02-13:エピローグ
中間発表があるため、次回更新は10/10になります
「うーん……」
戻ってきた森崎グループの本社ビル。
事後処理に追われ、疲労困憊の状態で椅子に腰を降ろした時には、既に朝日が登りきっている時間帯だった。
そして現在、ニヴルヘイムに宛がわれた部屋の中で、涼二の持ち帰った書類を見ながらスリスは眉根を寄せていた。
周囲にいる他の三人は、ガルムを除き若干眠そうな表情でその様子を眺めている。
結局、徹夜する事となってしまったからだ。
しかしそんな状況でもすぐに休むと言う訳には行かず、シアを待つ間こうして持ち帰った情報を確かめる事となったのだ。
「確かに、いい情報ではあるんだけど……」
資料を机の上に降ろし、スリスは小さく肩を竦める。
そこには、どこか失望のようなものが込められていた。
「最新の情報って訳じゃないね……ここにある情報も確かに有用だけど、出来れば新しいものが欲しかったかな」
「だが、流石にもうあの施設からは手には入らないぞ?」
「分かってるよ……だから、今ある情報から辿っていくしかない。けど、大きな進歩なのは確かだよ。流石、涼二だね」
「まあ、怪我の功名みたいなもんだがな」
スリスの言葉に苦笑しつつ、涼二はそう口にする。
今回の事件は、殆ど突発的に起こったものであり、それが自分達に関連する出来事であるとは思っていなかったのだ。
思った以上に厄介な出来事になってしまったものではあったが、予想外の自体としてはそれなりにいい結果を残せた。
尤も―――若干一名、納得し切れていない人物はいたのだが。
「まー、そーゆー訳だからさ……あんまり責任感じすぎるもんじゃないって、おっちゃん」
「……醜態を曝したのは事実だからな。反省せねばなるまい」
手を組み、その上に額を乗せた体勢で項垂れるガルムに、涼二とスリスは視線を合わせて嘆息した。
確かに、ガルムが己にとっての仇を相手に暴走していたのは事実だろう。
けれど、涼二やスリスはそれを計算に入れた上で行動していたのだ。
その為、結果的に言えば、ガルムが敵を陽動してその間に涼二が侵入すると言ういつものパターンに収まっていたのだ。
結局の所、何か問題があったと言う訳ではない。この世界は、結果が全てなのだから。
「……まあ、次に冷静でいてくれればいいって。一応、直接の仇的な奴は倒せたんだろ?」
「ああ……だが、《ドヴェルク》に指示を出していた存在には辿り着いていない」
「その辺りを調べる為に協力者の名簿とかを取ってきたんだけど……ま、これからってトコだね」
スリスの言葉に、涼二はコクリと頷く。
裏側にいる存在が一体何者なのか。それはまだ分からないが、そこに辿り着かなくてはスリスとガルム二人の復讐は完了しない。
(……そう考えると、相手が分かってる俺はまだ楽なのかもしれないな)
とは云え、相手は同時に最も倒す事が難しい位置にいる存在なのだが。
その事を思い出し、涼二は感じた憂鬱に対して小さく嘆息を吐き出していた。
だが、それでも諦めるつもりは無い。徹夜に慣れておらず、尚且つ慣れない力を使った雨音が舟をこぎ始めているのを視界の端で確認し、他の仲間に見えぬように肩を竦める。
と―――その時、部屋の扉がノックされた。
「どうぞー」
「失礼しますわ」
部屋の中に入ってきたのは、嵐山によって扉を開けてもらったシアだった。
彼女は執事と、そしてその後ろに続く少女を引き連れ、徹夜明けの疲れた様子すら見せずいつも通りの様子で自分用に置いてある席に着いた。
涼二はちらりと彼女の後ろ―――あの時助け出した女性へとその視線を向け、小さく肩を竦める。
そんな涼二の様子には気付かず、シアは声を上げた。
「この度は良くぞ依頼を完遂してくれました。あなた達の働きに感謝しますわ」
「どうも」
徹夜明けでは皮肉を挟めるほど頭が回るわけでもなく、涼二は低い声で簡単にその言葉を受け取る。
シアもそんな涼二達の様子を理解しているのか、特に気にした様子も無く続けた。
「依頼は完遂、さらに我が執事の個人的な問題まで解決して頂きました。報酬には上乗せさせて頂きますわ」
「まあ、個人的な目的の一部だったので」
「ええ、存じております。ですが、これは個人的な感謝ですので、素直に受け取って頂けるとありがたいのですが?」
「……了解」
要するに、余分な借りは作りたくないという事なのだろう―――そう判断し、涼二は小さく嘆息を零していた。
普通に考えれば失礼極まりない態度だろうが、シアが気にした様子は無い。
対等な立場を望んだからこそ、彼女はそれを平然と受け止める事が出来るのだ。
「まあお疲れでしょうし、長々と話すのも邪魔でしょう。わたくしは早めに退散するとしますわ」
「助かる。正直、結構疲れてるんだ」
何せ、一晩かけて足と能力を使いながら街を駆け抜け、そして能力を使った戦闘もこなしたのだ。
いくら戦闘訓練を重ねた一流の能力者とは言えど、きついものはきつい。
一応、まだしばらく活動する事も可能ではあるのだが、必要も無いのにそのような事をするほど、涼二は酔狂な人間ではなかった。
疲労を溜め息と共に吐き出し、涼二は頷く。
「では、わたくしのお礼はこの程度で……話す事があるなら、話して行きなさい」
立ち上がり、振り返りながらシアが告げたのは、嵐山の後ろに控えていた佳奈美に対して。
その言葉に彼女は肩を跳ねさせながら驚いていたが、少しの間言葉を吟味して、覚悟を決めたように涼二達の方へと視線を向けた。
『グレイプニル』の材料として捕らえられていた彼女―――嵐山佳奈美は、ガルムが捕らえられているちょうどその間に涼二によって救出されていた。
涼二としては、解放された瞬間暴れ出したガルムの攻撃に巻き込まれかけた事に対して若干の文句があったが、とりあえず大事には至らなかったので気にしない事にしている。
一応は災害級の能力者とはいえ、戦闘に関してはずぶの素人。
周囲の状況に騒ぎまくる彼女を連れ帰るのは、中々に骨が折れる行為だった。
そんな佳奈美は、涼二達へ―――主に涼二へと向けて、深々と頭を下げる。
「この度は助けて頂き、本当にありがとうございました。私だけじゃなく、兄さんまで―――」
「そっちはそこの依頼主から命じられた仕事の範囲だ。礼を言うんだったら姫さんに言っておいてくれ」
「……何ですの、その呼び方?」
「眠いんで適当だ、気にすんな」
欠伸を噛み殺し、涼二はそう口にする。
そしてどこか納得いかなそうな表情をしながらも、シアは彼の様子に肩を竦めていた。
しかし頭を下げているか並は二人の様子に気付かず、後ろで見守る嵐山だけが苦笑じみた表情を浮かべていた。
「あの、お礼を……」
「アンタを助けたのはついでだから、気にしないでくれ」
「で、ですけど……」
顔を上げ、尚も食い下がる彼女に対し、涼二は小さく嘆息する。
実際の所、涼二も彼女が生きている可能性は半々程度に考えていたのだし、さらに自分達が必要とする資料を奪取する事を優先していたので、あまり感謝されると居心地が悪いのだ。
しかしそんな涼二の心境は知らず、佳奈美は尚も食い下がる。
「このまま何もお返しできないのは、私としても納得できません!」
「ぅあー……」
眠気で思考能力が低下している中、がんがん響く声に頭を抱えつつも、涼二は遅くなった頭を必死に回転させる。
ちらりと見た佳奈美の顔は、本気の熱意に燃えていた。一応年上の筈なのだが、その表情のおかげか随分と若々しく見える。
そんな彼女へと向け、涼二は問いかけた。
「……アンタ、仕事何してんだ?」
「はい? ええと、私は兄さんと一緒に鉄森家の使用人を―――」
「ああ、じゃあここの手伝いをしてくれ。見られちゃ拙い資料があるが、アンタならもうそれなりに知ってるから大丈夫だろ」
「え……あ、は、はい!」
無論、その辺りの配置はシアが決定しているのだろうが―――と涼二は隣に立つシアへと視線を向ける。
彼女は何処と無く呆れたような表情を浮かべていたが、一度目を閉じて嘆息すると諦めたように苦笑を浮かべた。
「好きにするといいですわ。彼女一人抜けた程度で回らなくなるほど、仕事が立て込んでいる訳ではありませんもの」
「そうかい……じゃ、借りる」
「よ、よろしくおねぎゃいします!」
微妙に噛んでいる佳奈美へと嘆息しつつ―――涼二は、その身を深くソファへと沈めていた。
身体を包む倦怠感がじんわりと癒えて行く感覚に、そっと目を閉じる。
(今日は一日寝るとするか)
結局自宅に戻る事が出来なかった事を考えつつも、涼二はゆっくりとその睡魔へ身を委ねて行ったのだった。
* * * * *
「……参ったなぁ、これは」
資料を眺めつつ紅茶を口に運び、悠は嘆息交じりの息を吐き出す。
そこに記されていたのは、ユグドラシルが秘密裏に保有していた研究施設が壊滅したとの知らせだった。
そこは主に『グレイプニル』を研究、開発する為の施設であり、今となってはそれほど重要度の高い施設と言う訳ではなかったのだが―――
「救いと言えば、コレが一般や司法局には公表できない内容だって事ぐらいか……」
『グレイプニル』の研究は完全に違法であり、これを周囲の人間に知られる訳には行かない。
その為、研究施設の内容を知っているのは上位の幹部クラスと、全ての情報を統括するミーミルの室長、詩樹悠程度なのだ。
空になったティーカップを置き、読み終わった資料から視線を外して深々と息を吐く―――凝った肩を解しつつ、悠は小さく苦笑を浮かべていた。
実際の所、ミーミルでこの事を知っているのは一人ではないのだ。
「それで、涼二君は大丈夫そうなの?」
「まあ、ね。一応涼二も、出力はそれなりに抑えていたみたいだし」
悠の副官である怜は、今回の事件に関する概要を知っていた。
元より、誰よりもこのユグドラシルという組織の闇に精通している二人なのだから。
資料の中には、IとLの使われた形跡に関して語られている。
一応、出力としては災害級程度に抑えられているようだが―――
「ムスペルヘイムの人達が動く事にならなくてよかった、って所かな……現場を見たら、間違いなく《氷雨》が使われたって確信するだろうし」
「涼二君がいた頃からの隊員さんだったら、確かにそうかな」
小さく苦笑気味に、怜はそう口にする。
恐らく、緋織だったら黙ってはいなかっただろう、と。
それには全面的に同意せざるを得ないので、悠もまた苦笑を浮かべて新たに注がれた紅茶へと手を伸ばした。
「涼二達も今回はちょっと無用心な感じがしたけど……突発的な事態だったって事かな」
「突発的にあんな場所見つけちゃうかな……?」
「まあ、涼二だからね……変に運がいいのか悪いのか」
やれやれと肩を竦め、悠は苦笑を漏らす。
いつも何かと厄介事に巻き込まれていた涼二の姿を思い出し、彼ならばありえなくもないと納得してしまったのだ。
その隣で怜は軽く資料を眺め、小さく首を傾げる。
「この『グレイプニル』って……どうしてまだ研究が続けられてたの?」
「ああ……不安が尽きなかったからだろうね」
「不安?」
悠の言葉に、怜は再び疑問符を浮かべる。
そんな彼女の様子に小さく笑いつつ、悠は己のルーンを発動させてその記憶を辿った。
そのルーンの一つが刻まれているのは、彼の舌の上―――傷痕のようなAのルーンが力を放つのを感じつつ、悠はゆっくりと声を上げた。
「『グレイプニル』はね……元々、一人の能力者の力を抑える為に作られたものなんだ」
「一人? それって?」
「《予言の巫女》がその存在を示唆した、大いなる破滅の引き金となる能力者。その能力者の力を封じ、そして確実に殺す為に『グレイプニル』は作られた」
能力を使うと喉が渇く―――そう呟き、悠は紅茶を口にする。
その眼鏡の下の視線は、先ほどとは違い鋭く細められていた。
まるで、その先に敵がいるかのように。
「けれど、『グレイプニル』の研究は何者かの手によって逆手に取られてしまった」
「逆手? それって、どういう事なの?」
「何者かが『グレイプニル』を使い、その人物を逃がしてしまったんだ。強力な能力とプラーナゆえに非常に目立っていた彼も、その両方を抑えられては探し出す事も難しい。
いつ爆発するかも分からない爆弾が、行方知れずのままになっているようなものだ」
そんな悠の言葉に、怜は大きく目を見開く。
この組織が危険視するような相手が行方知れず―――それがどれほど危険な事なのか、良く理解しているからだ。
けれど―――
「力が封じられてるんだったら、一応は大丈夫なんじゃ……?」
「『グレイプニル』は、高位の力を持つThのルーンによって解除する事が出来る。そして、それを持つ者は今やユグドラシルの敵なんだよ、怜?」
「あ……!」
怜の顔に理解の色が広がるのを見て、悠は小さく頷いて見せた。
先にあるかもしれない脅威。いつ来るかも分からないからこそ、その力は恐ろしいものだ。
そして―――今回の件で、その脅威が現れる工程に一歩足を踏み込んでしまった。
「もしも『グレイプニル』に対する対処法を心得てしまった涼二が彼に出会えば、彼は間違いなく解き放たれてしまうだろう。涼二だけだって十分に脅威だったのに、そんな存在まで加われば―――」
「気をつけないといけないの……かな」
不安そうに、怜はそう口にする。
それに対して一度目を閉じ、悠は小さく声を上げた。
そこに、僅かな不安と―――そして、笑みを浮かべながら。
「尤も、それぐらいの方が戦い甲斐があるってものだとは思うけどね」
「……もう、悠君ってば」
呆れたような表情で、怜はそう口にする。
そんな彼女の様子に小さく苦笑を浮かべ、悠は声を上げた。
それでも、どこか楽しそうな様子は消さないままに。
「緋織だけじゃ、涼二とその人物には届かないかもしれない。それを何とかするのが僕の仕事だと思ってるからね」
「うーん……まあ、涼二君が出てくるとなったら緋織ちゃんも美汐ちゃんも黙ってはいないと思うけど」
「美汐はまだまだ経験不足だからね……勉強だけはしっかりしてるけどさ」
もう一人の友人の姿を思い出し、悠は小さく笑う。
誰よりも優しく、誰よりも愛され、誰よりも友人想いな彼女なら―――きっと、何が何でも涼二の事を連れ戻そうとするだろう。
果たして仲間に甘い涼二が、彼女に対して強く出る事が出来るのかどうか。
少しだけ意地悪な事を考えながら、悠は最高のAの力を使って無数の思考を張り巡らせる。
手加減はしない。それが、彼に対する礼儀なのだから。
「まあ、美汐はいい意味で思い切りがいいから、涼二が相手でも迷ったりはしないだろうけど。ただ、彼が出てくるとなると……」
「さっきから言ってる『彼』って、『グレイプニル』の力で逃げちゃった人の事だよね? 悠君、知ってるの?」
「ん、まあ……名前までは伝わってないけど、どういう風に呼ばれていたかは知ってるよ」
災厄をもたらす能力者として、念入りに抹殺されようとしていた一人の少年の記録。
けれど彼はその姿を消し、依然としてその行方が知れないままとなっている。
そんな彼の、二つ名は―――
「《悪名高き狼》……彼は、そう呼ばれていた」
「……《悪名高き狼》、か」
その名を吟味するように、怜は小さく呟く。
そんな彼女の様子を眺めていた悠は、一度視線を降ろし、それから虚空を見上げていた。
この先どうなってしまうのかは分からない。けれど―――
(もう一度、あの頃のように戻れればいいと……そう思ってるよ、涼二)
ここにはいない相手に対し、悠はそう小さく呟いていた。