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Frosty Rain  作者: Allen
第一話:ニヴルヘイムの住人達
15/81

01-14:エピローグ

次回連載は9/10からとなります。












 冷たい雨が降り注ぐ。

涼二は、冬に振る雨と言うものがあまり好きではなかった。

静謐な雨音や、強く吹きすさぶ風などは気に入っているが、この冷たい雨だけは気に入る事ができない。

自分が緩慢なる死へと向かっていた、あの日の事を思い出してしまうから。


 ―――小さく、苦笑。



「静崎製薬で、大事故・・・。違法な実験を行っていた事も明るみに……か。違法な実験ってのも、詳細は開かされてないのにねぇ」

「その辺りは、あのお嬢さんが手を回してくれたのだろう。我々の影が見えず、やりやすいだろう」



 テレビに映る映像を眺め、スリスとガルムはそう口にする。

そんな二人の様子と、若干複雑そうな表情を浮かべている雨音の表情に、涼二は小さく肩を竦めた。



(いくらあんなのっつっても、そうそう割り切れるもんじゃねぇか)



 長く伸びたままの髪を指で梳き、視線を再び窓の外へと向ける。

そんな涼二は、未だに女性の姿―――姉である氷室静奈と同じ、つまりここにいる雨音に似通った姿へと変化したままだった。

と言っても、この身体は完全に女性のものと言う訳ではないのだが―――



「それにしても驚きました。涼二様が女性の方だったなんて」

「違うわッ! 俺は男だよ、能力の関係でこうなってるだけであって!」

「まあまあ。どっから見ても美人なんだし」

「嬉かないってんだよ……それにそもそも、完全に女の身体って訳じゃないだろ」



 涼二はラグズのルーンを媒介に姉の持っていたルーンを使うことで、その姿が姉のものに近付いているに過ぎない。

男性としての要素が残っている以上、完全な女性へと変化できる訳ではないのだ。

結果、中途半端に両方の要素が残り、両性具有という状態になっている。

しかし外見からそれが分かる訳でもなく、むしろ女性的な要素―――主に胸―――の自己主張は激しい為、分かっていたとしても女性にしか見えないのが現実だ。

そんな己の状況に嘆息するしかない涼二に、スリスはサムズアップしながら声を上げる。



「ボクは全然オッケーだよ! ドンと来いふたな」

「やかましい」



 そんな事をのたまうスリスの額へと氷のつぶてを投げつけ、涼二は嘆息交じりに視線を戻した。

そして、きょとんとした表情を浮かべている雨音へとその顔を向ける。



「……とりあえず、お前の身の安全は確保する事ができた」

「は、はい」

「その長年にわたって続けられてきた強化処理を完全に消し去る事はできないが、少なくとも無理が生じない程度に抑える事は可能だ。元々、オーバーブースト気味だったからな」



 涼二が口にしたのは雨音の現状だ。

静崎製薬にて雨音を奪還した涼二達は、そのまま鉄森グループが準備した車で逃走、途中で分かれて一度拠点へと戻ってきた次第である。

雨音は会社の方で調整を受けていたため、しばらくは調整無しでも問題は無いようだ。

さしあたっての問題は、彼女の処遇である。



「まあとにかく、あのお嬢様との約束も取り付けた。協力関係も築けたし、お前の調整に関しては全く問題ない」



 強いて言うならば、一々鉄森の所有する機器の所まで赴かなければならない所か―――と、涼二は胸中で嘆息する。

一応調整は一ヶ月に一回程度でも問題は無いので、どうとでもなる話ではあるのだが。



「あ、そういえば涼二」

「どうした?」

「鉄森の屋敷で厄介になるのもいいって、路野沢さんが言ってたよ?」

「……何?」



 スリスの言葉に、涼二は眉根を寄せながら首を傾げる。

いつの間に連絡を取っていたのかと言う事も気にはなっていたが、その言葉の意味の方にまずは疑問を持っていたのだ。

そんな涼二の表情に対し、スリスは小さく苦笑しつつ声を上げる。



「どうも、あの人にボク達の事を教えたのは路野沢さんみたい。まあ、楽な生活できるのは助かるんだけどね。

一応、考えといた方がいいんじゃない?」

「ふむ……」



 他人と関わる事はリスクが高いが、それと比べてもお釣りが来るほどのメリットはある。

しかし即決すると言う訳にも行かず、涼二はガルムの方へと視線を向けた。

どう判断すべきか。そんな疑問の視線に対し、ガルムは少々思考するような様子を見せる。

そしてしばし沈黙し―――彼は、その顔を上げた。



「……私としては、どちらとも言えないな。どちらにもそれ相応のメリットとデメリットはある。だが―――」

「だが?」

「これの選び方は、雨音君の選択次第だと私は思っているよ」

「え……わ、私ですか?」



 慌てたような声音で目を見開き、雨音は視線を若干揺らす。

そんな彼女の様子に三人は苦笑を漏らし、そしてそのままガルムは続けた。



「そう難しい質問ではない。この先、君がどうしたいのか……そういう話だ」

「私が……?」

「一つは、鉄森グループに保護される事。君の身柄の安全は確保して貰っているし、それを破ったらどうなるかぐらいは向こうも分かっているだろう。

安全に、かつ平穏な日々を送る事が出来るはずだ」



 指を一本立て、ガルムはそう口にする。

確かに安全で、ニヴルヘイムの面々もこれまでと変わらない日々を送る事が出来る選択肢。

変わることといえば、精々依頼人に鉄森グループが増えると言った事程度だろう。

これまでとあまり変わるような要素は存在しない。

それを考え、そして理解した上で、雨音は先を促した。



「では、他には?」

「ふむ。もう一つは……君が、我々と共に来るかどうかと言う選択肢だ」

「おい、ガルム!?」



 咎めるように、涼二は声を上げる。

血なまぐさく未来の無い世界に彼女を引き込む事、そして何かに復讐しようと言う訳でもない彼女の運命を捻じ曲げてしまう事―――それらを押し付ける事などできない。

けれど、それに対する反論は意外なところから上がった。



「んー、ボクは反対しないけど」

「スリス!」

「怒らないでよ。雨音ちゃんは別に戦闘に出すって訳じゃないでしょ? 正体や存在を知られる事も無いし、それにルーンの正逆を何とかできれば、涼二の怪我の心配が多少は薄れるんだから」

「う……」



 無茶をする事で心配をかけている自覚はある―――思わず、涼二は言葉を詰まらせていた。

雨音の力は、ソウイル神話ファーブラ級能力だ。即ち、どのような傷でもたちどころに癒してしまう強大な治癒能力。

それがあれば、確かに怪我の心配は多少なりとも薄れるだろう。

身を案じてくれている言葉には反論する事が出来ず、さらに納得してしまった事で、涼二の反論の言葉は口から出る前に消滅していた。



「それにだな、涼二よ」

「……まだ何かあるのか?」



 ガルムの言葉に対し、涼二は胡乱な目線で声を上げる。

そんな様子に対して苦笑を漏らしつつ、ガルムは声を上げた。



「鉄森のお嬢さんは信頼できるかもしれないが、その周りの人間までも一様に信じる訳にはいかんだろう?」

「……他の人間が暴走して、こいつを利用するかもしれないと?」

「可能性は無いとは言えん。それは、お前も望む所ではない筈だ」



 反論できず、涼二は再び沈黙する。

しかしそれでも今まで安穏と生きてきた少女を殺し合いの世界に引き込むのは気が引け、涼二は呻き声を上げながら仰け反り、頭を抱えた。

と―――そこに、最後の声がかかる。



「涼二様」

「……何だ?」

「お心遣い、有難く存じます。ですが私は、折角できたお友達とお別れしたくは無いのです」

「だが……!」



 そっと、雨音は唇の前に指を立てる。

落ち着きのある美貌に僅かな笑みを浮かべ―――その姿に、涼二は思わず息を飲んでいた。

見た目と言う点ではどちらもかなり似通っており、姉妹と言われても納得できるような姿だったのだが。



「無粋な事は仰らないでくださいませ、涼二様。今の私にとって、大切なものは貴方がたしかいないのです。

いえ、初めて出来た大切なものと言っても過言ではありません。ですから、私は貴方がたの事を知りたい」

「……幻滅するぞ?」

「それは私の決める事です」



 強い想い。思わず息を飲むほどの意志の強さに、涼二は圧倒されていた。

長い間戦ってきた涼二すら飲み込むほどの意志力―――包容力、とでもいうべきもの。

それを纏いながら、雨音は笑う。



「皆さんが何を思い、何を信じて戦っているのか。私は、それを知りません……ですから、皆さんにどうしろなどと偉そうな事は言えません。

ですから、私に皆さんの事を教えてください。大切な人達だから、皆さんの事を知りたい」

「っ……」



 それは、純粋な好意。

共に、家族に向けられる感情に、涼二だけでなく他の二人も飲み込まれていた。

―――ガルムだけは、僅かに嬉しそうな笑みを浮かべていたが。



「だから、皆さんの事をちゃんと知れるまで……私を、連れて行っては頂けませんか?」



 雨音は、そう締めくくる。

圧倒されるほど暖かく、優しいその視線。

その気配は、まるで世界を包む柔らかな雨の音のように。

それを受けて―――スリスは、楽しそうに笑い声を上げた。



「……だってさ、涼二。ちなみに、ボクは賛成だよ?」

「お前な……」

「ボクも、雨音ちゃんの事が知りたい。データで見ただけじゃ、人の事なんて何も分からないんだ。だから、知りたい……それって、いい事だよね?」



 言外に、『知らないまま突き放すのはいい事なのか』という意味を感じ、涼二はぴくりと頬を引き攣らせる。

滅多な事では反論してこないスリスの言葉への驚愕と共に、涼二はその言葉に思わず頷きそうになっていた。

そして、同じく意味を感じ取ったガルムが、笑いをこらえるような表情を浮かべながら声を上げる。



「涼二よ、巻き込みたくないと言う思いも、決して間違っていると言う訳ではない。しかし、彼女も己の行為に責任を持てぬわけではあるまい」

「……それは」



 雨音は、己の行いの尻拭いを誰かに求めるような人間ではない。

世間知らずで天然ではあるが、勤勉で努力を惜しまない―――故に、己の発言には責任を持つだろう。

それが分かってしまうからこそ、涼二の揺らぎはさらに大きくなった。


 姉によく似た姿を持つ彼女を巻き込みたくない―――その思いは、いまだに強い。

けれど、同時にそんな彼女と共に居たいと言う感情もあったのだ。



「……それに、ですけど」

「まだ、何かあるのか?」

「ええ。涼二様は忘れてしまっているかもしれませんが、私は人を殺してしまったのですよ?」



 その言葉に、涼二は大きく目を見開く。

思い起こすのは、あの交渉の日。マインドコントロールを受けた雨音が、その力を使って人々のプラーナを喰らい尽くしてしまった時の事だ。

あれは、決して彼女の意志によるものではない。

けれど―――



「例え故意でなかったとしても、私が原因となってしまった事は事実。何もせず、安穏と平和な生活を送る事は、私には出来ません」

「だが、償いになる訳ではないんだぞ?」

「存じております。ですから、これはただの自己満足です」



 少し悲しそうな表情で、雨音は笑う―――その顔に、涼二は深々と溜息を吐きだした。



「……分かった」

「涼二様!」

「ただし、危険な場所には連れて行かんし、嫌だと思ったらさっさと出て行くように。ったく……」



 ぶつぶつと文句を言いつつ、涼二はソファに深く体を沈め、その後頭部を背もたれへと乗せる。

頭痛を覚えて額を抑える手は、やがて力なく椅子の上へと落とされた。

未だに、体は元に戻らない。

プラーナが完全に回復し切るまで、元の姿に戻る事が出来ないのだ。

けれど、多少は穏やかな気分でいられるのは、この姿に精神が引き摺られている為か。



(……現金な奴だな、俺も)



 三人に見えないように、口元に自嘲を浮かべる。

目の端に僅かに映る外の景色。冷たい雨の降り注ぐコンクリートの木々。

堪らなく嫌いだったはずのそれが―――今日だけは、少しだけ心地よく感じられた。











 * * * * *











 ガラス張りの天井に、冷たい雨が降り注ぐ。

広い部屋にはその静謐な音が響き渡り―――そんな中、一人の男が机に向かい、黙々とペンを動かしていた。

短めに刈り込まれた灰色の髪に、黄金の瞳。その額には、傷痕のような紋様が刻まれている。

そんな男は、ふと顔を上げ、ある方向へと視線を向けた。


 ―――瞬間、静謐さを引き裂くように、一つの声が響き渡る。



「おや、どうかしたのかな《必滅の槍グングニル》?」

「……このような時まで、その名で呼ばずとも良いだろう、一樹」

「おっと、済まないね槍悟そうご。つい癖になってしまったようだ」



 おどけて笑う路野沢に、槍悟と呼ばれた男性は小さく笑みを浮かべる。

そこにあるのは、信頼の篭った感情だ。

そんな笑みを受けて、路野沢もまた小さく笑う。



「それで、どうかしたのかな?」

「何、強いプラーナの気配を感じただけだ。随分と強力な能力者が力を使っているようだな」

「君がそう評するほどか……世界は広いものだね」



 飄々と、路野沢は笑う。

その中の不穏な気配に気付きつつ―――いや、そんなモノすらも飲み込みつつ、槍悟は不敵な笑みを浮かべた。



「ああ、実に楽しめそうだ。いずれ相見えるような事があればよいのだがな」

「望むのなら、いずれ叶うさ。それが―――」

「―――宿命と言うものだから、か?」

「おや、言われてしまったね」

「元々、それは私の台詞だろう」



 クスクスと笑う路野沢に、槍悟は笑みを浮かべたまま肩を竦めて見せた。

決して刺々しい空気は無い。二人の間にも、信頼の篭った言葉同士が交わされている。

だと言うのに―――二人の強大な気配は、常に互いを食い尽くそうとするかのようにせめぎ合っている

その間にある感情は、何と表現すればよいものか。それは、誰にも分からない―――当人達すらも。

そしてそんな空気の中、槍悟は小さく笑いながら声を上げる。



「だが、君もそう言うのならば、そうなのだろう。是非、楽しみにさせてもらうとしようか」

「ははは、光栄だね。きっと、気に入ると思うよ」



 二人は笑う。

ユグドラシルと呼ばれる組織を取りまとめる、二人の人間。

その言葉の中にあったのは、どこかあまり合わない渇望のような感情。

それらを込めて、大神おおがみ槍悟は小さく笑う。



「―――楽しませて貰おう。いずれ、な」



 ―――雨音は、いつまでも静謐な音を響かせ続けていた。





















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