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Frosty Rain  作者: Allen
第一話:ニヴルヘイムの住人達
1/81

01-0:プロローグ












 『生きる事は罪を重ねる事なのだ』―――そう、誰かが言った。

何かの映画の一シーンで聞いたのかもしれないし、小説に書かれた一文だったのかもしれない。

けれどそれは、決して作り話などではない。

全て事実であるからこそ、この世界は呪われたように救われないのだ。


 幸せを追い求めれば、誰かの幸せを奪う事になる。


 何かを救おうとすれば、何かを切り捨てなければならなくなる。


 だからこそ、赦せないのだ。


 ただ、奪われてしまった。相手が何を護るつもりだったのかは知らない。

その行為が、多くの人間を救う為だったのかもしれない。


 けれど、赦せないのだ。


 正義であろうと悪であろうと、奪われたものは戻りはしない。

故に、その行為が何であろうと関係ない。

ここから先、選び取る道が悉く悪と断じられようとも―――決して、それを違える事は無い。

未来永劫、あの存在を赦しはしない。


 故に―――これは、罪科の物語だ。

悪と断じられようと、その先に待つものが破滅であろうと……この罪を抱えて、進み続ける。











 * * * * *











 ゆらゆらと、光が揺れる。

苔生し、緑に包まれたコンクリートの箱。

そこに映る網目状の輝きが、僅かに遮られる。


 ―――水没都市、東京。


 十五年前、全世界を未曾有の大災害が襲った。

難を逃れたのは世界中でもごく僅かな国々のみ。特に先進国では、大きな被害を免れたのは日本のみだった。

しかしその日本とて無傷とは行かず、唐突な海面上昇によって関東圏はほぼ水没してしまっていたのだ。

―――たった一つの、隕石の影響で。



(たった一つ……か)



 虚空を見上げ、一人の青年が胸中で一人ごちる。

黒いロングコート、青紫色のマフラー。秋口にしてはあまりにも重装備過ぎる装いだが、彼に暑がるような様子は欠片として存在していなかった。

彼は水没した都市―――その水面・・を歩きながら、マフラーに隠した口元に小さく笑みを浮かべる。

そんな表情を見せつけるかのように、青みがかった黒髪が、ビルの谷間を吹き抜ける風に煽られた。


 と―――僅かに、水面が揺れる。



「……追いついてきたか、ガルム」



 青年が視線を横に向ければ、その方向にある沈んだ瓦礫の上に、一つの影が生まれていた。

人にあらざるその姿は、黄金の毛並みを持つ狼。

しかしながら瞳に知性の光を宿すその獣は、青年へと視線を向けて小さく首を傾げて見せた。

そんな動作に、青年は小さく苦笑を漏らす。



「十五年前の事を考えていただけだ。ここを通ると、いつも考えてしまってな」

『……』



 狼が、僅かに咎めるような視線を向ける。

そんな感情が分かってしまう事に対して、青年は再び小さな苦笑を浮かべていた。



「分かってるよ。俺にとっても、アンタにとっても……笑い話じゃ、済まないからな」



 ―――それはきっと、今を生きる全ての人間にとっての事だろう。

胸中にそう浮かべ、青年は息を吐き出す。

あの隕石は、全てを変えてしまった。世界も、生態系も、そして人々も。

それを最も近くで見てしまったからこそ、青年にはそれを笑い飛ばす事は出来なかった。

大切なものを、失ってしまったからこそ。



(否―――)



 ―――『失った』ではない。『奪われた』だ。

凍りついた心の中に、復讐の炎が揺れ踊る。

奪っていったのが、もしもただの災害だったのならば、まだ諦めもついただろう。

けれど事実は違う。現実はそうではない。

故に、彼にはそれが赦せなかった。

故に、彼は己の道を歩み出したのだ。


 狼の視線が、青年を射抜く。

その視線を受け、彼は嘆息しながらもその感情を鎮めて行った。



「……悪い。少し、感情的になり過ぎ―――」



 言葉を告げようとした、その刹那。

二対四本の視線が、同時に進んできた道の方向―――その先へと向けられる。

何かが見える訳でもなく、ただ沈んだビルと、反射する光の網があるだけだ。


 けれど。



「……ガルム、先に行っていてくれ」

『……』



 まるで、『大丈夫なのか?』とでも言いたげな様子で、狼は青年へと向けて首を傾げる。

その視線を受け止めながら、彼は小さく苦笑を漏らしていた。



「どうやら、俺にお客さんみたいだ。アンタは先に行って、あいつと一緒に待機していてくれ。俺も後から追いつく」

『……』

「心配するな。ここは俺の領域だ……最悪でも、簡単に逃げられる」



 青年の言葉を受け、しばし逡巡した様子を見せつつも、狼はコクリとその首を縦に振る。

そして、金の毛並みを持つ獣は強く瓦礫を蹴り、ビルの壁を駆け上って姿を消していった。

その姿を見送る事も無く、青年は静かに振り返り、そして小さく呟く。



「……イサラグズ



 その言葉と共に、僅かな光がコートの隙間から漏れ出した。

纏うコートが無ければ、彼の両肩が光を放った瞬間を確認する事が出来ただろう。

けれどその光には目もくれず、彼は懐から取り出した黒いバイザーを顔面に装着する。

そして右のこめかみの辺りにあるスイッチを押せば、バイザーの紅いラインが光を放つ。

彼の目には、周囲の光景が今まで以上に鮮明な映像となって映し出されていた。


 ―――瞬間、バイザーに警告の文字と上向きの矢印が映る。



「はあああああああああああッ!」



 そして次の瞬間、八本の剣が上空から彼へと向けて射出された。

けれど青年は避ける素振りも見せず、その右手を上の方向へと向ける。

空を裂き、岩を容易く貫くその鋭い切っ先。

少々小柄な青年の肉体など容易く食い破るその刃―――しかし次の瞬間、それらは凍りついたかのように空中に静止していた。

そしてそれとほぼ同時、青年の正面に一人の少女が降り立つ。

彼女は青年の真上に静止した剣と同じ形状の一振りを彼に対して突きつけ、金色のツインテールを揺らしつつ大きく言い放つ。



「見つけましたよ、《氷獄ニヴルヘイム》!」

「ユグドラシル……それも、ムスペルヘイムの連中か。一体どんな了見で、民間人に襲い掛かってきた訳だ?」

「ふざけないで下さい、裏切り者が!」



 その叫びと共に、青年の頭上にあった剣たちが砕け散る。

そしてその粒子はすぐさま少女の背後へと収束し、そこで再び剣として形成された。

八つの刃はまるで翼の如く四つずつ広がり、青年を正面から威嚇する。



「貴方のせいで、お姉様が……! 貴方を捕らえ、連れ戻してやる!」

「……俺は一応、正式な手順を踏んで抜けてきたんだがな」

「黙れ……ッ! 貴方の……貴様の所為でぇぇぇええ!」



 少女は、青年へ向かって跳躍する。九つの刃は、その鋭利な切っ先全てを彼へと向け、その身体を引き裂こうと迫る―――



「―――止まれ」



 しかし、彼がそう呟いた瞬間―――少女の体は、空中に縫い止められたかのように静止していた。

目を見開く彼女へと、青年は更に左の掌を向ける。



「沈め」



 そして次の言葉が放たれると同時、足元にある水面が波打ち、巨大な掌となって少女の体を掴み取った。

その衝撃に、彼女は目を見開く。



「これは、ラグズ……ごぼっ!?」

「俺の事を知ってるんだったら……せめて、対策ぐらいはして挑んでくるんだったな。悪いが、牙を向けられて容赦するつもりは無い」



 水の掌は、少女の体を水面の下へ引き込もうと沈み始める―――刹那。



「―――カン!」

「っ!」



 上空から響いた声に、青年は舌打ちと共に後方へと跳躍する。

そしてそれとほぼ同時、彼が先ほどまで立っていた場所に、巨大な炎の弾丸が撃ち込まれた。

爆裂する弾丸と立ち昇る水蒸気に、後方へと着した青年は、先ほどまでとは違い油断無く構える。

視線の先は、立ち昇る水蒸気によって覆い尽くされている……けれど、そこに在る確かな気配は、彼を警戒させるに足るだけの力を持っていたのだ。


 ―――そして、蒸気が晴れる。

そこに立っていたのは、真紅の髪をなびかせる一人の少女だった。

その姿を見つめ、青年はマフラーの下で小さく笑みを浮かべる。



「……やはりお前か、《災いの枝レーヴァテイン》」

「っ、《氷獄ニヴルヘイム》……」



 《災いの枝レーヴァテイン》と呼ばれた少女は、青年の姿を見つめて口惜しそうに顔を俯かせる。

伏せられた黒曜の瞳は、長い真紅の髪によって覆い隠されていた。

十五年前の大災害以来、人にはある特殊な力が備わると同時、それに伴う肉体の変化が起こっていたのだ。

彼女の持つ真紅の髪も、そして青年の持つ青紫の瞳も―――


 剣の翼を持つ少女を抱えた《災いの枝レーヴァテイン》は、伏せていた顔を上げて真っ直ぐと青年の瞳を見つめる。

と……その腕の中にいた少女が、僅かに身じろぎした。



「おねえ、さま……」

「……意識があるなら帰還しなさい、《戦乙女ヴァルキュリア》。彼は、貴方に太刀打ちできるような存在じゃない」

「ぅ……」



 瓦礫の上に降ろされた少女―――《戦乙女ヴァルキュリア》は、若干不満げな表情を浮かべながらも、《災いの枝レーヴァテイン》の言葉に従い後方へと退避して行く。

そしてその姿を追撃せずに見つめ、青年は小さく嘆息を漏らした。



「部下の教育がなってないな、《災いの枝レーヴァテイン》」

「……私は、貴方のように上手く教える事は出来ないから……隊長」

「俺は退職したんだ。今はお前が隊長だろう、緋織ひおり……いや、《災いの枝レーヴァテイン》」

「涼二、私は……ッ!」



 叫ぼうとした《災いの枝レーヴァテイン》―――緋織に対し、彼はバイザーとマフラーの下で小さく苦笑を浮かべていた。

氷獄ニヴルヘイム》―――涼二は、緋織の言葉を手で制し、そして彼女へと向けて声を上げる。



「戻って欲しい、と言われても俺には無理だ。俺はもう、お前達の敵になったんだからな」

「どうして……!」

「どうして、か」



 涼二は、小さく苦笑する。

その表情を、必死に隠しながら。

―――情を捨てきれない自分を、嘲笑いながら。



「理由はあるが道理は無い。そこに感情はあっても理性は無い。故に、説得しようとしても無駄だ、《災いの枝レーヴァテイン》。力ずくでなければ、俺は止まらないぞ」

「ッ……なら! ジュラカンテイワズ!」



 緋織の服の下、両脇腹と胸元の辺りが輝く。

彼女の周囲には炎が逆巻き、そしてその手の中には、一振りの長剣が姿を現した。

莫大な熱量を誇りながらも、本人にはまるで影響を与えない、その赤熱した炎の刃。

その熱を振り払うように剣を構え、感情を押し殺した表情で緋織は言い放つ。



「力ずくで、貴方を連れ戻す!」

「それが正しい。が―――」



 涼二は、右手を横へと向ける。

水面から上がって来た大量の水は涼二の手の中で剣の形となり、そのまま凍て付いて氷の刃と化す。

それを構え、涼二はバイザーの下で小さく笑みを浮かべていた。



「状況判断が出来ていないな、緋織……もう一度、教育し直してやろう」

「ッ……涼二!」



 どこか祈るような、泣きそうな声が響き渡る。その言葉に息を詰まらせつつも、涼二は己の心を押し殺し、駆けた。

歯を食いしばりつつも、炎の刃を構える緋織もまた、跳躍する。


 そして黒と紅の影は、水没した都市の中、凍結と灼熱の衝撃を撒き散らした―――



「はああああああああッ!」

「ふ……ッ!」



 裂帛の咆哮と、鋭い呼気。

それと共に放たれる真紅の火炎と純白の冷気は、互いが互いの世界を喰い合うかのように周囲を蹂躙する。

凍結した周囲の水は炎によって即座に溶かされ、建物に張り付いていた植物達は燃え上がった次の瞬間には氷像と化していた。

しかしその中心地にいる二人に、ダメージを受けたような様子は欠片として存在しない。

二人は互いに互いの剣を弾き合い、同時に距離を開けた。



「大した火力だ。捕らえるつもりじゃなかったのか?」

「貴方なら……この程度、簡単に防げるだろう!」



 言い放ち、緋織は刃を振るう。

それと共に放たれるのは、衝撃を纏う炎の奔流。

人体など容易く飲み込み、焼き尽くし、塵すらも残さないであろうその熱量。

それに対し、涼二はただ左の掌を向けただけだった。

が―――それと共に、足元にあった膨大な量の水が、瀑布を逆再生するかのように巻き上げられる。

水が炎の渦を飲み込み、大量の水が一瞬で蒸発した事による大爆発すら更なる水の流れで飲み込んで、水流は天高く舞い上がる。



「思い切りがいいのは評価しよう。だが―――」



 上空に舞い上がった水が散り、水面へと雨のように降り注ぐ。

涼二はそれと共に、天へと向けて右手を掲げた。

その動作に、緋織ははっと目を見開く。



「水に溢れたこの場所は、俺の領域だ……相手の土俵で戦うなと、そう教えた筈だったが?」

「しま……ッ!」

「凍て付け―――《氷雨フロスティレイン》」



 涼二の右肩が、コートの下で強い輝きを放った。

そして次の瞬間、天から降り注ぐ水の雫に触れたものが、一斉に凍りつき始める。

ビルも、植物も、水面も……全てが凍て付き、周囲は一瞬にして氷の世界へと変貌してゆく。

―――故に、《氷獄ニヴルヘイム》。



「く、ぅ……」



 異界と化したこの場所で、それでも灼熱の炎を周囲に纏う事で何とか耐えていた緋織。

涼二は、その様子に容赦など見せず、彼女へとその刃の切っ先を向ける。



「ちゃんと、避けろよ?」

「―――ッ!」



 その声が響いた瞬間、緋織へ向けて巨大な氷の槌が振り下ろされた。

その一撃は凍て付いていた水面を砕き割り、周囲へと大量の水を巻き上げる。

間一髪躱した緋織も、その水までもを躱す事は出来なかった。

そして周囲の冷気に、その身もまた凍て付き始める。

必死に剣の炎を纏って氷を溶かそうとしているが、その氷の侵食を止めるのが限度だった。

そんな彼女の姿を見据え、涼二は小さく嘆息を漏らす。



「お前は強いよ、緋織。ここ以外の場所で戦えば、俺も本気を出さざるを得ないほどにな。けれど、これが結果だ。

周囲の被害を考えれば、確かにここ以外に俺と戦えるような場所は無かっただろうが……まあ、しっかり準備をしなかったのがお前の敗因だ」

「くっ……涼二、どうして。私は、貴方と―――」

「一緒に戦っていたかった、か?」



 膝を着いた緋織は、近付いてきた涼二の姿を見上げる。

その首筋に覗く銀の鎖を見つめ、涼二は小さく嘆息していた。



「……俺も、お前の事は気に入っていた。けれど、お前を連れて行く事は出来なかったんだよ」

「どうして……?」

「お前は、あの場所以外での生き方を知らないからな……今の場所にいた方が、幸せだろうさ」



 言って、涼二は踵を返す。

止めを刺さぬまま立ち去ろうとするその姿に、緋織は思わずその背中へと手を伸ばしていた。



「待て……待って、涼二!」

「……追ってくるな、緋織。そうすれば、俺はお前を殺さなくちゃならなくなる。先輩からの最後の餞別ぐらい、受けとっておけ」



 涼二は力を解除しつつ言い放ち、そのまま真っ直ぐと水面を歩いて行った。

粉雪のように舞う冷気は、白い霧となってその姿を覆い隠してゆく。

消えてゆくその背中へと向けられていた掌は、ぱたりと地面に降ろされた。



「理由ぐらい……話してくれたって、いいじゃない」



 凛と澄んでいた筈の表情が、くしゃりと歪む。

誰もいない、滅びた街の中―――磨戸するど緋織は、それでもその慟哭の声を必死に抑え続けていた。





















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