02-2:ショッピングモール
「人がいっぱいですね……」
「まあ、この人工島はかなり人口密度が高いからなぁ」
隣に雨音を連れ立って歩きつつ、ようやく男の姿に戻れた涼二は彼女の言葉に対してそう口にする。
高い秋空の下、二人は新しく出来たショッピングモールへと向かっていた。
若干寒くなってきている為、涼二は普段とは別のダウンのコート、雨音も着物の上に淡い青の羽織を纏っている。
そんな格好の彼女がかなりの注目を集めていたが、その辺りは当の昔に諦めている。
気にしない振りをしつつ、涼二は人との接触を気にする雨音へと向けて声を上げた。
「一応、能力の切り替えは出来るようになったんだろう? そこまで人との接触を気にする必要はないと思うが」
「そうですが……癖のようなものなので」
「……そうだな。まあ、仕方ないか」
前回の事件から、涼二達は鉄森グループの下で厄介になっている。
スリスが持ち帰った資料によって雨音の研究に使われていた機材も明らかとなり、今では静崎製薬でなくとも彼女の調整を行えるようになっていた―――が、流石に短時間で完全に元に戻す事は出来なかった。
今現在では能力が二分化されているような状況で、自由に切り替えをする事も可能だが、どちらの出力も半分程度まで落ちてしまっているのだ。
しかし、とりあえずは相手の命を吸ってしまわずに済むようになったにもかかわらず、雨音は相変わらず人との接触を避ける傾向にある。
(……まあ、触れられるのを避けようとはしなくなったし、多少は進歩してるんだろうけどな)
喜び勇んでスキンシップを取っていたスリスの姿を思い出し、涼二は小さく肩を竦めた。
流石にあれは遠慮が無さ過ぎる―――とは思っているのだが、アレのおかげで雨音の苦手意識が薄れていると考えるとあまり文句も言えない。
ガルムのほうも、雨音の才能を見て以来、彼女に護身術を覚えさせたがっているようであったが―――
「ところで、涼二様?」
「ん、何だ?」
「今日はどうして私を誘ってくださったのでしょう?」
「あれ、説明してなかったっけか?」
首を傾げながら問いかけてくる雨音に、涼二もまた首を傾げていた。
そして虚空を見上げながら己の記憶を検索し―――出てくる際に、『買い物に行くぞ』としか告げなかった事を思い出す。
あまりにも適当すぎる己の物言いに、涼二は口元を引き攣らせていた。
「あー、うん。お前の日用品を買おうと思ってな」
「日用品、ですか?」
「ああ。鉄森に頼めば揃えてくれるとは思うが、やっぱり自分で使うものは自分で選びたいだろ?」
「成程……お心遣いありがとうございます、涼二様。気が利かない様で利くのですね」
「……言うようになったな、お前も」
半眼で言うが、雨音はきょとんと首を傾げるのみ。
どうやら素で言っていたらしいその言葉に、涼二は見えないように顔を逸らしながら嘆息していた。
持ち前の要領の良さを発揮して、真綿が水を吸うように知識を吸収している雨音ではあるが、この天然ぶりだけは相変わらずだったのだ。
とりあえず涼二も慣れてきてはいたので、あまり気にしないようにする事としたが。
「……まあとにかく、そういう訳で、お前を新しく出来たショッピングモールに連れて行こうと思ったわけだ」
「テレビで見ました。大きなお店なんですよね?」
「ああ。まあ、元から行く予定があったからな。そのついでみたいなもんだ」
見えてきた巨大な商業施設を見上げつつ、涼二はそう口にする。
縦も横も奥行きも、かなりの大きさを持つこの建物。これだけの敷地面積となれば、周辺住民から文句が出てくるのも納得できる規模ではあった。
今となってはすっかり受け入れられている次第ではあるのだが。
特に近場のカフェやコンビニは、以前よりもかなり客足が増えている事だろう。
人通りの多い周囲へと視線を走らせながら、涼二は目的の人物達の姿を探し始めた。
「さてと、あいつらは……」
「あいつら?」
「ああ、俺の幼馴染二人なんだが……流石に女の日用品なんて俺には分からないからな。さらに、普通の生活様式とまるっきり異なってるスリスも参考にならないし。
だから、その辺り任せられる奴に来て貰おうかと思ってたんだ」
まあ、女は一人だけだが―――と、涼二はそんな事を胸中で口にする。
そうやって頭の中で自己完結しているから必要な情報を告げられないのだと言う事には、今のところ気付いていなかった。
流石に簡単な人探し程度に能力を使う気にはなれず、涼二は辺りをきょろきょろと見回しながら目的の姿を探す。
メールを見て確認すれば、集合場所は正面入り口前の時計台の前と書いてあったのだが―――
「いよぉ、涼二。また別嬪さん連れてるじゃねぇか」
「っと―――気付いてたんならさっさと声をかけろよな、双雅」
背後から小突かれ、涼二は軽く後頭部を抑えながらも振り返る。
そこに立っていた上狼塚双雅の姿を見上げつつ、涼二は小さく肩を竦めた。
いつも通りの髪型ではあるが、流石に寒いのか、胸元を開けるような真似はしていない。
その代わり、普段のピアスに加えてイヤカフスまで装着していたり、着ているジャケットにやたら鎖の装飾があったりと、相変わらずの装飾過多である。
涼二は一応接触の直前に気配を掴んでいたのでそれほど驚きはしなかったが、雨音はその姿を見上げて目を見開いていた。
「大きな方なんですね……涼二様、この方が?」
「ああ、コイツが俺の幼馴染で―――」
「女性の方には見えませんけども……」
「オイ涼二。テメェ、一体どんな説明してやがった」
双雅の言葉のトーンが下がり、半眼で睨むように涼二の姿を見下ろす。
涼二もまた雨音の言葉に頬を引き攣らせ、慌てて声を上げた。
「違う違う、俺が言ったのはもう一人の方だ! コイツはおまけ、付き添い!」
「あ……そうでしたか。申し訳ありません、おまけ様?」
「……涼二、ちょっと後で話がある」
「こいつの言動の責任を俺に求められても困るっての……」
深々と嘆息し、涼二は横目で雨音の様子を観察する。
きょとんと首を傾げている彼女の様子からは、決して悪意や悪戯心のようなものは感じ取れない。
即ち、彼女は完全に素で先ほどからの発言をしているのだ。
「分かってはいたんだがな……雨音、コイツは上狼塚双雅って言うんだ。俺の幼馴染の一人だよ」
「あら……度々済みませんでした、上狼塚様。私は静崎雨音と申します」
「お、おう。苗字も長げぇし、涼二の事は名前で呼んでるんだろ? だったら、俺の事も双雅で構わねぇよ」
「はい、分かりました双雅様」
「……様付けってむず痒ぃな」
背中に手を突っ込んで掻き始める双雅の様子に、涼二は隠れて苦笑する。
自分自身にも覚えのある感覚ではあるが、その辺りは我慢して貰う事とするしかないだろう―――いや、頼めばさん付けでも許してもらえるのだが。
ともあれ、彼女がやたらと丁寧なのは今に始まった事ではない。
とりあえず、完全に説明不足であったことを理解した涼二は、説明の為に口を開こうとし―――
「あああああああああああああああっ!?」
―――周囲に響いた素っ頓狂な叫び声に、思わずそれを中断していた。
三人がその声の方へと視線を向ければ、そこに立っていたのは赤いピーコートを纏った茶髪の少女。
こげ茶色の丸い瞳の眦を大きく吊り上げた彼女は、涼二達の方へとその指を向けて更なる叫びを上げる。
「アンタ達、何やってんのよ!?」
「え、いや、何って……?」
「女の子ナンパして! しかも和服美人! どっちの趣味だ!」
「どっちかって言うと涼二じゃねぇの?」
「擦り付ける気かテメェ!?」
涼二は咄嗟に双雅の胸倉を掴み上げようとするが、彼はさっと身体を反らしてそれを躱す。
話の中心になっている雨音はといえば、何を言われているのか分からない様子できょとんと首を傾げている。
ナンパと言う言葉の意味が分からなかったのだろう、と救いになっているのかいないのか分からない考えを胸中で吐き出し涼二は声を上げた。
「桜花、話を聞け」
「五文字以内」
「俺は保護者」
「ちっ、漢字含めて五文字か……」
舌打ちする桜花に涼二は半眼を向けるが、生憎と彼女に堪えた様子は無かった。
どうやら、半分ぐらい分かっていて先ほどの台詞を言い放っていたようだ。
「涼二様、こちらの方が?」
「ああ、コイツは御津川桜花。双雅と同じく、俺の幼馴染だ」
「ま、よろしくねー……で、涼二。この子は一体何なの? っていうか、様付けって何よ?」
「あー……」
後者に関しては雨音の癖としか説明のしようが無かったが、前者に関しては少々悩みどころではある。
雨音の境遇を正直に話す訳にも行かず、しかして下手な情報を出せば怪しまれるだけ。
そもそも、涼二と雨音には基本的に何ら接点と呼ばれるものは存在せず、ニヴルヘイムを除いた涼二の交友関係を把握している二人には下手な誤魔化しも通用しない。
と―――
「桜花様ですね。私は、静崎雨音と申します」
「え? あ、はい。よろしくお願いします……」
何やら釣られて敬語になっている桜花に、涼二は小さく苦笑を漏らしていた。
どうやら、雨音の様子に毒気を抜かれてしまったらしい。こういう時には、彼女の悪意の無さは役に立つ。
「今は涼二様の下でお世話になっておりますので、何か御用がありましたら涼二様の方に―――」
「涼二、ちょっと話があるわ」
「OK、分かった。だから袖の中から顔出してるその物騒な生物は仕舞え」
咄嗟に逃げようとした涼二の肩を桜花が掴む。
そんな彼女のコートの袖口からは、白い蛇が顔を出して涼二へと向けて牙を剥いていた。
シャーという威嚇音、そしてその鋭い牙を恐々と見つめつつ、涼二は咄嗟に弁解の言葉を口にする。
「とりあえず、お前が思ってるような事は無い。俺の家にそいつを泊めてる訳じゃない」
「ほほう、じゃあどういう事だと? 着物着せて様付けで呼ばせてるくせに?」
「それはソイツが最初っからそうだったんだ!」
底冷えするような笑顔で蛇をちらつかせる桜花に、半ば絶叫するように涼二は声を上げた。
桜花の持つルーンはG、Eh、M。
能力の強度は精々人外級であり、しかもEhとMが効果を打ち消し合っている為に獣化する事は出来ないが、その代わり動物に好かれやすいと言う性質を持っている。
その力を使って、彼女は蛇を自由自在に操っているのだ。
「この間探偵の手伝いみたいな仕事してるって言っただろ。そいつは、そこで預かる事になったんだよ。
そいつを預かってるのも、その事務所みたいな場所だ。それで、そいつの日用品が無かったから買いに来たってだけだ!」
「……そうなの?」
「はい、大体そのような感じかと」
「ちっ、何だつまんねぇ」
「双雅、テメェは後でぶっ飛ばす」
ガムを噛みながら舌打ちをしていた双雅へと悪態を飛ばし、涼二は深々と嘆息する。
一応納得したのか、桜花はその手を離して袖の中へと蛇を仕舞って行った。
涼二としても双雅としても、肌に直接蛇を纏わり付かせているのは理解し難い性癖ではあるのだが。
「ハァ、そういう事ね……ええと、雨音ちゃんだったかしら?」
「はい、桜花様」
「様は勘弁して欲しいなぁ……桜花ちゃんとか桜花さんとか、そういうのじゃダメ?」
「いえ、構いません。それでは、桜花さんで」
「うん、それならそれで」
満足した様子で桜花は頷く。
彼女の視線は足元から頭の先までじっくりと雨音を観察し―――むむむ、と小さく呟いた。
「コーディネートは難しそうね……完全に和風イメージが染み付いてるわ」
「あー、まあ服はこっちの方で何とかする予定ではあるんだが。流石に着物を買うのは手間が掛かる」
「そりゃ、ここで着物が買えるとはあたしだって思ってないわよ。けど、部屋着とか簡単な外出時の服とか、あるでしょ?」
「あー……雨音、ちょっと」
「はい」
桜花の言葉に、涼二は軽く視線をそらしつつ雨音の事を呼び寄せた。
そして、二人に気付かれぬように声を絞って小さく囁き掛ける。
「いいか、雨音。決して、ルーンを見せるんじゃないぞ?」
「はい、私のルーンは貴重なものだからですね?」
「ああ、確実に騒ぎになるからな。着物を脱ぐ事があっても、せめて一人でやってくれ。試着室にあいつを入れるな」
「心得ております、涼二様」
頷いた雨音に満足し、涼二もまた彼女へと向けて頷き返す。
聞き分けの良さは相変わらず―――だが、持ち前の天然で口を滑らせないかどうかは涼二としても若干不安な所だった。
小さく嘆息し、涼二は目の前の建物を見上げる。
オープンしたばかりの大型ショッピングモール。
個々を経営しているのは他でもない、現在涼二達が雇われている鉄森グループだ。
様々な分野に事業展開をしている彼のグループは、まだ年若いながらも腕は確かな会長、鉄森シアによって運営されている。
現在涼二達の直接の上司となっている彼女とは、友好的な関係を築けていると言っても過言では無いだろう。
彼女は身内に対して甘いと言う涼二の性質を一目で理解し、自分達をその『身内』という範囲内に含めてしまおうとしているのだ。
それだけの眼力を持つ相手と対等な立場を築けるのは、涼二達としても利点が大きい。
故に、涼二達―――即ちニヴルヘイムも、彼女との共闘関係を認めると言う選択を取ったのだ。
「しかしまぁ、このショッピングモールも鉄森グループのだったとはな」
「優待券と言うか、商品券貰っちゃいましたね。これ、どうしましょう?」
「まあ、何か適当に買えばいいだろうさ。それに、欲しいものがあったらなんでも言ってくれていい。どうせ、金なんていくらだも余ってるんだからな」
「それは……」
「遠慮するな。どうせ、お前は金持ってないだろ」
そうでした、と口元に手を当てる雨音に苦笑し、涼二は再び視線をショッピングモールの方へと向ける。
ニヴルヘイムとして稼いだ金はいくらでもあるので、雨音の買い物に費やす程度ならばどうと言う事は無いのだ。
とは言え、前回ショッピングモールに行けず、さらに何度も―――女性の姿になってしまっていた為―――約束を断ってしまった涼二は、幼馴染二人に一品ずつ奢らされる約束となっている。
財布の中に入れられる金は有限なので、途中で金を引き出してこない限りはそこまで余裕があると言う訳でもなかった。
遠慮など到底存在しないであろう二人の様子を思い出し、涼二は静かに嘆息を漏らす。
と―――
「ほら涼二、アンタいつまでボーっとしてるのよ!」
「色々見るんだろォ、時間なくなっちまうぞ?」
「っと、悪い」
物思いに耽ってしまっていた事を自覚し、苦笑交じりに視線を戻す。
そんな涼二の視線の先には、悪戯っぽい笑みを浮かべた双雅と桜花の姿があった。
これ以上奢らされる数を増やされてもたまらないと、涼二は雨音を促して歩き出す。
日常の象徴たる二人―――そこに、非日常でであった雨音を出逢わせてしまう事に若干の躊躇いはあった。
けれど、雨音には非日常に染まりきって欲しくないと―――涼二は、そう思っていたのだ。
思い入れと言ってしまえばそこまでであるし、姉と似ているからと言われれば否定は出来ないだろう。
けれどもそれは、紛れもなく涼二自身の願いであった。
「で、まずはどこを見るんだ?」
「洗面器具とかかな。今までは簡易の物を使ってたけど、ちゃんと自分用のものが欲しいだろ?」
「はい、お心遣いありがとうございます」
「あんまり畏まらなくていいわよ。涼二の友達なんでしょ? だったら、あたしたちも友達!」
四人で連れ立って歩き出す。
そんな中で、桜花の言葉に目を見開きながら驚き、そして嬉しそうに顔を綻ばせた雨音を見て―――涼二は、小さく微笑んでいた。
やはり、彼女にはまだ経験が足りない。
ずっと一人きりで、実験体として扱われてきた頃とは違うのだ。そして、そういった事を教えるのに、桜花以上に適した人物はいないと涼二は思っている。
だからこそ、涼二は彼女を連れてきた事を後悔しないと―――そう、決心する。
「さて……今日は楽しむとするか」
寒くなり始めた日々。
秋晴れの空には、嫌いな冷たい雨を降り注がせようと言う気配は存在していなかった。