04-8:涼二の足跡
ある程度進んだ所で涼二達はバイクを降り、徒歩で山道を進んでいた。
険しく、若干断崖のような雰囲気さえある場所だが、二人は能力を軽く発動させながら身軽に飛び越えてゆく。
ルートとしてはあらゆる障害物を乗り越えて直線的に進む道筋である。
水のロープを頂上付近に打ち込みスルスルと登る涼二の横で、僅かな取っ掛かりに足をかけて跳躍を繰り返している双雅は、どこかうんざりとした様子で声をあげる。
「オイ涼二、飛んでった方が速いんじゃねェのか、コレ」
「そりゃ確かにそうだろうが……密度の高いプラーナを撒き散らしたら流石にバレるだろ」
「どうせバレるんだし、いいんじゃね?」
その言葉に若干気持ちが揺らぎつつも、首を横に振りながら崖の上へと到達する。
遠景に見える海の町は、先ほどまでよりもかなり近付いてきている。
そんな景色を見つめながら、涼二は小さく肩を竦めた。
「干渉するのは、その必要があった場合のみだ。必要も無いのに顔を見せちまったら、マイナスにしかならん」
「けどよ、あのバカは余計な事喋っちまってるんじゃねェのか?」
「……まあ、そうだけどな」
バイザーに映し出された地図―――そこに映る桜花の反応は、既に目的地へと到達してしまっていた。
彼女は既に、現地に展開したユグドラシルの者達と干渉してしまっているだろう。
そして、もしも緋織や美汐と出会ってしまったなら―――
「お前が自慢げにあの有名人二人の事話してたんだしよォ、顔見たら、お前の事喋っちまうだろ」
「分かってるよ……ったく、あいつまで巻き込む事になるとはな」
「家も引き払わねェとダメだろォな」
「ああ……全く、面倒臭い事してくれやがる」
嘆息しつつ、涼二は再び真っ直ぐと走り始める。
身体に満たされるプラーナの量を増やし、跳躍―――水のロープを巧みに操りながら、涼二は一直線に海辺の街へと駆けて行く。
そして、身体能力を強化した双雅も、それに続いた。
身軽に木の上を飛び回りながら、彼はぽつりと呟く。
「しっかしまァ……」
「ん、どうかしたか?」
「昔も、三人でハイキングとか来た事あったよなァ。随分と前の話だが」
「ああ……そういえば、そんな事もあったな」
苦笑を交え、涼二はそう頷く。
何年前の事だったか、彼自身あまり詳しくは覚えていない。
しかし、印象的だった出来事が一つだけあった。
「あの時も、あいつは迷子になったんだったか」
「元々家出みてェなモンだったけどよ。更にどっか行くとは思わなかったぜ」
「こうやって二人で探したんだったな……成長しないな、あのバカ」
「逆だ、バカだから成長しねェんだよ」
「成程、至言だな」
二人して、嘆息を零す。
涼二、双雅、桜花の三人は、孤児院の中でも問題児と呼べる子供達だった。
桜花が突拍子もない事を考え、双雅がそれに便乗し、涼二がフォローして穴埋めをする。
二人だけだったらあっさり捕まるであろうそれは、涼二の所為で悪化していたとも言えるのだが。
「あの頃の三人がこんな形で変な事件に関わることになるとはな……本当に、どうなるか分からんもんだよなァ、オイ」
「って言うか、作為的なものすら感じるだろ、コレ」
太い木の枝の上に着地し、再び跳躍。
器用に木の上を飛び回りつつ、滑るように目的地へと距離を詰めてゆく。
そんな中、涼二はふと思いついてしまった考えに対し、若干の寒気が走るのを感じていた。
「俺とお前……どちらも、路野沢が関わっていた。昔から、互いに強力な能力者であった事を隠されていたんだ」
「……つまり、あのバカも何かの能力者だって?」
「可能性が無いとは言えないんじゃないのか? 正直、あの男はなに考えてるか分からないしな。現に、俺達は互いの存在を全く知らされていなかっただろ」
「まァ、そいつは確かだけどよ」
空中に金属の足場を作り出し、テンポ良く宙を蹴る双雅は、そんな涼二の言葉にがりがりと頭を掻いていた。
どこか胡乱げな表情を顔に映し、双雅はやれやれと肩を竦める。
そこには確かに路野沢を疑う気配はあったものの、それ以上に、良く知っている桜花にそんな凄まじい力がある事自体が信じられない、とでも言うような感情が込められていた。
「あのバカの事だ、スゲェ力持ってたら自分から言いふらしてるだろォよ」
「ああ、それは確かに。ってか、凄い力持ってなくても言いふらしてるからな」
『動物に好かれる』と言う、ある種珍しい力を持った御津川桜花という少女。
人間よりも動物の友達の方が多い、と自称する彼女に、胸を張って言う事じゃないとツッコミを入れたのはいつの事であったか―――そんな事を考え、涼二は小さく苦笑する。
以前彼女が操る犬の集団にのしかかられた事もあり、彼としても中々油断のならない相手ではあるのだが。
少なくとも、ニシキヘビは十分な凶器となるだろう。
「あいつとの出会いは偶然だったんだ、気にする事でもねェだろうよ」
「それに関しちゃ、俺とお前もそうだったがな……まあ、あいつが強力な能力者だってのもおかしな話か」
「あァ、俺みたいに『グレイプニル』を嵌められてる訳でもねェしな。力を封じられてないなら、アレがあいつの実力って事だろ」
桜花には、昼夜問わず装着しているような装飾品の類は無い。
少なくとも、『グレイプニル』のような道具で力を封印されているような気配は無かった。
そも、封印されていたとしても、動物に好かれる能力が強化された所であまり意味は無いが。
まあ、と涼二は胸中で呟く。
(ニーズホッグを手懐けられるような能力だったら、それは確かに強力なのかもしれないけどな)
半ば冗談のようにそんな事を考え、苦笑したその刹那―――強大なプラーナが、海の向こうから立ち昇った。
「―――ッ!」
「おいおい、こりゃァ……」
大気を震わせるような気配、圧倒的な力の圧力。
常人ならば触れただけで動けなくなるようなプラーナの波動に、二人は驚愕を隠し切れず呻き声を上げる。
今までに出会ってきたどの能力者よりも重く、厚いそれ。
感じるのは研ぎ澄まされた鋭さではなく、圧倒的なまでの質量だ。
涼二のプラーナが極限まで研ぎ澄まされた刃だと言うのなら、今放たれているそれは迫り来る火砕流。
飲み込み、砕き、押し潰す圧倒的なまでの破壊力。
どちらも人を殺すには十分な威力であるが―――規模が違い過ぎた。
「コイツがニーズホッグだって?」
「神話級だとか言われてたけどよォ、それどころじゃねェだろ、これ」
「それ以上のランクが無いからな……」
同時に、涼二は納得する。
ファンクションを組むだけの知恵が無いにもかかわらず、そこまで危険視されている存在。
これだけの力があるのならば、それも頷ける、と。
これは最早、人知を超えた領域―――文字通り、神話に語られるべき力なのだから。
大気に満ちるプラーナの中、涼二は双雅へと向けて声を上げる。
「急ぐぞ、双雅。派手に能力を使っても構わない!」
「おいおい、いいのかよ?」
「ああ、これだけのプラーナ密度の空間じゃ、多少の能力行使は気付かれない。プラーナのはどうも、何処から発せられたか感知できないだろうよ」
「成程。まァ、確かにそりゃそうだ」
双雅は、口元に愉悦を浮かべてくつくつと笑い声を上げる。
そして彼は、そっと首元に刻まれた始祖ルーンへと手を触れていた。
それを横目に、涼二もまた己の瞳のルーンへと意識を集中させる。
「そんじゃ、急ぐとしようじゃねェか―――R!」
「さて、どう出るか―――H!」
その言葉と共に、二人の身体は一気に加速し、彼方にある海岸への距離を縮めていったのだった。
* * * * *
隊員に案内されて緋織たちが向かった場所は、拠点として使っている仮設テントだった。
周辺の建物を借り受けても良かったのだが、その場合は危険が及んだ場合に逃げ遅れてしまう事がある。
常に靴を履いていて、更にすぐにでも外に出られる場所。
寒さをしのぎ切れてはいないが、これからの戦いを鑑みれば非常に都合の良い道具であった。
「ここに、その人が?」
「ええ……」
若干困ったように眉根を寄せる隊員。
確かに、これから大きな戦いがあると言うのに、予想外の事態が起こってしまっては不安だろう―――そう考え、緋織は小さく頷く。ここは自分に任せるように、と。
そんな彼女の様子に、隊員は僅かながらに安心したような表情を見せた。
それに満足しつつ、緋織は―――結局ついてきた美汐と共に―――テントの中へと足を踏み入れた。
―――瞬間、声が響く。
「だから、ニーズホッグとか言うドラゴンを見に来ただけだってば!」
「ドラゴンじゃなくて刻印獣な。つーか、そんなモンをわざわざ見るために危険地帯までやって来るってのはどういう事なんだって聞いてるんだよ」
「だって、ここに来ないと見れないじゃない」
簡易のテーブルに着いているのは、ムスペルヘイムの副隊長である新森。
そして、緋織たちの方へ背を向けるような形で座っている、茶髪の少女だった。
会話の内容から少女の目的を察しながらも、緋織は思わず眉根を寄せる。
あの禍々しい魔物にわざわざ会いに来ると言うその精神が理解できなかったのだ。
頬杖を突き、疲れた様子で嘆息していた新森は、入り口から入って来た緋織の姿に安堵したように息を吐く。
否―――それは間違いなく、安堵していたのだろう。厄介な手合いを押し付ける事が出来て。
かつて涼二の部下をやっていた時代からの同僚である彼のその考えに気付き、緋織はぴくりと頬を引き攣らせる。
が、何とかその感情を抑え、緋織は声を上げた。
「副隊長、状況は?」
「ああ、隊長。まあ、見ての通りって所ですよ」
緋織にとって彼は、普段は気やすい相手であり、涼二がいた頃からも親交があったため、何かあった時には相談に乗って貰っている相手だ。
そんな彼に敬語を使われる事は、相変わらず慣れないと、緋織は小さく苦笑しながら机の方へと接近する。
と―――新森の言葉にようやく気付いたのか、座っていた少女が緋織の方へと振り返った。
赤茶色の髪に、こげ茶の瞳。くりくりとした大きな瞳は、童顔の面差しを造り上げている。
美しいや綺麗とも違う、可愛いと言う表現が似合う造作。
そんな彼女の表情は、緋織の姿を見た瞬間に驚愕へと変化していた。
「あ……隊長って、あのムスペルヘイムの隊長さん!?」
「え、ええ。その通りですが……こほん。貴方は外から入って来たという報告を受けていますが、道路は封鎖されていた筈です」
「でも、山の中は特に警備とかなかったけど」
「……つまり、忍び込む意思があって忍び込んだと言う訳ですね」
その言葉に、少女―――桜花はぎくりと身を震わせた。
そんな分かり易い様子に、緋織は深々と嘆息を零す。
「はぁ……何故、そのような事を?」
「いや、だからニーズホッグが見てみたかったからなんだけど」
桜花の話を聞きながら、緋織はじっと彼女の瞳を見つめる。
決して揺れる事のないこげ茶の瞳。一部の動揺も見せないそれは、確かに真実を語っているように感じさせるものだった。
しかしながら、それは少々信じがたい言葉でもある。
「失礼ですが……私達には、あの凶悪な魔獣を見たがる理由が分からないのですが?」
「そりゃ、カッコいいから見たいんだけど……それにあたし、爬虫類好きだから……って、あ! ここ敬語使った方が良かった!? ごめんなさい、さっきから!」
「い、いえ。それは構わないのですが……」
ちらりと、緋織は視線を横へとずらす。
そこに座っていた新森は、どこか疲れた様子で肩を竦めていた。
そして、それと共に緋織は理解する。先ほど、どうしてここまで新森が辟易した様子を見せていたのかを。
とどのつまりが、彼女の独特のペースに巻き込まれてしまっていたのだ。
(って言うか、爬虫類が好きだからって……)
その為にわざわざ封鎖された地域の中に足を踏み入れ、更に山の中まで通って封鎖線を潜り抜け、こんな危険地帯まで来たと言うのか。
とてもでは無いが、信じられない行動力だ―――と、目の前の相手に気付かれぬよう、緋織は小さく嘆息する。
そんな緋織の様子には気付かず、桜花はふと視線を若干ずらしながら声を上げた。
「ところで、えっと……貴女が磨戸緋織さんでいいんだよね?」
「ええ、不肖ながら、ムスペルヘイムの隊長を務めさせて頂いています」
「で、そっちの人が大神美汐さん、だっけ?」
「あら? 私の事も知ってるんですか?」
突然な前を呼ばれ、後ろで成り行きを見守っていた美汐がきょとんと首を傾げる。
緋織と美汐、二人の否定の無い様子に、桜花は楽しそうな様子でぱちんと手を叩きつつ歓声を上げた。
「やっぱり! この間テレビで見た通りだ!」
「あー! あの時のオペラの映像、見てくれたんですね。嬉しい!」
「いえいえ、こっちも感動しちゃいましたー!」
テンションの高いガールズトーク―――と言っていいのかは微妙な内容ではあったが―――を繰り広げる二人に、緋織は半ば嘆息を交えて頭を抱える。
美汐がすっかりと乗せられてしまったのだ。
戦いにおいてもそうだが、独特のペースを持つ者の相手はやりづらい、と緋織は胸中で呻き声を上げる。
どうにした所で、もうすぐ戦闘が始まるのだ。あまり気を抜いてばかりもいられないと、彼女は二人へ向けて声を上げようとした。
「それに二人の事は涼二から聞いてたから。二人とも凄く綺麗で優秀だって。あいつ、あたしの事なんかほとんど褒めた事無いくせに―――」
―――そんな、桜花の言葉を聞くまでは。
彼女の言葉に、呆然とした様子で美汐は声を上げる。
「……今、何て?」
「え? 二人とも凄く綺麗で優秀―――」
「そこじゃない! その前だ!」
「落ち着け隊長殿」
横から挟まった新森の言葉に、緋織ははっと目を見開き、動きを止める。
だが、動揺を滲ませていたのは決して彼女一人だけではなかった。
彼女を諌めた新森自身も身を硬くしていたし、周囲の隊員達も作業の手を止めて桜花の方へと注目している。
その表情は、一様に驚愕だった。そんな視線に晒され、桜花は戸惑いながら身じろぎする。
対し、緋織は大きく深呼吸を行い―――ゆっくりと己を沈めてから、声を上げた。
「貴女は、先任……前隊長、氷室涼二とお知り合いなのですか?」
「え、う、うん。そうだけど」
「彼は、今何処に―――」
緋織が尋ねようとした、その瞬間―――周囲に、暴虐的なプラーナの気配が満ちた。
「―――ッ!?」
「これは……ッ!」
「隊長!」
テントの外から声が上がり、中へと羽衣が走り込んでくる。
彼女の表情の中には、若干の焦りと、大きな緊張が浮かんでいた。
そんな彼女の言葉が、敵の来訪を告げる。
「反応接近! ニーズホッグ、来ます!」
崩壊の足音は、最早すぐそこまで迫ってきていた―――