01-2:非日常への入り口
家を失った人々に新たな居住地を与える目的で作られた密都。
だが、それでも人々が住みたがらない地域というものは往々にして存在しているものである。
中でも、その傾向が最も強いのは島の一角、発電所がある地域だ。
「今更どうなるって訳でもないだろうが……ま、それも人の性って奴か」
人通りの少ないこの地域を歩きつつ、涼二は小さくそう呟く。
独り言になってしまうが、周囲に人の姿は存在しない為、それほど問題は無い行為となっていた。
この地域に人気が無い理由は、今まさに稼働している発電所の存在が原因となっている。
とは言うものの、この発電所が周囲に何か悪影響を与えている訳でもなければ、突如として爆発するような物質を扱っている訳でもない。
ここにあるのはただの―――と形容するには流石に無理があるが―――火力発電所である。
ならば何故、この場所が敬遠されるのか。それは、その炎を発する為に使っている燃料の為だ。
「……隕石を燃料に、か。燃えてるんだし使えるんだろうが、人間の発想ってのはいつもいつも感心させられるな」
十五年前に起こった未曾有の大災害。
それは、巨大隕石の飛来に端を発するものだった。
その直径数百キロにも及ぶ小惑星は、元々地球から遠く離れた場所を通過すると思われていた。
しかし、それは突如として進行方向を変え、地球に激突する軌道を取ってしまったのだ。
ただし、軌道を変えた時点では十分な距離があり、対応する為の準備期間は十分に取れるものだった。
軌道を逸らし、降り注ぐのは大気圏に突入した時点で燃え尽きる程度の細かな隕石のみ―――そうなる、筈だった。
―――かの隕石が、『卵』のようなものでなければ。
「……」
沈黙しつつ、涼二は横目に見える発電所を見上げる。
この発電所の中で使われているのは、その隕石の中に詰まっていた大量の液体―――と言うより、半固体―――だった。
地球からの迎撃によって表面を砕き割られた隕石は、その可燃性の中身を地球へと大量に降り注がせたのだ。
隕石は白い炎を上げながら地表へと降り注ぎ、特に『高いエネルギーを持つ物体へと向かって行く』という性質をこの上なく生かして、地表を火の海に変えてしまった。
南極もまた例外ではなく、その結果の海面上昇となっている。
その隕石の中身―――ゼリーのように粘性のあるそれらは、今までの地球にあった物質とは異なる性質を持っていた。
それは即ち、酸素以外の何らかの要素と結合して燃焼すると言う性質だ。
ほんの十年前まで、それが何なのかは解明されていなかったのだが―――
「俺達と同じ、か。何なんだろうな、あの隕石は」
己の肩を見下ろし、涼二はそう一人ごちる。
服の下にあるはずの、己の体に刻まれた紋章を透視するかのように。
―――ルーン能力、と一般に呼ばれている異能。それが、涼二の体には刻まれていた。
先天後天などは関係無しに、隕石の飛来より人々の間に現れ始めた謎の異能。
炎を熾し、氷を操り、風を巻き起こす。まるで、物語に謳われていた魔法のような力。
異能に目覚めたものは、皆体の何処かにルーン文字と酷似した痣が浮かび上がる事から、そう呼ばれている。
その力の発現は、国内に大きな混乱を巻き起こした―――いや、混乱程度で済んだのだからまだいい方なのだろう。
被害の大きかった国々では、未だに暴行や略奪が横行しているのだから。
今日では、日本はルーン能力の制御とその管理にほぼ成功している……一般的に見れば、だが。
ともあれ、その力の研究は進み、そしてかの隕石の仕組みも解明されたのだ。
調査によれば、あの隕石の炎は、ルーン能力の発動と同様のプロセスで炎を発しているのだと言う。
そして水の中でも一定の勢いで燃え続けるその性質は、エネルギー不足に悩まされる事になった世界で、化石燃料を使わないクリーンなエネルギーとして注目されるようになった、という次第である。
(不気味がるのも当然と言えば当然……多少、神経質に見えるけどな)
隣を歩く人の姿に、今度は声を出す事無く、涼二はそう胸中で呟く。
発電所で使われているのは、かつて世界を滅ぼしかけた物体。
日本ではその被害が少なかった―――正確には、落ちてくる場所が一点に集中した事で迎撃し易くなった為に、かの隕石への偏見は薄い傾向にはある。
が、それでも不気味なものは不気味なのだろう。近くに家を構える人間は、殆どいないと言っていい。
「……ま、おかげでこっちはやり易いんだが」
涼二は小さく肩を竦めながら呟き、人目を確認してから近くにある建設途中のまま放棄されたビルの中へと入り、その一角にある鉄製の扉の鍵を開けた。
その先にあるのは小さな部屋。置いてあるのは精々、三つ並んだロッカーと小さな棚程度しかない。
涼二はキーホルダーに付いた二つ目の鍵を持ち、そのロッカーの一番右側の扉を開けた。
―――中に入っているのは、黒いロングコートとバイザーだ。
「さて、と……聞こえるか、スリス」
『はいはーい。装備を回収できたみたいだね、涼二』
持ち上げたそれらへと声をかければ、バイザーの耳が当たる部分から、涼二にとっては聞き慣れた人物の声が響き渡った。
彼は嘆息しつつボリュームをコントロールし、それを装着しながら声を上げる。
その手つきに澱みはなく、非常に手馴れている事は傍目からでも明らかであろう―――傍目など存在しないが。
「それで、今回はどんな話なんだ?」
『よくぞ聞いてくれましたー』
何やら嬉しそうなスリスの声に、涼二は思わず顔を顰める。
このような場合、一度として厄介事にならなかった事が無かったのだ。
そういう場合に回されてくる仕事は、大抵―――
『今回の仕事は、とある人物の誘拐だよ』
―――このような、真っ当では無いモノになる訳だ。
そう胸中で呟き、涼二は小さく溜め息を吐き出す。尤も、真っ当な仕事など普段から殆ど行っていないのだが。
バイザーに映し出される映像に、周囲に人間の存在は無いと表示される。
普通に声を出しても問題ないだろうと判断し、近くの棚の上に腰掛けつつ涼二は声を上げた。
「また、随分と思い切った依頼だな。依頼主の事は調べたのか?」
『向こうに気付かれない程度にはね。ちょっと変だったけど……』
「変?」
『そ。別にライバル企業って訳でもなく、関係者とかそういう類の所でもない……深く調べるのは危険だし、詮索しすぎるのもマナー違反だから止めておいたけど、ちょっと気になるかな』
そこまで調べた時点でアウトだろう、と涼二は考えていたが、それを口に出す事はなかった。
スリスは優秀なのだし、ボロを出すような真似はしていないだろうと判断した為である。
それに涼二としても、ある程度の情報を得ておかなければ安心は出来ない。
少なくとも、背中から撃たれる危険があるかどうか程度は知っておきたかったのだ。
小さく肩を竦め、涼二は続ける。
「それで、相手はどういう風に接触してきた訳だ?」
『それも結構不可解なんだけど……おっちゃんの方に手紙を渡してきてね』
「……受け取ったのか、思慮深いあいつが」
『まあ、それだったら信頼できる相手とすぐに信じてよかったんだけど、第一声が『筋肉で通じ合った』だったから』
「あー、うん。分かった」
頬を引き攣らせ、涼二はその話を切り上げる。
スリスも同意見だったのか、苦笑じみた笑い声を漏らしつつも会話を進めた。
『まあとにかく、相手はおっちゃんの正体を知っている程度には情報収集の能力がある。結構大きい相手だよ。その分、味方に出来れば心強いと思うけど』
「だから今回は素直に請け負った訳か……了解した。それじゃあ、仕事の内容を説明してくれ」
話を促しつつ、涼二は部屋についている格子付きの窓の方を見上げた。
日は既に高く上っている。もう少しで昼時と言った所だろう。
誘拐を行うと言うのならば、恐らくは夜が結構になるか―――そこまで思考をめぐらせ、涼二はスリスの言葉を待った。
やがて、少しだけ何かを操作するような音が響いた後、スピーカーから声が発せられる。
『……標的は、静崎製薬の社長である静崎義之の一人娘、静崎雨音』
「社長の娘を誘拐……身代金でも要求するのか?」
『さあね。ボクらの仕事は、彼女の誘拐と保護までだ。その先の事は依頼主さんが担当するでしょ』
スリスの言葉に、涼二は小さく頷いた。
それだけでいいというのならば、話は単純だ。相手を誘拐し、適当に世話をしておけばいいだけである。
その後の事は依頼主の方から連絡が来るのであろうし、とりあえず悩むような理由は存在しない。
あまり首を突っ込み過ぎても、厄介事に巻き込まれるだけなのだから。
涼二は、小さく息を吐きだす。
「……了解した。それで、詳細な内容は?」
『決行は今夜十時四十五分。場所は静崎製薬新東京社。静崎雨音が会社に来るのは今日ぐらいだから、今日が一番のチャンスだね』
「会社に来る……? 一体、何の目的で?」
『さあね? ボクに分かったのは、彼女が来る事だけだよ。何らかの研究の為みたいだけど……流石に、トップシークレットクラスの内容はセキュリティが厳しいね。
一応こっちで調べておくけど……分かってる事は、そっちのモニターに送っとくね』
「ああ、助かる」
スリスの言葉と共に、涼二が装着するバイザーの視界の一部に資料が表示される。
決行時刻、会社の場所、侵入経路から始まり、警備員の巡回経路やシフト、終いにはターゲットのプロフィールまで付いている。
しかし―――
「……標的の写真は無いのか?」
『あー、どうも、普段は家の方に引きこもってるみたいでね。しかも写真がデータ化された気配も無い。この時代、一体どんな風に生活してるのやら……指紋とかはあるんだけどなぁ。一応、ハッキングはまだ続けてみるけど』
「ああ、気付かれない程度に頼む」
『ふふーん。ボクを誰だと思ってるのさ。涼二の率いるグループの情報担当だよん?』
「ああ、そうだったな」
スリスの言葉に、涼二は小さく笑みを浮かべる。
グループと言ってもたった三人だがな、と言う苦笑と、それでも十二分に在る実力への信頼を込めて。
これが氷室涼二の非日常であり、彼の生きる世界。
「さてと……それじゃあ、下見に行ってくるとするか」
『はいはーい。何かあったら連絡してねー』
「ああ、了解した」
『よっし。それじゃ……『ニヴルヘイム』、出動だよ!』
己の二つ名であり、そして己が率いるグループの名前であるその単語を耳にし、涼二はバイザーを外しながら笑みを浮かべた。
そして荷物を脇に抱え、外へと向けて歩き出す。
絶対の自信が込められたその歩みは、澱み無く目的地へと進んで行った。
* * * * *
「さて、と」
スリスの指定した道を通り、その状態を確認しつつ、涼二は静崎製薬の建物を見上げていた。
計画都市らしさの見える、歩道が広く取られているその入り口。
外は若干マジックミラーらしい曇りのついたガラスで覆われているため、全体的に黒っぽく見えている。
バイザーの入ったコートを小脇に抱えつつ、涼二はゆっくりとそちらへ向けて歩いて行った。
(……ふむ?)
横目でちらりと中を覗き見て、涼二は胸中で疑問符を浮かべる。
入り口に立っている警備員の、隙の無い佇まいが気になったのだ。
(ただの警備員にしちゃ、ちょっと心得がありすぎるんじゃないのか、こいつは?
どこかの警備会社に頼んでるって言うより、個人的に雇ってるような奴か……?)
とりあえず、気取られない内に視線を外し、涼二は小さく息を吐きだした。
そのまま入り口の正面を横切り、真っ直ぐと歩き抜けて行く―――警備員は、その姿に警戒した様子を浮かべるような事は無かった。
とりあえず安堵し、涼二はそのまま左へと曲がって会社の建物の後ろへと回ってゆく。
(……しかし、警備に堅気じゃない人間を使ってるとはな)
スリスから受け取った資料の中に、この会社で行われている実験の資料が一部混じっていた。
研究されているのは、ルーン能力の出力を抑える薬について。
ルーン能力は抑える事が非常に難しい為、刑務所などではかなり気を使っている。
その為、このような物が研究されているという事に関してはそこまで疑問と言う訳ではない。
だが―――
(それと、社長の娘が繋がらない。一体どういう事だ?)
今回の侵入経路となる裏口の方へと歩いてゆく。
涼二の思考を占めているのは、件の標的に関しての事だ。
普段は家から出てこないと言うその娘を、わざわざ研究所であるこの会社に連れてくる理由とはなんなのだろうか、と。
(娘にその手の知識がある? それとも、娘に強力な能力があって、それを抑える為か?)
疑問を反芻しながら、涼二は横目で裏口を確認する。
こちらは表よりも人数が少ないとはいえ、ちゃんと見張りは存在していた。
(依頼主が狙っているのは金か、それとも技術か……静崎雨音の処遇に関しては、その狙い次第って所だな。
まあ……あまり詮索するのも為にならんし、その辺りはあまり考えないようにしておくか)
思考を切り上げ、涼二はそのまま車道を渡って道路の反対側へと通り抜けた。
そのままぐるっと回っては、妙に疑われてしまう可能性もある為だ。
なので、多少遠回りしながら、警備員の目に背景の一部となるようにしつつ涼二は歩いてゆく。
そして再び横断歩道を渡って静崎製薬の横を進み、元いた場所へと戻って行った。
(……とりあえず、問題は無いな)
障害になりそうな物が存在しない事を確認した涼二は、夜まで待機する為、スリスが指定した待機場所へと進んで行こうと―――
「……ん?」
―――した瞬間、その目に会社の前に止まるリムジンの姿が目に入った。
昔ながらの黒い高級車に興味を引かれ、涼二はそちらの方へと振り返る。
車体の長いあの車は運転し辛くないのか……などと益体も無い事を考えつつ、涼二は小さく肩を竦めていた。
そして、もう一つ考えていた事は―――
「しまったな、ターゲットがこの時間に現れるんだったら、ここで誘拐した方が―――いや、それはリスクが高すぎるか」
確実に姿を見られる事と、警備の多い会社内へ進入する事。
どちらがリスクが高いかと聞かれれば、涼二としてはしばし悩まざるを得ない。が、スリスの腕を考えれば後者の方がいいと判断し、とりあえずターゲットの姿を確認しておこうと視線を向ける。
リムジンから現れる、一人の少女の姿を。
「え―――」
青みがかった光沢を持つ真っ直ぐな黒髪。憂いを感じているかのように伏せられている青紫色の瞳。
その全身を包むのは、最早旧時代の遺物と言う認識すらある藍色の着物。
白い手袋を嵌めたその手で、エスコートする護衛らしき人物の手を拒み、彼女はゆっくりと車から姿を現していた。
スリスから渡された資料の生年月日から考えれば、特徴は一致する。
しかしそれでも、涼二はその驚愕を抑える事が出来ていなかった。何故なら―――
「……姉、さん?」
―――その姿は、かつて十五年前に喪った姉の姿に瓜二つだったからだ。
涼二を庇い命を落とした姉、氷室静奈と……まるで、生き写しであるかのように。
そんな彼女の視線が―――涼二の瞳を、捉えた。
「―――っ!?」
偶然、だろう。静崎雨音と思われる少女の視線は涼二の瞳からすぐさま外され、彼女は会社の中へと入ってゆく。
しかし、その姿が完全に消え去るまで、涼二は指一本として動かす事も出来ないまま、呆然とその場に立ち尽くしていたのだった。