血瓶と契約
――――精霊王、魔女達にその力を奪われ地の底で眠っていた彼女が目覚めるほんの数刻前。運命の歯車は悪戯に動き出していた。
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「許さんぞ、アマンダ・ルゼット」
その名を口にするのも憚られる。今までそうではないかという仮定があった。だがそうだと言い切れる確証は得られなかった。だがどうだ、運命とは本当に残酷で私に優しくできている。
収まりきらない感情が、私の色彩の魔法を取り払ってしまった。その様子に東王やその宰相が驚きの表情を浮かべているのが分かった。あのティウォールでさえ可視化し私の前に現れている。
唯一、ノヴァだけは私の心の闇を知っているから静かにしているけれど…。銀髪が酷く鈍い色でその部屋に色を飾った。
≪お姿が…≫
「平気、この人たちは既に真実を知っている。契約も交わした。気が緩んでいるときに欲しかった真実がポッと出てくるものだからつい解けてしまったの」
ティウォールの気遣う視線が優しいと感じる。そして何も言わずさりげなく私と二人の人間の間に立ってくれるフレインの空気を読む行動は護るといった最初の時から変わることはない。
「―――言葉にできぬ、とはまさに言い当て妙だな。何度見てもその姿を前に身体が強張ってしまう。」
≪それが、たかが数十年しか生きることができない人間と、数百年生きた魔女の違いだ≫
「フゥ君、たかが、は言い過ぎじゃない?」
東王の言葉に冷たく返すフゥ君の、何故だろう差別と軽蔑が含まれたその物言いに注意をする。いまだに驚きの表情をしているボルドーさんは、確かにこの姿を目にしたのは初めてだと思った。
「純血の、それも血の通った生きた魔女を目の当たりにして…でもね、今は色彩が変わっただけ。私の魔力は無に等しいから、これで驚いていては魔力を取り戻した時には倒れてしまうんじゃないかしら」
その言葉にはっとして、すぐに柔らかな微笑みを浮かべるボルドーさん。外交の窓口となり若い王を支えるには十分な対応力に、伊達に楽をして生きてはいないと分かった。
「それにしても、アマンダ・ルゼットとは魔女狩りが起こった年の帝国王妃ではなかったか?」
「そうね、この話は複雑なのと、、言ってみればこちら側の問題なの。」
「できれば詳しく聞かせていただきたいものだかな」
「―――時として真実を知らない方がよかったと思うこともある。これは人間と魔女との境界線、とでも思えばいい。話してもいいけれど、聞いたら最後、貴方はそちら側にはいられなくなるわ。かといって私たちと同じになれるわけではない、どっちつかずの半端者として生涯を終えることになるでしょうね」
私の答えに、少しばかり眉間にしわを寄せ考え込む様子をした後東王はやや苦笑を浮かべながら口を開いた。それは立派な脅し文句だ、と。
彼は一人の人間であると同時に、国の王だ。何万人という王を必要とする民がいる。そんな彼らの前に立つ王が半端者、異端者となるわけにはいかない。それが近隣諸国に知られてしまえば国は落とされてしまう。難しいけれど簡単な話。
(それを言わずして理解してくれた彼は、確かに聡明と言われるだけはある)
「さて、と。先に魔力を戻す、という話だったな。準備をしなくてはいけない…ついてきていただこうか」
そう言って部屋から出て行こうとする東王に、思わず声を張り上げ止める。
「ちょ、ちょっと!そんなにすぐ準備して力が戻るものなの?ただの魔力ではないわ、魔女の魔力よ?」
「―――既に、粗方手筈は整えてある。あとは少しの準備で済む」
「準備万端だってこと?まるで、先読みの力があるみたいじゃない」
その台詞は、つい口からぽろっと出たに過ぎなかった。けれども東王はその笑みを深め、ゆっくりと頷いたのだ。
「そうだな、このことは数代前の王から口頭でのみ伝えられてきた事柄。それを補うように古ぼけた一冊の本を我々は受け継いでいる。準備がされている部屋につくまでその話をしよう」
「陛下、それは些か不用心にございますれば…いくら近寄らせぬとはいっても近衛兵は静かに護衛をしております。廊下に出てこのような話を迂闊にしては…というよりその件につきましては私は何も聞かされておりませぬよ」
東王から聞かされた内容と、冷静に対処するボルドーさん。でも確かにこんな重要な話をこの部屋以外で話すことはいいとは思えない。今はこの部屋をフゥ君が風の結界で覆ってくれているから音は漏れることはない。歩きながら私たちの周囲だけを、ってことも可能ではあるけれどそれでも気を張り詰めた状態で行わなければならない。
知らなかった真実がボロボロこぼれるこの話を、そんな緊張した状態で聞いていればさらに気が立ってしまう。あまりいい精神状態とは言えない状況でそんな話をするのは無理がある。
「いや、この部屋からは出ない。そしてトロタノワ、知らなくて当たり前だ。むしろ知っていたら尋問レベルだ。お前がこの話を聞くのは最初で最後。そして俺の代でこの話は語り終わるんだ。そう、すべては記されたままに」
この部屋から出ない?東王のその言葉に一様に首をかしげる。その間に彼は水でお得意の分身を作っていた。この部屋にその分身を置いておくつもりなのだろう。ボルドーさんにも、己の分身を作る様に言っている。
(部屋から出ないとなるとここでするつもり?流石にこんな一室でできるような簡単なものじゃないはず。というより、そんな簡単な方法で魔力が取り戻せていたのならここ数百年の生活のあれこれ意味を失うわ)
なんとなく自傷気味になっている感情を奮い立たせ再び考える。そうしているうちに彼らは分身をその水魔法で精巧に作り上げていた。
「さて、色々考えていたようだが答えはいたって単純。この部屋にある隠し扉のその奥に準備してある。王しか知らぬ、城の奥というやつだ」
「―――単純明快。それにしてもその魔法、凄いわね」
「得意分野だ。惑わし欺く。病弱と言われる王はこうして国を護っている。どの国もそうして各々得意とするもので国を護るのが普通なのであって、帝国の王が飛びぬけているに過ぎない。」
(何故陛下を見て異質と感じたのか、それもそのはず。ただの人間では、ないのだからね)
東王は言った。全て言葉と文字で記されている、と。運命であり必然。私たち魔女ですら抗うことのできない事象。こうなることはすべて決まっていたのだ。
「さて、では行くとしよう。」
そう言って東王はそのポケットから、何かを取り出した。ソレは、随分と昔に渡したものと相違ない―――血瓶。少し量は減っているようだがまだその鮮やかな色を保ったまま透明な瓶の中で揺れている。
「コレは、貴女の一部だ。この血を一滴、この真っ白な華に落とすだけで…」
床に敷いてある絨毯の、真ん中。ひっそりと描かれている白い華、そこに血を落とせば、じわじわと染み込んで次の瞬間には足元に巨大な魔方陣が描かれた。
(魔方陣、随分とまた懐かしい)
現代の魔法では、魔方陣を描かなくともその豊かな想像力と偉大な魔術師が残した記録によって魔法は効力を発揮する。でも昔はそんな発達した知識や、それを記す術はなかった。だから互いに見て覚え、生み出した。その原点が、魔方陣。
ここから己が創造した魔法を放出する、この陣の形がこの魔法を発動させるといった視覚で理解する手段の一つ。
それにちょっとした工夫をこらせば、確かにこれは迂闊に開くことはできない隠し部屋だと思った。光に包まれながらどこか懐かしい気配を感じたのは、気のせいではないだろう。
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ピチチチッ
そこは辺り一面、新緑生い茂る穏やかな大地。小鳥の囀る声とどこからともなく吹く風、足元にも小さな流れをつくって静かに揺蕩う水。木になる赤い実は大きく熟し穏やかな日差しが、私たちを包み込んでいる。
この景色を私は知ってる。これは、この場所は…
「この場所は300年の前、その時代の王が最も印象に残った場所につながるようになっている。私はここから帝国に入ったのだ」
「…ふふふっ、本当に運命とは恐ろしい。私があと少し、街に売りに行く日を遅めていたら東王、貴方と出会っていた。でもそれではきっと今の様な流れにはならなかった。あの時庭師と騎士としてであったから今があるのね」
この森は、≪永久の籠≫と呼ばれる神聖な森。私が囚われ、そして戦場となった森。数多の命が消え、そしてお前と出会った場所。
―――怖い魔女だ…死に逝く人間に対してなんとも思わないか。
(変な男だと思った。それ以上に、それを同族であるお前が言うかと思った。)
―――俺はいずれ、東の王となる男だ。
(お前はまだ、東の王ではなかったのか。あのハゲと仲が良かったからつい同じ王であると思っていたがまだお前は王位を譲られてはいなかったのだな)
お前は王となった。そして、今その時期が来たのだろう?お前の名をその口からききたかったと後悔してももう遅いな。ソルジェ・ダンジュール。お前は300年後の未来を憂いていたのか。
「まず、準備をする前に貴女に話さねばいけないことがある。これは、英雄王ソルジェ・ダンジュールが残した最期の言葉だ」
その森の中、私に視線を向ける東王がどこかあの日の彼と同じ瞳をしていた。だからこそ、彼の止まった時間の全てを受け止めようと静かに私は目を閉じた。
「――――貴女様の母君のように、いや、それ以上の幸せに包まれて欲しいと願うばかりです。魔女よ、貴方の御心の広さに敬意を…貴女の優しさに温情を。貴女の幸せな未来を遠く昔の過去よりお祈りしております―――」
(嗚呼、嫌だな。そうか、お前は母を知っていたのか。だから森へ来たのか。その前の出来事などわかりはしないが、きっと何かの縁があったのだろう?)
目を開ければ、言い終えた東王は、どこかすっきりとした表情で私を見ていた。300と数年、時を経て漸くお前の言葉は私に伝わった。そこに私の母の思いがあったことも分かった。頬を伝った涙は、重力に逆らうことなく下へと落ちた。
ピチャン
小さな音を立て、流れる水と一体になった私の涙は…どうゆうことか瞬く間に光を放ち始めた。
「これで、準備は整った。最後に必要なのは、魔女の純真なる涙。ここから先はどうなるのか口頭でも書面にも記されてはいない。精霊は…どうやら貴女の傍にいるようだ。俺もこの後どうなるのか、最後の語り役として見守らせてほしい」
≪俺はいつでもお前とある≫
≪御傍に、最後まで≫
≪ヒメサマの確かなる目覚めの時を一緒に、ね≫
光り輝くその場所で、私を見守る彼ら。何も言わず、ただ静かにボルドーさんは見ていたけれど、その瞳はただただ優しかった。
光が増し、それは渦となって私の周りをまわりはじめる。踊る様に、舞うように大きく荒々しく渦を巻く。そして、まばゆい光の中、声がした
『お返し致します。小さなレディ――――とても綺麗になりましたねミア。』
『ほほう、俺の娘はリアに似て美人に育ったなー。これは婿さがしが大変だ』
『あらいやだ。お嫁さんですよ、それに目元は貴方そっくりですよレイモンド様』
声が聞こえるの、懐かしい。でも最初の声以外聞いたことはないはずなのに…どうしてこんなにも、懐かしく幸せな気持ちなの?
『本当に、大きくなったミア。幸多からんことを』
(そう、私はずっと昔ミアと愛称で呼ばれていたわ。それが忘れられなくて人間の時もその名を口にした)
『私の時を司る力と、それを受け継いだ貴女の力の交わった時に一度だけ起こる奇跡。私たちの可愛い娘、契約は守られたわ。―――自由よ』
(姿は見えない、でもわかる。貴女が私の母ですね)
『いいや、嫁にはやらんぞ!でも、お前のしたいようにしなさい。父はそれを許そう』
(おおきな優しさ、そして守られていると感じる強さ、偉大な父よ)
感じる、力が戻るのを。漲る、溢れんばかりの魔力を。そこには愛と優しさと強さに守られていて…
――――私の時間が動き出す。
『『『進め』』』
その声と共に、光が弾ける。最初で最後の奇跡。私以外、彼らの声は聞こえずただ眩いだけの光の空間と溢れる魔力を感じていただろう。それでいい、この思いは私だけが知っていれば。
(もう進める。立ちはだかる壁は壊せる。私は誰?)
光が収まり、静かな大地のその場所で…白銀に輝く髪が風に流れる。ゆっくりとその眼を開き、蒼銀の瞳が諸悪の根源が眠る遠きかの地を見据える。
そんな私に、声をかけたのは――――
「時の、魔女」
(そう、私は時の魔女)
300年前唯一核とならず原型をとどめたまま生き続けている純血の魔女。司る魔法は≪時≫。
世界の秩序と安定をもたらす魔女
最初に声をかけた人?勿論、あの人ですよね。皆様お気づきかと思います。ここまで読んでくださってありがとうございました