04-6:桜花を追って
資格試験の為、20日過ぎ辺りまでお休みします
機械的な線の走る視界の中、涼二はバイクに乗って広い道を疾走する。
追走する双雅の気配を感じながら、ヘルメットの下にバイザーを装着した涼二は、備え付けられたマイクへと向かって話しかけていた。
その通信が繋がっている先は、いつもと変わらぬ彼女の元だ。
「……ってな訳で、あのバカを捕まえに行ってくる」
『了解……一応前にちょっと話には聞いてたけど、本当にそこまで行動力ある人だったんだ、涼二の友達って』
「ああ……いや、別にそれが悪いと言うんじゃないんだがな」
普段で言うならば、人を引っ張ってゆく事の出来るその行動力は、美点として誇る事の出来るものだ。
しかしながら、今この状況ではそれも厄介と言わざるを得ない。
そんな事を考え、涼二は小さく嘆息を漏らしていた。
尤も、彼女の事を知っている二人がそれを警戒しておくべきだったのもまた事実ではあるのだが。
「とにかく、お前の方であいつを追ってくれないか?」
『うん、それは了解だけど……涼二が辿り着く前に彼女がユグドラシルと接触しちゃってたらどうするの?』
「そん時は……まあ、隙を見て連れ出すさ。しばらくすりゃ、ニーズホッグとの戦闘が始まる。流石に、その状況で部外者のことなんぞ気にしてる暇は無いだろうからな」
ユグドラシルが―――主にムスペルヘイムがニーズホッグの進路上に展開している事はほぼ間違い無い。
けれど、いかな最強の実働部隊とはいえ、あの黒龍を相手に楽な戦闘が出来るとは到底思えない。
彼らの実力をよく知る涼二だからこそ、それを確信する事が出来た。
故に―――
『……涼二、分かってると思うけど―――』
「ああ……手は貸さないさ。気になる事は否定しないが、本末転倒になっちまったら意味が無いからな。桜花を回収して、とっとと離脱するさ」
『うん、お願いだよ……って、ん? どうしたの?』
「ん……?」
ふと、スピーカーの向こうのスリスの声が途切れる。
前方への注意を外さぬようにしながら、涼二はその向こうで交わされていると思われる会話へと耳を澄ませていた。
けれどその音は遠く、さらにバイクの走行音で塗り潰されてしまい、鋭い涼二の聴覚でも聞き取る事はできない。
が―――あまり、悩む必要は存在していなかった。
『聞こえますか、涼二さん』
「鉄森? どうしてお前が出る?」
聞こえてきたのは、鉄森シアの声。
それに涼二は思わず首を傾げ、眉根を寄せていた。
今までも何度か彼女の前でスリスと通信を行ってきたのだが、このように彼女が割り込んでくる事は今までに一度も無かったのだ。
その異変に疑問符を浮かべた涼二が問いかけた言葉に、シアはどこか硬さを交えた声で返答した。
『これはわたくしからの正式な依頼です。状況を見て、大神美汐に命の危険が及んだ場合、彼女達に助勢してください』
「何……?」
そんな彼女の言葉に、涼二は思わず眉根を寄せる。
とてもではないが、正気の言葉とは思えなかったのだ。
今まで苦労して隠してきた正体を、そんな事で晒してしまうのはいかがなものか、と―――しかし同時に、涼二にはもう一つ気になる事があった。
「鉄森……お前、美汐と何か関係でもあるのか?」
『……いいえ、わたくし自身には、彼女との深い繋がりなどありません』
「だが、お前の目的には美汐が関わってくると言う事だな?」
『と言うより、彼女そのものがわたくしの目的と言いましょうか』
今まで隠していた事柄。しかしそれにこだわるような様子は見せず、シアはそう口にする。
そこに含まれている覚悟、そして冷たい感情―――殺意にも似たそれに、涼二は小さく目を細める。
それはある種、彼女にとっての誇りなのだろう。
『わたくしは、彼女をユグドラシルのトップに置きたい。そして、大神槍悟には英雄としての死を与えたい』
「……それは」
『酷い女でしょう、軽蔑しましたか? わたくしは、貴方達に『死ね』と言っているようなものでしたからね』
英雄が英雄として死ぬには、それ相応の何かを道連れにする必要がある。
シアは、その“何か”の役を涼二にやらせるつもりだったのだろう。
だが―――今回、ここにニーズホッグという存在が現れた。
これは、彼女にとっては僥倖と言える事なのだ。
『これ以上、彼に台頭して貰う訳には行かないのです。彼のやり方は苛烈で、同時に何処までも正しいもの。その清冽さは、これからの時代には必要ないのです』
「だから討つと? 俺の言えた義理ではないが、随分と傲慢な物言いだな」
『自覚はしています。けれど、これは純然たる事実です』
その言葉に、涼二は思わず苦笑を浮かべていた。
それは呆れたからではなく、彼女の言葉に納得してしまっていたからだ。
大神槍悟のやり方は、彼女の言う通り非常に苛烈だ。
いかなる方法を以ってでも道を強制的に修正し、己の目指す理想へと突き進んでゆく。
それは弱者を守る事を目的としておらず、そんな一部を切り捨ててでも多くを救おうとするやり方。
『―――彼のやり方は、確かにあの混迷した時代を切り抜けるために必要なものでした。けれど、今は違う』
「完全とは言わないが、国内は安定してきている。故に、あの男のやり方は、最早犠牲を増やす結果にしかならないと言う事か」
『貴方自身が、そうであったように』
シアの言葉に、涼二はギシリと牙を剥き出しにする。
例え言葉の上だけだったとしても、その怒りと憎しみは止む事が無い。
大神槍悟の導く世界は、確かに住みよいものとなるだろう。
しかしそれは、全てが彼に隷属しているに等しいもの―――そして、それを涼二は許す事が出来ない。
故に―――利害は一致した。
「……美汐ならば、協力して歩むと言う道を選ぶ」
『人に好かれる事それ自体が能力である彼女ならば、多くの仲間と共に歩む事が出来るでしょう。故に、大神槍悟にはここで退場していただきたいと思うのです』
「これ以上あの男のやり方に染まれば、取り返しのつかない事になると?」
『ええ……もう少し時間を置いてから伝えるつもりでしたが、この状況では仕方ありません』
誰もこのような状況は予測できなかったのだから、仕方ないと言えば仕方ないのだが。
小さく苦笑しながらも、涼二は頷く。
依頼と言うのならば、異論は無いと―――彼としても、美汐を次なる国のトップとして君臨させるつもりだったのだから。
それこそが彼の思い描く、全ての終わった世界の図だったのだから。
「……まあ、了解した。依頼を受けよう。とりあえず、もう一度スリスと変わってくれ」
『ええ、分かりましたわ……頼みましたよ』
「おう、分かってるさ」
小さな声と共に、シアの言葉は途切れた。
そしてスピーカーの先から気配が離れ、そして元の声が戻ってくる。
小さく嘆息した音を交え、スリスは声を上げた。
『全く……受けちゃうんだねぇ、涼二は』
「まあ、な。俺の願いに近いものだ……それを否定は出来ないさ」
それが例え、己の滅びに直結するはずのものだったとしても。
元より刺し違える覚悟であった涼二にとってシアの言葉は、己の果てた後を保証してくれる存在がいる事に安堵を覚えるものであった。
「とりあえず、そっちはどうする?」
『んー……そうだね。参戦する可能性があるなら、バックアップできる所にいたいんだけど』
「だな……ならどうする?」
『おっちゃんと雨音ちゃんに向かって貰うよ。おっちゃんなら戦力になるし、雨音ちゃんがいれば怪我の心配も無くなる』
「了解した。お前は残るって事は―――」
『うん、しっかりナビゲートする。だから、頑張って』
「……ああ」
小さく微笑み、涼二は頷く。
そしてそれと共に、スリスとの通信は終了した。
涼二の装着するバイザーにはまだ彼女からの情報―――桜花の現在位置は届いていないが、それも時間の問題だろう。
と―――
『おう涼二、話は終わったかァ?』
「ああ、とりあえず、もうじき地図が表示されるだろうよ」
『ソイツは重畳。しっかし、このバイザー便利だなァ、オイ。俺も一つ欲しいんだが』
「別にやってもいいぞ。持ってるのはこの二つだけじゃないしな」
スピーカーから響いた声に、涼二は苦笑を漏らす。
涼二は、所有しているバイザーの一つを双雅に渡していたのだ。
ヘルメットに下に着けていれば外から気づかれる事はなく、さらにバイクの走行音の中でも会話をする事が可能。
更に必要な情報は画面に表示される為、今この状況では非常に都合が良かったのだ。
『んで? どんなモンなんだ?』
「あ? 何がだよ?」
『助けるんだろォ? けどよ、そうしちまえば、もう後戻りは出来ないんだぜ?』
いつも通りの軽薄な様子の中―――けれど付き合いの長い涼二は、それが心から案じて発せられた言葉である事を知っていた。
故に、涼二は僅かながらに笑う。
双雅のその心に、感謝の念を抱きながら。
「もうとっくに、後戻りはできない位置に来てるさ……お前の事だ、気付いてるんだろ?」
『……ああ、まァな』
「そういう事だよ。意味のある戦いにしたいんだ、俺は」
『そォかい。んじゃ、まァとことんまで付き合ってやるさ』
呆れたような嘆息に、どこか諦観のようなものを混ぜ、双雅はそう口にする。
そして彼に認められた事に、涼二はどこか苦笑のような笑みを浮かべていた。
「……さて、もうすぐ飛ばせるルートを示してくれるぞ」
『応よ、さっさと行くとするかァ』
どこか誤魔化すように、二人は笑い―――遠く離れた地への道を、突き進んで行った。
* * * * *
「……アンタ達に協力するとは言ったけどさ。まさか、足として使われるとは思わなかったわ」
「世話をかけるな、スヴィティ君」
「いや、それは別にいいんだけど……」
後部座席に雨音とガルムを乗せ、スヴィティ・リュングはカーナビに表示されている道を進んでゆく。
運転している彼女には驚いた事に、それが渋滞や信号に掴まるような事はほとんどなく、三人を乗せた車はまるで高速道路を走るかのようにすいすいと進んで行っていた。
遠距離からあっさりとカーナビを乗っ取っている事、そしてこの止まる事の無い車に戦々恐々としながら、スヴィティはガルムへと向けて話しかける。
「話聞く限り、アンタが一人で言った方が速いんじゃないの?」
「ふむ。それは確かにその通りなのだがな」
そんな彼女の言葉に、ガルムは小さく苦笑を浮かべた。
加速のルーンであるRを持つ神話級ルーン能力者。
そんな彼の持つ速さは、いかに高いスピードを持つスヴィティのスポーツカーでも、決して追いつく事は不可能だ。
さらに身体強化のルーンであるTまで所有しているガルムは、基本的に疲れ知らずである。
彼の持つ力ならば、一人で行けばあっという間に目的地に着く事も可能だろう。
しかしながら、今回はそれをする訳にはいかなかったのだ。
「今回の敵は、計り知れないほどに強大だ。僅かな油断で、腕を引き千切られるとも限らぬのだ」
「私なら、それを癒してあげる事も可能かもしれませんから」
そんな雨音の言葉に、スヴィティは口元を引き攣らせる。
信じがたい回復能力―――彼女は、雨音が始祖ルーン保持者である事を知っていた。
しかしながら、身近に始祖ルーンを持つ者がいたスヴィティも、その力を完全に把握している訳では無い。
それ故に、雨音に力は彼女にとって驚愕に値するものだったのだ。
そして、それと同時に―――
「アンタ達がそこまでしなきゃならないようなニーズホッグって、一体どんなバケモノなのよ……?」
そんな疑問が、彼女の脳裏に浮かんでいた。
神話級は、ただそれだけで常識を覆してしまうほどの力を持った存在である。
そんなモノが束になってかからなければならないような刻印獣……それが、一体どのような存在なのか、と。
―――そしてそれに対する答えは、意外な所から返ってきた。
『教えてあげようかー?』
「ッ……!? あ、アンタ、どっから話しかけてくるのよ!?」
『え? カーナビだけど』
「いや、音声を再生する機能はあるけど、通信機能なんて無かったような……」
『神話級は常識外れである』と先ほど認識したばかりだったスヴィティは、再び驚いてしまった事に深々と嘆息していた。
が、そんな彼女の様子は気にせずに、その声―――スリスは声を上げる。
『ニーズホッグは、始祖ルーンを持つ最強の刻印獣。持っているルーンはOとHとU。
知能は低いものの、その習性と性質のおかげで非常に厄介な存在だった―――って、記録にはあるね』
「ふむ、その話は聞いていないな。新しい情報か?」
『うん、能力の詳細な情報っぽいね……ホント、厄介だよコイツ』
辟易したような声で、スリスはそう告げる。
そんな彼女の言葉に目を細め、ガルムは続けて声を上げた。
「習性と性質、だったか。それは?」
『人を襲って喰らう習性があるって言ったよね? あれ、喰らった人間のプラーナを吸収してるみたいなんだ』
「プラーナを、吸収……」
小さく、雨音が声を上げる。
その力は、彼女にとって忌むべきものであったからだ。
雨音の反応が見えているのか、スリスは若干言葉を詰まらせた後、それでも説明せねばならないと声を上げた。
『何故プラーナを溜め込もうとするのかは分からない。けれど、それがニーズホッグの習性なんだ。
そして、数え切れないほどの人間を食らってきたその力は、最早無尽蔵と言うべきレベルまで高まっている』
「ふむ……成程、強力な訳だ」
「理由も無いのに人を喰らって……?」
『うん、だから、雨音ちゃんとは違うよ』
実際の所、雨音も理由があってあの力を行使していた訳ではないが、操られていた以上あれは雨音の意志ではない。
スリスは言外にそう告げながら、車内の者たちへと続ける。
その言葉の中に、若干の硬さを交えて。
『けど、そのプラーナ量ならあの理不尽な力だって納得が行く。Oの始祖ルーンによって展開される領域は、プラーナの空気伝導率を著しく下げてしまう効果があるんだ』
「……能力の減衰領域って事?」
『お、さすが科学者、頭いいね』
茶化しているわけではないのだが、スリスのその物言いにスヴィティは若干眉根を寄せる。
しかし特に何か言う事もなく、スリスに先を促した。
『その力は、ニーズホッグ本体に近づくほど強力になってゆく。正直、ボク程度の能力強度じゃ、触れる前に消滅する可能性もあるよ』
「ちょっと待ちなさい、アンタ仮にも神話級でしょ!?」
『僕は攻撃系能力として使えるのはHしか持ってないからね。単品じゃ届かないよ』
しかし、それでも巨大な雷を呼び出す事ができるほどの能力者である。
若干の眩暈を感じ、スヴィティは深々と溜め息を吐き出していた。
最早次元が違うのだ、と。今現在己がいる状況の異常さを、彼女はようやく自覚していた。
『とにかく、その力ゆえに最強と呼ばれてるんだ。HもUもかなり強度が高いしね』
「……それ、どうやって勝つのよ?」
『少なくとも大神槍悟は勝ったらしいけどね。まあ、かつてよりも大量のプラーナ喰らって強大化してるんだろうけど』
「ああもう……!」
悪態を吐きながら、スヴィティは前方へのみ意識を集中させる事を決意する。
そんな彼女の意識の中にあったのは、先行してその戦場へと向かって言った、双雅の事に埋め尽くされていたのだった。