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Frosty Rain  作者: Allen
第三話:フェンリルの咆哮
31/81

03-2:始動











「おう、おはよーさん」

「あ、おはよー」

「おはようございます、涼二様」

「氷室さん、おはようございます」

「おはようと言うには少々遅いがな」



 いつもの通り、鉄森グループ本社ビルへと顔を出した涼二は、一つ増えた挨拶を受けつつ、首に巻いたマフラーを外す。

季節はもう冬に入ろうという所。日によっては真冬並の寒さを発するこの季節の中、涼二はいつもより厚手のコートとマフラーを身に纏っていた。

とはいえ、室内に入ればそんなモノも必要ないのだが。

脱いだコートやマフラーを受け取る佳奈美に軽く礼を言いつつ、涼二はいつもの定位置―――部屋に入って左手にあるソファ―――へと腰掛けた。

佳奈美の持ってきた暖かいコーヒーを受け取りつつ、涼二は声を上げる。



「何か変わった事は無かったのか?」

「別に、特に何も無いかなぁ」



 開いたパソコンを隣に置いたままソファに寝転がり、携帯ゲーム機で遊んでいたスリスは、ずりずりと身体を滑らせながら涼二へと近づいて彼の太腿にその頭を乗せた。

俗に言う膝枕の体勢であるが、こういう甘え方はいつもの事なのでそれほど気にせず放っておく事にする。

そもそも、開いているパソコンは自動で画面が切り替わり、様々な場所へのハッキングを行っているのだ―――仕事をしている以上、涼二は特に文句を言うつもりは無かった。

とはいえ、堂々とこういう事をやられても反応に困るのは確かだ、と涼二は小さく嘆息する。



「あの、涼二様」

「ん、どうした雨音?」



 掛けられた声に、涼二はスリスへと向けていた視線を上げる。

その声は言わずもがな、涼二の正面に座っている雨音のものであった。

彼女は机の上に何冊かの本を積み、その内の一冊を手に持って呼んでいる。

そこに積み上げられているのは、全て能力に関する教本であった。

彼女は、この間通常通りに自分の力を使って人を癒した時以来、能力の可能性に魅入られていたのだ。



「ここの所が分からないのですが……」

「つっても、俺だってソウイルの事はよく知らんが……ああ、プラーナの放出強度とルーンの数の問題の事か」

「はい。放出量の関連は、ルーンの大きさに依存していたと思ったのですが」

「ああ、それは確かにそうだ。が、放出量と放出強度ってのは別のものだからな」

「そうなのですか?」



 きょとんと首を傾げる雨音に、涼二は小さく苦笑を漏らす。

本来の力に戻った雨音の能力―――ソウイルは、順調にその強度を増しており、今では大怪我も一瞬で癒せるほどの力へと変わっている。

今の彼女ならば、この間の事件で嵐山が負っていたような傷すらも一瞬で癒し切る事が可能だろう。

それでも尚、完全に能力が元に戻った訳ではないのだから、その力の凄まじさが窺える。

そんな彼女の力を思い浮かべつつ、涼二は続けた。



「放出量って言うのは、確かにお前の言う通りだ。ルーンが大きければ、それだけプラーナを放出できる量が多くなるのは道理だからな」

「はい。では、放出強度とは?」

「そうだな……強度と量を両立は、シングルルーンの持ち主でなければ難しい。要するに、単一のルーンの方が勢い良くプラーナを放出できるんだ」

「涼二ー、それ説明が分かりづらいよー」



 膝の上のスリスの言葉に、涼二はぺしりとチョップを落とす。

そんな様子にガルムが苦笑を浮かべていたが、それには気付かない振りをしつつ、涼二は言葉を吟味した。

どう説明したものか、と胸中で呟きながら。



「……そうだな。例えば、水槽に穴が開いていたとしよう」

「船の底に溜まった水はどうやって抜くのでしょうか?」

「……ええと、まあそれはともかく。その溜まっている水がプラーナで、開いている穴がルーンだとする。その場合、三つ穴が開いてるよりも、一つ穴が開いてるだけの方が勢いが強いよな?」



 このたとえ話においてみれば、その水の飛び出る強さこそがプラーナの放出強度と言うものになる。

プラーナの総量とルーンの大きさに左右されるものではあるが、結局はルーンの数が少なければそれだけ強い力を発しやすいと言う話になるのだ。



「プラーナの放出強度が強ければ、それだけ能力の強度が増す。単純な放出系……ハガラズカン、そしてお前のソウイルなんかも、放出強度の強さによって能力が強くなるな」

「となると、私は―――」

「お前の場合は、ちょっと前例がないから判断に困る事になるんだよな」



 そう呟き、涼二は小さく苦笑する。

その言葉を聞いたのか、雨音は首を傾げ、そんな彼女の仕草に涼二は息を吐きつつも続けた。

―――じゃれて来ようとするスリスの手を躱しながら。



「ルーンの中で最も強い力を持つ始祖ルーン。しかもシングルルーンであり、プラーナの総量もかなりのものだ。お前が全力で能力を使った場合、何処までの出力を持つのか……流石に、俺でも想像できないんだ」

「成程……分かりました、ありがとうございます涼二様」



 ぺこりと礼をする雨音に、涼二はヒラヒラと手を振る。

その内心に、どこか慄くような感覚を残したまま。

―――ひょっとしたら、彼女は本当に、死者を蘇らせるほどの力を持っているのかもしれない。

そんな、背筋が寒くなるような想像を頭を振って振り払い、涼二はどこか苦笑の混じった息を吐き出した。



「しかし、雨音も結構安定してきたな」

「はい、能力の調整の方も、かなり進んできていますから」



 横から声を上げたのは、仕事を終えて控えている佳奈美だった。

彼女は先日の事件以来、使用人の服装―――所謂メイド服―――を纏ってニヴルヘイムの面々の世話をしている。

尤も、普段別の場所に住んでいる涼二のみはその恩恵に肖る事が少なかったが。

それなりの秘密を知ってしまってはいるが、彼女自身は非常に信頼できる人物であるという事は、ニヴルヘイム全員の共通認識となっている。

能力の強度自体もそれなりに高いので、安心できる人材であるのは確かだった。

そんな仲間内からの評価は知らず、佳奈美はニコニコとした笑顔で声を上げる。



「それにですね、雨音さんは今度の能力調整で、完全に力を元に戻す事が出来るようになったんですよ!」

「へぇ、ソイツは目出度いじゃないか」

「ふふ、ありがとうございます涼二様」



 歓心を交えた涼二の言葉に、雨音が嬉しそうに顔を綻ばせる。

知らないのは涼二だけであったようであり、ガルムやスリスも同じように嬉しそうな、或いは安心したような表情を浮かべていた。

若干仲間外れにされたような気分を覚えながらも、その知らせ自体は非常に嬉しいものであり、涼二もまた安堵を浮かべる。


 雨音の身体に掛けられていたのは、二つの処理である。

一つは、大きく問題になっていた能力の反転処理。今回、完全に元に戻す事が出来るようになったというのはこれの事である。

触れただけで生き物のプラーナを奪ってしまうあの体質は非常に厄介であり、戦闘に使う事が出来るとは言え、その力を望む者は誰も居らず、すぐさま元に戻す事が決定していたのだ。

しかしながら、もう一つ―――強化人間としての処理は、行き過ぎた強化が無い限りはそのままでいいと、雨音本人が申し出ていた。

確かに、必要以上の強化がなければ身体に害がある訳ではない。

元々のプラーナ量が多くルーンも一つしか持たない雨音は、基本的にプラーナが余りがちであるため、プラーナ循環量を増やす処置を受けていたとしてもそれほど問題は無いのだ。

それに―――



『邪魔にならないのならば、残しておいて頂いても構いません。今のままでは、皆さんの足手纏いにしかなりませんし……せめて、足を引っ張らない程度にはなっておきたいのです』



 力をどうするかと言う問答の末、雨音が出した結論がこれだった。

元々戦場に出ない扱いなのだから、強化があろうと無かろうとそれほど差は無い―――が、いざと言う時にあった方がいいのではないかというガルムの考えもあり、結局雨音の強化処理は残す事となってしまった。

涼二としても、別段あった所でそれほど問題はないという認識ではあったので、それほど気にしてはいないのだが。

ともあれ、彼女は未だに強化人間としての身体能力を宿したままだった。

ガルムほどではないとはいえ、純粋な身体能力ならば涼二とも引けを取らない。

インドア派のスリスとは比べ物にならない程に高い運動能力を有していた。

ガルムに言わせてみれば、元々の才能もあったからという事らしいが。



「涼二様、どうかなさいましたか?」

「っと……いや、何でもない」



 思わずボーっと雨音の顔を見つめ続けてしまっていた事に気付き、涼二は謝罪しつつ視線を外す。

思わずそらす視線の先は、いつもの癖で窓の外へと向く。冬らしい曇り空ではあるが、雪が降り出すにはまだまだ季節が早かった。

しばし無言の時間が続き―――ガルムがバーベルを持ちながらスクワットをする音は聞こえていたが―――ふと、扉をノックする音が響いた。



「どうぞ」



 扉の方へと視線を向け、涼二はそう声を上げる。

背後でバーベルを床に降ろした時に発せられたと思われるドスンと言う音が響いたが、その辺りは極力気にしないようにしつつ。

そしてそんな中、扉を開けて入ってきたのは、嵐山を従えたシアだった。

彼女は部屋をぐるりと見回し、そしてポッと顔を赤らめる。



「まあ、ガルム様……今日も素敵な僧帽筋ですわね」

「挨拶としてどうなんだ、それは」



 あんまりと言えばあんまりな一言目に、涼二は思わず反射的にツッコミを入れる。

生憎と、シアはそんな言葉などまるで気に掛ける事は無かったが。

小さく嘆息をしつつも、涼二は膝に乗ったスリスを無理矢理起き上がらせ、シアの方へと向き直った。

彼女は基本的に多忙であり、用も無いのにこの場所に来る事は少ない。

ならば、今回も何らかの理由があって来たという事だろう。

そんな涼二の視線に気付いたのか、シアは表情を引き締めつつ己の指定席になってきている椅子へと腰を下ろす。

時折ブービートラップでも仕掛けてやろうか悩みつつある場所ではあったが、涼二はさっさとその益体もない思考を切り上げた。



「さて……では改めまして、皆さんこんにちは」

「いや、挨拶は別にどうだっていいんだが……何か俺達に用があるんだろ?」



 先の個性的過ぎる挨拶を思い浮かべ、涼二は半眼を浮かべつつそう口にする。

さもありなん、と肩を竦めるシアには、そんな表情にも堪えた様子などまるで存在していなかったが。

彼女は無造作にぱちんと指を鳴らす。それと共に、シアの背後に立っていた嵐山が一枚のパンフレットを机の上に置く。

首を傾げながらもそれを拾い上げ―――涼二は、眉根を寄せた。



「オペラのコンサート、だ? これが一体何だって?」

「護衛をお願いしようかと思いまして。貴方がたならば、容易い話でしょう?」



 少々挑発的な部分があるものの、特には気にせず涼二は肩を竦める。

これほど人が集まりやすい場所ならば、護衛でも普通の人材で十分な筈なのだ。

にも拘らず、シアはニヴルヘイムに依頼という形でこの案件を持ち込んだ。



(一体、どういう事だ……?)



 疑問に思い、涼二はそのパンフレットへと視線を巡らせて行く。

どこか面白がるような表情を見せるシア―――その顔に浮かぶ笑みに気付かずに。

スリスもまた隣から覗き込んできているが、それは気にせず涼二は情報を取得してゆく。

題目は、リヒャルト・ワーグナーの『ニーベルングの指輪』。

四部構成からなり、あまりにも長すぎる為に一日では纏めきれない大舞台である。



(そういえば、コレはあいつが好きだったオペラだな―――)



 そこまで考え、出演者の欄へと視線を向けて―――涼二は、思わず絶句していた。

そこには、あまりにも見覚えのあり過ぎる名前が並んでいたのだ。

指揮者として、磨戸緋織。歌手の一人として、大神美汐。

ヒロインであるともいえるブリュンヒルデ役を任されているのは、涼二としても思わず納得してしまった部分ではあるが―――



「おい、どういう事だこれは!?」

「どうもこうも……わたくしはユグドラシルの方から誘われたに過ぎませんわ。この護衛の話に関しては、貴方の事を思って持ってきたのですわよ?」

「何……?」

「たまには直接顔を見るのもいいのではないか、と思いまして。随分と、気にかけていたようですしね」



 見透かされたようなその言葉に、涼二は思わず言葉を詰まらせた。

シアの態度によるものではなく―――彼女の言い放ったその言葉が、紛れもない事実であったためだ。

氷室涼二は、磨戸緋織や大神美汐の事を気に掛けている。

彼女等は、かつて涼二がユグドラシルに所属していた頃、特に交流のあった二人なのだ。

同年代の同姓と言う点で、最も気が合っていたのは悠だったが―――それでも、最も長い時間を共に過ごしていたのは緋織であったし、ムードメーカーとして常に中心にいたのは美汐だった。



「……余計な、お世話だ」

「それは御免あそばせ。それで、どうするのかしら?」



 その言葉を否定と取らない時点で、最初から選択肢など存在していないのだろう―――と、涼二は胸中で悪態を吐く。

しかしそんな涼二の鋭い視線も気にかけず、シアはどこか勝ち誇った笑みで彼の事を見つめていた。

それを受け、再びパンフレットへと視線を戻し、涼二は深々と嘆息を漏らす。



「……あいつら、か」



 意識せず漏れた呟きに、涼二は口を噤む。

会う事は出来ない。緋織と直接顔を合わせれば、戦闘にしかならないだろう。

それに、美汐も自分の事を連れ戻そうとして来る筈だ―――そう結論付け、涼二は小さく嘆息を零した。

己の内心を、理解してしまっていたからだ。



(それでも、元気かどうかぐらいは確かめたい、か)



 涼二は、表情には表さぬように自嘲する。

復讐者としての道を選んだ自分には、あまりにも似合わぬその選択。

それを自覚し、けれどそれを否定する事も出来ず、涼二はぼんやりと虚空を見上げていた。

否定など、出来る筈も無い。何故なら彼女等は―――



(俺が最後の最後まで悩んでいたのは、あいつ等の事だったしな……)



 まだ全てを教え切れていない。まだ人の上に立つには経験が足りなすぎる。

けれど、全てを奪った人間がいるあの組織で、それ以上戦い続ける事は涼二には不可能だった。

最も気に掛けていた彼女達すら手放すほどに、涼二の抱える憎悪は大きかったのだ。

それでも―――涼二は確かに、彼女達の事を気にかけていた。

双雅や桜花が家族であるとするならば、彼女達は親友であったと、涼二はそう思っているのだ。



「―――さて、どうするんですの?」



 にやりとした笑みを浮かべたまま、シアがそう口にする。

そんな彼女の様子に、涼二は苦虫を二桁単位で噛み潰したような表情を浮かべていた。


 結論など、最初から決まっていたのだから―――





















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