北の魔女
後半、途中から視点が変わります
「すっかり、光を失ってしまったのね」
目の前にある冷たい、石の様な…北の魔女の核、バルブレロ・アネッサの御霊。いつかの皇太子が、王となるまで閉じ込められていた場所。
≪随分と雰囲気変わったよな。この国…清浄な風が吹いている≫
そう呟くのは、あの時ここへ連れてきてくれたフゥ君。声がすると言って私をこの離塔へと運んだのだ。フゥ君が気づかなければ、いいえ、彼が一生懸命叫び続けていなければ私はアネッサ姉さまと出会うこともなかっただろう。
以前来た時とは違って、清潔には保たれているものの生活感は感じられない。ここはもう、ただ魔女の御霊があるだけの一室になっているようだ。辛うじてきれいなのは彼が時折ここを掃除しに来ているのだろうか?王たる彼が、自ら掃除とはなかなか面白い。
まあ彼以外、ここへは入ることはできないのだろうから仕方がないかもしれないが。ぐるりと部屋を見渡して、息を吐いた。
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東王を置き、転移魔法を使って着いた場所は北国。国境をも軽々と越えるこの力の自由さはさすが魔女の力といえよう。下で構えている見張りの兵すら気づかれることなく彼と会った、ジル陛下と最初に出会った場所へと飛んだ。そしてあの御霊を前に、私は口を開いたのであった。
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「きっとジル陛下が頑張ったのね、そしてその隣でアンナさんが彼を支えている。この国は、これから益々発展していくわ。命の鼓動が感じられる。なにより、この国の魔女が目覚めれば、大地は更に命を育む。魔女の力がこの北国を強い国にするでしょうね」
≪この国には、一度足を運ばれたことがあったのですね≫
ティウォールが懐かしそうな表情で、塔の窓から外を眺めていた。彼もまた、この国からロードさんを引っ張り出したことで強い印象が残っているのだろう。そして私とフゥ君も、この国でいろいろあった。
(アンナさん…)
彼女が、召喚士であるフィアナさんの妹。ボルドーさんの言葉と、私の元へ訪れた分血の彼女。全てを点でつなげば、一本の真っ直ぐな道が出来た。アンナさんは確かに辛かったし、大変だったのかもしれない。
でもその苦労の影で、更に頑張っていた人たちがいることを…いや、知らないままの方がいいのかもしれない。二人は聡明で、忠誠心があった。フィアナさんが何をしようとしたのか、今なら理解してあげられる。この国の誰もが愚かだと口にしようが、それを信じた一人の男と共に旅だった彼女を、私は尊敬する。
「―――アネッサ姉さま」
そっと御霊に触れるが、ひんやりと冷たいのと硬い感覚に、もうあの人の残留思念は本当に残っていないのだと分かった。
あの時、アネッサ姉さまは永き眠りにつくことを選んでいた。次の魔女が現れることを望んでいたのだ。…でもごめんなさい、私は貴女の眠りを妨げるためにここへ来た。
貴女の目覚めを促す為に。全ては、世界の均衡を護るため…。
一度目を閉じて、三人の精霊に命を下す。魔女になって初めて、精霊を強制的に従わせようとしている。
「ノヴァ、音を闇に落として」
私の言葉に、ノヴァはゆらりとその姿を闇へと溶け込ませ、この部屋から音が全て消え去った。そう、彼の魔法、闇魔法による音質変化。完全なる無音の世界を作り出した。
『ティウォール、ここ一帯に幻影を施して』
音が奪われた世界で、念話でティウォールに話かける。ティウォールは空気中に存在する水と光の屈折を利用しまるで塔が消えてしまったかのような状況を作り出した。今頃、この塔を何気なく見ていた人々は急に消えてしまった事にさぞ驚いている事だろう。
『フレイン、風の結界を』
そして何よりも大事なこと。この塔に誰一人として近づけないようにしなくてはいけない。フレインは、風を操り絶対防御の結界を作り上げた。
三人の精霊は、私の命令に対して、まるで当たり前だと言う様に何を言うまでもなく従った。それは私に対する完全なる忠誠心。彼らが完全に精霊として世界に溶け込んだのが分かった。
ゆっくりと目を開き、目の前にある御霊に今一度触れる。さっきと変わらず冷たく硬い石のようなもの。目覚めさせるのは一瞬だ。一度もやったことはないけれど、この方法でいいのだと私の中の何かがそう言っている。
(心配なのは、私がどこまでの記憶を忘れてしまうかってこと)
今更ながら私の支払う代償は重いと感じた。生きていた時間を奪われるほど、怖いものなどないというのに。
考えてもみれば、今までは秩序を大きく乱すほどの、代償を支払うことがないほどの魔法しか使っていなかったのだと思った。ほかは精霊や魔力を消費するだけで発動するような魔法を使っていたに過ぎなかったのだと。
確かに、ただの魔法ではなく魔女の魔法を見たことは数えるくらいしかなかったなあと昔のことを思い出した。四人の魔女が、魔女の魔法を行使するときに払う代償はなんだったのだろうか…。その司る力に合わせて跳ね返ってくるのではないかと考えた。
(ま、今はそんなのどうでもいいわ。記憶は、また新しく作ればいい)
触れた掌に魔力を込める。力強く念じ、増幅させる。世界中に散らばる、過去と今と未来と小さく存在するアネッサ姉さまの魔力をかき集める。
徐々に熱を帯び、世界が震えるのを感じた。世界の均衡を正す為に私は魔法を行使する。それは均衡を正すとともに秩序を一瞬乱す。その前兆である世界の震えをその身で体感しながら、私はさして楽しいわけでもないのに口角が上がるのが分かった。
暖かかった掌が、熱いと感じるほどに熱を持つ。音が聞こえるはずはないのに轟々と唸るような気配を感じた。そして、トクン、トクンと小さくその御霊は脈を打ち始める。
まるで、息をするように、ゆっくりと深く深く、脈を打つ。
(あと少し―――今だ)
カッと目を見開き、掌に熱く溜まった魔力を凝縮し触れる御霊に注ぎ込む。体中から吸い取られる感覚に気持ち悪さを覚えながら、詠唱を口にする。
『目覚めよ、同胞の声を聴け。
感じよ、己が仲間の鼓動を。
大地を司る魔女よ、その身を芽吹かせ世界の柱となれ』
その言葉と共に、私の掌から膨大な魔力が吸い取られた。先程の比ではない、勢いよく吸い取る。もっていかれそうになる意識をどうにかとどめ、御霊が大きく鼓動するのを確認する。
ドクン、ドクン、ドクン
重々しい、命の音が感じられる。無音の世界に、音が広がる。
≪―――魔力、力が…力が≫
(アネッサ姉さまの、声)
御霊から声がし始めた。アネッサ姉さまの声。御霊に意思が宿った。それはなくした魔力を求める彼女の苦しそうな声。もう少しだけ我慢してほしい、というよりこれだけ吸い取っておいてまだ足りないとは流石アネッサ姉さまだと感心。
≪魔力、まりょ…こ、れは――――あの子の。…ミアン?≫
『そう、私よ。そろそろ自力で起きてほしいわ、アネッサ姉さま』
(完全に意識がこちらの世界にリンクした。もう、大丈夫)
掌が火傷しそうなほど熱くなった瞬間、アネッサ姉さまのはっきりとした声と、そして御霊が大きく割れる音がした。
ガシャン!!
「っは!」
大きなうねりがノヴァの無音の世界を弾き、ティウォールの幻影を散らした。そして衝撃波としてフレインの結界に伝わった魔力は強風となって壊した。
足から崩れるようにその場に倒れる。今度は支えなんて、そんなゆったりとした倒れ方ではない。一瞬で、力が抜けてしまった。
「はっ―――くっぅ!!」
呼吸をするのが辛い、空気が喉を行き来するが気持ち悪い。加速する心臓の鼓動と自由にならない身体がもどかしい。
≪ミアン!≫
≪主よっ≫
≪ヒメサマ!!≫
三人の精霊が倒れる私の傍に来てくれたのはわかっていても、それに返してあげられるほど意識が残っていない。手足から温度が失われていく。止まらない汗と、乾く口。ガンガンと殴られたように痛い頭が、冷静さを奪ってゆく。
「―――――無茶を、する」
(痛い、痛い!!でも、聞こえなかった声が、する)
霞む意識のなかで、労わるような手が私の頭に触れた。柔らかく、暖かい手。私を抱きしめて髪を撫でた冷たい手と同じ。でも、今度は暖かく、生きている。
(嗚呼、この手。包み込むような、やさしさ)
不意に頬に何かが落ちた。それは何度も何度も、上から落ちてくる。それが何か、感覚が奪われていく中でも、わかった。目線を上へ向ける。そして目に入る、求めていた姿。
彼女は、泣いていた。静かに、声を出すこともなく、ほろほろと。アネッサ姉さまはもうこの世界に生きることを望んではいなかったのか。それは残酷なことをしてしまった。でも、ごめんなさい。私は――――
「あ、あいったかっ…たぁ」
弦を震わすような声で、私は言った。会いたかったの、寂しかったの。一人は嫌だった、同じ仲間にもう一度会えればと願っていたの。やがて意識は完全に落ちてゆく。
(きっと、次に目覚めた時は覚えていない。アネッサ姉さまのその涙も、理由も)
それでいいのかもしれない、その方が、心の負担も…少なくていい。
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「会いたかったのは、ミアンだけじゃないわよっ!!私も、ミアンに、会いたかったわ」
小さく息をして、横たわる貴女は。私が御霊となってこの世界を離れた後もずっと一人で世界にあり続けた。世界の均衡と、その秩序を守るために。四人の中の誰よりも純粋で、残酷なほど魔力を持っていた。
手から流れる絹糸のようなその銀髪に触れながら、この子を支える三人の精霊を見る。同じように心配し、この子を見つめる彼らを見て、この子の鏡だと思った。
この子が作り出した精霊なのだろう。近くに精霊が寄り付かない。高い魔力、魔女と同じ魔力をその身に宿しているから、他の精霊がうかつに近寄ることができないのだろう。
(この子は、代償を支払った)
それは私の身に流れる魔力が証明している。本来、消え尽きる寸前だった魔女の力を一瞬で顕現するほど、実体を現世に戻す方法など一つしかない。魔女を戻せるのは魔女だけ。
愛おしいこの子にもう一度触れる機会をくれたのは、私より随分と幼かった貴女。同じはずなのに、こんなにも違う。
「―――ありがとう」
頭を下げる。死んだように眠る、貴女に向かって。私をまた、この世界に連れ戻してくれて。もう一度貴女と出会えて嬉しかった。
(ありがとう、ありがとう)
ミアン、貴女の支払った代償はリアン姉さま、貴女の母と同じかしら。それともまた別の代償なのかしら。どちらにしても私たち魔女の中で一番大きな代償を支払うことに違いはない。
(今度は、必ず守るのよ)
―――――最後まで、守り切れなかったこの子を、今度は必ず守り抜く
塔の周辺が慌ただしくなってきた。これではまずい。ここにいることが人目に触れることだけは今は避けなければならない。三人の精霊も、各自持つ魔法を使ってこの場から逃れる気だ。それを私は手で制す。
鋭い殺気が、私に向けられた。なんて従順、この精霊たちはミアン以外を主と認めないか。魔女であってもその眼差しを向けるとは、命知らずというべきか、あるいは敬うべき愛というべきか…。
「――――ミアンの傍にいなさい。ここへは誰も、近寄らせはしない」
笑って、そしてミアンの頭から手を離す。身を翻し、それと共に女性にしては少し短い、けれども日に当たってもけして色を変える事の無い漆黒の髪が舞う。
魔力など、皆無に等しい。が、それでも実体があるだけまし。それ以上に、この子を後ろにして、僅かな魔力も出し惜しみするほど愚かではない。
(下手に、ミアンの精霊の気配をこの国に残しておきたくはない)
だから、私がいま力を使うのだ。勿論倒れる程使うわけじゃない。この子の精霊に世話になるほど落ちぶれちゃいない。
『穿鑿せよ』
その言葉と共に、巨大な岩が転げ落ちるような轟然たる音が響いた。大地が大きく揺れ、僅かな悲鳴と声がして、窓から差し込む光が遮られた。
≪何を、したのですか≫
静かな気配を纏う瑞々しさを全身から発する藍色の男は、私を訝し気に見ている。何をしたも何も…
「大地に眠る精霊に声をかけ、この塔を沈めたのだよ」
穴をあけ大地にもぐりこんだのだ。これでいい、一先ず人間の目に触れる事はない。そして私自身も、精霊を使役したのだから代償を払うことなく、魔力を少し失ったくらいで済んだ。
私の答えに、目線を再びミアンへ向ける彼。あの子に危害がないとわかれば、それはもう素直な反応を見せてくれるものね。
(とりあえずは、もうすぐミアンも目が覚めるでしょう)
徐々にミアンに魔力が戻っているのが分かる。顔色も、息遣いも正常になりつつある。彼女が起きたら、聞いてみよう。
(聞いても答えてくれる保証はどこにもないけれど)
それでも今は、この子に会えた喜びを抱き、再び涙を流すのだ。
「――――ありがとう」
ミアン、貴女が起きたら真っ先に言う言葉があるわ。貴女のその蒼銀の瞳と交わるその瞬間を待ちわびている。
「――――この世界に」
300年を経て、もう一度この世界に戻れたことに感謝する。
「―――私を呼んでくれて」
愛しい愛しい子。リアン姉さまの、愛した子。私たち四人の魔女の宝。本当にありがとう、そしてなによりも…。
「―――生きていてくれて、ありがとう」
愛しているわ、これからも。




