03-3:不吉な予言
(これは、少し予想外だったな……)
部屋を出て美汐を探しに行こうとしていた緋織は、部下から告げられた伝言に従い、このユグドラシルの建物の最上階へと向かっていた。
まるで狙い定めたようなタイミングで、総帥―――大神槍悟によって声を掛けられたのだ。
重要な連絡がある為、執務室に来るように、と。
思わぬ事態に首を傾げながらも、緋織はそこへと向かうエレベーターへと足を運び、そこで一人の人物と鉢合わせした。
「お? お前は……」
「徹様。お久しぶりです」
短く刈られたオールバックの黒髪、そして強い意志を宿すような藤色の瞳の偉丈夫。
大神徹―――緋織にとっては、親友である美汐の異母兄弟。
対外的に言えば、実働部隊の隊長にして切り札。直接戦えば、その実力は緋織と拮抗している実力者だ。
そんな人物がこの場所にいた理由は―――
「へぇ、お前も親父に呼ばれたのか、緋織」
「ええ。美汐様の事について、話があると」
「相変わらず、かったい奴だなぁお前は。敬語を使われたら、美汐の奴は機嫌を損ねるぞ?」
「……そういう、立場ですので」
次期総帥である美汐と、隊長とは言え実働部隊所属の緋織。
その間には、大きすぎる立場の差が存在しているのだ。
それに関しては徹も同じ事ではあるが、彼は美汐の兄である為、その態度を改めるようにと緋織が言うような事は無い。
そんな緋織の態度に対し、徹は呆れの混じった溜息を漏らして声を上げた。
「まあ、怒られるのは俺じゃねぇし、別にいいけどよ……ちっとは、あいつの希望を叶えてやれよな」
「……友人として、居られるような場所でしたら」
「あー、じゃあ二人っきりの時にでも友達扱いしてやれ。あれで、結構寂しがり屋なんだ」
エレベーターの到着を告げる音が鳴ると共に、徹はひらひらと手を振りながら視線を背け、エレベーターの中へと進んでゆく。
そんな背中を眉根を寄せながら見つめていたが、緋織は小さく嘆息をしてから彼を追うように中へと入りこんだ。
徹が最上階のボタンを押すと共に扉は閉まり、高速エレベーターはすぐさま動き出す。
壁に体を預け、ガラス張りになっている部分から外の景色を眺める徹の姿を、緋織はぼんやりと見つめていた。
(彼は―――)
ユグドラシル総帥、大神槍悟の息子。
司法機関連動機動部隊たる《フレキ》の隊長。
Uの始祖ルーンを持つ神話級ルーン能力者。
大神美汐の異母兄。
《雷神の槌》。
ユグドラシルにおける、最強ランクの能力者の一人。
そんな彼は―――
(―――涼二の事、一体どう思っていたんだろう?)
無意識に、緋織はそんな事を考える。
かつて、涼二がこの場所にいた頃。部署の違う彼とは会う事が少なかったが、それでも美汐の関連で話をする事は度々あった。
美汐の兄。年齢は、涼二より僅かに上と言った所。
美汐は大災害の後に生まれたため、幼いころは良く世話をしてもらっていたと聞いている。
そんな徹に関する話を思い出し、緋織は小さく息を吐き出した。
―――分からないのだ。
(涼二と、悠と、それから徹様……三人で話してる所は、何度か見た事がある)
遠目から見ていて、和やかに話をしている様子は見てとれた。
けれど、普段から彼らが顔を合わせていたような様子は無く、女性陣ともそれほど話す事は無かったのだ。
悠は怜を、徹は美汐を、そして涼二は緋織を。
それぞれが親しくしている以外では関わりはそれほど大きくなく、緋織も悠の事はそれほど詳しく知っている訳ではない。
とは言え、情報取得の為によく顔を合わせていたのだから、滅多に会わない徹ほどではなかったのだが。
(一体、何を話していたんだろう?)
緋織は疑問を反芻する。
かつても一度疑問に思い、何をしていたのかと尋ねた事はあった。
その時涼二は、ただ『仕事上の苦労話だ』とか『男同士の話だ』等としか答えなかったが―――本当に、それだけだったのだろうか、と緋織は考えてしまう。
根拠など何もない、ただの戯言に過ぎないものだと言うのに。
「……おい、何だよ、人の事ボーっと見やがって」
「ぁ……いえ、何でもありません」
そう告げ、緋織は視線を逸らす。
そんな彼女の様子に、徹は軽く頭を掻き、大仰に嘆息して見せた。
緋織は首を傾げ、彼の方へと視線を戻す。
「何か?」
「何かって言うか、まぁ……お前に対して何かあるって訳じゃねぇよ」
「私に対して……では、それ意外に何か?」
「いや、何つーか……涼二の奴は本当に、女の扱いが下手だと思ってな」
その単語に、緋織はぴくりと肩を跳ねさせる。
緋織にとっては、何よりも大きな意味を持つその名前―――徹の口にした涼二の名前を、彼女は決して無視する事はできなかった。
視線が鋭くなるのを止められず、常人ならば萎縮するような鋭さを込めて緋織は徹を睨む。
しかしそれをあっさりと受け流しながら、徹は再び嘆息を零していた。
「どういう……意味ですか?」
「お前がそういう風になっちまう事に気付いてなかったって事だよ。ったく、出てくなら女へのフォローぐらいして行けってんだ」
「私は……ッ!」
「あの頃と、涼二の奴がいた頃と同じように出来てると、本当にそう言えるのか?」
「……!」
言い返せず、緋織は言葉を詰まらせる。
以前は、涼二の事を考えて物思いに耽るような事はなかったからだ。
彼の事を、ずっと信じていた―――共に同じ戦場を駆け続ける事が出来ると、緋織はそう信じて疑わなかった。
けれど、それは幻想でしかなかったのだ。
氷室涼二はユグドラシルを去り、緋織は彼の後釜のように今の立場へと収まった。
涼二に言わせれば、始祖ルーンもちである緋織はいずれこの位置に来ていたという事ではあったのだが、緋織にとってみれば涼二は永遠に自分の上官だったのだ。
「……貴方は」
「ん?」
「貴方は、何か知っているのですか? 先任が失踪した事、その理由でも何でも」
「知らん。理由を知ってて、大した理由じゃなかったんなら、探し出してぶん殴ってる所だ」
当然であると胸を張りながら言い放つ徹に、若干の期待を外されて、緋織は思わず視線を伏せる。
胸の中で、何かもやもやしたものが立ち込め続けていたのだ。
振り払いたいと願っても、決して逃れる事ができない不安のようなもの。
以前の自分がどんな存在であったか―――今の緋織は、それを思い出せないままでいた。
「……ったく」
徹の嘆息。そして、それを掻き消すかのように、エレベーターが到着の音を響かせる。
問いたい事はあったが、口に出す機会を失い、緋織は開いてゆく扉へと視線を向けた。
その先にあるのは大きい扉。本来なら最高級のセキュリティが施されているそれは、今日に限っては大きく開け放たれたままだった。
そんな様子に、緋織も徹も思わず呆れを交えた吐息を吐き出す。誰がこれをやったのか、心当たりがあったからだ。
「―――お兄様! それに、緋織ちゃんも!」
鈴を鳴らすような美しい声音。
それを聞き、二人は扉の奥へと視線を向けた。
否、正確には、その先に存在している黄金の輝きへ。
光り輝くプラチナブロンドと、ただただ希望に輝く金の瞳。
その鮮やかさを際立たせるように、彼女の服装は白に包まれていた。
ワンピースの上からブレザーを羽織、落ち着いた様相を見せる彼女―――大神美汐は、しかしそんなお嬢様然とした服装には似合わぬ明るさで、声を上げながら二人の方へと駆け寄ってくる。
「ここの所会いに来てくれなかったから、寂しかったんだよ~?」
「ぁ、ええと……その、済みません、美汐様」
「む……呼び捨てで呼んでってば!」
「え、ええと……」
眉根を寄せながら口元を引き攣らせ、緋織は横目でちらりと美汐のさらに奥―――大きな机に着いている大神槍悟へと視線を向ける。
挨拶も出来ぬままで失礼に当たってしまうのは確かだが、美汐も無視する事はできなかったのだ。
とりあえず怒っていないかどうかを確かめようとして、槍悟が和やかな笑みを浮かべているのに気付き、緋織はほっと安堵の息を吐く。
「その、今日は大切な話があってここに呼ばれたので―――」
「あ、そうだった!」
何かと扱いやすい部分に思わず苦笑を漏らしながらも、緋織と徹は部屋の中へと進んでゆく。
そして槍悟の正面に立ち、深く頭を下げながら声を上げた。
「《災いの枝》、磨戸緋織。参上いたしました」
「《雷神の槌》、大神徹。参上しました」
「うむ、ご苦労」
低く響くような声に、二人は頭を上げる。
灰色の髪の男性、大神槍悟。その強大なプラーナは、災害級の能力者すら波動だけで圧倒してしまうほどの力を持つ。
自身の力に意識を集中させてその圧力に耐えながら、緋織は彼へと向けて声を上げた。
「本日は、どのようなご用件でしょうか?」
「うむ。貴公は既に聞いているとは思うが……例の、オペラに関してだ」
「はい。その任務ならば、こちらも把握しております」
任務、という物言いに対し、徹が若干の苦笑を漏らす。
しかし死角であり、そして槍悟も表情を変える事はなかった為、緋織がそれに気付く事はなかった。
槍悟は彼女の言葉に頷き―――
「―――少々、問題が発生してしまったのだよ、《災いの枝》」
「っ!? ……相談役ですか」
いつの間に現れていたのか―――槍悟の横に、一人の男が立っていた。
路野沢一樹。総帥の相談役と言う、一般的に考えれば意味不明な立ち位置にある存在。
神出鬼没で何を考えているのかも分からず、しかも《予言の巫女》という始祖ルーン能力者を個人で所有する事を許されている。
緋織は、彼の事がどうにも苦手だった。
路野沢も、緋織が態度を硬くした事に気づいている―――しかし口元に浮かんだ軽薄な笑みは変わらず、彼は同じような調子で声を上げた。
「実は、一つ予言が下されてね」
「予言……美汐様や私に関わる事ですか?」
「だと思うが、ね。君も知っているとは思うが、《予言の巫女》の予言は酷く抽象的でね。僕としても、彼女は一体どのような方法で能力を使っているのかは知りたい所ではあるのだが―――」
「御託はいい、さっさとどんな予言だったのか教えろ」
焦れた様子で、徹はそう口にする。
その予言の内容に挙がっているのが美汐の可能性があるという点も不機嫌の原因であるが、彼もまた路野沢の事を気に入っていない人間の一人と言う事だった。
しかし、そんな神話級の能力者による威嚇もものともせず、口の端に笑みを浮かべたまま路野沢は声を上げる。
「『古の英雄は歌劇となりて紡がれる。英雄の名、炎の壁に眠りし者、銀月の槍に貫かれん』―――と、言う事だよ」
「直接言われたって分からねぇよ! 解読したのを言え、解読したのを!」
「落ち着け、徹」
食って掛かろうとした徹を、槍悟の言葉が押し留める。
流石の徹も父の言葉には逆らえず、ぐっと言葉を詰まらせて引き下がった。
路野沢の表情は相変わらず―――しかし元々の表情の時点でどこか嘲笑にも似たものであった為、徹の拳は抑えきれぬ怒りに震えていた。
「ふむ。では、分かり易く説明するとしよう。次期総帥殿が此度参加する歌劇は、知っての通り『ニーベルングの指輪』。
古の英雄譚と言う事だ。これが、《光輝なる英雄譚》の異名を持つ次期総帥殿を指しているのは自明の理ではないかな?」
「……それでは、オペラの日に美汐様が何者かに狙われると?」
「そういう事になるのでは無いかと、僕は踏んでいるのだがね……今の話を聞いて、君はどう思うのかな?」
「……私の任務は、元より美汐様の護衛です。やる事に変わりはありません」
「成程、何かを変える訳ではないと―――しかしそれでは、予言を覆す事は不可能なのではないかな?」
変わらぬ表情で、路野沢はそう口にする。
どこか嘲っているようにも感じられるその言葉に、緋織は反論の言葉を見失っていた。
変える意志がなければ、予言の内容を変える事は出来ない。
「あまり苛めるものでは無いぞ、一樹」
「おや、心外だね槍悟。僕は事実を口にしているだけだが?」
「時として事実は人を傷つけるものだろう……それに、対策を講じぬ訳ではないし、こうして危険を予め知っておくだけでも変わるものだ。
無論、私としては中止しておきたい所なのだが―――」
「ダメだよ、お父様!」
「―――このように、既にやる気になってしまっているのでな」
苦笑交じりに、槍悟はそう口にする。
そしてそれに同調するかのように、美汐は胸を張って堂々と声を上げた。
「能力者に対するイメージアップは絶対に必要な事でしょう? 今後のユグドラシルの為ってだけじゃない、この国の為にも必要な事だもの。だから、次期総帥として私が頑張らないと!」
「しかし美汐様、《予言の巫女》が予言した事である以上、そのままなのは危険が―――」
「大丈夫だよ、私は緋織の事を信じてるもの。絶対に護ってくれるって!」
満面の笑顔で言い放たれたその言葉に反論できず、緋織は深々と嘆息する。
そのまま視線を元に戻せば、いつの間にか先ほどまでの穏やかな気配を消した槍悟がそこにいた。
響くプラーナの波動は強大で、押し潰されそうなその圧力に、緋織は思わず息を飲む。
「では、《災いの枝》。貴公に、《光輝なる英雄譚》の護衛任務を言い渡す。ムスペルヘイムの動員数も増加させる……上手くやりたまえ」
「―――この身に代えても」
敬礼と共にそう返答し、緋織は覚悟を改める。
しかしその隣で、徹は不満そうに眉根を寄せながら声を上げた。
「おい、親父。俺はどうするんだよ?」
「お前は、既に《フレキ》で任務が入っているだろう……本来ならお前達の仕事ではあるが、司法局との衝突は避けるべきだ。それゆえに、ムスペルヘイムを動かしたのだぞ?」
「ちっ……クソ、そういう事かよ」
不満そうに舌打ちしながらも、槍悟の言葉を否定するような事は無い。
徹もまた、己の仕事の重要性をしっかりと理解しているのだ。
そんな彼の様子を見て、槍悟は小さく口元を綻ばせる。
「では、頼んだぞ」
「はい、了解しました」
「……よし、話し合いは終わりだね! それじゃあ緋織、オペラの打ち合わせとか練習とか、色々あるよ!」
「み、美汐様……」
話し合いが終わったと見るや、美汐は歓声を上げて緋織の手を取る。
まだ退出の許可を得ておらず、しかし美汐の手を振り払う事も出来ない緋織は、視線を右往左往させたまま部屋の外へと連れ出されていった。
―――先ほどとは若干違う色の笑みを浮かべる路野沢に気付かないまま。
* * * * *
緋織達が話している部屋の外。
彼女達の相談が終わる少し前、そこには一人の少年が壁を背にするようにしながら立っていた。
閉じられた両の瞳、男にしては若干長く伸びている黒髪。
そんな少年は、気配を殺したまま部屋の中の言葉を盗み聞きしていたのだ。
(……銀月の、槍)
彼は、そう胸中で呟く。
開ける事のない瞳の奥で、何かの決意を定めるように。
そこにあるのは、酷く冷たい感情だった。
―――彼は、ふと誰かに見られているような感覚に顔を上げる。
「……」
見えはしない。けれど、その気配には心当たりがあった。
部屋の中で話しているはずの、軽薄なあの男。
そんな人物からもたらされた予言は、ある種天啓のように少年の胸に響いていたのだ。
もしかしたら―――と。
「……僕、は」
思わず口に出しそうになり、彼は口を噤む。
そして話し合いが終わるような気配を感じ、踵を返してその場から去って行った。
―――彼の名は、大神白貴。大神美汐の、血の繋がった弟だった。