02-11:赦せないもの
今回の能力者の案はRAYさんより頂きました。
地下深く隠されたその場所は、外の様相とは違い最新の研究施設の設備を整えていた。
先程の光景とはあまりにも場違いなそれを見て、ガルムは一瞬だけ目を見開く。
が―――飛んできた弾丸に対して即座に反応して身を躱していた。
その先にいるのは、幾人かの男たち。
「来たぞ!」
「殺すなよ、生かして捕えろ!」
その言葉に、ガルムは小さく口元を歪める。
どうやら、彼らは分かっていないようだ、と。
まるで自分達が狩る側であると勘違いしているようなその言葉―――即座に後悔させてやる、そう誓うように。
そしてそのまま、ガルムはRのルーンへと回すプラーナ量を増加させた。
ギャリ、と―――鋭い脚の爪が、金属質な床を擦る音が響く。
そして次の瞬間、ガルムの体は弾丸のように飛び出していた。
『―――ッ!!』
空気摩擦の熱を感じながらも、その身は刹那の内に彼らを容赦なく蹴散らし、破片となったその体を散らす。
しかし油断はせぬまま、ガルムはさらに通路の奥へと向けて駆けだした。
放たれる警備ロボットの攻撃を躱してその鋼鉄の体を鉤爪で引き裂き、雇われたと思われる能力者を攻撃の前に加速して打ち砕く。
一歩も止まる事無く進み、周囲に破滅を振りまき続けるその姿は、紛れも無い災厄そのものだった。
と、次の瞬間―――
「―――《猪突猛進な振る舞い》!」
『ぬッ!?』
高速で宙を駆け抜けてきたその一撃を紙一重で躱し、ガルムは思わず足を止めていた。
その攻撃は非常に早く、目視してから躱すまでほとんどタイムラグが存在していなかったのだ。
無論、ガルムが加速しながら直進していたのも相まっているのだろうが―――
(Rの能力者か……!)
獣としての姿を崩さず、声を出さぬままにガルムは胸中でそう叫ぶ。
互いに向かい合いながら加速していた事によって衝突しかけた―――が、どうやら相手はそれが目的であったらしい。
主に拳や爪と言ったインパクトの瞬間を狙うような攻撃法を取るガルムと違い、今回の相手が行った攻撃は体当たりによるもの。
(ただの自爆特攻とは違う……強化した上での加速突進か)
だが、それにしても―――と、ガルムは若干の疑問を吐き出す。
加速の際に殆ど風圧を感じなかった事に、ガルムは違和感を感じていたのだ。
別の能力が干渉している可能性もあると、油断せぬままにガルムは構える。
同じくRの能力者であるガルムならば逃げる事も不可能ではないだろう。
だが、追いつかれぬようスピードを落とさぬまま進むのはいかな高い技量を持つ彼とは言えども不可能だ。
ここで迎撃せねばならない。周囲に注意を払いつつも、ガルムは相手へと向けて駆けた。が―――
(体が重い……!? Oの重力操作……いや、Iの停止減速か!)
舌打ちしつつ、ガルムはプラーナの出力を上げる。
能力による直接干渉は、それ以上のプラーナを叩き付ける事で解除する事が可能だ。
だが、一瞬でも動きを止めてしまったガルムの身体は、単なる的でしかない。
「T、R、I―――」
前方にいる男は、地を蹴る体勢を作りながら再びルーンを発動させる。
この距離、この体勢では躱す事は不可能。怒り狂っていても戦闘では冷静な部分を残しているガルムの思考は、客観的にそう判断する。
そして即座に、ガルムは新たな形でルーンを発動させた。
(―――《神速の律動》!)
Rによる思考加速―――それは、感覚の延長に他ならない。
Aの持つ高速思考と違う点は、理路整然とした思考回路を作り出せる訳ではないという事。
しかし、神話級の能力者にして深い知識と聡明さを持ち合わせるガルムは、それに準ずるほどの力を発揮する。
相手が飛び出してくるまでの一瞬で思考を完了させたガルムは、更なるファンクションを発動した。
(―――《冥府の門番》!)
発動させたのは、TとEhを組み合わせた強化のファンクション。
加速を捨て、純粋に力と強靭さを求めたその姿は、先ほどのしなやかな―――十二分に大柄ではあったが―――人狼よりもさらに一回りほど大きい。
肥大化した筋肉の鎧は、銃弾も生半可な能力も通じないほどに強力な防具となる。
そしてその状態で防御の為に腕を交差させ、ガルムは突っ込んでくるその神速の突進を待ち受けた。
一瞬の空白―――そして、衝突。
『ぬぅ……ッ!』
強烈な威力を受け止め、ガルムはその足の爪を地面に突き立てながら、その衝撃を必死にこらえていた。
重圧は一瞬―――その強大な力を、ガルムは一人で受け切る事に成功する。
目の前にあるのは、驚愕に目を見開いた男の姿。
まだ地面に降りる前のその身体を、ガルムは両腕を振り払うようにしながら地面へと叩きつけた。
「が……ッ!?」
普通の人間ならばそれだけで砕け散るほどの腕力。
けれど、Tを持っていたその男の身体は、生憎とその一撃だけでは致命傷たりえなかった。
故に、ガルムは腕を振り上げながら小さく告げる。
『敬意を表しよう―――』
静かに告げる、その言葉。
獣と思っていたものが声を上げた事に、男は大きく目を見開く。
しかしそれを意に介さず、ガルムは男にのみ聞こえる程度の小さな声で告げる。
『私に攻撃を全力で『受け止め』させた男は久方ぶりだ』
そして―――その巨大な拳が、地面へと向けて打ち下ろされた。
Rの加速など存在しないにもかかわらず、目にも留まらぬほどの速さで放たれたその拳は、容赦なく倒れた男の背中を打ち貫き、この施設全体を大きく揺らした。
轟音と鳴動、そして金色の毛並みを赤く染めた獣は、その破滅の中で尚も立ち上がる。
鋭敏になった嗅覚は、その血の臭気の中でも尚、どこか覚えのある臭いを感じ取っていたのだ。
そちらの方へと向かって、ガルムはその強靭な肉体を解除しないまま歩き出す。
『こちらか……』
先ほどまでのような速さは無い、だが進行を止める事も無く、ガルムは一歩一歩目的の方向へと進んでゆく。
放たれる銃弾も、人体を砕け散らせるような爆発物も、鎧と化したガルムの肉体を傷つける事は叶わない。
速さを捨て、防御と攻撃に偏重した戦闘形態―――それが、《冥府の門番》だった。
《血染めの狼》ほどのバランスの良さは存在していなかったが、それでも戦闘を行うには十分すぎるほどの能力である。
能力を使って姿を変化させるにはそれ相応のプラーナが必要であり、状況に合わせて一々変化するのは、神話級のガルムですら少々厳しいものがある。
それ故、元の姿に戻るのはあまり合理的とは言えないのだ。
(あまり時間は無い、が―――)
繰り返す戦闘での冷静な思考によって、ガルムの意識は少しだけ冷静さを取り戻していた。
感じ取っている臭い―――少し、あの執事に似た感じのするそれは、もうあまり遠い場所ではない。
放たれる攻撃や向かってきた能力者などを羽虫の如く振り払いながら、ガルムはそちらの方向へと進んで行った。
振るった拳が当たった壁が砕け散り、進む道は血に染まる。
胸元を血に染めたその姿は、凄惨なまでに恐ろしい様相を成していた。
けれど、止まらない。ガルムを止められる者が存在しない。
降りてくる分厚い隔壁も、手刀を刺し込んで貫通し、無理矢理に二つに裂いてしまう。
弾丸を放ってくる大型の警備ロボットは、それらを意にも介さぬまま進み、無理矢理に踏み潰す。
暴虐を振り撒きながら進んだ先は……一つの、金属製の扉だった。
ガルムは、その扉を引き剥がすように破壊する。
「ひっ……!?」
そこにいたのは、一人の女性だった。
病人用の簡易服のようなものを纏い寝台に寝かされていた彼女は、ガルムのその姿を見て恐怖に表情を引き攣らせている。
少しだけ感じ取る事の出来るあの執事の面影に、ガルムはどこか苦笑じみた吐息を吐き出した。
本当に、配慮が足りなかったと。今の自分の姿は、少なくとも助けに来た人間のものでは無い。
けれどこのままでは埒が明かないと、ガルムは彼女―――嵐山佳奈美へと向けて声を上げた。
『私は、君の兄上から依頼を受けて君を助けに来た者だ』
「……え……?」
『信じられないのも無理は無いし、君を実験台にしようとした者達への個人的な恨みからの行動でもある。だが―――』
呟き、ガルムは腕を振るう。
その爪の一閃が、佳奈美を拘束していたベルトを切り裂いていた。
自由になった彼女は、驚いた表情を浮かべながら己の両手を見つめている。
そんな彼女へと向けて、ガルムは続けた。
『部屋の隅に行って、隠れていて貰いたい。私の力は、護衛には少々不向きだ』
「は、はぃ……」
恐る恐る、警戒しながら距離を取るように離れてゆく佳奈美の姿に、ガルムは再び苦笑を漏らす。
そして彼女が部屋の隅まで避難したのを確認すると、握り締めた拳を部屋の壁へと向けて叩き付けた。
「ひっ……きゃあ!?」
引き攣ったような悲鳴は黙殺し、腕を振り払うように壁を破壊する。
その向こうにいたのは、複数の研究者の姿だった。
気付かれないと思っていたのだろう、戦闘者でもない彼等は、ガルムを前にして恐怖に表情を引き攣らせている。
ガチン、とガルムの鋭い牙が鳴る―――黄金の体毛を逆立てながら、その見た目を更に一回りほど大きくして、ガルムは怒りの唸り声を上げた。
「ひ、ッ……け、警備員は何をしている!? 早くコイツを―――」
ガルムの振るった腕が、甲高い音を立てて霞む。
そしてその瞬間、叫び声を上げていた男の頭部が弾けとんだ。
夥しい血を噴水のように吹き上げながら事切れる男を見据え、ガルムはつまらなそうに息を吐き出しながら声を上げた。
『技藤とやらは何処にいる』
唸る、怨嗟のような声。
そこに篭る巨大な憎しみに、研究者達は縛り付けられたように動きを止めていた。
だが、その視線だけは全てある方向―――そこに立つ一人の男へと向けられている。
黒縁の眼鏡をかけた茶髪の男。うろたえてばかりの研究者達の中で、たった一人だけ冷静さを保っていた存在に、ガルムはその視線を向ける。
『貴様か』
「……はぁ、ついていない。折角ここまで漕ぎ着けたと言うのに」
死を目の前にして態度を崩さぬその余裕に、ガルムは訝しげに眉根を寄せる。
技藤はそんな彼の困惑を理解しているかのように、口元に笑みを浮かべながら声を上げた。
「だが、これも正当な使い道と言えるか―――」
『何を言って……ッ!?』
刹那、ガルムの周囲から紐状の物が飛び出し、その巨体へと向かってゆく。
ガルムは反射的にそれを爪で薙ぎ払ったが―――そのベルトは、鋼鉄すら斬り裂く爪を受けてもビクともしなかった。
その事実に驚愕する間もなく、ベルトはガルムへと向けて襲い掛かる。
『これは、まさか『グレイプニル』―――!?』
Rを交えた状態、《血染めの狼》ならば躱す事も可能だっただろう。
けれど、今のガルムはスピードではなくパワーとディフェンスに偏重した姿。
その姿では―――それを躱す事など、叶わなかった。
* * * * *
「やっぱ、コレは必要か……」
密都内に点在する隠し場所の一つから持ち出したコートとバイザーを纏い、涼二は夜の街の上空を駆ける。
その身に水のロープを纏い、様々な建物に繋ぎながら飛び回るその姿は、さながら蜘蛛のようだった。
僅かに赤く光るバイザーは、さながら複眼と言った所か。
自分自身の皮肉に苦笑しながらも、涼二はようやく目的地の姿を目視していた。
「ようやく着いたか……って言うか」
地面に降り立ち、その建物の状況を眺めながら、涼二は思わず頬を引き攣らせる。
それほどまでに酷い状況だったのだ。壊滅しているといっても過言ではない。
本気で暴れたらしいガルムの爪痕を眺めながらも、涼二はその廃工場を装った施設の中へと足を踏み入れてゆく。
「……こりゃまた、随分と猛ってるな、あいつ」
無数に刻まれた爪痕、砕け散った機械、地面に開いた大穴。
どれもこれも人間業では無い破壊力―――その痕跡を目の当たりにして、涼二は小さく苦笑を零す。
見事なまでに破壊し尽くされたその場所は、彼が向かって行った何よりの証拠でもあった。
(今は戦闘音が聞こえない……暴れるまでも無い状況か、或いは暴れられなくなっているか……一応、考えておいた方がいいか)
胸中で呟き、涼二はバイザーの上からその右目を押さえる。
その瞳に刻まれた、Thの始祖ルーンを。
出来ればそれが活躍する機会が存在しないことを望みながら、涼二はLのルーンを発動させて地下へと降りていった。
「―――スリス」
『はいはーい、調査完了。バイザーに表示するよ』
スリスの明るい声と共に、涼二の司会に施設の地図が表示される。
相変わらず完璧なまでの調査結果に、涼二は思わず苦笑を浮かべていた。
地下深くの地面に降り立ち、その画面を身ながら涼二は暗がりに姿を隠す。
どうやら、ガルムはゆっくりと道を進んでいる所のようだった。
(アレをやったのか……となると、本格的に警戒が必要になるかもな)
胸中で嘆息しつつも、人の目がなくなる瞬間を捉えて涼二は施設の中へと侵入してゆく。
涼二の目的はただ一つ―――ある意味では、いつも通りの行動だった。
即ち、ガルムが視線を集めている間に、涼二が目的となるもの手に入れる。
今回の目的は、依頼内容である嵐山佳奈美、そして『グレイプニル』とユグドラシルに関する資料。
スリスの手によって監視カメラの映像が偽装された通路を走り抜けつつ、涼二は小さく笑みを浮かべていた。
(尻尾は必ず掴んでやる……待っていろ、ユグドラシル)
その瞳に映るのは、ガルムとは違い―――しかし、同じものでもある憎しみの炎。
冷たく燃え上がる青い炎のようなそれは、涼二の感覚を先にいる敵へとより鋭く尖らせて行っていた。
向かうべき場所は実験室、そして資料やデータが収められた場所。
『これだけ大規模な実験施設を作っていたんだ、ユグドラシルの手が入っているのは確実だよ。
けど、問題はトカゲの尻尾切りぐらいは簡単に行えるって言う事。あいつらは、ここを切り捨てるぐらいは簡単にする』
「ああ、それは俺が一番良く知ってるさ」
元々ユグドラシルに所属していたからこそ、涼二は強い実感を持ってそう口にする。
そしてそれに対し、どこか頷くような気配を見せながら、スリスが声を上げる。
『実際、もう向こうから干渉を受けてる可能性はある。気をつけてね、涼二』
「分かってるさ……だが、この混乱状況だからこそ―――」
『セキュリティが解除しやすい、ってね。データロックさえ解除してもらえれば、ボクがいくらでも情報を奪ってこれる。頼んだよ、涼二』
「ああ、任せろ」
頷き、涼二は駆ける。
冷静さを保ちつつも、どこか急ぎながら。
―――それ故、涼二は気付かなかった。
「……」
彼の後を追い、一人の人影が内部へと侵入していた事を。