03-14:エピローグ
次回は11/10より連載します。
「はーい、ここがあんた達に提供する場所だよー」
やる気のない声音で、スリスが後ろに立つ三人に対してそう告げる。
そんな建物の中の様子を見て、スヴィティは感心したように頷いた。
「へぇ……いい場所ね。目に付きづらいのに、交通の便も悪くない」
「おまけに、周囲には監視用の隠しカメラを大量に仕掛けてあるからねー……まあ、全部を制御できるのはボクぐらいだろうけど」
「ハッハー、住めりゃ何処だってかわらねェさ」
そう声を上げたのは双雅だ。
彼は早速部屋の中に入り込むと、四角いテーブルに添うように置かれていたソファに腰掛け、両腕を広げてくつろぐ姿勢を取る。
そんな彼に対し、涼二は半眼を向けつつ嘆息した。
「お前な、いきなりくつろぎ過ぎだ」
「いいだろォがよ。くつろぐ為に貰ったんだ」
「隠れる為でしょ。しかも貰ったんじゃなくて借りただけ」
「あはは……」
後ろから双雅の頭を殴りつけるスヴィティと、彼らの様子に苦笑を浮かべる白貴。
何だかんだで纏まっている様子に安堵しつつ、涼二は周囲へと視線を向ける。
ここは、ニヴルヘイムが使っているアジトの一つである。
旧東京水没街にて彼らが使っていた本拠地とは違い、彼らが一時的に隠れる為に使っていたものだ。
人通りはあまり多くなく、さらに逃げる為の通路も多いと、目に付かないようにしているには最適な場所だったのだ。
流石にあの水没都市とは比べるまでもないが、あの場所は交通の便以下の問題があり、さらにはスリスの能力が無くては生活できないので、こういった密都にある建物を融通した次第である。
現在の所、双雅は指名手配のような状況となっている。
神話級能力者の犯罪者が潜伏していると言う話になれば大衆が混乱する為、流石に世間一般に対して情報が流布されている訳ではないが、それでも司法局などにはすっかり話が通ってしまっている。
「……ったく、あいつ等の前で顔なんか出すからだ、このバカ」
「まァ、ソイツに関しては反省してるぜ。で、桜花の方はどうなってる?」
「一応、路野沢の奴に頼んで秘密裏に保護して貰ってる。あいつの方に捜査の手が回る事は無い」
「そォかい。ンならまァ、一応は安心か」
路野沢の顔を思い浮かべつつ涼二は肩を竦め、それに対して双雅もにやりと笑みを浮かべた。
互いに、自分達の裏にあの存在があった事は既に話してある。
何故話さなかったのか、という事は気になったが、聞いても上手くはぐらかされるだけに終わってしまったのだが。
「……一応、言っておくけど」
「あん?」
と、そこで不満げに眉根を寄せていたスリスが声を上げる。
彼女の顔は返事をした双雅を無視し、一直線に白貴の方へと向けられていた。
スリスのプラーナが若干高まっている事に気付いたのか、白貴もまた彼女の方へと向き直る。
同じく全盲と言う障害を持つ二人―――しかし、スリスの表情にはシンパシーのようなものは存在していなかった。
「涼二の友達である彼はいい。でもボクは、お前の事は認めない」
「おい、スリス?」
「元々、ユグドラシルの人間を許すつもりは無いんだ。裏切ったなんて、そうそう信じられない」
「……信じてくれとは、言いません」
スリスの敵意を感じ取り、白貴は若干声を硬くしつつもそう応える。
それに対しスリスも、態度を軟化させる様子も無く、睨みつけるような視線を向けていた。
が―――そんな彼女の頭を、涼二は嘆息交じりに押さえる。
「わぶっ」
「落ち着け、スリス。少なくとも、コイツは敵としてここにいる訳じゃない。それに、もしも敵対するのであれば、すぐにでも殺せる場所だろう」
「能力は危険だが、俺なら見てから避けられるしなァ」
からからと、双雅は笑う。そんな二人の言葉に、スリスはとりあえず敵意を抑える―――そんな気配は、存在していなかった。
自身の言葉をスリスがまるで聞き入れる気配が無い事に、涼二は思わず目を見開く。
例えどんな事であれ、彼女が涼二の言葉を最終的に違えるような事は無かったと言うのに。
「スリス……?」
「ボクは、認めない……お前なんかが仲間なんて、認めない! お前のせいでボクはこうなったんだぞ!?
お前がそんな風に生まれてこなかったら―――!」
「っ! 貴方は、まさか……」
自身の目を指し示しながら、スリスは絶叫する。
その言葉に涼二は目を見開き、そして白貴もまた思い当たる事があったのか、その表情に驚愕を浮かべていた。
そんな彼の言葉を肯定するように、スリスは尚も続ける。
「そうだよ、お前の目をどうにかする為の研究で、ボクは光を奪われたんだ! ボク以外にも、沢山そんな人間がいたんだぞ!? それなのに、自分は勝手に周囲を把握する方法を身につけて……ボクらの犠牲は一体何だったって言うんだ!?」
「お前……」
その怒りを、憎しみを理不尽と断ずる事までは出来ず、涼二は思わず沈黙する。
涼二も、もしも氷室静奈の死が全くの無意味だったと聞かされたとすれば、冷静でいられる自信は無かったのだ。
そんな彼女の様子に対し、白貴も申し訳無さそうに視線を伏せる。
彼もまた、ユグドラシルの裏側を知る人間だったのだ。
「……謝っても、貴方の気が済むとは思えない」
「当たり前だ……ッ!」
「だから……貴方の光を奪った人物の事を、教えます」
「……え?」
きょとん、とスリスは表情を失う。
その次に彼女の顔に浮かんできたのは、驚愕と期待の表情だった。
今まで知る事の出来なかった本当の仇敵―――ドヴェルクを操っていた存在。
「……彼の名は、豊崎翔平。《豊穣の飛剣》と呼ばれる能力者です。彼はドヴェルクの最高責任者で、母からの依頼を受けて僕の視力を回復させる為の研究を行っていたそうです」
「豊崎、翔平……そいつが、ボクの……!」
「お前とガルムの、だな。貴重な情報を感謝する」
「いえ……僕が原因である事は、確かですから」
「不可抗力だってのに、変な事気にする奴だなァ、おい」
「……お前は気楽過ぎだ」
パタパタと手を振りながら声を上げる双雅に、涼二は嘆息を零す。
けれど、思いがけず手に入れた情報に対し、彼は会心の笑みを浮かべていた。
この事は、スリスやガルムにとって大きな一歩となるのだから。
「まあ、何だ。とりあえず、よろしく頼むぞ、三人とも」
「おう、大船に乗ったつもりでいろよ」
「アンタが偉そうにすんじゃないっての」
再び、スヴィティがポカリと双雅の頭を叩く。
そんな様子を苦笑交じりに眺めつつ、涼二はふと、己の手の下から抜け出したスリスの方へと視線を向けた。
彼女は何も言う事無く、踵を返して部屋の中から出てゆく。
けれど―――同時に、白貴に対する恨み言を吐くような事も無かった。
スリスの内心に気付き、涼二は小さく聞こえないように苦笑する。
そして彼女がドアを閉じ、その姿が見えなくなった所で、そんな表情のまま声を上げた。
「どうやら、とりあえずは認めてくれたみたいだな」
「そう……なんでしょうか?」
「ああ。まあお前自身の事と言うより、お前がここに滞在する事を、って言う感じだったがな」
スリスも、己の心と折り合いをつける事は難しいらしい、と涼二は胸中で苦笑する。
結局彼女は、白貴を無視する事にしたのだろう。
今はそれ以上に重要な事が―――豊崎翔平を調べると言う仕事がある。
彼女とガルムにとっての復讐対象。それは、今目の前にいるいつでも仕留められるような相手よりも、よほど重要な事だったのだ。
「まあ、しばらくはここに隠れているといいさ。何か頼み事があったら、また連絡する……それじゃ、またな、双雅」
「おう、何かあったら呼べよ」
すっかり部屋の主という風情になった双雅に苦笑しつつ、涼二は後ろ手に手を振りながら、ゆっくりとその部屋を後にしたのだった。
* * * * *
ユグドラシルの最上階。
そこに存在している総帥の部屋で、緋織は大神槍悟ではなく、路野沢一樹を前にしていた。
「ふむ、成程……次期総帥殿の護衛には成功したが、その敵は取り逃してしまった、と」
「……はい、申し訳ありません」
「いやいや、謝罪の必要は無いよ、《災いの枝》。君の任務はあくまでも、次期総帥殿の護衛なのだから。むしろ、敵を深追いしなかった事を賞賛しよう。君は、立派に任務を果たしているよ」
ゆったりとした拍手の音が広い部屋に響き渡る。
口に出されているのは賞賛の声―――しかし、緋織にはそれが、どこか嘲っているようにしか聞こえなかった。
それは己の錯覚なのだ、と緋織は自身にそう言い聞かせ、路野沢へと向けて声を上げる。
「相談役、今回現れた敵に関してですが―――」
「ああ、報告書は読んでいるよ。行方不明になっていたTとRの始祖ルーン能力者とは、ね」
「……ご存知なのですか」
その言葉は問いかけと言うより、初めから確信を得て放たれたものであった。
路野沢は最初から、その報告で驚いた様子も、それどころか僅かな動揺すらも見せなかったのだから。
今でも彼はいつもと変わらぬ薄ら笑いを浮かべており、その抑揚の無い喋り方も変えずに声を上げている。
「その質問は肯定しよう、《災いの枝》。私は、この能力者の事を知っているよ」
「では、あの男は一体……?」
「さて……もう十二、三年前の話だがね。彼は、ユグドラシルによって危険視されていた強大な能力者だよ」
「ユグドラシル創設当時の?」
路野沢の言葉に、緋織は目を見開く。
そんな頃では、あの男もまだ幼い子供ではないか、と。
「いやはや、手違いがあって逃げられてしまってね……排除し損ねたが故のツケ、と言う訳だよ」
「そんな幼い頃ならば、排除せずともしっかりとした教育を施せば―――」
「僕が決定した訳ではないのでね。問われた所で、答える言葉は持ち合わせていないね」
「あ……済みません、差し出がましい真似を」
言って、緋織は顔を伏せる。
路野沢の口調には、決して責めるような色がある訳ではない。
彼はいつも通りに淡々と、いつも通りに薄い笑いを浮かべながら話しているだけだ。
それがたまらなく不気味で、緋織はただ静かに口を噤む。
「封じられた力も解き放たれた……まさか、君と次期総帥殿を同時に相手にして逃げおおせるとは。いやはや、想像以上のものだ、《悪名高き狼》の名は伊達ではないらしい」
「……それが、あの男の?」
緋織としては、ムスペルヘイムの面々が無視された事に不満を覚えていたが、取り逃してしまった以上、そう抗議した所で隊全体の恥になるだけの事である。
ならばここは口を挟まず、己だけの恥にしてしまった方が良い―――そう考え、緋織はとりあえず思いついた疑問を口にした。
路野沢は、そんな彼女の内心を知ってか知らずか、変わらぬ表情のまま声を上げる。
「その通り。破滅を生むとされた三つの力の内の一つだよ」
「三つ、ですか」
「そう……《死の女王》、《悪名高き狼》、そして《世界を喰らうもの》―――この名を持つ能力者が、やがて大いなる破滅を生むのだ、とね」
それが一体どのような能力者なのか、それは緋織には分からない。
けれど、その一角―――《悪名高き狼》のみでも、あれだけの苦戦をしたのだ。
それほどの能力者が三人も相手になるとしたら。
(っ……!)
内心の戦慄を抑え、緋織はそっと視線を伏せる。
始祖ルーンを持つ神話級能力者である緋織とて、それに勝利できる自信は無かった。
そんな彼女の様子に、路野沢は僅かに笑みを深くする。
「安心するといい。その一角―――《死の女王》は既に倒れているのだから」
「そう、なのですか?」
「ああ、そうだとも。彼女は既に、総帥殿によって討ち取られているよ、安心したまえ」
その言葉に、緋織は僅かに安堵の息を吐く。
それは普通ならば気付かれぬほどに小さなものであったが、路野沢の浮かべる表情にどこか見透かされた気分になり、緋織は思わず眉根を寄せた。
―――やはり、この人物は苦手だ、と。
「……では、また指令がありましたら」
「ああ、引き留めてしまって済まなかったね。では、ごきげんよう」
やはり何か含みのあるような言い方に緋織は不快感を覚えるが、それでもこの男と顔を合わせ続けるよりはマシだと判断し、すぐさま踵を返した。
一応ながら退室の際には礼をし、けれどもそれを終えてからは一度も振り返る事なく、緋織はすぐさまその部屋から離れて行く。
そんな気配を感じ、路野沢はただただ楽しそうに笑みを浮かべていた。
「いやはや、嫌われたものだ」
「それも当然ではありませんか?」
―――ふと、声が響く。
背後から響いたそれに、しかし路野沢は振り返るような事もせず、ただ口元の笑みを深めた。
その口からは、やはり芝居がかった言葉が発せられる。
「おや……身体に障るのではないかな、《予言の巫女》殿?」
「多少出歩く程度、大した負担にはなりませんから」
路野沢の隣を、ゆっくりと通り抜けるように、その人影は現れる。
白いローブ―――付いているフードを目深に被り、全身を隠すような風情を見せる女性。
無機質なその姿は、僅かに除く鼻先と口元だけが人間である証拠を見せていた。
彼女こそが、路野沢一樹の所有する始祖ルーン能力者、《予言の巫女》である。
彼女は路野沢とはまた違った、抑揚のない無機質な声を彼に向かって上げる。
「貴方は、何も教えてあげないのですね」
「おや、それは心外なお言葉だ。僕は、しっかりと情報を伝えた筈だが?」
「伝えた言葉はごく一部―――事実であっても、真実とは言いがたいものです。彼女の不信感を募らせる事に、何か利点でも?」
どこか責め立てるように、《予言の巫女》はそう口にする。
しかし、それに対して路野沢は小揺るぎもせずに声を上げた。
「問題は無い。彼女は、僕の思う通りに動いてくれているよ」
「……私には、貴方が分からない」
少しだけ視線を逸らすようにし、《予言の巫女》はそう呟く。
その言葉の中には、どこか恐れのようなものが含まれていた。
彼女はその力で、未来に起こる事を予言することが可能だ。
しかし、その力を以ってしても、この路野沢一樹と言う男の思惑を看破する事が出来ない。
それは、《予言の巫女》にとっては何よりの恐怖と呼べるものであった。
「貴方は……一体何なのですか。何の為に、こんな事を―――」
「赦せないからだよ」
たった一言―――けれど、その一言の中に深い憎しみを感じ取り、《予言の巫女》はその身を硬直させる。
しかし路野沢はそんな気配を再び一瞬で消し、普段通りの抑揚の無い声音で続けた。
「赦せない、赦す訳にはいかないのだ。そう、僕は奪われた。故に奪い返す―――それが僕の願いだよ、《予言の巫女》殿」
「貴方は、本当に……」
分からない―――理解が出来ないと言う恐怖に、しかし《予言の巫女》は抗いながら路野沢の前に立つ。
分からない中でも、たった一つだけ分かる事を、口にするために。
「―――終焉の角笛は、遠からず鳴り響く事でしょう」
「……ふむ」
「その戦いが貴方の望みだと言うのなら……私の最後の命脈は、この世界の為に使いましょう」
「それはそれは……ならば期待しているよ、霞之宮の英雄殿」
その、言葉に―――《予言の巫女》は、決別するようにしながら路野沢の元から歩み去った。