライドを傷つけられつつも、彼は素直に距離を置く。
冷静さを欠けば、神話級の能力者とて一瞬の内に敗北するであろう相手なのだから。
ニーズホッグは首に走った痛みに怒りを燃やし、その傷を与えた相手を捉えようと強力な風を巻き起こす。
が―――それと共に、大量の水がその周囲を逆巻き、ニーズホッグの視界を塞いでゆく。
セティが海面から巻き上げた水。それは現象を発生させた事による力ではない為、消滅するという事はない。
そうして大量の水に視界を塞がれ、ニーズホッグは戸惑ったかのように動きを止めた。
「シャール! アンタ、前の隊長みたいに触れたら凍る水とか作れないの!?」
「無茶言うな、あんな制御力ある訳ないだろ! しかも、コレは俺の能力による水じゃないし!」
「とにかく、今は時間を稼ぐ―――もう少しだけ!」
そんな声と共に、ニーズホッグへと向けて二条の火炎が突撃する。
金色の炎と緋色の炎―――それぞれが鉄すらも蒸発させるほどの熱量を持つ一撃。
それは巻き上げられた大量の水を一気に蒸発させて水蒸気爆発を起こしながら、ニーズホッグの身体へと直撃した。
衝撃と共に紅蓮と黄金の花が咲き、余波が周囲の隊員達の髪を揺らしてゆく。
だが、彼らは決して足を止めようとはしなかった。
全員分かっているのだ、あの程度では仕留められないと。
事実―――黒い鱗の巨体は、発生させた嵐で水蒸気を吹き飛ばし、巨大な咆哮を発する。
『GrOOOoooooaaaaAAAAAAAAA―――ッ!』
バチバチと帯電するその体。
それを見て、舌打ちと共に新森とシャールは接近による攻撃を止めた。
Hによる雷。その光を避けながらニーズホッグに接近する事は不可能だ。
『何か、だんだん強くなってきてないか……!』
『縁起でもない事言うな! アンタ、Iの能力者でしょうが! どっちかっていうと物質形成系に近いんだから、アンタ何とかしなさい!』
『無茶言うな!』
『無駄口を叩くな、バカ共―――来るぞ!』
通信機から響いた新森の鋭い声と共に、隊員達は再び散開する。
そして、そんな彼らの合間を縫うように、無数の雷撃が周囲へと向けて放たれた。
雷を目視して躱す事は難しい。それこそ、速度重視の能力者達以外には不可能だ。
故に、隊員達はそれぞれの能力を使って攻撃を防ぐ他無い。
そして、そうすれば―――
(足を、止められてしまう―――!)
内心で悲鳴を上げつつも、緋織はその炎で駆け抜ける雷を相殺していた。
目に見えて飛行速度を落とされてしまった以上、相手の視界に入らないと言う戦い方をするのは難しくなる。
そうなれば、ニーズホッグの重力波攻撃を逃れる事は難しい。
そして、相手の視線を強制的に外させようにも、雷を纏うあの状態のニーズホッグを相手には、スピード重視の二人も近づく事は難しい。
どうすれば、と緋織が逡巡した、その瞬間だった。
身に慣れたプラーナの感触が、周囲全体に広がったのだ。
目を見開き、そして表情に歓喜を浮かべ、緋織は視線を上空へと向ける。
「G、D、O―――」
そこにいたのは、黄金を纏う美しき少女。
プラチナブロンドの髪を暴風の中に揺らめかせ、その金色の瞳は強大な敵を前にしても決して揺らぐ事は無い。
そしてそんな彼女の背には、輝く光によって形成された眩い翼が羽ばたいていた。
彼女は叫ぶように、祈るように、その力を広く広げてゆく。
ニーズホッグの力の中ですら、なお鮮烈に―――まるで、その何よりも真っ直ぐで強い意志を表すかのように。
光の翼はその羽を周囲へと撒き散らし、それがニーズホッグの薄闇を払って行く。
そう、それこそが―――
「―――《光輝なる英雄譚》っ!」
ユグドラシル次期総帥、大神美汐の持つ能力。
その力を感じると共に、緋織は大きくその刃を振りかぶっていた。
背中から伸びる炎の翼はその勢いを増し、まるで噴出しているかのような様相を見せる。
そしてそれと同時、手に携える《災いの枝》もまた、纏う炎の力を高めさせた。
その莫大な炎を、緋織は一気に振り下ろす。
「はああああああああああああああああッ!」
裂帛の気合。咆哮と共に放たれた炎は、先ほどまでとは比べ物にならぬほどに強化されたもの。
その一撃は、周囲に吹き荒れていた嵐を消し飛ばし、ほぼ減衰する様子もなくニーズホッグへと直撃した。
『Ga――――――』
咆哮は爆音の中に消え、巨大な熱量が周囲に撒き散らされる。
熱風に煽られながらも、緋織は決して油断する事無く刃を構えていた。
視線は外さぬまま、彼女は通信機へと向けて声をあげる。
「エイシール!」
『分かっています。二人の事は―――』
『自分の面倒ぐらい自分で見れる! それに……』
『美汐様のおかげで、何とか出来そうですから』
双子の言葉に頷きつつ、緋織はエイシールに美汐の護衛に付くようにと指示を飛ばす。
彼女は今、《光輝なる英雄譚》の維持の為に動けない状態となっているのだ。
彼女の能力による領域を維持する事こそが、勝利への鍵となる。故に、自分達の防御は二の次だった。
例え、相手がまだ健在だったとしても。
『GRrrrrrrr……!』
煙の中から現れたニーズホッグは、相も変わらず痛痒を覚えた様子は無い。
が―――僅かながらに、その胸の鱗が赤熱しているのが見て取れた。
(効いていない訳じゃない……倒せる相手なんだ)
自らにそう言い聞かせ、緋織は再び宙を駆ける。
そして、それは他の隊員達も同様だった。
強化された力―――元より一騎当千であった神話級の能力者たちは、更なる力を手に入れているのだ。
いかな最強の刻印獣が相手だったとしても、引けを取る筈が無い。
神速で攻撃を加えてゆく新森とシャール、水と炎で動きを縛るリンド姉妹、そして強力無比な一撃を持つ緋織と正仁。
彼らの攻撃は、確かにニーズホッグへと届き、その肉体に僅かながらに傷を与えてゆく。
先ほどまでとは違う、確かな手応え。それに、彼らが士気を上げた―――その瞬間。
『■■■■■■■■■■■■■■■■――――――ァッ!』
最早言語にすら形容しがたい叫びと共に、ニーズホッグの周囲に薄闇が広がった。
眩い光を放つ美汐の空間を、その靄で塗り潰さんとするように。
そしてそれと共に、緋織たちは再び己の手応えが消失して行くのを感じていた。
『っ、これ……緋織ちゃん、相殺するのが精一杯……!』
「分かりました、そのまま維持を!」
通信機の向こうより響いた美汐の声に、緋織は理解する。
今、ニーズホッグは全力でOの力を発揮しているのだと。
もしも美汐の力が無かったとしたら、飛行の為の力すら維持できなくなり墜落するであろうと言う事も。
大量の人間を喰らい、無尽蔵とも呼べるほどのプラーナを溜め込んだ魔獣。
元々の力の総量が違う。故に、全力で行使されたその力を相殺出来ているだけでも御の字なのだ。
『―――隊長、気付いてるか?』
「ええ、この能力領域、攻撃の時には弱まっていた」
そして。彼らがもう一つだけ気付いた事実があった。
それはニーズホッグの癖とでも呼ぶべきものか。黒龍は、Hの力で攻撃を行おうとした際、必ず能力減衰領域の強度を弱めてしまうのだ。
その後すぐにまた強めてはいるが、攻撃発生時にはそれほどの妨害なく攻撃する事は可能らしい。
尤も、届いたとしてもダメージを与えるにはそれなりの出力が必要となるが―――それも、美汐の参戦で解決している。
「だから、あと少し……!」
あと一手、それが足りない。
確実に攻撃を命中させる機会、それさえあれば、仕留める事も決して不可能では無いと、その確信が得られたのだ。
一瞬でもいい、その機会さえあれば、確実に―――
『―――隊長! 何か来ます!』
「っ!?」
刹那、緋織の耳に風鈴の声が響いた。
その言葉に緋織は目を見開き、周囲へと意識を分散させる。
彼女の能力である《予言者の識》は、数秒先の未来を予見する。
それに見えたとするならば、それはほぼ確実に現実となる光景なのだ。
事実―――強大なプラーナの気配が、近付いてきている!
「ハッハアアアアアアアアアアアッ!」
空を斬る甲高い音、そしてそれに付随するドップラー効果に揺れた笑い声。
突き抜けてきた鈍色の砲弾は、その鋭い拳をニーズホッグの胸へと叩きつけていた。
―――爆音のような衝撃が、周囲へと響き渡る。
『■■■■■ッ!?』
堪らず、ニーズホッグは悲鳴を上げる。
いかなる威力を以ってして放たれたのか、その一撃はニーズホッグの身体を海面へと向かって吹き飛ばしていた。
先ほどまで魔獣が浮いていた場所―――そこに立っていたのは、獣のような甲冑を纏った人影。
「ッ、《悪名高き狼》!?」
「おおっと、緊急事態なんだろォ? 野暮な言い合いは無しにしようや」
驚愕と共に放たれた緋織の声に、鎧の奥で皮肉った笑い声を上げ、《悪名高き狼》―――上狼塚双雅はそう口にする。
そしてそれに追随するように、もう一つだけ響く声があった。
「こいつを逮捕したい気持ちも分からんでは無いが、優先順位は向こうが上だろう、《災いの枝》」
「え……!?」
「まさか!?」
それに反応したのは、双雅以外の全員だった。
いつの間にそこにいたのか、黒いコートを纏った青年は、その視線を吹き飛ばされたニーズホッグへと向ける。
「―――I、L」
体勢を立て直そうと羽ばたいたニーズホッグ―――その背後から、大量の海水が巨大な手を形成してその身を掴み取る。
狼狽した唸り声を上げ、魔獣はその能力の領域を強化する……が、それよりも僅かに早く、大量の水は一瞬で巨大な氷の塊へと変化していた。
大氷山の中に封じ込められたニーズホッグを見下ろし、青年―――氷室涼二は、小さく息を吐く。
「ったく……面倒な依頼をしてくれたもんだ。無駄遣いはしたくないんだがな」
僅かに一人ごちたその言葉は、周囲の誰にも届かない。
けれど、その言葉が普通のトーンで放たれていたとしても、結果は同じだっただろう。
何故なら、その場にいた誰もが、その姿に驚愕を隠せずいたからだ。
「嘘……本物!?」
「マジかよ……っ!」
「隊長!」
フォルスが、シャールが、エイシールが歓喜の混じった声を上げる。セティに至っては、驚愕で声も上げられぬ様子だった。
比較的落ち着いている大人達―――新森や正仁も、決して驚きを隠し切れている訳ではない。
そして、残る二人は―――
「涼二君っ!」
「隊長……涼二、涼二ッ!」
満面の喜色と、様々な感情の入り混じった声。
それぞれらしい反応に小さく苦笑し、涼二は声を上げた。
「まだ終わってないんだ、気を抜いてんじゃねーよ、バカ共」
それは紛れもなく―――彼らの『隊長』の声だった。