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Frosty Rain  作者: Allen
第三話:フェンリルの咆哮
37/81

03-8:開演











 現地に到着し、涼二がまず最初に考えた事は、立ち方に対する注意だった。

女性と男性では、姿勢の時点で既に差がある―――と言うよりも、お前の立ち方は女らしくなさ過ぎる、との注意を受けた為である。

とりあえず、立ち方は雨音、歩き方はシアを真似する事に決めた涼二は、落ち着かない様子で周囲を見渡しながらシアが動き出すのを待つ。



『ぷぷぷ……涼音ちゃん可愛い』

「……後で覚えてろ、スリス」



 髪に隠すようにしながら装着しているインカムより聞こえてきた声に、涼二は若干の殺意を込めてそう呟いていた。

スリスの所有するアダルトゲームの山を氷漬けにしてやろうと密かに決心しつつ、姿勢に気を遣いながら周囲を見渡す。

と―――ふと違和感を覚え、涼二は眉根を寄せた。



「ん……?」



 涼二の視界の中には、かなり沢山の人々がひしめいている。

これが全員ホールの中に入るのかというのは若干疑問ではあったが、今の問題はそこではない。

涼二の目に映っているのは、それとは別の場所―――と言うより、景色全体である。

その中で、少しだけ普通の人々と違う動きをしている存在を複数察知したのだ。



「あれは……」



 あまり動かず、待ち合わせと言った風情で要所要所に立っている人々。

けれど、彼らは時々耳に手を当てるような姿勢を見せていたのだ。

その動きは、涼二にとっても非常に馴染みのあるものである。



「通信用の道具か、能力……フレキじゃないな。警察の姿は無い……となると」



 ムスペルヘイム―――己のかつての所属部隊であり、最強の実働部隊と呼ばれる彼らの事が脳裏に浮かぶ。

視線を細めてみてみれば、何人かはかつて己の部下であった人物を散見する事ができた。

そして、その数が多い事に、涼二は視線を細める。

確かに、今回はユグドラシルの次期総帥、大神美汐がその姿を現す。

その為に厳重な警備を敷いているというのも理解できない話ではないのだが―――



(美汐の傍には、緋織が存在している筈だ。だとしたら、こんな厳重な警備は無駄でしかない……)



 最強の能力者である緋織―――ユグドラシルでもごく一部しか存在しない神話ファーブラ級の能力者が美汐の警護をしている。

本来ならば、それ以上は穴を埋める程度の人員しか必要ないのだ。

だと言うのに、この状況。

眉根を寄せ、涼二は襟に隠した小型マイクへと語りかけた。



「スリス、少し気になる事がある」

『ん? どしたの?』

「ムスペルヘイムの人員が、かなり多めに配置されてる。気になった程度だが、理由を調べておいてくれ」

『ん、了解。可能な限りだけどね』

「ああ、頼む」



 あまり期待しないように、という意志を言外に伝えられつつも、涼二は小さく頷いた。

この状況、ユグドラシルの中枢に足を踏み入れるようなレベルの話でもある。

アクセス出来るかどうかは分からない情報ではあるが、スリスを暇にしておく理由も無い。



「何を立ち止まっていますの?」

「っと……ああ、悪い」

「……」



 涼二の様子に、ガルムは無言で視線を細める。

彼もまた、多くの人員が配置されていると言うこの現状に気づいたようだった。

小さく頷き、涼二は彼に近づいて声を掛ける。



「ガルム、どう思う?」

「順当な所で行けば、大神美汐の護衛と言った所か……しかし、それにしても数が多い」

「そうなんだよな……何かあったと見るべきか?」

「頭の片隅には入れておいた方が良いだろう。親の過保護と言う可能性は?」

「無いだろうな……大神槍悟は、公私混同する男じゃない」



 敵だからこそ過小評価はしない。

涼二は視線を鋭くしつつ、けれど周囲には気付かれないようにその殺気とプラーナの高まりを隠しながら声を上げる。



「何らかの犯罪予告の可能性も考えるべきだ。あってもおかしくはないだろうからな」

「ふむ……だが―――」

「ああ、俺達に累が及ばない限り、手を出す必要は無いだろう。元より、神話ファーブラ級が二人もいるんだ、手を出す余地があるとも思えない」

「確かに」



 そう呟き、ガルムは苦笑交じりに頷く。

周囲に神話ファーブラ級が多いからこそ感覚が麻痺しているが、本来ならかなり強力で貴重な能力者なのだ。

そんな存在が二人―――防ぐ者さえいなければ、この人工島を壊滅させられる規模である。

態々手を出す必要など無い。



(しかし、あるかどうかも分からないような脅威に対して、ここまで戦力を割くか?

けど、事実として人は動いている。有り得る可能性は―――)



 涼二の脳裏に浮かぶのは路野沢の顔、そして……《予言の巫女ヴォルヴァ》の名。

一年以内のあらゆる出来事を予言する神話ファーブラ級能力者。

彼女の力によって、何らかの予言が成されていたとしたら―――



「……警戒は、しておくべきか」



 予言の内容がどのようなものであれ、己が関わってこない限りは干渉しない。

その考えを、涼二は曲げるつもりは無かった。

けれど、そこに路野沢が関わっているのならば、否が応にも関係してきてしまう可能性はある。

そもそも、シアに今回の話を持ってきたのは路野沢である。

この先の状況すらも見越している可能性は十分にあるだろう。



「いや……今は、いいか」



 どの道、路野沢の企んでいる事など、涼二にはその一部とて想像出来ない。

あの男はそれほどまでに深い思慮と、計算高さを持っているのだから。

未だに、ユグドラシルでどうやってあれほどの権力を手に入れたのか理解できず、涼二は溜息交じりの息を吐き出す。

ともあれ―――今ある情報だけでは、想像する事すらも不可能だ。

スリスが情報を探し当てるのを待つか、或いは―――



(実際に何かが起こるまで、って所か)



 決意を新たにしながら、涼二は胸中で呟く。

何も無い事が望ましくはあるが、路野沢が関わっている以上、何らかの思惑が動いていると考えた方が妥当である。

嘲笑じみた表情を浮かべる彼の姿を思い起こし、涼二は顔を顰めていた。

と―――



「はぁ……」



 どこか溜息にも似た息を吐き出す、雨音の声が響いた。

そんな彼女の様子に意識を元に戻し、涼二は首を傾げる。



「雨音、どうかしたか……な?」

「あ、お姉様……いえ、人が沢山いるな、と思いまして」



 普通に話す時には男っぽい口調を避けるという事をギリギリで思い出し、涼二は一瞬口篭りながらもそう告げる。

それに対し、ごくごく自然な様子で雨音は返した。

よもや、本当に女―――と言うより姉だと思っているのではなかろうか、と若干戦慄じみたものを感じながらも、涼二は声を上げる。



「やっぱり、人ごみは苦手という事か」

「はい……こればっかりは、癖になってしまっていますから」



 今や、反転したソウイルによるプラーナの強制吸収も、能力自体の暴走も起こらなくなっているのだが、それでも雨音はまだ慣れる事は出来ていない。

その力に晒された経験を持つ涼二も、あの力に対する恐怖はよく理解している。

無理に慣れろ、と言うつもりはなかった―――無論、慣れた方が良いのは確かなのだが。



「まあ、今は能力が暴走する心配は無い。だから、安心していいんだ」

「……はい、ありがとうございますお姉様」

(あれ? 何かナチュラルにお姉様になってないか?)



 若干頬を赤らめ、嬉しそうに頷く雨音。

涼二はその表情が非常に魅力的であると感じる反面、この先もその呼び名が固定されてしまうのではないかと言う危惧を覚えてしまう。

とはいえ、嬉しそうな表情を見せる雨音に対しては強く出られない涼二であったが。



「―――会長、準備が整いました」

「ええ。それでは、参りましょう」

「護衛は私が引き受けよう。嵐山、君は車を」

「うむ。それでは、しばしの間任せたぞ」



 車の担当である嵐山は、ガルムの言葉に頷いて車を動かしてゆく。

駐車場に向かった彼の事を少しだけ見送り、シアはガルムを控えさせながら劇場の方へと歩き出した。

そしてその背中を追い、涼二も雨音を伴って歩き出す。

―――未だ、スリスからの連絡は無い。



「お姉様、オペラと言うのは……」

「ん? ああ……そうか、雨音は見た事はないか」

「はい、自他共に認める世間知らずですので」



 それを自分で堂々と言うのもどうかとは思うが―――と胸中で苦笑し、涼二は肩を竦める。

まあ、事実である為、それに関してどうこう言うような事は無かったが。

その辺りは気にしないようにしつつ、涼二はかつての日々に思いを馳せながら声を上げる。



「オペラってのは歌劇……簡単に言うと、歌と音楽と演劇を纏めたようなものだ」

「成程、バーゲンセールですね」

「お前はバーゲンセールも分かってないだろう」



 相変わらず理解不能な思考回路ではあるが、涼二も既に慣れ始めている。

あっさりとツッコミを返しつつ、嘆息交じりに声を上げた。



「ミュージカルとも近いが……あっちは劇の側面が強いから。オペラも劇の面が弱いと言う訳じゃないが、歌の方を重視しているイメージがある」



 涼二とて、決して詳しい訳ではない。

緋織や美汐が話すのを聞き流していた程度のものだ。

けれども、彼女達が情熱を持ってそれに取り組んでいた事は十分に理解している。

故に、彼はそれを軽んじるつもりは無かった。



「まあ、原曲の歌詞で行くんだろうし、何を歌ってるかは分からないかもしれないが……雰囲気で楽しめればいいよ」

「成程、分かりました」



 語尾には気をつけつつそう告げ、涼二は軽く息を吐く。

四人は既に劇場の入り口に着き、ガルムが全員分のチケットを提示している所だった。

その様子をぼんやりと眺め―――ふと気配を感じ、涼二はゆっくりと、小さな動作で視線を背後へと向ける。

感じたのは何らかの視線のようなもの。ムスペルヘイムの者達に目をつけられたのかと思ったが、それとは違う。



(何者だ……?)



 ムスペルヘイムの者達に気付かれぬようにするため、プラーナやラグズを使った索敵をする事は出来ない。

しかし、この微弱な気配だけでは、これだけの人々の中からその姿を発見する事は不可能だった。

少々気になるものの、これ以上気配を辿る事は出来ない。

既にその視線すらも感じることは出来ず、すっきりしない気分ながらも涼二は視線を元に戻した。

そんな彼へと向け、雨音は訝しげな表情を浮かべる。



「お姉様、どうかなさいましたか?」

「……いや、何でもない」



 安心させるように笑みを浮かべ、涼二は雨音へとそう告げた。

が、その表情の裏で、静かに意識を研ぎ澄ませて行く。

先ほどから感じる不穏な予感、それが徐々に表面化してゆくように感じ、涼二は小さく息を吐いた。

―――どうにも、きな臭い。



(気をつけておくべき、だな)



 静かに決意し、涼二は目を閉じる。

何事も起こらないに越した事は無いのだが、涼二はそう簡単にはいかない気配をひしひしと感じていた。

ともあれ、彼はそんな鋭い気配をうまく隠しながら、雨音のフォローをしつつ劇場内を進んでゆく。

既に女性の姿である事は完全に失念しており―――しかしながら慎重に警戒するその姿は落ち着きのある女性に近く、結果として仲のいい姉妹にしか見えない状態ではあったが。



「……む」



 天井についている、能力やプラーナに反応する警報装置を発見し、涼二は小さく声を上げていた。

能力を使えば数秒で感知し、起動する最新鋭の警報機。

涼二としては、少々面倒だと言わざるを得ない道具であった。

あれを躱すには、スリス並みの能力の制御力が必要となってしまうだろう。

まあ、彼女が外から機械をストップさせれば済む話ではあるのだが。



(……無駄に戦闘思考になってるな)



 苦笑交じりに己を戒め―――しかしそれでも、かつて戦闘職であった頃の感覚を否定する事は出来ず、涼二は視線を上げつつ声を上げた。



「ガルム、少しいい?」

「む、どうした涼音君?」

「少し辺りの様子を見てきたい。雨音を任せてもいいかな?」

「うむ、了解した」



 涼二の意図を理解したのだろう。

ガルムは納得した様子で頷き、涼二の言葉を肯定する。

何か起こった時の為に、周囲の構造や状況を把握しておく―――スリスからのデータを堂々と受け取れない以上は、自分の感覚で把握するのが確実だ。

雨音はそんな涼二の言葉に若干残念そうな表情を浮かべていたが、ガルムが肯定した以上はそれを否定するつもりも無いのだろう、しっかりと頷いていた。

涼二は最後にシアへと視線を向け、彼女からも了承を貰い、三人に対して軽く手を振る。



「それじゃあ、また後で。座席は―――」

「チケットに書いてあるでしょう? そちらで合流すると良いでしょうね」

「ではお姉様、また後ほど」



 雨音の言葉には若干の苦笑を交えて頷き―――涼二は、ホールへ向かう扉から逸れて周囲をぐるりと回るように歩き出した。

警報装置の位置を確認しつつ、周囲のムスペルヘイムの人員たちに気付かれないようにゆっくりと。

その胸中には、若干の苦笑が浮かんでいた。



(自分で鍛えた連中に苦戦する事になるとは……嬉しいやら悲しいやら)



 ともあれ、気取られれば面倒な事になる。

自分で育てた以上、何処が穴となるかは十分に理解している為、彼らの目を盗む事はそれほど難しくはなかった。

改めて警備の多さに驚きながらも、涼二は会場内の地理を把握してゆく。

警備たちは、どこか落ち着かない様子で周囲に視線を巡らせていた。



(何かを探してる・・・・。やっぱり、ただの警備って事は無さそうだな……何らかの脅威を想定してる)



 ただし、彼らの様子をあえて言うのならば―――



(―――その脅威が何なのかを理解できていない、って言った所か)



 彼らの配置は、臨機応変な対応が出来る状態。

逆に言えば、一点に集中すれば彼らを出し抜く事も不可能ではない陣形だ。

これは何か特定の脅威を見ているというより、どんな場面でも柔軟に対応できるようにした形だ。

防御には向くが、敵戦力の制圧には欠ける。

そんな彼らの配置を一つ一つ確認しつつ、涼二は若干広いホールのような場所に足を踏み入れていた。

そこでは、何人もの人々が話し合い、互いに交流を持っている―――その、奥。



「―――ッ!」



 涼二は、思わず息を飲んでいた。

そこにいたのは、幾人もの人々の視線を集めている二人の少女。

紅蓮の炎と金色の光―――磨戸緋織と大神美汐。彼女達―――と言うより美汐のみだが―――は周囲に愛想の笑顔を振り撒きながら、様々な人々と挨拶をしている。

そんな彼女達の様子に、涼二は思わず口元に笑みを浮かべていた。



(……元気そう、だな。良かった)



 安心したように、涼二は頷く。

大変そうではあったが、彼女たちの表情は生き生きとしていた。

まるで、これから行う劇が楽しみで仕方ないと言うように。



「……やっぱり、大丈夫だな」



 心配する必要は無いと―――そう、涼二は笑う。

彼女達は己の力でやって行く事が出来ると、涼二はそう確信し……ふと見えた顔に、ぴくりと肩を跳ねさせた。



「ん……?」



 どこかで見た覚えのある顔が見えた気がして、涼二は周囲へと視線を走らせる。

けれど、もう一度同じ感覚が起こる事は無く、周囲に広がっているのはただただ雑踏のみ。

度々起こる不思議な事態に、涼二は小さく首を傾げてゆく。



「何だ……? 気のせい、だよな?」



 しっかりと見たわけでは無いので、単なる見逃しの可能性の方が高い。

しかし漠然とした不安を覚えつつ、涼二はもう一度見て回ろうと心に決め、最後に一度だけ二人のほうを見つめる。

―――その笑顔を、脳裏に焼き付けるかのように。





















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