04-11:暴虐の龍
「ひゃっ!?」
鳴り響いた巨大な爆音に、桜花は思わず身を竦ませていた。
かなり離れた場所で開いた戦端―――その余波が、桜花のいる場所までわずかながらに届いていたのだ。
荒々しく揺れるテントの中、それでも不安そうな表情は見せず、桜花は遠景に見えるニーズホッグを見詰めている。
「うわぁ、すっご……」
そこでは、最早常人の想像の域を超えた戦いが繰り広げられていた。
炎が立ち上り、閃光が宙を舞い、海から巻き上げられた水が荒れ狂う。
神話級の力を持つ者の戦い。そこで振るわれているのは、常識外れなほどに強大な力なのだ。
訓練を受けていない人間ならば指先一つ動かす事が出来なくなるようなプラーナの密度。
しかしそんな中で、桜花は平然とした表情のままその戦いに魅入られていた。
(ちょっと遠いのがもったいない……けど、流石に近づくのはねぇ)
桜花とて、明確に見えている危険に自分から首を突っ込もうなどとは思わない。
明確に見えてなければ反応しないのか、と幼馴染の二人からしてみれば言いたい所であろうが。
ともあれ、しっかりとニーズホッグの姿を見る事が出来ない事に不満を覚えつつも、桜花はその場を動こうとはしなかった。
と―――
「あの……済みませんが」
「あ、はい?」
ふと声を掛けられ、桜花は振り返った。
そこに立っていたのは、同じテントの中にいたムスペルヘイム隊員の青年。
彼は何処か躊躇うような様子のまま、桜花へと向けて声を上げた。
「貴方は、確か前隊長……氷室涼二のお知り合いだと言っていましたね」
「え? ええ、そうですけど」
彼の問いに対し、桜花は肯定の言葉を発する。
先程語った通り、それは別に隠すほどの事でもなかったからだ。
と言うよりも、むしろ―――
「あたしとしちゃ、あいつが隊長なんてすごい役職についてた事の方がびっくりなんですけど。あいつ、ユグドラシルでの事は殆ど話さなかったし」
「そうですか……彼は、お元気ですか?」
「ん? んー……まあまあ、じゃないかな」
若干、言いよどんだその言葉―――しかし桜花は苦笑と共にそれを振り払い、青年へと向けて声を上げる。
「それで、あいつが何か? 伝える事でもあるのなら、あたしから伝えておきますけど」
「いえ……我々の言葉に耳を傾けてくれるかどうかは微妙な所ですから」
そんな彼の言葉に、桜花は小さく首を傾げる。
彼女は、涼二がムスペルヘイムで何をしていたのかは知らない。
話に聞いていたのは、精々仲の良い友人同士で合った緋織たちの事だけだ。
どのような戦いをしてきたのか、どんなものを見てきたのか―――彼は、決して話しはしなかった。
そこにどのような思いがあったのか、それは桜花にはわからない。
けれど、彼は確かに、戦いの日々から幼馴染二人を切り離そうとしていたのだ。
(あいつにとっての日常、か)
僅かながらに、桜花はそう考える。
戦いの日々に身を置いていた涼二にとって、少しだけでも安らげる場所。
それが、自分達の元であったならば、と。
(……不器用なのよね、あいつも)
桜花は、小さく苦笑する。
そんな彼女の様子に首を傾げつつも、ムスペルヘイムの青年は再び声を上げた。
「貴方にお聞きしたい事があるのですが」
「あ、はい。何ですか?」
「彼が……前隊長が何故ムスペルヘイムから、ユグドラシルから抜けたのか。我々は……隊長すらもその理由を知りません。貴方は、何かお聞きしていませんか?」
「何か、って言われても……」
青年の言葉に、桜花は眉根を寄せる。
彼がどうしてユグドラシルから抜けたのか―――それ自体は桜花も問いかけていた事ではあった。
けれど、彼はそれに答える事は無かったのだ。
「あいつは、あたしには何も言ってません。基本的に、そういう話を持ち込む事が嫌いな感じの奴ですし。今だって、探偵業みたいな仕事をしてるらしいけど、それに関しても全く話そうとしないですし」
「……そうですか、お手数おかけしました」
「ただ―――」
一つだけ、気になっている事はある。
彼は何も話さない、話そうとしないだろう。
それでも、たった一つだけ―――幼い頃から共に過ごしてきたからこそ、分かっている事があったのだ。
「……あいつらしくないって、思う」
「はい?」
「初めて会った時のあいつは、もっと自己完結してる人間だった。ただ自分の世界に住んでいて、他人の事なんか気にしようとしないって言うか……そんな感じだった。それが涼二の根本だった」
心の底で何を考えていたのかまでは桜花にも分からない。
けれど、涼二は確かに、この世の全てを拒絶していたのだ。
己だけの世界に存在し、そこには何者も立ち入らせようとしない。
桜花もそれは間違った事であると思うし、それを変えたのは桜花の意志だ。
けれど―――
「涼二は、ユグドラシルを辞めてから歪んでしまった気がする。あいつは、他人に執着する人間じゃなかった。
あたしにだって、貴方達にだって……見せていたのは、ごく一面だけ。その時に見せていたのは確かに本心だろうけど、その他の部分は決して見せない」
「それは……」
「あいつはね、本当は他人の心配なんかする人間じゃないの……じゃなかった、ないんですよ」
今まで忘れていた敬語を元に戻し、桜花は苦笑する。
その笑顔の裏で、たった一つの事を考えながら。
(そう、まるで……誰かに対して執着させられたみたいに―――)
脳裏で続けられようとしていた言葉―――しかしそれは、周囲に響き渡った龍の咆哮によって遮られていた。
* * * * *
《災いの枝》と《血吸いの魔剣》。
ムスペルヘイムでも最大級の力を持つ神話級能力者の二人。
そしてそれは、その二人の放つ技能の名称でもあった。
武具形成型の緋織は、常時火力においてはムスペルヘイムはおろかユグドラシルでも随一とされるだけの力を持っている。
その力は、余波だけで海の水を干上がらせるだけのエネルギーを有していた。
対し、正仁の《血吸いの魔剣》は―――
「うっはぁ、流石正仁さん」
シャールは二人の攻撃が命中したのを確認し、一度動きを止める。
その口元に浮かぶ感心と驚愕の笑みは、眼下に広がった光景を見れば無理からぬものであった。
「……流石ですね、四之宮さん」
「何、隊長もだ」
居合刀を納刀しつつ、正仁は小さく苦笑する。
その真下―――緋織の一撃の余波によって蒸気の立ち上る海面。
そこは、まるでモーセの如く、一直線に海が割れていたのだ。
Jによって刀自体を強化し、Rの加速と共にDのエネルギーを纏った刃を居合によって放つ。
その一点へ凝縮された破壊力は、緋織の火力すらも遥かに凌ぐほどの一撃であった。
が―――そんな一撃必殺とも言える技を放った正仁の顔に、油断の色は決して存在しない。
「油断するな、信じがたい事だが―――」
呟き、彼は再び刀を構える。
その鋭い視線は、一直線に割れた海の底へと向けられていた。
「―――どうやら、あれの鱗は相当に硬いようだ」
刹那―――
『GuOoooaaaaaaAAAAAAAhhhhhhhhhhhhh――――――ッ!!』
暴虐の龍の放つ怒りの咆哮が、閉じようとしていた海面を再び吹き飛ばしていた。
それと共に巻き起こった強烈な嵐が、周囲に逆巻き始める。
海の底に見える巨大な姿、それに誰もが息を飲み―――それでも、誰も取り乱すような事はしなかった。
「慌てるなよ、基本の陣形を崩すな!」
「分かってるけど―――」
「―――今度は私達が行きますよ!」
新森の言葉に、二人の少女が名乗りを上げる。
金色―――否、赤銅色の髪をショートカットにした少女と、蒼銀の長髪をうなじで括った少女。
対照的な色を持つ彼女等は、驚くほどに似通った面立ちをしていた。
赤銅の少女フォルス・リンド、そして蒼銀の少女セティ・リンド。
彼女等は、双子の神話級能力者として名を馳せている存在だった。
何もかもが対照的な二人―――それは、見た目に限った話ではない。
「セティ、捕まえて!」
「分かりました! L―――」
頷き、セティがその力を発する。
その身に刻まれたルーンは水を操る力たるL唯一つ。
シングルルーンはその力に多様性を持たせる事が出来ないが、その代わりとして非常に高い能力の強度を持つという特性がある。
高いプラーナの密度―――それは、ニーズホッグに対しても十分に通用するものであった。
「―――《八岐大蛇》!」
そして何より、海上であるこの場はセティにとって有利な空間。
虚空から水を生み出すと言う手間を省き、海面から力を操る事が出来るのだ。
セティが生み出したのは八本の水の柱。
渦巻くそれは次第に精緻な造形を創り始め、八つの蛇の頭となって海底より飛び出してきたニーズホッグへと噛み付いた。
『Grrrrrr……!』
「ッ、何て力……!」
「でも動きは止まった! いい仕事よ、セティ! 次は―――」
続いて、フォルスが手を掲げる。
天へと伸ばされたその腕の先にあるのは太陽―――否、そこに発生した黄金の火球だった。
渦を巻くように、灼熱が天へと集ってゆく―――
「アタシの番よ……K!」
彼女の持つルーンはKのみ。
しかしそれ故に、放つ炎の密度と範囲は緋織のそれを越えるものとなる。
そして、それを一点に凝縮した場合の火力は―――
「燃え尽きろ! 《侵奪する炎の巨人》ッ!」
―――万物を灰燼に帰して尚余りある、圧倒的なまでの熱量となる。
その太陽と見紛うほどの輝きを放つ炎は、一直線にニーズホッグへと向けて振り下ろされた。
それに合わせ、正仁は再び居合刀を構える。
フォルスの放つ灼熱を浴びれば、多少なりともニーズホッグの鱗が柔らかくなるかも知れないと考えたのだ。
彼女の能力が解除され、突入しても熱量を防ぎきれる程度まで温度が下がったその刹那を決して逃さぬようにと―――
―――刹那。
『OoooooaaaAAAAAAAA――――――ッ!!』
鼓膜を破らんと言わんばかりの咆哮が天へと放たれ―――それと共に、緋織たちの構成していた飛行用能力が、強制的に解除された。
「っ!?」
「うぉッ!?」
咄嗟に、ムスペルヘイムの面々は能力の出力を上げ、それぞれの力を発現させる。
だが、それに消費する必要のあるプラーナは、先ほどよりもかなり上昇していた。
無論、飛行程度にそれほど多くの力を必要とするわけではない。だが―――
「何よ、これはッ!?」
フォルスは、半ば悲鳴じみた絶叫を上げる。
先ほどの一撃は、全ての力を使い尽くすようなものでは無い。
しかし、決して手は抜かなかった。確かに全力だったのだ。
にもかかわらず、視線の先に存在している魔獣は、それを見事に押し返して見せたのだ。
「どうしてアタシの炎が吹き散らされてるのよ!?」
「フォルス、落ち着いてください!」
「ッ、こんなの―――あいた!?」
「冷静になれ、馬鹿者」
セティの言葉も聞き入れず激昂しようとしていたフォルスは、新森に後頭部を小突かれてたたらを踏んだ。
咄嗟に振り返り、セティは怒りに燃える目で新森を睨む。
が、彼はそれにも全く答えた様子は見せず、ニーズホッグから視線を外さぬまま声を上げた。
「激昂したまま戦って、勝てると思ってるのか?」
「それは……ッ!」
「戦うなとは言わん。だが、冷静になれ。お前達を無駄死にさせる訳には行かないからな」
言って、新森はちらりと緋織へ視線を向ける。
そして彼女もまた、その視線に対して小さく頷いて見せた。
「総員散開! 固まらず、相手の攻撃を避けて!」
「機動力の低い二人には、私が付いています」
「《不破の城砦》……うん、任せる」
そう呼ばれたのは、長い黒髪の女性。
赤渕の眼鏡をかけた彼女は、緋織の言葉に頷きながら双子の方へと近寄る。
エイシール・ランドグリーズ。彼女は、防御系のルーン能力を持つ神話級の能力者だ。
彼女ならばニーズホッグの攻撃も受け止められる。とりあえずの安堵と共に、緋織はニーズホッグから距離を置くように飛び離れ、その周囲を旋回し始めた。
「美汐様が到着し、能力を使用されるまでは牽制! 無駄な力の消費を抑える!」
『了解!』
全員からの声に頷き、緋織はニーズホッグへと向けて牽制の火球を放ってゆく。
ある程度の力を込めなければ、その身体に近付く前に掻き消されてしまう。
Oによって形作られた、ニーズホッグの領域。
(能力の減衰……ある程度予想はしていたけど、ここまでやりづらいとは!)
データが少なすぎる。内心の舌打ちを抑えながら、緋織はニーズホッグの放った風の渦を回避した。
悠に文句を言う事は出来ない。そもそも、ニーズホッグの戦闘データなど殆ど存在しないのだ。
無いものは想像の上でしか判断する事は出来ない。
しかしながら、ニーズホッグのそれは最悪の予想を更に超えていたのだ。
(領域の力を一点に集中すれば、フォルスの炎すら消し去れる力……となれば、全方位からの飽和攻撃でもなければ攻撃は通らない。
そして、Uのルーンによる肉体強度……四之宮さんの力すら防ぎ切る防御力は、生半可な攻撃ではダメージすら与えられない)
こんなバケモノに、彼の総帥はどうやって勝利したと言うのか。
思わず愚痴りそうになる内心を抑え、緋織は宙を駆けた。
「やるしかない―――」
既に背水の陣に等しい状況。
ここから先へ、この魔獣を進ませる訳には行かないのだ。
そう覚悟を決め、緋織は―――そしてムスペルヘイムの面々は、ただひたすら反撃の好機を待ち続けていた。