03-11:解き放たれた枷
廊下を駆け抜け、探索の際に見つけ出した部屋へと駆け込んだ涼二は、双雅たちが入ってくるのを確認してドアを閉めた。
さらに扉を厚い氷で凍て付かせ、内部への侵入を遮断する。
「よし……スリス」
『うん、気付かれてない。一応この部屋に監視カメラは無いし、警備システムのクラッキングを終わらせるよ』
「ああ、逆探知されたら堪らないからな」
『そんな事されるほど、ボクのクラッキングは甘くないけどねー』
そんなスリスの言葉に小さく苦笑し、軽く扉から離れると、涼二は大きく息を吐いてその場に座り込んだ。
白貴を地面に降ろした双雅も、手でパタパタと扇ぎながらその場に座り、口元にいつも通りのシニカルな笑みを浮かべる。
「おー、助かったぜ涼二」
「ああ、あの状態で放っておけるほど付き合いが短いって、訳……じゃ……」
思わずいつも通りに対応しようとし、涼二は硬直する。
凍りついた表情で涼二が双雅の方へと視線を向ければ、そこには心底楽しそうな彼の表情があった。
ひくりと口元を引き攣らせ、曖昧な笑みを浮かべながら、涼二は若干震える声を上げる。
「お、お前……いつから……?」
「いや、勘。まァ、所々癖とか仕草とか、お前らしい所があったし?」
「何でそんなモン見てんだよキメェ」
「ハッハー! 双雅様の直感を舐めんなっての」
双雅は得意げな表情で笑い、そんな彼の様子に対して涼二は深々と嘆息する。
今の涼二の姿は、外見からでは完全に女性のものとなっている。
とてもではないが、普段の涼二の姿とは結びつきもしないはずだ。
それを、ただの直感で気付いてしまうとは―――と、涼二は胸中で愚痴じみた声を漏らした。
そして、その視線を双雅の隣、ゆっくりと身体を起こした白貴へと向けた。
彼はぼんやりと頭を起こし、目の閉じたその顔を涼二の方へと向ける。
「貴方は、やっぱり……氷室涼二さんだったんですね」
「……今更言い逃れは出来ないか」
嘆息を漏らし、涼二は背中を壁に預ける。
彼はユグドラシルの人間であり、出来るならば関わりたくは無かった存在だ。
この姿の事、能力の事―――相手に知られる訳には行かない。
いざとなれば、殺さなくてはならないだろう。
―――が、そんな涼二の気配の変化に気付いたのか、双雅はいつも通りの調子のまま声を上げる。
「おっと、いくら女装が恥ずかしいからって、口封じってのは困るぜェ、涼二」
「女装言うな。こっちにも事情ってモンがあるんだよ。ユグドラシルの人間にこの力の事を知られる訳には行かない」
いずれは見せる事になるだろうが、それまでは隠し続けておくべき力。
切り札となり得るコレは、決して見つかる訳には行かない。
そんな涼二のプラーナの高まりを感じ取ったのか、白貴はびくりと肩を震わせながら声を上げた。
「僕は……誰にも、言いふらすつもりはありません」
「信用できないな」
「本当です。それに、僕は……もう、ユグドラシルに居たくありませんから」
「……何?」
白貴の言葉に、涼二は眉根を寄せる。
面白そうな表情でニヤついている双雅は無視し、涼二は彼に問いかけた。
「どういう事だ? お前は仮にもユグドラシルの―――」
「僕は姉さんの……大神美汐の影でしかない。ここにいる以上、僕は永遠に姉さんの存在に劣等感を抱き続けるしかない。そんなのはもう……嫌なんです」
その言葉に、涼二は思わず目を見開く。
美汐の事を知り、その上で彼女を嫌う事が出来るものなど、涼二は今までに見た事が無かったからだ。
彼の稀有な能力がそれを防いでいるのか―――涼二には分からなかったが、その言葉が本心である事だけは読み取れた。
彼は、この少年は、少なくとも美汐に対して恨みのような感情を抱いている。
「……分かった、今はそれを信じよう」
「……はい」
「で、だ―――」
ほっと安堵の息を吐く白貴を他所に、涼二は双雅の方へと視線を向ける。
相変わらず軽薄な笑みを浮かべている彼へと半眼を向けつつ、涼二は苛立ちの混じった声を上げた。
「お前はこんな所で何してやがったんだ、このバカ」
「ひでェ言い草だな、オイ。素直に俺が劇を見に来たとか考えねェのかよ?」
「劇じゃなくてオペラだし、そもそもお前はそんなモノに興味ないだろうが」
バッサリと切り捨て、涼二は嘆息する。
相も変わらず軽薄な様子の双雅には、そんな態度も全く通用した様子は無かったが。
彼はその笑みを絶やさぬまま、にやりとした笑みと共に声を上げる。
「まあ正直な所を言うと、俺はそこの少年に興味があった訳よ」
「お前が、コイツに?」
涼二は確かに、何故双雅がこの少年を連れてきていたのかが気になっていた。
彼がこの場所に来た理由が、この少年に接触する為。
ならば、彼に対して一体どんな用事があったと言うのか。
あまり自分の都合に他人を巻き込もうとしない双雅が相手だからこそ、その理由を読み取る事が出来ない。
訝しげに視線を細める涼二に、双雅はくつくつと笑いながら手を振った。
「ま、気にすんなっての。迷惑はかけねェよ」
「既に迷惑被ってるがな」
「カカッ、ソイツは確かにそうだわな」
笑う双雅に、涼二は嘆息する。
何も分かっていない―――と、小さく呟いて。
それを聞き取っていたのか、訝しげな表情を浮かべる双雅に対し、涼二は肩を竦めながら声を上げた。
「何遠慮してんだよ、このバカ」
「あん……?」
「俺とお前はダチだろ。一々俺に遠慮してんじゃねーよ。いいから、俺に頼れ」
それは、偽らざる涼二の本心だった。
ユグドラシルと言う戦場で戦っていた涼二にとって、双雅と桜花の二人は日常の象徴。
それ故に、涼二も仕事の内容を二人との付き合いで持ち出す事は無かった。
そしてそれは双雅も理解しており、本当にどうしようもなくなった時にしか涼二を頼るような事は無かったのだ。
けれど―――
「今の俺は、もうお前と同じような状態なんだよ。二足草鞋じゃない、俺はもう非日常の世界に入り切ってる。たまに元の場所に戻って来てるだけだ」
「……お前」
「だから、もう巻き込むだの何だのは気にするな。例えどうなったって、お前を責めるような真似はしない」
そんな言葉に、双雅は目を見開く。
始めてその軽薄な表情を崩していた彼は、やがてくつくつと笑い声を零し始めた。
そんな様子に、涼二は訝しげに眉根を寄せる。
しかし双雅は涼二の表情には気付かず、やがて大きな笑い声を上げ始めた。
「クハッ……はははははははっ、ひー、あー。流石だぜ涼二。そんな格好で言われたら惚れちまいそーだ」
「……冗談になってないからやめろ、気色悪い」
涼二にとっては記憶の中でかなり美化されている存在である、氷室静奈の姿。
それは、彼にとって最も理想的な女性とされていた。
故に、美しいという言葉は真に受けてしまう部分があるのだ。
そんな形で顔を顰める涼二に、双雅は尚も笑い声を上げながら涼二の肩をバシバシと叩き、声を上げる。
「安心しろって、男とよろしくヤル趣味はねェ。見た目が極上でも、中身がお前じゃなァ」
「余計なお世話だっつーの。で、話すのか話さないのか、どっちなんだ?」
「話す話す、ある事ない事語っちまうぜ、オイ」
「無い事は要らん」
肩を叩く双雅の手を払い除け、涼二は小さく嘆息した。
上機嫌な様子になった双雅なら、確かにいらない事まで話し始めかねない。
無いように気をつける事を決意しつつも、涼二は彼の正面に座り直し、聞く体勢を作った。
その中間から少しずれた位置に座る白貴は、二人の様子を見守るように沈黙している。
そして、ある程度時間をかけて笑いを収めた双雅は、一度深呼吸してから口を開いた。
「はー、っと。さて、どっから話すかね」
「とりあえず、そいつを攫おうとした理由は何だ?」
「ああ、そいつね。一応そこのボーズには話したんだが、そいつの能力を使って欲しくてな」
「《古木の魔術師》を?」
彼の話に関しては、涼二もそれなりに詳しく知っていた。
直接話した事は殆ど無いが、彼に関してはいつも美汐に言って聞かされていたのだから。
しかし―――
(そんな溺愛する弟から嫌われていたとはね……大丈夫か、あいつ?)
人前では決して弱さを見せようとしない美汐の姿を想いだし、涼二は小さく肩を竦める。
今は白貴の事を探して右往左往しているのだろう―――が、事が終わって一人きりになれば、盛大に落ち込んでしまうのではないか。
人の上に立つからこそ、常に英雄として在ろうとするからこそ、本当の彼女を知る者は少ない。
気にはなったが、今それを気にする暇は無い。若干の心配をかぶり振って消し、涼二は肩を竦めつつ声を上げた。
「それで何する気だったんだ、お前は。ユグドラシルの重鎮でも暗殺するのか?」
「あー、それはそれで面白そうだけどよ。生憎と、誰かを攻撃するのは目的じゃねェよ」
ちらりと横眼で白貴の様子を見つめ、双雅はそう口にする。
そんな彼の言葉に、涼二は首を傾げていた。
白貴の持つ能力のキャンセルは、あくまでも攻撃の為の能力。
それを向けられれば、涼二でも防御は難しい代物である―――躱す事は難しくないが。
「じゃあどういうつもりだ、双雅。わざわざこんなリスクを冒す必要があるのか?」
「これだよ、これ」
言って、双雅は己の首筋を叩く。
いつも通り、そこに嵌められているのは少々大仰な首輪。
普段とまるで変わらないそれに対し、涼二は思わず眉根を寄せる。
「……それがどうしたって?」
「こいつはな、『グレイプニル』っつー道具なんだよ。面倒臭ェ事に、つけた人間のプラーナや能力を抑え込んじまうっつー代物だ」
「―――ッ!」
双雅の言葉に、涼二は大きく目を見開く。
それは、以前に関わった事件にて中心に存在していたものの名前だ。
装備した者のプラーナとルーンを抑え込み、能力を抑制してしまう拘束具。
「幼い頃にこれをつけられてな。まあ、危険な能力者だって事でユグドラシルに狙われてたんでよ、これをつけて能力を隠す事で逃げおおせた訳なんだが」
「……それを、壊すために?」
「僕の力で壊せるかもしれないから、と。それで……やるんですか?」
「おう、頼むぜ。貫通させないように気を付けてくれよ?」
再び手の中に弓を発生させる白貴と、顎を上げて堂々と待ち受ける双雅。
そんな二人の姿に、涼二は込み上げる笑いをこらえきれずに口元を抑えていた。
そんな彼の様子に、残る二人が首を傾げる。
「おい、何だよ涼二」
「いや、何つーか……色々と予想外で。って言うか……まさかとは思うが、《悪名高き狼》ってのはお前の事か?」
「……ッ!?」
涼二の言葉に、双雅は大きく目を見開く。
その名は、かつてユグドラシルによって危険とされ、処分されそうになっていた強大な能力者の呼び名。
かつて僅かに耳にし、そして最近スリスから伝えられたその名―――しかし、流石の涼二も、その名と双雅を結びつけるような事はしていなかった。
けれど、それならば辻褄は合う、と涼二は胸中で頷く。
そして何より、双雅の浮かべる驚愕の表情が、それを肯定していた。
「お前、何でそれを……!?」
「まあ、前に小耳に挟んでな……だが、納得できた。だからお前は、『グレイプニル』を外そうとしてたって訳か」
「あ、ああ。ま、そーゆーこった。つー訳で、邪魔すんなよ」
「いや、そいつは聞けないな」
「……あん?」
訝しげに、双雅は眉根を寄せる。
そんな彼へと向け、涼二は肩を竦めつつ言い放った。
「それを外すのはいいが、お前が死ぬかもしれないんだったら意味が無い。そんなリスクを背負わせる訳にはいかねーよ」
「悪ィな、涼二。こいつを外す方法はねェんだ。お前、『グレイプニル』の事は知ってるんだろ? こいつを外す方法は、殆ど存在しねェ」
「ああ、知ってるさ。と言うより、基本はたった一つ……元となった力よりも強力なThの能力で上書きする事だろう?」
「そうだ。だから無理なんだよ。コイツは神話級能力者のルーンで作られた。その方法じゃ、コイツを外す事はできねェ」
「たった一つだけの例外を除いて、だろ?」
「ああ。だが、そんなもん当ても無く探すより―――」
そう告げようとした双雅の目の前に、掌が差し出される。
涼二は双雅の言葉を遮るようにしながら、その右目に宿るルーンを輝かせた。
刻まれたルーンはTh―――その青紫の輝きに、双雅は大きく目を見開く。
「お前、それは……!」
「コレは、俺の姉さんのルーンだ。姉さんの持っていた、Thの始祖ルーン」
―――そう、それこそが唯一の例外。
神話級の力を持つルーンを越えた、全てのルーンの頂点に立つもの。
全くもって傑作だ、と涼二は胸中で苦笑する。
涼二にしか外せない道具を、双雅はこの15年近くの間ずっと傍で装備し続けてきていたのだ。
偶然と言うよりも、むしろ何かの作為を感じるこの事態に、涼二と双雅は二人して嘆息を吐き出す。
「まあ、ともあれ……お前の拘束を解いてやるのは構わないと思ってる。けど、これから先は俺達に協力してくれないか?」
「協力? お前、確かに何か色々とやってたみたいだが……何が目的なんだよ?」
「俺達……ニヴルヘイムは、かつてユグドラシルによって何かを奪われたもので構成されている。まあ、例外はいるが。まあ、グループって言うより、それぞれの目的を果たす為に手を貸し合ってるようなもんだ。
お前も狙われてたって言ってたな。まあ、お前が復讐を望むかどうかは知らないが……手伝ってくれるとありがたい」
かつてユグドラシルに危険視されていたほどの能力者―――それは、涼二にとっても喉から手が出るほど欲しい存在だ。
彼としても、それが自分の幼馴染であり、さらに自分の能力でかせを外す事が出来るというのは、一体何の皮肉なのだと言いたい所ではあったが。
ともあれ、そんな涼二の言葉を受けた双雅は、小さく肩を竦めて見せた。
「別に、復讐とかはどうでもいいんだけどな」
「……そうか」
「けどよ」
『グレイプニル』を外す事を交換条件にするつもりまでは無かった為、涼二は双雅の言葉に表情を曇らせる。
が、それに続くように双雅は声を上げた。
―――その顔に、いつも通りのシニカルな笑みを浮かべて。
「ユグドラシルに喧嘩売るなんて、楽しそうじゃねェかよ。何で最初から声掛けねェんだ、お前?」
「……お前な」
「くははっ。ま、とにかくやってやるよ。ただし、細かい指図までは受けねェぞ?」
「ああ、分かってる。頼りにしてるぜ、相棒」
互いに言葉を発し、そして互いに苦笑する。
幼い頃から共に在った、唯一互いに対等であると認める存在。
そうであるが故に、彼らは誰よりも深く互いの事を理解しあっていた。
そんな二人の様子を、どこか羨望のようなものを込めて見守っていた白貴は、次の瞬間ふと顔を上げていた。
「このプラーナ……お二人とも、姉さんが近付いてきてます」
「っと……流石の感知能力って言った所か?」
「それが取り柄ですから。やるなら、急いでください」
「だそうだぜ、涼二。頼んでいいか?」
「ああ」
頷き、涼二は双雅の『グレイプニル』へと手を伸ばす。
長年彼を縛り続けていた枷。それは、同時に彼の命を護り続けてきたものでもあった。
―――けれど、それはもう必要ない。
「Th―――」
その力を塗り潰すように、涼二の力の波動が放たれた―――