03-13:英雄の力
Hの力で空を駆け、涼二は双雅が指し示した方角を目指す。
腕に抱えた白貴は出来るだけ揺らさぬよう心がけ、指定された車を発見した涼二は、ゆっくりと地面に降り立った。
空中で酔ったのか、若干ふらついている白貴を地面に降ろし、涼二は軽く車の窓を叩きながら声をかける。
「おい、アンタ」
『っと……ちょっと驚いたわ』
窓越しにくぐもった声が響き、そこから一人の女性が顔を出した。
青みがかった銀髪と空色の瞳をした女性―――スヴィティは、それと同時にその眼を瞬かせる。
「あら……どちら様?」
「おい、双雅から話を聞いてたんじゃないのか?」
「え? じゃ、アンタが涼二?」
「……ああ、そうだ」
脳裏に双雅の姿を思い浮かべ、涼二は思わず眉根を寄せていた。
涼二が今女性の姿へと変化している事を、双雅は伝えなかったのだろう。
間違いなくわざとであろうそれに嘆息しつつ、涼二は近くに立っていた白貴を引き寄せた。
「大神白貴もここにいる。早目にここを離脱して欲しい」
「成程……確かに、そうみたいね。それで、あの馬鹿は?」
「ああ、あいつなら―――」
涼二がそう呟いた、その刹那。
若干離れた劇場からガラスの砕け散るような音が響き渡った。
咄嗟に振り返れば、涼二の目に空を射抜くように放たれた光条が映る。
空の彼方へと消えて行くそれに、若干の頭痛を感じて彼は嘆息した。
「……多分、あそこだ」
「あー……ったく、あのおバカは」
「あの、早く行った方が……姉さんに気付かれるかもしれないですし」
「っと、そうだったわね。さっさと後ろに乗りなさい」
その言葉に頷き、涼二は車のドアを開けて白貴を中に押し込む。
そして自分も乗り込みつつ、襟元のマイクへと小さく語りかけた。
「ルート上の監視カメラの類、頼んだぞ」
『広くて面倒だなぁ……了解。それじゃ、また後でね』
若干の不満を交えつつも、涼二の言葉を違える事無く、スリスは同意の言葉を発する。
そんな彼女の返事に満足しつつ、涼二は席に座り込んで扉を閉めた。
細かな振動を発するエンジンが動き出すとともに、涼二は一度窓の外へと視線を向ける。
―――彼は、そこに見える光へと、名残惜しそうな表情を浮かべていた。
* * * * *
「クハハハハハハッ!」
「く、ぅ……ッ!」
建物内で神話級同士が争うのは危険であるという認識の下、羽衣たちは窓の外へとそれぞれの能力を使って飛び出していた。
そんな中、二本の剣を交差し、羽衣は突き出されてきた拳の一撃を辛うじて受け止める。
しかしその衝撃を完全に殺すには至らず、彼女は自ら後ろへと飛ぶ事で何とか体勢を持ち直した。
そして舌打ちしつつも、砕け散った剣の代わりに、剣翼の中から二本の剣を選び直す。
Hの力で空を駆けながら、羽衣は飛行能力を持たないはずの相手に苦戦していた。
(何て威力……力の節約なんて、する余裕も無い)
形成した剣で効率よく戦うのが羽衣の戦闘スタイルだが、今回の敵―――《悪名高き狼》上狼塚双雅の一撃は、難無く彼女の剣を砕いてしまう。
全身を獣のような装甲に包まれ、要所要所から飛び出した刃を振るう全身凶器。
それが、ただの能力者の行った事であったならば、ただの愚か者だと断じられるだろう。
羽衣の、そして美汐の刃を受け止めるほどの強度を持つ鎧。それにはそれだけの重量があり、普通ならば歩く事すらままならない物のはずだからだ。
「Tの、始祖ルーンなんて……」
身体強化のルーンたるT。その最上位のルーンを持つからこそ、双雅はその不可能を可能にしていた。
バケモノじみた―――否、本物のバケモノが持つタフネスと、常識外れの攻撃力。
しかし、双雅の持つ力はそれだけではなかった。
「たぁああああああああッ!」
「ぅおっと、あぶねェあぶねェ」
背中に光の翼を展開し、光の尾を引きながら駆け抜けた美汐の剣を、双雅は後方へ跳躍する事で回避する。
その回避距離は、一瞬で数十メートルと言う長さまで達していた。
空中に小さな金属塊を形成した双雅はその上に立ち、鎧の奥でくつくつと笑い声を上げている。
「ほらほら、俺はここにいるぜ? ちゃんと狙えよな」
相も変わらず馬鹿にしたような口調でそう言い放つ彼に対し、羽衣は苛立ちを交えて視線を細める。
が、それでも思考は冷静さを保ち、羽衣は必死に相手の分析を行う。
能力の強度でも、プラーナの量でも圧倒的に劣っている自分は、どのように動けば勝ちを手に入れる事が出来るのか。
才能の不足を努力で補った羽衣だからこそ、この場で冷静さを失う事は無い。
(相手のルーンはTとRとJ……内、TとRは始祖ルーン。一人で二つの始祖ルーンを持ってるなんて、美汐様に並ぶバケモノじゃないの)
胸中で舌打ちしつつも、羽衣は駆ける。
羽衣もまた、Rのルーンを持つ者。能力で劣る相手に届かずとも、反応できないと言う訳ではない。
背中の剣翼に嵐を纏わせ、羽衣は神速と共に双雅へと刃を振り下ろした。
―――その刃に、雷を纏わせて。
「はあああああああッ!」
「やる気満々だねェ」
Rの加速を使用しながら、気の抜けた声を上げつつ双雅は身を躱す。
対し、羽衣は再び小さく舌打ちした。
本来ならば、ここで背中の刃を飛ばし、相手に追撃を当てる所だというのに、それが出来なかったのだ。
例えそれが本気で投げ放たれたものであったとしても、双雅の拳の前には一撃で粉砕されてしまう。
(本当は、私一人で戦うべきなんでしょうけど―――)
巨大な光線を放つ美汐をちらりと視線の端で捉えつつ、羽衣は再び宙を駆ける。
いかな羽衣とて、自分一人で神話級の能力者と渡り合えるなどとは思っていない。
それも、始祖ルーンを二つも持つようなバケモノとは。
護衛としては美汐を下がらせ、自分一人で戦うべきなのであろうが―――
(私一人では、到底無理)
冷静に、羽衣はそう判断する。
あの強大な能力者と相対するには、美汐の力が必要であると、羽衣はただ淡々と事実を認めていたのだ。
が―――そんな羽衣の考えを尻目に、何を思ったか、美汐はその場で動きを止めてしまった。
「羽衣ちゃん、行って!」
「―――っ!?」
その脇を通り過ぎながら、しかし止まろうとしない己自身に驚愕しつつ、羽衣はまっすぐに双雅へと突撃してゆく。
一人では到底敵わない。美汐と共に攻めかからなければあっという間に押し返される。
それは、美汐も分かっている筈だ。
故に、この選択は悪手と言わざるを得ない。その筈なのに―――
(何故私は、止まろうとしていない!?)
それどころか、ますます速度を上げて強大な敵へと向かって行っている。
それは美汐の持つGの力によるものなのか。
それとも、彼女の持つ別の何かがそうさせたのか。
それは羽衣にも分からない。けれど、一つだけ確かな事があった。
「G、D、O―――」
―――美汐が強大な力を発動しようとしている、その事実だけが。
その溢れるようなプラーナに背中を押され、羽衣はただただ空を駆ける。
そんな彼女の耳に、双雅の僅かな声が届いていた。
「へェ、コイツが―――」
その言葉に、羽衣は思わず眉根を寄せる。
その言葉の意味が分からないのだ。これではまるで、この男は美汐の能力を知っているようではないか、と。
そんな疑問を抱きながらも、羽衣は刃を振り上げる。
そして、それと同時―――
「―――《光輝なる英雄譚》!」
美汐の叫びと共に、黄金の輝きが周囲に展開された。
そしてそれと同時に、羽衣はその力の性質を理解する。
Oのルーンは、一定の領域内に特定の効果を発生させるもの。
美汐がその力を使った場合には―――
(―――能力全体の、強化なんて!)
驚愕と高揚を交えつつ、羽衣は刃を振り下ろした。
その剣速は、普段とは比べ物にならぬほどに速く、鋭い。
そして迎撃に突き出された拳と打ち合っても、彼女の剣が砕ける事はなかった。
それは即ち、能力全体が強化された事の証。外部から注ぎ込まれたプラーナによって、羽衣の力は確かにその強度を増していた。
純粋な破壊力では、緋織に遠く及ばない。
細やかな制御力も、涼二に届く事はない。
しかし美汐には、次期総帥と呼ばれるに相応しい能力があったのだ。
王として兵を率い、兵を束ね、誰もが英雄となれる力を分け与える。
それが彼女―――大神美汐の能力だった。
「はぁああああああッ!」
「カハハッ! いいね、面白いぜお前らァ!」
双雅は歓喜の咆哮を上げる。
そんな彼の言葉に対し、砕けることのなくなった剣を振るいながらも、羽衣は眉根を寄せていた。
美汐の能力は、白貴のそれと同様に、通常ではありえないほどに珍しいものだ。
しかし、双雅はそれを見てもまるで動揺する気配が無い。
(肝が据わっているから? いや、そんな理由ではありえない……この男は、最初から美汐様の能力を知っていた!?)
一体何故、という疑念が浮かぶ―――刹那、眼前に突き出されてきた杭に対し、羽衣は戦慄を覚えながらそれを打ち払いつつ飛び退いた。
双雅の肘打ち。彼の肘から生えた杭のような刃が、彼女の頭蓋を貫こうと迫っていたのだ。
「おいおい、よそ見してんじゃねェぞ!」
「ち……ッ! この獣が!」
「カハハハッ! 全くその通りだなァ、オイ!」
獣と呼ばれ、それでもただ愉快そうに双雅は笑う。
その背中に生える刃の翅は、その咆哮と共に鎌首をもたげた。
相手の命を刈り取る、死神の鎌のように。
双雅は腕を交差させ、その鉤爪、肘の杭、背中の鎌の全ての刃を前面に出した構えを取る。
その体勢に、羽衣は相手が何をしようとしているのかを理解した。
そして―――
「羽衣ちゃんッ!」
「ッ……!」
背後から、声。
ちょうど真後ろから響いたそれに、羽衣は戦慄する。
この位置関係―――この場所に押しやられたのだと、彼女は同時に理解していた。
もしも避ければ、美汐に直撃してしまう、と。
「さァ、どうする《戦乙女》さんよ―――ッ!」
「くっ!」
舌打ちし、羽衣は全ての刃を前面に出し、防御の構えを取る。
そしてそれとほぼ同時、双雅は空中に作り上げていた足場を蹴った。
同時、TとRが効果を発揮する。
刃を纏う金属の塊は刹那の内に神速を得て、一瞬と言う間すら置かず、正面から羽衣の剣へと直撃する―――
「―――やらせないッ!」
しかしその前に、立ちはだかった一振りの剣があった。
その刃は炎を纏い、双雅の身体を打ち払う。
そしてそれと同時に放たれた炎が、その身体を容赦なく包みかけるが、彼は瞬時に後退する事によって難を逃れた。
「っとォ……真打登場ってか」
作り出した足場の上に立ち、双雅は鎧の中でシニカルな笑い声と共にそう声を上げる。
対し、現れた少女―――磨戸緋織は、その炎を纏う刃を構えつつ、静かに視線を細めて見せた。
「……予言のイメージとは随分違うけれど、敵である事は間違いなさそうね」
「お姉さまッ!」
「緋織ちゃん、オペラは!?」
「僅かな合間に交代してもらいました……全く、一人で先走って」
「あ……あ、あはは」
美汐の誤魔化すような笑みに、緋織は肩を竦めながら嘆息する。
そして、無造作に刃を横に薙ぎ払った。
同時、甲高い音と共に刃は途中で静止する―――そこに立つ、双雅の右腕に受け止められて。
双雅は小さく笑みを浮かべ、残る左腕で緋織の脇腹を狙った。
「爆ぜろッ!」
刹那、二人の間に発生した火球が強烈な爆発を起こした。
常人なら容易く砕け散るであろうそれを間近に受けながら、しかし両者は全くの無傷て跳び離れる。
緋織は距離を置いた相手の姿を観察し、静かに嘆息を零した。
「成程、確かに強い相手らしい……こんなモノに二人で挑んだ理由は、後で追及させて頂きます」
「ひ、緋織ちゃん……」
「それよりも今は―――」
呟き、緋織は一度剣を消失させる。
しかしその構えは変わらず、踏み込む隙を見せないそれに、双雅は僅かに感嘆の吐息を発した。
そしてその背後には領域の展開を終えた美汐が、さらに緋織の補助をするように、羽衣がその刃を構える。
「K、J、T―――」
放たれるのは、紅に染まるプラーナ。
その莫大なエネルギーを全て炎に変換しながら、緋織の手の中には一振りの長剣が現れる。
先程彼女が持っていた簡素なそれとは違い、柄には細かな装飾が施され、そしてその刀身は紅に染まっていた。
莫大な熱量を誇る炎の剣。ムスペルヘイムの長、実働部隊最強の能力者に許された、その力―――
「―――《災いの枝》」
荒れ狂うプラーナが、熱風となって周囲に吹き荒れる。
その物理的な圧力に、双雅はただただ歓喜の笑みを浮かべていた。
美汐の能力によって後押しされたそれは、最高位の能力者ですら届くかどうかわからないレベルに到達している。
(つっても―――)
小さな呟きと共に、双雅の鎧からは次々と金属の棘が伸び始める。
そしてそれは、音速を遥かに超える加速と共に三人へと向けて放たれた。
羽衣は面食らったように目を見開くが、それよりも一瞬早く、緋織が真紅の刃を振りかぶる。
「はあッ!」
巻き起こった炎をは壁のように展開され、そこに飛びこんだ棘の群れを瞬時に蒸発させた。
金属すらも瞬時に融解、消滅させるその熱量は、正面から受け止める事は不可能である事を示している。
しかしその時には、双雅は緋織を回り込むようにしながら美汐へと接近していた。
目を見開き、美汐は刃を構えようとする―――が、身体強化系や加速系を持たない彼女では、Rの始祖ルーンが放つ速さには到底届かない。
が、そこに割り込む影があった。
「美汐様!」
「退けザコがッ!」
九つの剣を盾にして、羽衣が双雅の突進ルートへと割り込む。
対し、吼えた双雅は、その突き出す拳にすら加速をかけ、神速の一撃を叩き込んだ。
拳は折り重なるように並ぶ剣達を一本、二本と砕け散り、プラーナへと帰って消滅してゆく―――そして、その一撃は剣が残り二本となった所で停止した。
その結果に、羽衣は思わず安堵の吐息を吐き出す。
―――刹那、美汐の悲鳴が響き渡った。
「羽衣ちゃん、危ない!」
「え―――」
羽衣の視界に入ってきたのは、大きく広げられた四本の棒のようなもの。
昆虫の足にも似たそれは、双雅の背中から生えた四つの刃であった。
一箇所だけ関節のように曲がるそれは、さしずめ蟷螂の鎌のような様相をしている。
その刃が勢いよく振り抜かれ―――発生した光の壁が、それを受け止めた。
「み、美汐様!」
「ッ……緋織ちゃん!」
「言われなくとも!」
動きの止まった双雅へと、緋色の刃を振り翳す緋織が駆ける。
彼女はその長剣を相手の背中へと振り下ろそうと、裂帛の気合を込めて刃を振るう。
絶大なる熱量と破壊力を持つ一撃は、防御の始祖ルーンでも持たなければ防ぎ切れないほどに強力なもの。
しかし彼女は、背筋を駆け上った悪寒に従い、反射的に刃を止めて横合いに構えていた。
そしてそれとほぼ同時、彼女の剣に大きな衝撃が走る。
「な―――!?」
彼女の刃に叩きつけられていたのは、双雅の臀部より伸びた尻尾のような連結刃だった。
《災いの枝》に触れて若干融解しかかっているものの、その凶悪な様相は変わらない。
双雅の姿は、正しく全身凶器と呼べるものへと変化していた。
両側を挟まれた彼は、思い切り身体を回転させつつ美汐の障壁を蹴り、三人の傍から離脱する。
獣のような容貌、鉤爪の生えた手、杭の突き出た肘、薄い刃が伸びる翅、大きく広がった四本の大鎌、そして連結刃の尻尾。
最早人とは言いがたいその姿を纏い、双雅はただ愉快そうに声を上げる。
「いいねェ、面白ェぜお前ら。ま、色々と惜しいがな」
「……」
彼のその言葉に、緋織は目を細める。
彼女としても、それは百も承知の事だったのだ。
「確かに強ェ、そこのねーさんに全方位無差別爆撃をやられたら、流石に俺でも躱し切れる自信はねェよ。けど、そいつ等が邪魔で出来ねェんだろ?」
「……貴様の目的は何だ」
「つれないねェ。ちっとは付き合ってくれてもいいだろ、隊長さんよ?」
「無駄話をするつもりは無い」
切っ先を向け、緋織はそう宣言する。
その背後には、相変わらず力を制御し続けながらも戦線に身を投じようとする美汐の姿。
彼女の力は確かに強い。だが、この場では―――
「お前さんの力は、強化なんかされんでも十分過ぎるモンだろ? 皮肉なもんだ、仲間がいるより一人で戦った方が有利だってんだからなァ」
「ッ……緋織ちゃん、私!」
「下がってくださるのは確かに私としても安心できますが―――もう大丈夫です」
不敵な表情で、緋織はそう断言する。
そんな彼女の言葉に、双雅は訝しげに首を傾げ―――それと同時に、周囲に満ちた気配に顔を上げた。
いつの間にか、地上と空中のそれぞれに幾人もの能力者が現れ、彼の事を取り囲んでいたのだ。
彼らはただの能力者ではない。全て緋織の部下であり、最強の能力者集団―――
「三対一では、貴様の方が有利だろう。けれど、我等ムスペルヘイムから逃げられるなどと、ゆめゆめ思わない事だ」
「……」
全方位から攻撃の意思を向けられている感覚に、双雅は動きを止めながら沈黙する。
―――否。彼の身体は、小さく小刻みに揺れていた。
しかしそれは、恐怖や怒りといったものでは無い。
それは、正しく―――
「く、か……カハハハハハハハッハハハアアッ! ああ、いいねいいぜ、テメェはやっぱり面白い! 流石、涼二が絶賛するだけの事はあるわ!」
「な……ッ!?」
大いなる愉悦を、その表に浮かべる。
そんな彼の発した言葉に、緋織は思わず言葉を失っていた。
否、彼女だけではない。
「涼二……?」
「まさか、隊長!?」
以前からムスペルヘイムに所属していた者達。
彼らもまた、その名を聞いて冷静で居続ける事は出来なかったのだ。
そして、双雅は決してその隙を見逃さなかった。
―――その体が、突如として爆ぜる。
「何!?」
吹き飛んだ鎧や刃が、弾丸となって周囲に襲い掛かる。
緋織は咄嗟に炎の壁を発生させてそれを防いだが、一瞬視界が遮られる事によって、双雅を捕らえる機会を失っていた。
彼は装甲をパージすると、瞬時にRのルーンを発動させ、神速で上空へと逃れていたのだ。
「じゃあな、楽しかったぜ」
「ま、待て! 貴様は、何故涼二の事を―――」
鋭く発せられる詰問の声。
しかし、それが最後まで告げられる事はなかった。
双雅はそのルーンの力ですぐさまトップスピードに乗ると、誰にも追いつけない速度でこの場を離脱してしまっていたのだ。
一瞬で見えなくなる姿を見送る他無く、緋織は悔しげに手を握り締める。
と―――そこに、一人の男が肩を竦めながら接近した。
「残念だったな、隊長」
「……新森副隊長。いえ、私達の任務は美汐様の護衛です。それを失敗した訳では無いし、果たすべき任務も残っている」
「そうか……では、我々は元の持ち場に戻る。少々、動揺を鎮めるのには苦労しそうだが……そちらはそちらで、頑張ってくれ」
「……はい」
返事はするものの、心ここにあらずといった様子で、緋織は双雅の去っていった空を見つめている。
そんな彼女の様子を見つめ、美汐もまた、どこか後悔の混じるような表情を浮かべていたのだった。