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Frosty Rain  作者: Allen
第四話:ニーズホッグの襲来
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04-4:黒き龍の情報










 己よりも背の高い本棚の間を、緋織ひおりはゆっくりと歩き抜けてゆく。

そこに保管されているのは、ユグドラシル創設以来記録されてきた様々な情報である。

しかしながら、現状ではこれらの記録が使われる事は殆ど無い。

それはこの中央情報室ミーミルが使われていないという事ではなく―――



「……本当に、ゆうは凄いよ」



 僅かながらに、緋織はプライベートな口調でそう呟く。

その言葉の中には、心からの実感が込められていた。

この視界を覆い尽くすほどの情報の山―――これらは全て、詩樹うたぎ悠の脳内に保管されているのだ。


 アンサズの始祖ルーン。

彼の持つルーンは、アンサズナウシズフェオ

その類稀な情報処理能力によって、悠は完全記憶能力を得ているのだ。

それこそが、彼の力である《口伝詩人シグルドリーヴァ》。この膨大な情報は全てルーンの力によって記憶されており、彼に問えばいかなる情報でも瞬時に答えが返ってくる。

無論、全ての情報請求を彼が担当する事は不可能であるからこそ、このミーミルが一つの職場として成り立っているのだが。


 緋織はそんな事を脳裏に浮かべつつ、ゆっくりとその道を進んでゆく。

目指す先は、先日も来た事のある場所。ただし今回はムスペルヘイムの《災いの枝レーヴァテイン》ではなく、詩樹悠の友人である磨戸するど緋織のつもりであった。

そのため彼女の足取りは非常に軽く、以前とは違った様子であの日のテーブルが置いてあった場所へと向かってゆく。

そこには、既に三人の人影があった。

その場所の主、詩樹悠は、緋織の姿を認めると嬉しそうに表情を綻ばせる。



「やあ、緋織。待っていたよ」

「悠……それに、美汐みしおれいも」

「はー、やっと緋織ちゃんがいつも通りの口調で喋ってくれたよ」

「それは、私にだって立場と言うものが……」



 悠と対角線上に座っていたのはユグドラシル次期総帥、《光輝なる英雄譚ヴォルスング・サガ》こと大神おおがみ美汐。

そして悠の傍らに立ちながらティーセットを用意していたのはミーミル室長補佐、《植物園アウレア・ポーマ》こと伊藤いとう怜だった。

緋織は美汐の発した言葉に眉根を寄せつつ、クスクスと笑う怜の方へと一度睨みを利かせ、それから悠の正面の席へと腰掛けた。

そんな彼女達の様子に、悠は小さく笑みを浮かべる。



「あんまり無茶を言っちゃ駄目だよ、美汐。緋織は融通が利かない……もとい、生真面目なんだから」

「ちょっと、悠!」

「はい、緋織ちゃん」



 からかう悠に食って掛かろうとするものの、目の前に差し出された紅茶に、緋織は勢いを失った。

見上げれば、怜は温和そうな笑みを浮かべたまま緋織の事を見つめている。

そんな彼女の様子に毒気を抜かれ―――怒りのタイミングを外されたとも言うが―――緋織は静々と引き下がり、紅茶に手を伸ばした。

怜の淹れるアップルティーは、若干ささくれ立った彼女の精神をゆっくりと落ち着けていった。



「さて、と。それじゃ、話をして行こうか、二人とも」



 テーブルの中心にはお茶請けのクッキーが置かれ、怜も悠の隣に腰を下ろす。

彼の口調は、先ほどから変わらず穏やかでゆったりとしたもの。

けれど、その言葉の中にある僅かな硬さを、付き合いの長い三人は感じ取っていた。

それに対して僅かに表情を硬くする少女達の様子を感じ取り、悠は小さく笑みを浮かべてから声を上げる。



「まず、現状を確認しておこうか。怜、資料をお願い」

「はい、これだよね」



 悠の言葉に頷き、怜は傍らに置かれていたケースから二枚の書類を取り出す。

そして彼女は、それを前に据わっている二人へと差し出した。

悠に対しては資料が必要ない事など、分かりきっている。



「《黒翼の悪龍》、ニーズホッグ。十四年前にこの地上に現れ、破壊の限りを尽くした刻印獣ルーンクリーチャーだ。

オセルの始祖ルーンを持ち、強力無比な力を操るバケモノだよ。能力の研究が進んでいなかった十四年前当時、コレを倒せたのは奇跡に近いだろうね。

……まあ、それを成し得たのが総帥だと言われれば、それはそれで納得できる事だとは思うけど」

「それは、えっと……お父様だし」

「それで納得してしまうのはどうかと思うのだけれど……」



 笑顔で言った美汐に対し、緋織は小さく嘆息を零す。

実際の所、ユグドラシルの中でも大神槍悟の能力を見た事がある者は殆ど存在しない。

ムスペルヘイムの隊長である緋織すら、その能力行使を目の当たりにした事は一度として無かった。

かつての上官である涼二はそれを見た事があったようだが―――



「まあ、あの人が途方も無いほど強力な能力者だと言うのは今に始まった事じゃないし、それは気にしないでおいた方がいいだろうね。

ともあれ、ニーズホッグは突如として復活を遂げ、アジア圏コロニーを襲撃、これを壊滅させた」

「一体、何処から現れたの? 突然って言ったって、あんな大きなドラゴンだよ?」

「そうね……いくら何でも、あの強大なプラーナを見逃すなんて思えない」



 二人の疑問と疑惑の視線。

けれど悠は、それに対して小さく肩を竦めて見せた。



「分からないんだよ。本当に、何処から現れたのか分からない。まるで、十四年前の日から突然タイムスリップしてきたようにすら感じるよ」

「それは、流石に……」

「あはは、僕だって半分冗談だよ。いくら重力を操る事が出来るとはいえ、時間を跳躍するほどの力を集中させれば、地球自体が危うい。まあとにかく、僕らには説明できない事象だって事だよ」



 悠の知識は、あくまで過去の記録を蓄積したもの。

つまり、記録に無い出来事を把握する事は出来ず、観測されていない出来事を断言する事も叶わない。

彼に出来るのは、蓄積された大量の情報から、相手の動きを予測する事だけだ。

情報を処理する力を持つルーン、アンサズの力。

その最上位たる始祖ルーンの能力は、この図書館じみた大量の書籍すら全て頭に叩き込み、その知識を自在に操るだけの処理速度を見せている。

しかし、その大量の知識からなる予測すら、彼の黒龍には通用しなかった。



「とにかく、アジアコロニーを滅ぼしたニーズホッグは、一直線に日本へと向かってきている」

「……悠君。もしかして、とは思うけど」

「確証は無いし、断言は出来ないけれど……そうだと思うよ、美汐」



 具体的に言葉に出す事は無い。

けれど、それの意味はこの場にいる誰もが理解している事だった。

示す内容はたった一つ―――



「ニーズホッグは、総帥の事を狙っている……それは、否定できないと思うよ」

「確定では無いけれど……そうね、最悪の場合も想定しておかないと」



 ムスペルヘイムのかつての隊長から学んだ事の一つを思い起こし、緋織は小さく息を吐く。

最悪の想定はしておかなければならない。そして、それを起こさないように全力で行動する。

そして、今回における最悪の想定とはたった一つだ。



「お父様に危害が及んではいけない……だから、私達が頑張らないと」

「……美汐、一応言っておきたいのだけど」

「ん、何? どうしたの緋織ちゃん?」

「普通に考えたら、貴方が出る方が有り得ないんだけど」



 半眼で、睨むように緋織は呻く。

ぎくりと肩を跳ねさせる美汐に、緋織は小さく嘆息を零していた。

彼女はある意味、総帥たる大神槍悟以上に重要な立ち位置にあるのだ。

出来ることならば、彼女は出撃しないほうがいい。だが―――



「そうも行かない理由があるんでしょう、悠。それじゃなければ、美汐をわざわざここに呼ぶ理由が無いわ」

「……何気にちょっと酷い事言ってない、緋織ちゃん?」

「あはは……まあこれは記録に残ってたし、予め分かってた事ではあったけどね。オセルの始祖ルーンによる領域展開……思った以上に厄介だよ。怜、お願い」

「うん、コレだよね」



 悠の言葉に従い、怜は再び資料を取り出す。

それは十四年前に記録されたニーズホッグに関する資料。

当時まだ能力に関する研究は進んでおらず、能力ごとの特性に対する理解は浅かったが―――それでも、一つの仮説が立てられていた。

その内容は、たった一つ。ニーズホッグの展開する領域の特性。

それは―――



「能力の伝達の阻害……?」

「プラーナが大気中を伝わりにくくする効果、と言った感じかな」

「身体強化系や物質形成系ならともかく、放出系能力の使い手にとってはかなり厄介な能力ね」

「そうだね。緋織なら能力の半分は問題ないだろうけど……火炎の放出による攻撃は、威力がかなり減衰すると思うよ」

「……悠君、って言う事は、もしかして―――」



 何かを思いついたかのように、美汐はそう声を上げる。

そんな彼女の表情に対し、悠は小さく笑みを浮かべながら頷いて見せた。

そう、それこそが、重要な立場にある美汐が駆り出された最大の理由なのだ。



「そう。君の《光輝なる英雄譚ヴォルスング・サガ》で、ニーズホッグの使う能力領域を上書きするか……最低でも効力を弱められないか、という目論見があるのさ」

「成程、さすが悠君! よく考えてるなぁ」

「まあ、考えるのが僕の仕事だからね」



 照れたように、悠は軽く頬を掻く。

悠の語った内容は、決して確証が持てるものではない。

けれど、数あるという言葉すら生温い、無数の能力資料の中から分析し、彼はそう判断した。

彼の頭の中では、無数の可能性がシミュレーションされ、その中で高い可能性を判別し、それを元に作戦を立てているのだ。

ともあれ、悠は小さく頷くと、怜から再び新たな資料を受け取る。



「作戦としてはこうだ。まず、ニーズホッグとの距離がある内に美汐が《光輝なる英雄譚ヴォルスング・サガ》を展開。

招集した能力者たちの中で、飛行能力を持たない者はその時点で全力を出し切ってもらう」

「長く持たせるべきじゃないの?」

「僕の予想では、美汐の《光輝なる英雄譚ヴォルスング・サガ》も、ニーズホッグの能力を完全に打ち消すまでには至らない。

故に、災害ディザスター級程度では、強化されていたとしても奴にダメージを与えられるかどうかは疑問なんだ」



 その言葉は、無慈悲で淡々としたもの。

それは、ただ純粋に高い可能性を述べているに過ぎないからだ。

悠は頭の中に浮かべた無数の可能性の中から、最も高いものをピックアップする。



「《光輝なる英雄譚ヴォルスング・サガ》の力により、災害ディザスター級でも一時的に神話ファーブラ級に近い性能を得る。

それだけの攻撃に晒されれば、あのバケモノとて無視はできないはずだよ」

「……けれど、上書きは出来ないのでしょう? それでは、美汐の力の方が押し切られる可能性だって……」

「最初の砲撃で倒せれば問題は無いんだろうけど……まあ、そこまで高望みは出来ないね」



 悠は、そう言って小さく苦笑を零す。

多くの情報を知っていても、彼は決してニーズホッグの事を過小評価しない。

相手は、想像を絶するほどの怪物なのだと―――そう判断しているのだ。



「美汐の強化を受けても、恐らくダメージは通らないだろう。その攻撃の目的は、あくまでもニーズホッグの注意を引く事だ。他の能力者は、その砲撃と共に突撃、ニーズホッグの能力領域が出力を上げる前に攻撃を叩き込む」

「初撃が大事って事ね」

「うん。正直、正面から戦闘するのはかなり危険だ。手段も選ばず行きたい所だったけど、そんな手段すら通用しない場合が多くてね」



 ―――例えば、『グレイプニル』。

能力者を拘束し、あらゆる力やプラーナの出力を減衰させる道具。

それさえあれば、確かにニーズホッグの力を抑えられるかもしれない。

その力は、彼の強大な能力者である《悪名高き狼フローズヴィトニル》すら完全に押さえ込んでいたものなのだから。


 けれど、と悠は思う。


 『グレイプニル』はあくまでも人間用に作り出された道具なのだ。

一応ながら刻印獣ルーンクリーチャーの拘束と言う形で使われた事もあるが、その使用法は本分ではない。

通常の獣の領域を遥かに超えた魔獣、あの《黒翼の悪龍》を、高々ベルトごときで封じ込める事が出来るのか。

例えルーンを押さえ込む事が出来たとしても、本来持つその力だけで引き千切られてしまう可能性が高い、と悠はそう判断していた。



「戦闘は回避を優先で。強力無比な重力波だけど、あの攻撃は相手の視界内に入っていなければ問題ない」

「……逆に言うと、視界内だったら何処でも潰されかねないって事?」

「そうだね、それが厄介な所だ。おまけに相手はハガラズの暴風を纏っていて、飛行するのも結構大変だし」

「……本当に厄介ね」



 頬を引き攣らせ、頬杖を突くように頭を抱えながらも、緋織は思わずそう呻き声を上げる。

予備動作は瞳を向ける事だけ。資料によればその攻撃はあまり広い領域に対して放たれる訳ではないようだが、それでも人体一つをペースト状に潰してしまう威力は危険極まりないものだ。

ハガラズ自体もかなりの破壊力を持っているルーンであり、チャンスが無ければ迂闊に近づく事は出来ないだろう。



「最初の一撃で倒す事が出来れば最高だけど、失敗する可能性を考慮しておいた方がいい。地上の人達は一旦下げ、美汐も上空へ行って能力を展開……出来るだけオセルに集中して、相手の領域を塗り潰すようにするんだ」

「それやってると、私動けないと思うんだけど……」

「それなら、うちの隊員に抱えて飛んでもらうようにする?」

「うーん……そうだね、それじゃあお願いしようかな」



 語り合う美汐と緋織。その言葉に、傍らで話を聞いていた怜は小さく苦笑を零していた。

次期総帥たる大神美汐、その存在はムスペルヘイムの隊員と言えど雲の上の存在だろう。

それを抱えて飛ぶなど、畏れ多いにもほどがある。

若干ながらその人物に同情しつつ、怜は美汐へと視線を向けた。



「その状態で、《光輝なる英雄譚ヴォルスング・サガ》を展開できる?」

「……他のルーンに力を回す余裕があるかどうかは分からないけど、出来たらやってみる―――ううん、やるよ。皆の為だもの!」

「うん、流石だね、美汐ちゃん」

「あんまり無茶はしないで欲しいけれどね」



 小さくガッツポーズを作る美汐に怜は笑い、緋織は嘆息する。

かつてから変わらぬやり取り―――しかし、最後にまとめの言葉を発する存在は、今はいない。

僅かな言葉の間にその空虚さを感じ取り、悠は思わず自嘲していた。

考えていても、仕方が無いと。



「最悪の場合、撤退する事になる。けれど、総帥の準備が済むまでは持たせないと駄目だ。何の用意もなく戦いになってしまえば、この密都が戦場になってしまうかもしれないからね」



 そんな言葉に、美汐と緋織は表情を引き締める。

この場所を護る事こそが己の使命であると、そう信じているのだ。

その真っ直ぐな視線に頼もしさを感じつつ、悠は締めくくる言葉を発する。



「それじゃあ、そろそろ行ってもらうよ。正直、時間はかなり押してるんだ。隊員への連絡は移動中にお願い」

「ええ、分かった。後方からの指示、期待してる」

「私達の力、悠君に預けるからね」

「……うん。頑張ってね、二人とも」



 僅かに己の無力を感じ、悠は苦笑する。

けれど、それは本当の無力ではないのだと、他ならぬ彼自身が理解していた。

この戦場こそが、己の誇りなのだと、かつて一人の友人が教えてくれたのだから。


 四人は、小さく微笑みテーブルの中心へと手を伸ばす。

そこに重ねられた手は、僅かに下へと押され―――そして、勢いよく上へと解き放たれた。



「必ず勝つわ」

「負けない、仲間がいるから」

「うん、信じてる。だから二人とも、怪我しちゃだめだよ」

「必ず無事に帰って来る事……僕も、精一杯サポートするよ」



 誓うように語り合い―――そして、四人は己の戦場へと向かっていった。





















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