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Frosty Rain  作者: Allen
第三話:フェンリルの咆哮
33/81

03-4:気乗りのしない理由











「ふッ!」

「……っ!」



 適度に勢いを抑えた拳が、添えられた手によって逸らされる。

涼二はその腕を掴まれる前に拳を払うと、今度は左足を大きく旋回させた回し蹴りを放った。

対し、向かってくるそれを見つめていた雨音は、半歩後退してギリギリの間合いでそれを回避する。

それを見て、涼二は思わず感心に目を見開いていた。



(頭がいいだけじゃない、運動神経もかなりのものだ。それに、目も悪くない……本当に、軟禁されてたのが惜しい奴だな)



 ガルムによって雨音に施された護身術は、あまり始めてから時間が経っていないにもかかわらず、ある程度手加減した状態の涼二と打ち合えるほどまで成長していた。

涼二としては、動きやすいジャージに着替え、さらに髪を縛っている雨音の姿は少々新鮮ではあったが、そこは気にせず軽い組み手を続けてゆく。



(合気道、か。強化人間としての身体能力もあるし、もう少し攻撃の出来る格闘技でもよかったんだろうが……まあ、雨音らしいと言えばその通りかもしれないな)



 攻撃をいなし、躱すか反撃を放つその体の動かし方は、ガルムが得意とするものでもある。

本来は受け流した後に必殺の攻撃を打つのがガルムの戦い方ではあるが、雨音はあくまで護身の為の格闘術のつもりなのか、あまり反撃を繰り出す事はなかった。

ソウイルのルーンを持つ雨音らしいと言えばその通りであり、思わず納得して涼二は苦笑を漏らしていた。

ニヴルヘイムにいる人間としてはあまり似合わない考え方ではあるが、彼女は極力人を傷つけない事を望んでいたのだ。



「よっと」

「―――きゃっ!?」



 涼二は裏拳を放つと見せかけて身体を沈め、足払いを放つ。

駆け引きに関してはまだまだ素人な雨音はそれにあっさりと引っかかり、バランスを崩して転倒しかけた所を涼二によって支えられた。

息を吐き出し、雨音の身体を元通りに立たせ、涼二は小さく笑みを浮かべる。



「ま、こんな所だろ。反省点はガルムに聞いて来い」

「はい。ありがとうございました、涼二様」



 行儀良くぺこりと頭を下げる雨音に、涼二は小さく苦笑を浮かべながらヒラヒラと手を振った。

彼女はそのまま踵を返し、はなれた場所で観察していたガルムのほうへと走って行く。

その背中を見送り、涼二は近くに置いてあったスポーツドリンクを持ち上げた。

蓋を開けて喉を潤しつつ、ほっと息を吐く。

息が乱れるほどではない―――涼二にとってみれば、雨音との組み手は軽いジョギング程度のものであった。

無論、強化処理によって人並み外れた体力を誇る雨音にとってもそれは同じであろうが―――



(いきなり強度を上げても、付いては来れないだろうからなぁ)



 苦笑し、涼二は先ほどの組み手の内容を思い浮かべる。

雨音は確かに身体を動かす事は出来ていたが、結局はそこまでなのだ。

まだ戦いにおける駆け引きなどは全く理解していないし、付け焼刃以上のものにはなりようがない。

元より、護身目的でしかない以上は、使う機会が無い方が良いのだが。

と、ぼんやりと雨音の背中を見つめていた涼二に、横から声がかかった。



「お疲れ、涼二」

「ん……何だ、見てたのか」



 スリスに投げ渡されたタオルを受け取りつつ、涼二は口元に笑みを浮かべる。

彼女もまたそれに応えるように笑みを浮かべ、声を上げる。



「雨音ちゃん、凄いでしょ?」

「ああ、確かにな。まだ始めたばかりなのにこの完成度か」



 確かな感心を交え、涼二は頷く。

今は無理でも、一年もすれば十分な戦闘技能者として通用するようになるだろう。

それほどまでに、雨音の学習能力は凄まじいものであった。

教えるのがガルムである以上、かなり実戦的な技術を教わる事が可能である為、いずれは涼二に着いて来る事も可能になるだろう。



(……連れて行きはしねぇけどな)



 胸中で呟き、飲み干したスポーツドリンクのボトルを放り投げる。

回転しながら弧を描くように宙を舞ったボトルは、狙いを外す事無くくずかごの中へと直行した。

それを視線で追ったスリスは、軽く口笛を吹く。



「お見事」

「まあ、能力で補正したしな……それで、何か用か?」

「んー? 何で用があるって思ったの?」

「お前は別に格闘になんて興味ないだろう」



 スリスは基本的に、ガルムや涼二の組み手の様子などを見に来る事は無い。

そもそも、見に来る必要がないからだ。室内の監視カメラにアクセスし、どんな場所からでも涼二達の様子を観察する事が可能なのである。

そんな彼女が姿を現すのは、直接話したい事柄があるからに他ならない。

そこまで胸中で考え、涼二は気付かれぬように小さく肩を竦めた。

このタイミングで話したい事など、あの事柄・・・・しかないからだ。



「ねえ涼二、オペラ見に行かないの?」

「……お前な、俺の事情を分かってて言ってるんだろ」

「まあそりゃ、ボクは涼二の事で知らない事なんてないよ」



 堂々と、ストーカーまがいの事を言い放つスリスに、涼二は思わず嘆息する。

あながち間違いでもない辺りに頬を引き攣らせながらも、涼二は肩を竦めつつも返した。



「確かに、姫さんが言っていたのは間違いじゃない。あいつ等の面を見たいって気持ちは、確かにあるさ」

「じゃあ、どうして行かないの?」

「いや、分かりきってるだろ……って言うか、お前こそ止めないのか?」



 少々意外に感じ、首を傾げる。

そんな涼二の仕草に、スリスは小さく笑みを浮かべていた。

光の宿らぬ瞳には、どこか面白がるような色を輝かせながら。



「そりゃあね。涼二がやりたいんなら、ボクが反対する理由は無いよ。第一、涼二が恨みを抱く相手でないんなら、ボクがどうこう言うつもりも無いしね」

「……そうかい」



 嘘だ―――と、涼二は言葉には出さずそう呟く。

幼い頃から植えつけられ続けてきたスリスの憎しみは、並大抵のものではない。

涼二と言うストッパーが存在しなければ、どれほど残忍な方法でも取れる存在なのだ。

交通システムを掌握してあらゆる事故を引き起こす事も、空を飛ぶ飛行機を操って地上へ墜落させる事も、スリスにとっては思いのままなのだから。

今この瞬間にその気になれば、地上を火の海に変える事すら容易い。

光を奪った研究者達が憎い、それらを操っていた存在が憎い、そんな研究を許していた者達が憎い、そんな事をしていた組織の全てが憎い―――スリスの中で燻る憎悪は、決して軽いものではないのだ。



「とにかく、気になるんでしょ? だったら見に行けばいいのに」

「あのな、そもそもあいつ等に俺の姿を見られる訳には行かないだろうが。下手な変装じゃ一目で気付くぞ」

「何のお話ですか?」



 ふと掛けられた声に涼二は振り向く。

そこにいたのは、同じように首にタオルをかけた雨音と、その後ろに立つガルムの姿だった。

若干苦笑じみた表情を浮かべているガルムに半眼を向けつつ、涼二は深々と嘆息を漏らす。



「一応、少し話したとは思うが……例のオペラの話、あそこに俺の知り合いが出るんだよ」

「はい。確か、指揮者と歌手の方の―――」

「磨戸緋織と、大神美汐。どちらも、ユグドラシル時代に友人だった人間だ」



 そう告げ、涼二は雨音から視線を外して虚空を見上げる。

彼が思い起こすのは、かつてユグドラシルで戦っていた日々の事だ。

戦う事に疑問を持たず、自分が従っている相手が誰なのかも知らずに、ただただ戦場を駆けていた日々―――度し難いそれを涼二が穏やかに思い返す事が出来るのは、認め合った友人がいた為である。

例え偽りに満ちた戦いの日々であったとしても、彼等と過ごした穏やかな休息を、涼二は確かに大切なものであると認識していた。



「あいつ等の事は、確かに気になる。だが、顔を殆ど知られていないお前達はともかく、有名すぎる俺は見られる訳には行かない。だから、行くかどうか迷っていた……そういう話だ」

「成程……」



 納得したように頷き、雨音はそう小さく声を上げる。

そんな彼女の様子に、また予想外の言動が飛び出すかと涼二は構えていたが、生憎と彼女の口から飛び出してきたのは至極真っ当な台詞だった。



「大切な方々だったのですね」

「いや、それは……まあ、否定は出来ないか。緋織は五年以上に渡って先輩後輩、或いは上司と部下をやってた間柄だったし、立場に関係なく話しかけてくる美汐も気に入ってはいたさ」



 ―――まあ、美汐の印象に関しては、ゲーボの始祖ルーンによる影響が含まれていたんだろうけどな、と涼二は胸中で苦笑する。

美汐の持つゲーボのルーンは、意識して発動せずとも常にある程度の効力を発揮している。

その力は劇的ではないものの強力で、基本的に初対面でも彼女に不の感情を持てる者は存在しない。

一応ながら始祖ルーンを持っていた涼二は、その影響をある程度抑えられていたのだが、それらを差し引いたとしても彼女自身が好ましい人間であるとは感じていたのだ。



「会って話をする事は?」

「……まあ、安全策を講じた上で話す事は不可能じゃないとは思う。けど、どの面下げて会いに行けばいいか分からなくてな。それに、あいつ等は何が何でも俺の事を捕まえようとしてくるだろうし、皆にも迷惑を掛ける事になる」

「私としても、それには同感だな。リスクが大きすぎる割に、リターンが小さいのだからな」

「ボクもそう思うけど……」



 若干不満そうな表情を浮かべ、スリスは唇を尖らせる。

彼女にとっては涼二の願いこそが全てであり、涼二の希望を叶えられるならある程度のリスクを冒す事は覚悟している。

そんな彼女の事を理解しているからこそ、涼二は小さく嘆息しつつ声を上げた。



「いいんだ、覚悟していた事だからな。決別も無しに復讐が出来るとは思っていないさ。いずれは戦う相手だしな」



 緋織も美汐も、ユグドラシルから離れるような事はありえない。

彼女達は、あの組織を担ってゆく次の世代なのだから。

涼二にとっての復讐の対象とは、ユグドラシルという組織そのものでは無い。

独裁的な在り方は反発を得やすいものではあるが、混乱している情勢である今の日本では、むしろ独裁という形の方が上手く国を取り纏める事が出来る。

故に、涼二はユグドラシルそのものは必要であると考えていた。

涼二が復讐の対象としているのは、あくまでも姉を殺した人物ただ一人。

自分の復讐の為に国全体を巻き込もうとするほど、彼は手段を選ばない訳ではなかった。



「……ふむ」



 涼二の様子を見つめ、ガルムは小さく呟く。

観察するようなその視線は、確かに涼二の内心を垣間見ているようではあった。


 ガルムにとっての復讐は、ユグドラシルというよりもドヴェルクに対して向けられているようなものであった。

正確に言うならば、そのドヴェルクに指示を出していた人間と言うべきか。

彼もまた、ユグドラシルと言う組織全体に恨みを持っている訳ではなく、またユグドラシルがこの国にとって必要であると言う事を理解できるだけの理性を持っていた。

故に、磨戸緋織と大神美汐の両名に対しては、良くも悪くも思い入れがある訳ではない。

その為、ガルムは冷静に現状を分析する事ができていた。



「そうだな……そこで今回の件、と言う訳か」

「ガルム様?」

「ガルム? 一体、何の事だ?」

「いやなに、確かに涼二の言う通り、そのお嬢さんたちと顔を合わせる事はどうしても控えねばならないのは事実。

しかし、涼二のモチベーションを上げる意味を兼ねて、彼女達の顔を見るぐらいはしても良いのではないか?」



 それが、ガルムの出した結論であった。

そんな彼の言葉に、自分の感情的な部分が喜びを感じている事に苦笑しながら、涼二は小さく肩を竦める。

確かに、彼女達に会いたいのは事実。だが、その為のリスクが大きすぎるのだ。

涼二としては、それをしっかりと理解しているはずのガルムやシアが、何故そんな事を言い出したのかが気になっていた。

明らかに、自分達にとって致命的な事態となりかねない行為なのだから。



「あのな、ガルム。だから顔を見せる事自体が危険なんだって何度も言ってるだろ」

「遠くから見ているだけなのですし、気付かれないのでは?」

「万が一って事もあるだろ。第一、ユグドラシルの関係者なら俺の顔を知っていたとしてもおかしくないだろ」



 ガルムやスリスもユグドラシルと関係が無かった訳ではないが、ガルムは既に死亡扱いされており、スリスも実験体として扱われていた時代とは人相が少々変わっている。

しかし、かつてムスペルヘイムの隊長であった涼二は、件の二人以外にも顔見知りは無数にいるのだ。

と―――そんな時、スリスは何かを思いついたかのようにぽんと手を打った。



「あー、成程。おっちゃん、そういう事考えてたんだ」

「うむ。ちょうど雨音君もいる事だしな」

「私ですか?」

「……何でそこで雨音が出てくるんだ?」



 理解している二人と、何が何だか分からない二人。

雨音はそれほど気にしてはいなかったが、二人のどこかニヤついた視線に眉を潜め、涼二は問いただす為に声を上げようとする―――その、瞬間。



「ああ、ここにいましたのね」

「ん、鉄森か。何か用か?」

「ええ、衣装の事で少し相談をと思いまして」

「衣装?」



 その言葉に涼二は首を傾げ―――突如背後で響いた音に振り返った。

見れば、そこは背を向けたスリスが肩を震わせている。どうやら、今のは彼女が吹き出した音であったらしい。



「……何だよ、スリス」

「い、いや……ぷぷ。多分行けばわかると思うよ、うん」

「行けば?」

「ええ。用意してありますから、早く来てくださいな」

「いや、って言うか俺はまだそこに行くと決めた訳じゃ―――っておいガルム、押すな!」

「往生際が悪いぞ、涼二。大丈夫だ、バレない方法があるのだからな」



 自信満々に言うガルムに、涼二は思わず首を傾げる。

そしてその視線をスリスへと向けるが、彼女は呼び寄せた雨音に対して耳打ちをしている所だった。

状況が分からず、されるがままに涼二は連れ出されてゆく。


 ―――話を聞いた雨音が、妙にニコニコした笑みを浮かべているのを不安げに見つめながら。





















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