02-3:見かけた影は
「涼二、俺はアクセの店見てくるぜぇ」
「おう、買うんだったら領収書貰って来いよ」
「値段だけだったらレシートでもいいだろ。ま、了解だ」
後ろ手に手を振りながら去ってゆく双雅の背中を見送り、涼二は小さく肩を竦める。
高そうなものを買われそうだからと言う事ではなく、単純に何処までも予想通りだったからだ。
指輪やペンダントやピアスと、双雅はああいったシルバーアクセサリーの類を好んで身につけている。
物々しいデザインの首輪と相まって、似合っていることは確かなのだが―――
「あいつ、あれ以上チャラくなってどうするつもりなんだろうな」
「さあ? チャラさの世界選手権にでも出場するんじゃないの?」
「まあ。頑張って優勝しないといけませんね」
間に立つ雨音の言動に涼二と桜花は視線を合わせ―――別に双雅の事だからどうでもいいか、と訂正せずに聞き流した。
双雅も雨音に対しては手が出せないであろうと言うのが、二人の共通見解だ。
見るからに不良、アウトローと言う雰囲気の双雅は、その見た目の通りに不良の間ではそれなりに名の知れた存在である。
喧嘩っ早く、常にふらふらと様々な場所をねぐらにして暮らしており、普段何処にいるかは涼二や桜花でも把握し切れてはいない。
二人は彼が不良グループのリーダー的な事をやっていると言う話を聞いていたが、そちらの事情に巻き込まれた事はほとんど無かった。
稀に、双雅へのお礼参りとしてやって来た不良を三人で叩きのめすような事もあったが、そういう時にはきっちりと謝罪してくるのが双雅という男である。
筋を通す所は筋を通す。暴力的な事情には決して堅気を巻き込まない。
それが、上狼塚双雅と言う男のポリシーだ。
(……まあ、俺に関しちゃそうでもないか)
時折喧嘩の戦力として駆り出された事を思い出し、涼二は小さく嘆息した。
双雅は相手が堅気の人間かそうでないかというのが空気で分かるらしく―――ムスペルヘイムにいた時点で堅気ではないが―――涼二が相手の時は、そう言った遠慮というものは存在していなかった。
それほど迷惑していると言う訳でもなく、基本的にされるがままの涼二ではあったが。
「さて。洗面器具もパジャマや部屋着も買ったし……次、何処行く?」
「家電の類は揃ってるからな……多少趣味の物でも見ていいんじゃないか?」
「そうねー。で、雨音ちゃんの趣味って?」
その辺りは涼二もあまり知らなかったので、二人の視線が雨音の方へと向けられる。
そんな二人分の視線を受けた雨音は特にうろたえたような様子もなく、頬に手を当てながらたおやかに声を上げた。
「好んで行っていたようなものは、あまり……ですが、スリスさんに頂いた本を読むのとか、一緒にゲームをしたりするのは楽しかったです」
「へぇ、読書にゲームね。じゃ、とりあえず本屋からかしら……ところで涼二、スリスって誰?」
「同僚だ同僚。本屋なら上の階だ、とっとと行くぞ」
「あ、双雅にメール打っとくわ」
携帯を取り出してボタンを押し始める桜花に、涼二は小さく肩を竦める。
空間投影ディスプレイ型や音声認識型、さらに視線思考追尾型など様々なタイプが出ているというのに、知り合いはどれもこれもアナログなボタン式を使っているのだ。
(ああ、そういや―――)
雨音に携帯を買ってやるべきだろうか、と涼二はぼんやりと思考する。
尤も、雨音が一人で行動するような事はしばらく無いだろうから、あまり慌てる必要も無いのだが。
基本的に、彼女はスリスかガルムと共に行動する事になるだろう。
戦闘方ではない為、基本的には後方で待機する事になる―――ならば、スリスと共に後方支援が常か。
涼二がそんな事を考えている間に、桜花の連絡は終了していた。
「ほら、何ボーっとしてるのよ。行くわよ二人とも」
「はい、楽しみです」
「おー」
嬉しそうに笑う雨音と、気のない声を上げる涼二。
対照的な二人は、桜花の後に続いて建物内を登るエスカレーターへと乗り込んだ。
上の階層の床の影からは、徐々に『天林堂』という有名書店の看板が現れる。
大型ショッピングモールの十二階―――ここは、広大なフロアの大半が一つの本屋と言う、書痴には堪らない場所となっているのだ。
全域を埋める事は出来なかったのか、一応一部はCDショップとなっているが。
データ書籍が台頭する時代となった今日でも、紙媒体の書物が役目を終えた訳ではない。
データ特有の扱い辛さや読み難さは依然として存在しており、また保存と言う点でも紙媒体の方が優れている。
その為、このような大型書店には、未だに客足が途切れるような気配は存在しないのだ。
「わぁ……沢山ありますね」
「そりゃね。多分、ここは密都最大の書店だろうし」
「多すぎて探し辛いってのもあるがな……ま、そこはあの端末で調べればいいんだが」
要所要所に立ち並ぶ情報端末は、この書店に置かれている本を検索する為の装置である。
著者や発行年数、題名など様々な条件で検索できる機械であるが、この書店の規模から考えると若干数が足りない。
常に人が前に立っており、使うには並ばなくてはならないような情況が続いていた。
そんな様子に、桜花は呆れたように肩を竦める。
「少しは自分の足で探せばいいのにねぇ」
「言ってやるなよ。何処にどんな本が並んでるのか分からなけりゃ、探すのだけで一時間は掛かるぞ」
「ま、そうだけどさ……っと。それで、雨音ちゃんはどんな本が欲しいの?」
「あ、はい。そうですね……」
雨音はキョロキョロと周囲を見渡し―――特に思い当たるような物は無かったのか、諦めた様子で首を捻る。
その状態でしばし待ち、雨音はその視線を上げた。
「ルーン能力に関する本が、欲しいです」
「能力の本? そりゃいっぱいあるだろうけど……雨音ちゃんって何のルーンを持ってるの?」
「Sだ。巨人級だが、それなりの力はあるぞ」
雨音が何かを答える前に涼二がそう声を上げる。
始祖ルーンも神話級も、教えれば余計に騒がれるだけだからだ。
そんな涼二の言葉に雨音はきょとんと目を見開いていたが、納得したのかコクコクと首を縦に振る。
そして桜花は、そんな二人の様子には特に疑問を持たず、感心したように頷いた。
「へぇ、S単品とはね。雨音ちゃんらしくっていいんじゃない?」
「……はい、ありがとうございます」
桜花が口にしたのは単純な賞賛ではあるが、その言葉に対して雨音は若干複雑そうな表情を浮かべていた。
流石に能力が反転しており、その為に人を死なせてしまった事があるなどとは桜花も思わないだろう―――Sとは、本来人を癒すだけの優しい力なのだ。
小さく嘆息し、涼二は桜花からは見えない位置で軽く雨音の背中を叩いた。
それに驚いたのか、雨音は目を見開いて涼二の方へと視線を向け、意図に気づいたのか嬉しそうに笑顔を浮かべる。
しかしそれには気付かない振りをしつつ、涼二は目的の本がある棚の方へと歩き出した。
「まあ、ルーン能力に関してだったら端末を使わんでもある程度場所なら分かるだろ」
「そうねー。結構な数あるだろうし、適当に見ながら探しましょうか」
店内の簡単な見取り図からどの辺りにルーンに関する本があるかを確かめ、三人はそちらへと向けて出発する。
途中、雑誌のコーナーや新刊のコーナーで足を止めつつも、彼らはルーン能力に関する書籍の棚へと辿り着いた。
あまり高すぎないように設計された本棚の中には、大量の書籍が所狭しと並んでいる。
それらを見上げて、『良し』と腰に手を当てながら呟いた桜花は、涼二達の方へと視線を向けた。
「で、雨音ちゃんはどれぐらい知識あるの?」
「……正直、殆ど無いな。一応基本は知ってるが、能力を使うのとは全く無縁な生活をしてたらしい」
「ふぅん……ちょっと訳ありみたいね。ま、何だっていいけど」
特に気にした様子も無く頷くと、桜花は本棚にかじりつくような様子で参考になりそうな本を探し始めた。
そんな彼女のさっぱりとした様子に小さく笑み、涼二もまた本を探し始める。
残された雨音は、二人の姿を見比べるようにきょろきょろと視線を動かし―――そして、涼二の後ろに続くように本棚へと近づいて行った。
雨音は相変わらず相手に触れぬように気をつけながら服の裾を引っ張り、涼二へと向けて声を上げる。
「ええと、どのような本を探せばよいのでしょうか?」
「どのような、か。まあ、とりあえず桜花の方が基本に関する本を探してるみたいだし、こっちはSに関する専門書を探すつもりだ」
「Sの……」
まあ、流石に反転したSに関しては資料なんて存在しないだろうがな―――などと胸中で呟き、涼二は肩を竦めながらも探索を再開する。
この本棚にはそれぞれのルーンに関して解説書のようなものが存在しており、それぞれのルーンの成り立ちや効果に関して詳しく解説されている。
無論の事、Sもそのうちの一つだ。
「ふむ……これとか、これだな」
涼二が取りだしたのは、『ルーン能力の教本:S編』、『これであなたも一流能力者! 太陽と命、人を癒す優しきルーン~S~』と題された二冊の本。
どちらも、全てのルーンに関して個別に刊行されている解説書だ。
前者は硬派な書籍で、非常に詳しくその能力や前例などについて説明されている。
後者は前者程の詳しさは無いものの、イラストなどを交えて分かり易く説明されている本だ。
涼二としては、題名を交換した方が良いのではないかと思う所がある。
「とりあえず、見た感じでどちらがいい?」
「そうですね……」
ぱらぱらと頁をめくり、雨音は二つの本を見比べる。
とりあえず目が行っているのは、やはり図の多い後者の本のようだった。
その様子に、涼二は小さく苦笑を漏らす。
「あの、涼二様。どちらにも良く分からない単語が多いのですが……」
「ああ、そりゃあ仕方ないだろう。そっちに関しては、多分桜花が捜してくる本に説明されてるさ。で、どんなのが分からないって?」
「あ、はい。この単語とか……」
言って雨音が指差したのは、目次に書いてある『一般的なファンクション』と言う言葉だった。
それを見て、成程と涼二は胸中で頷く。
涼二たちが雨音に説明したのはあくまでも基本知識と言うレベルの話であり、こういった使い方に関する事は教えていなかったのだ。
「《ファンクション》って言うのは、簡単に言うと『必殺技』だな」
「必殺、技?」
「要するに、能力の使い方をパターン化して、技と言う形で使うって事だ。例えば、俺が水のロープを使って飛びまわったりするのもそれに当たる」
《ファンクション》とは、あらかじめそういった技を決めておく事で、いざと言う時にその技を呼び出し易くする為の方法である。
ルーンはそれぞれ操作の仕方やプラーナの量によって様々な効果を発揮し、その場に応じて使い分ける事は難しい。
故に、予めパターンを決めたものを型のように作り上げ、そこにプラーナを流し込む事で能力を発動させると言うプロセスで能力を発動させる事で、能力の使用を容易にしているのだ。
「自分の魂にあらかじめ使い方のプロセスを登録しておくんだ。後は、プラーナを注ぎ込みさえすれば発動できる。
力さえ入れれば発動できるから、『関数』なんて呼び名がついてるんだ」
「成程……ただ力を使うだけでは駄目なのですね」
「駄目、とは言わないがな。形骸化されちまうよりは、まっさらな状態で使った方が応用が利く場合もある。
ただ、制御の難しい微妙なバランスで能力を使わなけりゃならない場合は、これはかなり役に立つもんだ」
例えば、ガルムの《血染めの狼》。
人狼と言う人と獣の中間の姿を保つのは、普通に能力を使う上では非常に難しい。
そこで、ガルムはこれを《ファンクション》として登録する事で制御を簡単にしているのだ。
尤も、それを創り上げるまでに数年の歳月を費やしたらしいが。
「で、これには二種類……《フォーミュラ・ファンクション》と《オリジナル・ファンクション》が存在する」
「それにはどのような差が?」
「前者は、ここに書かれてるような奴の事だ。即ち、能力の一般的な使い方……お前のSで言うなら、傷を癒すとか疲れを取るとか、そういった使い方の事だ」
涼二はあまり《フォーミュラ》に頼らず、自分の制御力頼みに能力を使う事が多い。
しかし、能力に関して初心者である雨音には、このように形にされている方が使い易いだろう。
「で、《オリジナル》ってのはその名の通り、自分で創り上げた《ファンクション》の事だ」
「自分で、創り上げる?」
「そうだ。お前はシングルルーンだから分かり辛いかもしれないが、能力ってのは一人一つと決まった訳じゃない。
だからこそ、他の能力と組み合わせて自分独自の使い方を編み出す事が多いんだ」
じゃなきゃ、せっかくのルーンが無駄だからな、と小さく呟きながら涼二は続ける。
その脳裏に浮かんでいるのは、仲間達が能力を使っている時の姿だ。
「例えば、スリスが能力を使って電子機器を操る事。あれも、あいつが持つ複数のルーンで操ってる訳だ」
「個人差があるからこそ、自分自身で力を工夫しなければ一人前とは言えない―――と、そういう事ですか?」
「ま、そうだな」
何を以って一人前と言うべきなのかは涼二にとっても分からなかったが、とりあえずは理解を得られたようなので、満足して頷いておく。
と―――そんな所で、桜花が一冊の本を手に二人の方へと近付いてきた。
「ほら、雨音ちゃん。これなんか、一通りの基本が押さえられて手分かりやすいよ」
「ぁ……ありがとうございます、桜花さん」
「い、いやぁ。そんな改まって礼を言われると照れるって言うか―――」
「どうせ話題の本のコーナーで紹介されてた奴だろうしな」
「そこ、うっさい!」
眦を吊り上げて叫ぶ桜花に苦笑しつつ、涼二は軽く本の内容へと目を通した。
能力の使い方や基礎、プラーナの使い方に関しても詳しく載っている本、『能力使用の基礎・ランクアップを目指して』。
内容も図解などが多いため分かりやすく、初心者向けといたところだろう。
これならば問題は無いだろうと涼二は頷き、本を雨音へと手渡した。
「うん、いいと思うぞ。これなら雨音にも分かりやすいだろう」
「お、お墨付きも貰ったわね。はい、雨音ちゃん」
「はい。それじゃあ、この二冊を……」
先ほど涼二が持ってきた本の後者の方と、今桜花が持ってきた本。
その二冊を持って、雨音は恐縮したような様子を浮かべながらもそう声を上げる。
どうやら、分かりやすさを優先したらしい。
(まあ、初心者だしな。最初はそんな所か―――)
「さて! それじゃ、他にも見て回りましょうか!」
と―――涼二の思考を遮るように、桜花の声が上がった。
その内容に、涼二は胡乱な視線を彼女の方へと向ける。
「あん? まだ何か見るのか?」
「当たり前でしょ? 日常的にずっと能力の訓練してる訳じゃないんだから、もうちょっと趣味に出来る本も探すべきでしょ?」
「あ、えっと……流石にそれは申し訳ありませんので……」
「いいのいいの、どうせ涼二の金なんだし」
「おい」
威嚇するように低い声が発せられるが、謳歌は怯んだ様子も無く雨音の背中を押して歩き出す。
「ほらほら、あっちの方に小説のコーナーとかあるよ。色々読んでみればいいじゃない!」
「え、あの、えっと……」
桜花によって連れ去られて行く雨音の姿を見つめ、涼二は深々と嘆息した。
あの様子は、どうやら本人にも何らかの買いたい本があると見た―――そんな事を考えながら半眼を向けつつも、涼二も二人の背中を追うようにして歩き出す。
ああなると、しばらくは解放されない事を知っているのだ。
どの道戻った所で暇には変わりないので、涼二は諦めて付き合う事を決意する。
と―――
「ん……?」
ふと視界に入った大柄な影に首を傾げ、涼二はそちらの方へと視線を向ける。
どこか記憶に引っかかるその姿―――直接確認しても中々思い出す事ができず、涼二は思わず首を傾げていた。
角刈りの黒髪と、浅黒い肌。そして、服の上からでも分かる隆起した筋肉。
一目見て連想するのはガルムであるが、生憎と彼とは髪の色が全く違う。
「あれは……確か、鉄森の執事だったか?」
かつて通信を行った時、鉄森シアの背後にいた大柄な執事の姿を思い出す。
すぐに服を破き飛ばして筋肉の見せ合いになった為、精神衛生的に視界から外していた涼二ではあるが、その姿には少しだけ覚えがあった。
彼は何やら慌しい様子で携帯に向かって話しながら、涼二の姿に気付く事も無くエレベーターの方へと向かってゆく。
このショッピングモールは鉄森グループが経営している為、ここにいてもおかしくはないのだが―――
「……妙に慌ててたな。何かあったのか?」
「ちょっと涼二、何ボーっとしてるのよ!」
「っと……悪い、今行く」
大した事では無いだろう、と涼二は小さく嘆息し、声を上げる桜花の方へと向かって歩いてゆく。
彼女が手に持っている爬虫類図鑑に対して若干の呆れを抱く頃には、涼二は既に先ほどの男の事を記憶の片隅に追いやっていた。
―――それが、事件のきっかけとなる事にも気付かずに。