02-5:失踪した男
「……まあ、アンタの命令なら従わざるを得ないんだが、せめて分かるように説明してくれないか」
帰宅を取り止め、取り乱すシアを落ち着かせながら椅子に座らせてから、涼二は嘆息交じりにそう呟いた。
目の前の少女―――鉄森シア。金髪碧眼の彼女は、そのポニーテールに纏めた髪を揺らし、沈んだ表情を浮かべている。
年の頃はあまり変わらず―――否、少し低いぐらいかもしれないと、涼二は目算をつけていた。
そんな少女がこのような巨大な会社を動かしている事には驚愕を禁じえなかったが、それでも取り乱している所を見ると歳相応にも思える、と涼二は小さく肩を竦める。
普段なら気付いていたであろう涼二の観察の目に、しかしシアは気付かぬままかぶり振って声を上げた。
「嵐山は……わたくしの使用人にして護衛です。本来なら、わたくしの命令が無い限りは片時も離れる事はありませんわ」
「それが、連絡しても応答が無いって事?」
「ええ。今朝から視察に行かせていたのですが、時間になっても戻って来ず……連絡も」
スリスの言葉に頷き、シアは顔を俯かせる。
そんな彼女の言葉を吟味しつつ、涼二はガルムの方へと視線を向けた。
彼も得た情報から考察しているようではあるが、まだ情報が足りない。
「……執事って、あの角刈りの男だったな。あいつなら、アンタのところのショッピングモールで見かけたぞ。視察ってのは、あのショッピングモールの事を言っているんだよな?」
「ええ、その通りですわ。現在までの経営状況のチェックに行かせていたのですが……」
「ふむ……スリス、ちょっと頼めるか?」
「ん、何ー?」
流石にスナック菓子を摘むのは止めたのか、ゲームをスリープモードにしたスリスが涼二の言葉に首を傾げる。
どちらにしろあまり気にしないような面子ばかりではあったが、一応分別はあったようだ。
小さく息を吐き出しつつも、涼二は彼女へと向かって声を上げる。
「俺が見たとき、あの男は何者かと電話をしていた。てっきり鉄森かと思っていたんだが、どうやら違うみたいだからな。通話記録をチェックしてくれ。流石に録音データは無いだろうが、電話番号から相手の事を割り出せるだろ」
「ん、了解。ちょっと待ってねー」
ノートパソコンを開いて早速ハッキングを始めるスリス。
そんな彼女からは視線を外し、涼二は小さく苦笑交じりの声を上げた。
「しかし、少し意外だな」
「はい?」
「アンタの事だよ。人を使うのには慣れてそうなイメージがあったんだが……側近とはいえ、一人いなくなっただけでここまで取り乱すとはな」
多少からかうようなニュアンスを込めて、涼二はそう口にする。
が―――どうやら、彼女にとってはあまり冗談にならなかったようだ。
「当然ですわッ!」
「ぬおっ!?」
バン、と力強く机を叩き、シアは勢い良く立ち上がる。
その瞳に篭った気迫に、涼二は思わず顔を引き攣らせていた。
が、彼女はそんな涼二の様子に気付かぬまま、勢い良く声を上げる。
「あの素晴らしい筋肉を数時間とはいえ見る事が出来ないなんて、わたくしにとっては耐えられません!」
「……そっちかよ」
「うむ、確かに素晴らしい筋肉だがな」
「頼むからお前までボケに回らないでくれ」
得意げな表情で頷いているガルムへは半眼を向け、涼二は感じた頭痛に頭を抱えた。
隣から雨音によって頭を撫でられていたが、とりあえずスルーし、呆れを交えた表情をシアへと向ける。
若干威嚇じみた険相になってしまっていたが、彼女は一歩も引く事無く続けた。
「いいですか、人間には筋肉は必要不可欠なものなのです!」
「そりゃ、自分の筋肉は要るけどな」
「わたくしの多忙な日々に潤いを与えてくれる嵐山の筋肉……アレが無くなってしまっては、わたくしはどうすればよいと言うのですか!」
「仕事しろよ」
一つ一つ的確にツッコミを入れていくが、生憎とシアには全く堪えた様子は無い。
涼二は深々と嘆息し、仲間に助け舟を求めようとして―――援護してくれそうな人物がいない事に絶望した。
そして涼二が両手で蹲るように頭を抱えている間にも、シアの欲望に満ちた主張は続く。
「ええ、確かにガルム様の筋肉も魅力的ですわ。嵐山のそれと引けを取らぬほどに完成された肉体美……嘗め回すように観察したいのは事実です」
「……頼むから嘗め回すようにとか言うな。仮にも女だろ、お前」
「ですが!」
どうやら全く聞こえていないらしい―――と、涼二は小さく嘆息を漏らす。
感極まっているらしいシアはそんな涼二の様子に気付かず、芝居がかった様子のまま声を上げた。
「だからといって嵐山を失う訳には行きませんわ! たった一つの上腕二頭筋ですのよ!?」
「……いや、二つあるだろ上腕二頭筋。まあ、本人がいないんだったら意味ないが」
深々と嘆息。
しかし―――と、疲労感に満ちた感覚の中でも、涼二はしっかりと思考を展開していた。
何だかんだとおかしな主従ではあるが、嵐山と言う男は実際にかなり優秀な執事なのだ。
主であるシアとの信頼関係も厚く、戦闘に関してもかなりの実力を持っている。
だと言うのに、何の連絡も無く姿を消すと言うのはあまりにも不自然なのだ―――そう、よほどの緊急事態でも無い限りは。
「……ガルム」
「うむ。流石に、万が一と言う事もあるからな」
窓の外を見れば、既に日が落ちて電灯の光無しでは見通す事の出来ない闇に包まれた状況だ。
捜索の為に外に出る事を考えてはいるが、この時間に当ても無く探し回るのは効率が良いとは言えない。
今日は室内で情報収集に努め、明日までに戻って来なかったのならば探しに出ると言うのが妥当な所だろう。
ただし―――
(……このお嬢さんは納得しないだろうからなぁ)
未だに熱弁を奮っているシアの様子を半眼で見つめつつ、涼二は小さく嘆息する。
普段の冷静な経営者である彼女ならば非効率的な命令をするような事は無いだろうが、今の彼女にはそんな余裕があるとは思えない。
仮にも巨大グループの経営者だと言うのに、こんな体たらくで大丈夫なのかと若干不安を覚える涼二ではあったが、普段の彼女の優秀さを考えると、この程度で揺らぐような会社でもないのだろうと納得する。
と―――
「……涼二、これちょっと変だ」
「ん? 何か分かったのか?」
スリスの上げた言葉に、涼二は顔を上げて視線を向ける。
彼女は先ほどまでの弛んだ表情を引き締め、眉根を寄せながら声を上げた。
「かかってきた番号は特定できたけど、そこから先が調べられないようになってる。最新のプロテクトだよ、これ」
「探知不能な番号からかかってきた電話……?」
「それに、本人も衛星探知システムは切ってるみたいだよ。ちょっときな臭いと思わない?」
「……ふむ」
スリスの言葉に、涼二とガルムは思考を巡らせる。
息を飲んでいるシアと状況を理解していない雨音を含め、部屋の中には一時だけの沈黙が降りた。
そして―――涼二は、声を上げる。
「スリス、場所の探知は出来るか?」
「相手と本人ね……両方、ちょっと時間はかかるけど可能だよ。どっちかっていうと本人を探す方が素早く出来る」
「分かった。なら、そちらを優先してくれ」
スリスにそう指示を出し、涼二は立ち上がる。
夜とは言え、相手の位置さえ分かればある程度の目算をつけて探す事は出来る。
スリスならば、数分ほどでそれを完了させる事が出来るだろう。
ならばやる事は決まっていると、涼二は小さく笑みを浮かべてガルムへ、そしてシアへと視線を向けた。
「俺達に指示を出せ、依頼主殿。そうすれば、俺達はアンタの命令通りに動こう」
「……!」
そんな涼二の言葉に、シアは大きく目を見開く。
しかし彼女はそんな驚愕を一瞬で納め、そして凛とした視線を涼二へと向けた。
「では、ニヴルヘイムに依頼です。我が従者、嵐山果須の捜索をなさい」
「……了解した。一応緊急性があるかもしれないから、値段交渉とかは後にしといてやるさ。ガルム、行くぞ」
「ああ」
「雨音、お前はこっちでスリスの手伝いを頼む。飲み物を運ぶ程度で構わないから」
「分かりました、涼二様。お気をつけて」
自分が行っても役には立てないという事を理解しているのだろう、雨音は若干申し訳なさそうな笑みを浮かべ、そう頷いた。
自分自身の実力を弁えたその姿勢は涼二にとっても好ましい物であり、小さく頷き返す。
ガルムもまた涼二に続くように立ち上がり、スリスは画面にその顔を向けたままひらひらと手を振った。
「じゃあ、行ってくる。連絡を頼んだぞ」
「はいはーい、じゃあ気を付けてね……あ、シアちゃんちょっとお願いがあるんだけど」
仕事に関しては真面目なスリスに苦笑し―――残る三人の言葉に耳を傾けながら、涼二はガルムを連れ立って与えられた部屋を出て行った。
* * * * *
「嵐山の部屋、ですか」
シアの言葉に頷きながら、スリスは雨音を連れ立って廊下を歩く。
先導するシアの案内の元向かっているのは、失踪したと言う件の従者、嵐山に与えられていると言う部屋だった。
歩きながら両手で持ったノートパソコンは、スリスの能力による干渉で自動的にいくつもの画面を展開していた。
神話級のA能力者として持つ大量の《並列思考》の半分以上をパソコンでの作業に傾けながらも、スリスはシアへと語りかける。
「流石に、携帯から分かる資料程度じゃ何も分からないからね。彼が個人行動を取るに至った理由を調べるには、やっぱり本人の部屋を調べた方がいいだろうし」
「そうですわね……と言っても、わたくしも何があったか気づく事は出来なかったのですが」
「おっちゃんと同種の人間っぽいからねぇ、あの人。自分の感情を隠すのは得意そうだし、無理も無いと思うよ」
肩を竦めつつ、スリスは嵐山のいる場所を調べ、それと同時に通話記録にあった相手のプロテクトをゆっくりと慎重に突破してゆく。
まだまだ時間のかかりそうな作業に辟易しつつも、スリスはシアへと向けて続けた。
「でも、そういう人間だからこそ、こういう感情的な行動に出るにはそれなりの理由があると思う……って言うのはまあ、おっちゃんが言ってた事だけど」
「理由、ですか……」
「想像は出来ませんが、大切な事だったのでしょうね」
目を閉じ、雨音がそう口にする。
大切と呼べるものが少ない雨音にとっては実感しがたい事なのか、あるいは少ないからこそ共感できるのか―――能力によって得ている視界に僅かながら映る雨音の姿を見つめ、スリスは肉体の目を閉じる。
「……ここですわ」
「っと……じゃ、お邪魔します」
いつの間にか到着していた事に気付き、開けて貰った扉をくぐって、スリス達はその部屋の中へと足を踏み入れる。
嵐山に与えられている部屋は使用人の物とはいえ非常に大きく、しかし部屋の広さに比して私物と思われる物は非常に少なかった。
「おっちゃんの部屋に似てるなぁ」
それを眺め、スリスは苦笑交じりにそう口にする。
この部屋の持ち主の私物と思われる物は棚の上に置かれた本と、所々に置かれているトレーニング器具のみである。
そんな中、スリスは部屋の片隅に置かれたパソコンを発見し、小さく笑みを浮かべた。
彼女はすぐさまそれへと歩み寄り、電源を入れる。
「……勝手に見るつもりですか?」
「ボクとしては、こっちを探す方が速いからね。必要のないデータは見ないよ」
―――まあ、一通り目は通すけど。
胸中でそう呟き、スリスは三つのルーンを再び発動させた。
残る半分の《並列思考》をそちらへと傾け、張られていたパスワードをあっという間に突破する。
流石にほぼ全ての意識を傾けている状態では外の話に耳を傾ける余裕は無く、スリスは無言でその無数のデータへと目を通し始めた。
(……予想通りと言えば予想通りだけど、やっぱり筋トレ関連ばっかりだなぁ)
隠しファイルの類まで全て探し出しながらも、スリスは小さく苦笑を浮かべていた。
食事法やそれに伴うメニュー、シアの予定表と、それに伴う自分自身の行動。
さらに―――
「……っと」
ノートパソコンの方で行っていた作業の内の一つ、嵐山の位置特定に関して作業を終え、スリスは一旦意識の一部を二つの画面から離した。
その作業に割り当てていた意識を離しただけなので、特に作業効率が落ちる訳ではない。
小さく頷き、スリスは携帯電話を取り出した。
指で操作するのも面倒臭く、能力で干渉して通話記録を呼び出してコールを開始する。
「……あ、涼二?」
『ああ、位置が分かったか?』
数コールの内に戻ってきた返事に小さく笑み、スリスは頷く。
小さく笑みを浮かべ、その向こうにいる姿を想像し、声を上げた。
「そっちにデータを送る。場所的には繁華街からちょっと外れた所みたい。何をするつもりなのかは知らないけど、今はとりあえず動いてないよ」
『了解した。今からガルムと二手に分かれながらそっちへ向かう』
「うん、分かった。地図データを二人の携帯に送るから、それを頼りに向かって」
『感謝する。何か分かったら連絡してくれ。こっちも追って連絡を入れる』
「オッケー。じゃ、頑張って!」
通話を切り、スリスは息を吐く。
そして電話へと傾けていた意識を戻し、余った《並列思考》を残った作業へと割り振った。
嵐山に電話をかけてきた存在のプロテクトを破るにはまだ時間がかかりそうではあるが、もう一つの作業は大半が終了している。
が―――
(何も見つからない……何も無いの? いや、もしかして―――)
先日の事件での事を思い出し、スリスはこのパソコンでの削除ログを検索した。
その上部、ゴミ箱の中からも念入りに消されているデータの中に、文章データを発見する。
ファイルの名前は単純に『調査』。
これだけでは今回の件に関係しているとは限らないが―――
「他に思い当たる物もなし……やってみるか」
頷き、スリスはデータの復元を開始する。
しかしやろうと思ってすぐに終わるような作業ではない。
分割した意識を集中させながらも、スリスは後ろにいる二人へと声をかけた。
「雨音ちゃん、シアちゃん!」
「はい、何かお手伝いする事がありますか、スリスさん?」
「うん。ちょっと、この部屋を探ってみて。日記とかがあったら尚いいんだけど……メモ書きとかでも何かヒントになるかもしれない」
「いいのかしら……?」
若干遠慮がちな様子のシアではあったが、躊躇う事無く行動を開始する雨音に続き、部屋を見て回り始めた。
そんな二人の様子を確認してから、スリスは再び意識をパソコンの方へと集中させる。
消されたデータを小さなものから手当たり次第復元しつつ、ただ淡々と作業を進めてゆく。
一応《並列思考》の内のいくつかを二人の方へと向けながら、スリスは復元したデータを次々と再生していっていた。
と―――
「……あら?」
「ん、どーしたの雨音ちゃん? 何か見つけた?」
ごそごそとゴミ箱を漁っていた雨音が、何かを発見して首を傾げている。
一応お嬢様出身の彼女があのような行動をしていることに若干の違和感を覚えていたものの、しっかりと働いてくれているので文句も言えず、スリスはその考えを意識から放り出しつつ声を上げた。
雨音がその中から見つけ出したのは、何やら紙を丸めた物。
どうやらメモ用紙の切れ端のようだ。
「えっと……走り書きのメモを破り捨てて、若干残っていた部分みたいな感じです」
「ちょっと見せなさい……確かに、嵐山の筆跡ですわね。けど、グレイプ……?」
「グレープ? 葡萄がどうかした?」
「いえ、葡萄ではないと思いますけど……何かしら、これは」
ゴミ箱に捨てられていたのは、『グレイプ』までで途切れてしまったメモ書きの一部。
そこまででは意味を成さない単語に、スリスは思わず首を捻っていた。
が、それでもヒントには変わりない。
その単語に関して、パソコンの中を検索する―――
「……!」
―――そこに、一つだけヒットする内容が存在していた。