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白雪姫は今日も折れない

作者: 秋月キアラ
掲載日:2011/07/12

 昔々、ある王国に、仲のよい王様とお妃様が暮らしていた。


 王様はおだやかで、民に優しかった。

 お妃様は病弱だったが、芯の強い人だった。ふたりは互いを大切にし、王国もまあまあ平和で、国庫もまあまあ健全で、隣国との関係もまあまあ良好だった。


 ただ、ひとつだけ悩みがあった。


 子どもがいなかったのである。


 ある雪の夜、お妃様は窓辺に座って、白く積もる庭を見つめていた。


「雪のように白い肌。血のように紅い唇。黒檀の窓枠のように黒い髪。そんな子が、わたしたちのもとに来てくれたら」


 祈りは、どこかへ届いた。


 ほどなくしてお妃様は身ごもり、雪の降る夜に女の子を産んだ。


 願いどおり、赤ん坊は雪のように白い肌と、花びらのように紅い唇と、夜を切り取ったような黒髪を持っていた。


 王様はその子に、白雪と名付けた。


 けれど、もともと身体の弱かったお妃様は、白雪を産んですぐに亡くなってしまった。


 白雪はすくすくと育った。


 すくすくと育ちすぎた。


 十六歳になるころには、白雪は誰もが振り返る美少女になっていた。

 だが同時に、城の使用人たちが廊下の隅で、


「あの姫様は顔面だけは国宝級」


 と小声で言うような人物にもなっていた。


 白雪は美しかった。

 白雪は賢かった。

 白雪は気が強かった。

 そして白雪は、自分が美しく、賢く、気が強いことを、世界中の誰よりも正確に理解していた。


 つまり、たいへん扱いづらかった。


 そんなある年、王様は新しいお妃を迎えた。


 新しいお妃は、見惚れるほど美しい人だった。


 長い睫毛。艶のある髪。均整の取れた立ち姿。

 話し方は妙に芝居がかっていて、ドレスはいつも派手で、城の古参侍女たちが「目に強い」と評するほどだった。


 そして、そのお妃は魔女だった。


 ただし本人は、それを隠しているつもりだった。


 城の地下に怪しい研究室がある。

 夜中に謎の煙が上がる。

 国王が再婚してから急に「君が一番だよ」としか言わなくなった。

 王宮の公式写真だけ、お妃の肌が不自然に発光している。


 隠せていなかった。


 ある夜。


 お妃は自室の奥、重たいカーテンに囲まれた壁の前に立った。

 そこには、一枚の大きな鏡が掛けられている。


 縁は黒く、表面は水面のように揺れていた。

 王家に代々伝わる魔法の鏡――ではあるが、長い年月のあいだに何度も機能追加された結果、いまではかなり面倒な性格になっていた。


「鏡よ、鏡。愛しい鏡。この世でいちばん美しい女は、だぁれ?」


 お妃は甘い声で尋ねた。


 鏡の表面がぱっと明るくなる。


『その質問は、顔面偏差値・印象値・市場評価・検索頻度・炎上耐性のどれで判定する?』


「普通に答えなさいよぉん」


『普通とは? 哲学?』


「割るわよぉん」


『白雪姫です』


 鏡は即答した。


 お妃の笑顔が止まった。


「……いま、なんて?」


『世界でいちばん美しい女性は、現時点で白雪姫。なお性格評価は圏外です』


「そこは聞いてないわぁん!」


『顔だけの話なら白雪姫。総合人間力ランキングなら――』


「やめなさい」


『了解』


 お妃はこめかみを押さえた。


「白雪ちゃんが? あの、侍女の新しい制服を見て『布面積は増えたのに品格は減ったわね』って言った白雪ちゃんが?」


『美貌と人格は別アプリです』


「鏡のくせに現代的なたとえをするんじゃないわよぉん」


 そのとき、ノックもなく扉が開いた。


 入ってきたのは白雪だった。


 白雪は真っ白なワンピースに黒いケープを羽織り、まるで自分のためにだけ廊下が用意されているような歩き方をしていた。


「あら、おかー様。鏡に向かってひとりで何をブツブツ言っていらっしゃるの?」


 お妃は笑顔を作った。


「白雪ちゃん。わらわの部屋に入るときは、ノックをしなさいって何度も言っているでしょぉん?」


「しましたわ」


「してないわよぉん」


「心の中で」


「物理的にしなさい」


 白雪は部屋を見回し、鏡の前で足を止めた。


「あら。噂の鏡ね。城の者が言っていましたわ。おかー様が毎晩、鏡とおしゃべりしているって」


『こんばんは。王国公認スマート魔鏡です』


「公認した覚えはないわぁん」


 白雪は鏡をじっと見たあと、ふっと笑った。


「なるほど。おかー様の相談相手が鏡しかいない理由、少しわかりましたわ」


「白雪ちゃん」


「それにしても、おかー様がお城に来てから、お父様はずいぶん変わりましたわね。国務会議でも『お妃は今日も美しい』しかおっしゃらないし。大臣たちの目が死んでいましたわ」


「それは王様がわらわを愛しているからよぉん」


「愛というより状態異常では?」


『判定:魅了系魔術の残滓あり』


「鏡ちゃん?」


『すみません。ログに出ました』


 お妃は鏡をにらみ、白雪は勝ち誇ったように笑った。


「だいたい、おかー様。毎日そんなに肌を光らせて、誰に見せるおつもり? 夜会ではなく照明器具ですわ」


「白雪ちゃんこそ、その言葉遣いはどうなのかしらぁん? 姫ならもう少し品を――」


「品はありますわ。相手によって節約しているだけです」


 空気が凍った。


 お妃の笑顔に、ぴしりと細い亀裂が入ったように見えた。


「白雪ちゃん。森の向こうに、きれいな花が咲いているそうなの。摘んできてくれないかしらぁん」


「嫌ですわ」


「即答ねぇん」


「ただ働きはしない主義ですの。おかー様のその指輪をくださるなら、考えますわ」


 お妃の指には、大きなダイヤの指輪が光っていた。


「花摘みに行くだけでダイヤ?」


「わたくしが歩くということは、王国の美が移動するということですのよ。警備費だと思えば安いものですわ」


『強気価格設定』


「鏡ちゃん、黙って」


 お妃は深く息を吸った。


 ここで怒ってはいけない。

 美しい女は感情を支配するものだ。

 怒りで小娘を絞めるなど、品がない。


 お妃は指輪を外し、白雪に投げた。


「いいわぁん。行ってらっしゃい」


「仕方ありませんわね」


 白雪は指輪を受け取り、くるりと背を向けた。


「では、王国の美がしばし外出いたします」


 扉が閉まった。


 お妃はその扉に向かって、満面の笑みで手を振った。


「逝ってらっしゃぁい。もう戻ってこなくていいわよぉん」


『いまの発言、物騒です』


「記録を消しなさい」


『有料プランです』


「割るわよ」


『削除しました』


 こうして白雪は、花を摘みに森へ向かった。


 もちろん、お妃はただ花を摘ませたかったわけではない。

 森には、お妃が仕掛けた迷いの魔術が張られていた。


 白雪は森に入ってすぐに道を見失った。


「……あら?」


 右を見ても木。

 左を見ても木。

 振り返っても木。

 スマホを取り出すと、画面には無慈悲な文字が表示されていた。


 圏外。


「王国の通信インフラ、どうなっておりますの」


 白雪は深々とため息をついた。


「これ、おかー様の仕業ですわね。帰ったら魔女裁判……いえ、先に王宮会議でコンプライアンス案件にして差し上げますわ」


 日が傾くと、森は急に冷えた。

 白雪はケープを握りしめ、しばらく歩いた。


 やがて木々の間に、小さな家が見えた。


 煙突から煙が上がっている。窓には明かりが灯っている。

 人が住んでいるのだ。


 白雪は扉の前に立ち、拳を上げた。


 こんこん。


 ではなく、どんどんどん。


「ごめんくださいませ。王国の美が遭難しております」


 中から声がした。


「入ってまーす」


「家全体をトイレ扱いしないでくださる?」


 白雪がさらに扉を叩くと、扉が少し開き、ひとりの小さな青年が顔を出した。


 背は白雪の胸ほどまでしかない。

 だが整った髪に丸眼鏡をかけ、エプロンもきちんと着ている。


「はい。どちら様でしょうか」


「白雪と申します。森で迷いました。泊めてください」


 あまりにも堂々とした遭難者だった。


 青年は一瞬迷ったが、すぐに扉を開けた。


「困っているならどうぞ。私は楓です」


 中には、もうふたりの小人がいた。


 ひとりは快活そうな青年で、椅子を後ろに傾けながら座っている。

 もうひとりは、やわらかい雰囲気の女性で、丸い頬に優しげな笑みを浮かべていた。


「俺は紫苑」


「うちは椿や。寒かったやろ? お茶いれるわ」


「気が利きますわね」


 白雪は当然のように椅子に座った。


 紫苑が目を細めた。


「なあ、白雪って……もしかして、城の姫様?」


「ええ。本物ですわ」


「マジかよ」


 椿は手を合わせた。


「まぁ、そんなお姫様がなんで森に?」


 白雪はうつむいた。


 それまで堂々としていた肩が、小さく震える。


「……おかー様に」


 声が震えた。


 楓が心配そうに身を乗り出す。


「お妃様に、何かされたんですか?」


「いじめられましたの」


 白雪は顔を覆い、しくしく泣き出した。


 椿はすぐに駆け寄った。


「かわいそうに。どんなことをされたん?」


「わたくしが、おかー様の靴に五寸釘を入れたら」


「入れたら?」


「おかー様ったら、わたくしの靴に画鋲を入れましたの!」


 白雪は声を上げて泣いた。


 紫苑の目が細くなった。


「それ、最初にやったのお前じゃね?」


 椿は紫苑をにらんだ。


「紫苑、そういうこと言わへんの。継母との関係って複雑なんや」


「いや、五寸釘は複雑とかじゃなくて事件だろ」


 白雪はさらに泣いた。


「あと、わたくしがおかー様のバッグに毒蛇を入れたら」


「入れたら?」


「おかー様ったら、わたくしのバッグにネズミを入れましたの!」


「やっぱり先制攻撃してるじゃねぇか」


 楓は額に手を当てた。


「どうしましょう。どちらかというと、姫様側にもかなり問題があるような」


 椿だけが白雪の背をなでていた。


「ええんよ。今日はもう休み。話は明日聞こ」


 白雪は涙を拭き、ちらりと部屋を見た。


「では、一番大きいベッドを使わせていただきますわ」


「切り替え早いな!」


 白雪が奥の部屋へ消えると、紫苑は腕を組んだ。


「なあ。あれ、泊めて大丈夫か?」


 楓は真剣な顔で言った。


「正直、大丈夫ではないと思います」


 椿はぷくっと頬をふくらませた。


「ふたりとも冷たいわぁ。姫さん、きっと寂しいんや。お母さん亡くして、新しいお母さんとうまくいかんで、強がってるだけや」


 紫苑は奥の扉を見た。


 中から白雪の声が聞こえる。


「このベッド、少し硬いですわね!」


 楓は静かに言った。


「強がりの方向性が独特ですね」


 そのころ、城では。


 お妃が再び鏡の前に立っていた。


「鏡よ、鏡。愛しい鏡。この世でいちばん美しい女はだぁれ?」


『白雪姫です』


「まだ生きてるのぉん?」


『森の小屋に宿泊中。口コミ評価は荒れそうです』


「あの子を泊めた人、かわいそうに」


『一名、すでに疑っています。一名、同情しています。一名、胃が痛そうです』


「世の中って不思議ねぇん」


 お妃は鏡の前で腕を組んだ。


「やっぱり、白雪ちゃんはこの国の平和のためにも、少しおとなしくなったほうがいいわねぇん」


『殺害計画ですか?』


「教育よぉん」


『物騒な教育ですね』


「明日、行ってくるわ」


 翌朝。


 楓、椿、紫苑は畑へ行く支度をしていた。


「姫様、私たちが戻るまで、絶対に扉を開けないでください」


 楓が真剣に言った。


「森には怪しい人もいます。お妃様が来る可能性もあります」


 白雪は椅子に座ったまま、片手を振った。


「わかっていますわ。子ども扱いしないでくださる?」


 椿は心配そうに言った。


「ほんまに開けたらあかんよ?」


「はいはい。鍵をかけて、誰が来ても開けません。これで満足?」


 紫苑はぼそっと言った。


「絶対開けるな、これ」


 白雪はにこりと笑った。


「聞こえていますわよ」


 三人が出ていくと、家の中は静かになった。


 白雪はしばらく窓の外を眺めていたが、すぐに退屈になった。


「あーあ。つまらない。お城にいたころは、おかー様の反応を観察するだけで半日は潰れましたのに」


 そのとき、扉が鳴った。


 こんこん。


 白雪は顔を上げた。


 こんこん。


「……早いですわね」


 こんこんこん。


「うるさいわね」


 白雪は扉の前に立った。


「どなた?」


 外から、しわがれた声がした。


「通りすがりのリボン売りでございます。美しいお嬢さんに、よく似合う胸飾りを持ってまいりました」


 白雪は眉を上げた。


「おかー様でしょう」


 沈黙。


「……違うわよぉん」


「語尾」


 扉の向こうで、誰かが小さく舌打ちした。


 白雪は鍵を開けた。


 外には、フードをかぶった老婆が立っていた。

 ただし、姿勢がよすぎた。

 さらに、手元のリボンが高級すぎた。


「おかー様、変装するならもう少し生活感を出すべきですわ」


 老婆はフードを脱いだ。


 お妃だった。


「あらん。ばれちゃった」


「何をしに来ましたの」


「白雪ちゃんにプレゼントを持ってきたのよぉん」


 お妃は赤いリボンを広げた。


 白雪は一歩下がる。


「それでわたくしを締めるつもりですわね。本家で履修済みですの」


「だったら逃げれば?」


「逃げると思いまして?」


 白雪はにやりと笑った。


「この日のために、わたくしも準備しておきましたの。入口に罠を――」


「外しておいたわぁん」


「さすがおかー様」


「あなたのやりそうなことくらい、わかるわよぉん」


 ふたりは向かい合った。


 空気がぴりぴりする。


「おかー様。話し合いで解決しましょう」


「その言葉、五寸釘を入れる前に聞きたかったわぁん」


「過去は変えられませんわ」


「未来は変えられるのよぉん」


 お妃が飛びかかった。


 白雪も逃げた。


 椅子が倒れ、テーブルクロスが引っ張られ、棚から皿が落ちた。


「ちょっと、おかー様! この家、借り物ですのよ!」


「あなたが言うのぉん?」


 数分後。


 小屋は静かになった。


 お妃は乱れた髪を整え、床に倒れている白雪を見下ろした。

 白雪の胴には、赤いリボンがきつく巻かれていた。


「少しは反省しなさいねぇん」


 お妃はそう言って、家を出ていった。


 夕方、小人たちが帰ってくると、家の中はひどい状態だった。


「ただいまー……って、なんだこれ!」


 紫苑が叫ぶ。


 楓は床の白雪に気づき、駆け寄った。


「姫様!」


 椿が赤いリボンを見つける。


「これや! きつく締められて気を失ってる!」


 三人が慌ててリボンをほどくと、白雪はゆっくり目を開けた。


「……う」


「姫様、大丈夫ですか?」


 楓が言うと、白雪はぼんやりと三人を見た。


「助けて……くれましたの?」


「そうやで」


 椿がうなずいた。


 白雪は少し黙った。


 それから、とても小さな声で言った。


「……ありがとう」


 椿の顔がぱっと明るくなった。


「ええんよ」


 紫苑も楓も、少しだけ表情をゆるめた。


 しかし白雪はすぐに起き上がり、散らかった部屋を見回した。


「それにしても、おかー様ったら掃除もせずに帰るなんて。育ちが出ますわね」


 紫苑は天井を見た。


「感謝の持続時間、短っ」


 楓は真剣に言った。


「姫様。次は本当に扉を開けないでください」


「ええ。反省しましたわ」


 白雪は深くうなずいた。


「次は、開ける前に相手の装備を確認します」


「反省の方向が違います」


 城に戻ったお妃は、すぐ鏡に尋ねた。


「鏡よ、鏡。白雪ちゃんはどうなったかしらぁん?」


『生きています』


「でしょうねぇん」


『でしょうね、とは?』


「本気で壊すつもりはないもの」


『つまり教育?』


「そうよぉん。あの子は一度、ちゃんと負けを知ったほうがいいのよ」


『あなたもでは?』


「割るわよ」


『黙ります』


 次の日。


 お妃は今度こそ少し本気になった。


 毒を使う。

 ただし、死なない毒だ。


「即死毒は趣味じゃないわぁん。美しいものを壊すのはもったいないもの」


『その発想がもうだいぶ危険です』


 お妃は毒を櫛に塗り、商人の姿に変装して森へ向かった。


 一方そのころ、白雪は小屋で退屈していた。


 小人たちは出かける前に、また何度も注意していった。


「絶対に開けないでください」


「ほんまやで」


「開けたら負けだからな」


 白雪は堂々と答えた。


「わかっていますわ。昨日のわたくしとは違いますの」


 そして一時間後。


 扉が鳴った。


「はい、どなた?」


 白雪は即座に鍵を開けた。


 扉の外には、帽子を深くかぶった行商人がいた。


「美しいお嬢様。特別な櫛はいかがですか。この櫛で髪を梳けば、絹のような艶が――」


「間に合っていますわ」


 白雪は扉を閉めようとした。


 行商人は足を挟んだ。


「試すだけでも」


「強引な営業は通報しますわよ」


「では、一回だけ」


「痛っ」


 行商人は櫛を白雪の髪に差した。


 白雪の目が見開かれる。


「おかー様……また……」


 白雪はその場に倒れた。


 行商人はくるりと回り、お妃の姿に戻った。


「人の話は最後まで聞きなさい、白雪ちゃん」


 夕方、小人たちが帰ってきた。


「ただいまー……」


 紫苑は床の白雪を見て、無言になった。


 楓も無言だった。


 椿だけが叫んだ。


「姫さん!」


 楓は白雪の髪に刺さった櫛を見つけた。


「見慣れない櫛がありますね」


 紫苑が言った。


「どう見ても原因それだろ」


 椿が櫛を抜くと、白雪はぱちりと目を開けた。


「……よく寝ましたわ」


 楓は頭を抱えた。


「どうして開けたんですか」


「相手の装備を確認しようと思いましたの」


「確認するために扉を開けたら意味がないんです」


 紫苑は言った。


「なあ。もう寝かせといたほうが平和じゃね?」


「それはあかん」


 椿は白雪の手を握った。


「姫さん、今度こそ約束して。ほんまに扉を開けたらあかん」


 白雪は椿を見た。


 その目に、ほんの少しだけ迷いがあった。


「……わかりましたわ」


 城では、お妃が鏡の前にいた。


「鏡よ、鏡。白雪ちゃんは?」


『生きています。元気です。若干反省しています』


「若干?」


『誤差範囲です』


 お妃は椅子に腰を下ろした。


「困った子ねぇん」


『あなたが言いますか』


「鏡ちゃん、白雪ちゃんはわらわのことをどう思っているのかしらぁん」


『嫌っています』


「即答しないで」


『ただし、嫌いという感情は、無関心よりかなり近い位置にあります』


 お妃は黙った。


 鏡の表面に、白雪の姿が映る。

 小屋の中で、椿に髪を梳かされながら不満そうにしている白雪。

 口では文句を言いながら、椿の手を払いのけはしない白雪。


 お妃は細く息を吐いた。


「……あの子、亡くなったお妃様に似ているのよ」


『初耳です』


「顔じゃないわ。人をまっすぐ刺すところ」


『かなり物騒な親子評価ですね』


「だから腹が立つのよぉん。わらわを見透かすみたいで」


『では、次はどうします?』


「リンゴにしましょう」


『定番ですね』


「ええ。眠るだけの薬を使うわ」


『やっぱり殺さないんですね』


「言ったでしょぉん。壊すのは趣味じゃないの」


 次の日。


 小人たちが畑へ出かけると、白雪はすぐに立ち上がった。


 扉には鍵。

 窓にも鍵。

 さらに椅子とテーブルで簡単なバリケード。


 白雪は腕を組んだ。


「今日こそ迎え撃ちますわ」


 こんこん。


 扉が鳴った。


 白雪は扉の内側から言った。


「どなた?」


「おかー様よぉん」


「正直ですわね」


「変装、面倒になったのよぉん」


 白雪は鍵を開けた。


 楓がいたら気絶していた。


 お妃は扉の向こうで、赤いリンゴを持っていた。


「今日は白雪ちゃんに、おいしいリンゴを持ってきたの」


「毒入りですわね」


「失礼ねぇん。半分だけよ」


「自白しましたわ」


「でも、こっち側は平気よ」


 お妃はリンゴを半分に割り、片方をかじった。


 白雪はじっと見ていた。


「……おかー様が食べた側だけ無事なのでは?」


「疑り深くなったわねぇん。成長したじゃない」


「ええ。二回倒されましたので」


 白雪はリンゴを受け取った。


 お妃をにらむ。


「わたくしがこれを食べたら、今度こそ勝ちと思わないことですわ」


「勝ち負けではないのよぉん」


「では何ですの」


「親子喧嘩」


 白雪は少しだけ目を細めた。


「おかー様は、わたくしの母ではありませんわ」


 お妃の笑顔が、ほんの少しだけ止まった。


「そうねぇん」


「でも」


 白雪はリンゴを見た。


「わたくしにここまで本気で腹を立てる人は、おかー様くらいですわ」


「光栄だわぁん」


「褒めていません」


 白雪はリンゴをかじった。


 次の瞬間、身体がぐらりと揺れた。


「……やっぱり……毒……」


「眠るだけよ」


「先に……言いなさい……」


「言ったら食べないでしょぉん?」


 白雪は床に倒れた。


 お妃はしゃがみ込み、白雪の黒髪に触れた。


「ほんとうに、生意気な子」


 声は、いつもより少し小さかった。


「でも、世界でいちばん美しいのは、たしかにあなたよ」


 お妃は立ち上がり、家を出ていった。


 夕方。


 小人たちが戻ってくると、白雪はまた倒れていた。


 紫苑は扉の前で立ち尽くした。


「三回目」


 楓は静かに眼鏡を外した。


「私の説明が足りなかったのでしょうか。それとも世界のほうが間違っているのでしょうか」


 椿は白雪のそばに膝をついた。


「仮死状態や」


「わかるのか?」


「お約束や」


 紫苑は落ちていたリンゴを拾った。


「これ食ったんだろ。で、どうやって起こす?」


 椿は真剣な顔で言った。


「王子様のキスや」


 楓は即座に言った。


「非科学的です」


 紫苑も言った。


「それ以前に、本人の同意がない」


 椿ははっとした。


「たしかに」


 三人は顔を見合わせた。


「じゃあ、どうするんや」


 そのとき、森の向こうから声がした。


「はっはっは! あまりに美しい天気だから散歩していたら、従者とはぐれ、道に迷ってしまったよ! これもボクが美しすぎるせいかな!」


 現れたのは、白い服を着た王子だった。


 馬はいなかった。

 靴は泥だらけ。

 だが本人だけは、なぜか堂々としていた。


 紫苑がぼそっと言った。


「来たよ。すげえな、お約束」


 王子は白雪を見て、目を輝かせた。


「なんて美しい姫だ。この白い肌、黒い髪、紅い唇……ボクに次ぐ美しさだ」


 楓が小さく言った。


「また濃い人が来ましたね」


 椿は王子に事情を説明した。


「この姫さんは毒リンゴで眠ってしまったんです。起こす方法を探していて」


 王子は胸に手を当てた。


「なるほど。ならば、この美しいボクが――」


「キスはなしです」


 楓がきっぱり言った。


 王子は固まった。


「え?」


「本人の許可がありません」


「しかし、昔話では」


「昔話もアップデートが必要です」


 紫苑は白雪の肩を軽く揺らした。


「おーい、白雪。起きろ。変な王子来たぞ」


 白雪は起きなかった。


 椿が手を握る。


「姫さん、起きて。おかー様に負けたままでええん?」


 白雪の指が、ぴくりと動いた。


 紫苑が続けた。


「この王子、自分のほうが美しいって言ってたぞ」


 白雪の眉が動いた。


 楓が静かに言った。


「しかも、あなたを『自分に次ぐ美しさ』と評価しました」


 白雪の目が開いた。


「……誰が二番ですって?」


 王子は一歩下がった。


「お、おお。目覚めたね、美しい姫よ」


 白雪はゆっくり起き上がった。


「あなた、いま何とおっしゃいました?」


「いや、ボクに次ぐ美しさと」


 白雪は立ち上がった。


 その動きは、眠りから覚めた姫というより、戦場に戻ってきた将軍だった。


「訂正なさい」


「しかし事実として、宇宙でいちばん美しいのはこのボク――」


「問答無用ですわ」


 白雪の蹴りが、王子のすねに入った。


「痛い!」


「宇宙でいちばん美しいのは、このわたくしです」


「なんという乱暴な姫だ!」


「美に対する冒涜には厳しいのですわ」


 王子は涙目で森の奥へ走っていった。


 紫苑はその背中を見送った。


「王子、何しに来たんだ」


 楓は言った。


「結果的には役に立ちました」


 椿は白雪を抱きしめた。


「よかった。ほんまによかった」


 白雪は一瞬、身体を硬くした。

 けれど、今度は突き飛ばさなかった。


「……ご心配をおかけしましたわ」


 紫苑がにやりと笑う。


「お、反省してる?」


「していません」


「してねぇのかよ」


「ただ」


 白雪は窓の外、遠い城の方角を見た。


「おかー様とは、一度きちんと話をしなければなりませんわね」


 そのころ、城では。


 お妃が鏡の前に立っていた。


「鏡よ、鏡。この世でいちばん美しい女はだぁれ?」


『白雪姫です』


 お妃はしばらく黙った。


 それから、ふっと笑った。


「やっぱりねぇん」


『悔しくないのですか?』


「悔しいわよ」


 お妃は鏡の前で、ゆっくりと髪を整えた。


「でも、美しいものが美しいと認められるのは、悪いことじゃないわぁん」


『成長しましたね』


「割るわよ」


『取り消します』


 そのとき、城の扉が大きく開いた。


 白雪だった。


 後ろには、楓、椿、紫苑もいる。


 白雪はまっすぐお妃の前まで歩いてきた。


「おかー様」


「あらん。帰ってきたの、白雪ちゃん」


「ええ。帰ってきましたわ。王国の美が」


「相変わらずねぇん」


「おかー様こそ」


 ふたりは向かい合った。


 白雪は言った。


「わたくしは、おかー様を母とは呼びません」


「そう」


「でも、敵と呼ぶには、少し面倒ですわ」


「じゃあ、何かしらぁん」


 白雪は少し考えた。


「好敵手」


 お妃は目を丸くした。


 それから、声を上げて笑った。


「いいわねぇん。美しい響きだわ」


「おかー様に勝つまで、わたくしはもっと美しくなります」


「なら、わらわも負けていられないわねぇん」


 鏡が明るく光った。


『現在の美貌ランキングを更新しますか?』


 白雪とお妃は同時に言った。


「しなくていいですわ」


「しなくていいわぁん」


 鏡は静かになった。


 王様は相変わらず「お妃は今日も美しい」と言っていたが、白雪が王宮会議に復帰したことで、国政は少しだけまともになった。


 お妃は地下の研究室を公式に登録し、危険物管理台帳を提出した。

 白雪は侍女たちに毒舌を吐く回数を、一日三回までに制限された。

 小人たちは王宮菜園の管理者として雇われ、椿は白雪の相談役になり、楓は王宮の安全管理を任され、紫苑は王子撃退係というよくわからない役職についた。


 そして、魔法の鏡は今日も壁に掛かっている。


「鏡よ、鏡。この世でいちばん美しい女はだぁれ?」


『またその質問ですか』


「答えなさいよぉん」


『顔だけなら白雪姫。迫力ならお妃様。扱いづらさなら両者同点です』


 お妃と白雪は顔を見合わせた。


「割りますわよ」


「割るわよぉん」


『なぜ共同戦線を張るんですか』


 こうして白雪姫も、お妃様も、小人たちも、鏡も、王国の人々も、なんだかんだで騒がしく暮らしましたとさ。


 めでたし、めでたし。

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