魔女と東王その2
「取引…とは、英雄王ソルジェ・ダンジュールが魔女と交わした契約についてということでしょうか」
私を見上げ、東王はそう言った。どこまで彼は知っているのだろうか、そしてどこまで私の真意に気づいているのだろうか。計り知れない彼の考えに思わずゴクリと喉が鳴る。
そう、あの時あの戦場とも屍がいる墓場ともとれるあの場所で彼の先祖である東王と一つの約束事をした。そうか、彼の名はソルジェといったのか。あのハゲがよくそんな名を口にしていたことを思い出す。ソルジェという、気がしれない友人がいたと、そう言っていたな。
あの時は無知で、知ることをしなかったが、そうか。ハゲはそんな仲の良い友人と戦争をしたのか。人間とはなんと罪深き生き物だろうか。簡単に裏切るとは…そこまで考えていや今はそんな事ではないのだと思考を戻した。
「願いは」
だから単刀直入に言わせてもらった。どうやら彼は何もかもを理解しているようだ。ならば態々時間を割いてまで多くを語る必要はない。私の問に彼はあの微笑を向け、一呼吸おいて、言った。
「――水を、花を…この国に」
「―――帝国にあるあの御霊はこの国の魔女の意思によるものだと推測している。水の魔女が加護するお前たち東の民ですら触れる事がかなわぬ代物だったのだ、あれはここには持ってはこれぬぞ」
(そう、もしもあの場所に無理に留められているのならば、リーナ姉さまの加護する民である彼が持ち去ることができたのだ。アネッサ姉さまの御霊を前に何の苦労もすることなく、むしろ守られていたジル陛下のことを考えれば、持ち去れたはずなのだ。だが、彼女の意思が最初からあったのだとすれば持ち去ることはできはしない)
東王はその答えに、いいえと首を振った。そして語り始めた、東国が抱える最悪の問題を。
「最初は、雨が少なくなったなと感じたのです。その後、日輪が照らす毎日を過ごしましたがこの国には水の魔女の加護がありますから、国民もそこまで不安な気持ちを抱くことはなかった。が、王宮は違いました。ここの地下には永遠と湧き出る水の核がございます。その核が年々透き通った色からくすんだ色へと変わってきていましたので。」
地下の核を護る神官が、それに気づいた時には既にその核の穢れが取れなくなってしまった状態だったらしい。それに慌てた王宮は、表面上は何事もなく過ごしながらも、それはそれは恐々とした毎日だったという。
「王太子となって世間を見るようになり、このままではいつかこの国は亡ぶと確信しました。そのため知識を蓄える必要がありました。けれども知識を詰め込んでいるうちに攻め入られては意味がないと思い、他国に自身の分身を間者として紛れ込ませ、時には紛争紛いなことをおこしたりもしました」
彼は淡々と語り、そして私から決して視線をそらすことなく話し続けた。
「ある時、風の噂で帝国に核ではなく御霊があると聞き――そのあとの行動は貴方もご存じのはずだ。あの時は、知らなかったとはいえ貴女様に傷をつけました。謝罪の言葉を口にしても到底許される話ではありませんが、今はまだ死ねぬ身、事を成し遂げたのならばこの命どうなさってもかまいはしません。けれどもその時までは、どうかご慈悲を頂きたく存じます」
深々と頭を下げる彼を見て、フレインが憤怒するのが分かった。それをティウォールが止めてはいるが殺気でこの部屋が押しつぶされそうだった。ノヴァは相変わらず静かに私を見て判断を仰いでるので、この部屋で一番冷静なのはノヴァなのだと思った。
「お前の命如きで、私の命と釣り合うとでも?」
我ながら悪女のようだと思った。いや、でも言わせてほしい。あの時は本当に痛かったのだから、これくらいの仕返しは大目に見てよね。
「まさか、そんなおいそれたことなぞ考えません。しかし、先王が残した契約を果たさぬ限り貴女の魔力はそのままです。利害の一致、その後はどうなさってもかまわない…ということです」
(今の私なら、とるに足らない存在だと…頭の回る男は嫌いじゃないけれど、これは相当厄介な男らしい)
「話を戻しましょう。相手は帝国ですので、保険をかけておく必要がありました。ですので国華であるあの華を先に盗みことに及んだしだいですが、結果として拒絶されてしまいました。」
先祖が私と契約していて、その大まかな内容と証について彼は理解していたからこそ盗み出すことができたのだろう。拒絶された後は、他の方法を考えるための時間稼ぎとして他国の分身を動かし内政を揺さぶったのだろう。すくなくとも西と南の小競り合いは完全にこの分身である彼が悪化させていたことに違いはないのだから。
「そしてようやく、一つの希望がみえました。巻き戻し、という希望です」
その希望を見つけ、自国に全ての分身を戻し、力を蓄えようとしていた矢先私に捕まったというわけだ。最初は本気で気絶していたらしいがその後はある程度狸寝入りを決め込んで、私たちの動向を探っていたらしい。
「そして、気づいたのか」
「――――はい。まさかすぐそばにいるなんて最初は思いもしませんでした。しかも一時姿は違えど気軽に話した者が、だなんて。しかしかの魔女の側近といわれた新緑の精霊を前に疑う術などありませんでした。だから、あの場で割り込み、貴方方を此方へ招いたのです」
苦笑し、皆様にも迷惑をかけたと後ろに控える三人の精霊に頭を下げる彼。いまだ警戒を緩めない二人に対し、ノヴァは静かに相槌を打った。
「巻き戻す、という原理を知っているか」
巻き戻す、何を。―――時間だ。核を穢れる前の状態に戻す、そして穢れた原因と、穢れないようにするための対策を施すことができる。そのような状態にしたいのだろう。でも、それは時間をいじるということ。
「それは時の魔法だ。――――世界には乱してはいけない秩序というものがある。その中身はお前たち人間や動物といった命、生命やそれを生かす大地と水、炎やそれらを形にするかたい物質などだ。全てが揃って秩序というものができる。」
五人の魔女と、精霊王があって世界は成り立つ。それが創造主たる名の所以。この六人にはその力が全て微弱ではあるが流れてる。そしてその中で異常なほど力を持った能力がその部分を担うのだ。
だから、二人の魔女が姿を現すことができたのもいろいろな理由はあれど、時の魔法がその身に流れているからできたことだ。人知を超えた存在、だからこそ敬われそれに対する対価を払うのだ。真剣に話を聞く彼を見すえ覚悟を見極めるのだ。
「わかるか。戻す、ということは秩序を乱す。秩序が乱れれば中身も一緒に乱れるだろう。ありえなかったことが、あり得る世界になるかもしれないし、あり得る世界がありえなかったことになるかもしれないのだ。改めて問う」
(お前に、背負えるか。この覚悟)
「――――願いは」
(嗚呼、迷いなどないではないか)
彼の目は私を力強く見ていた。変わらぬ視線のまま、彼は同じセリフを口にするのだろう。微笑みながら、言うのだ。
「本来あるべき姿へと、戻して、もらいたい」
「――――その願いを聞き届け、私は契約を完了し自由を得る。ここに取引は成立した、違わぬことは許されぬ。魔女の呪いは永遠だ」
≪おい!そんな簡単に‼≫
横から声を張り上げ、心配と怒りをにじませた表情のフレインが私を見た。ティウォールの静止を振り切りこちらにこようとする姿に、心配性になってしまったなんて考えた。そんな彼を阻止するのは、やはり―――ノヴァだ。
≪どけ、お前に俺が止められるか≫
それはフレインの本気の怒り。荒々しい殺気に目を細める東王。しかしノヴァは少し苦しそうにしながらも決してよけることはなかった。生まれた年数が違うのだ、万が一にでもノヴァがフレインを止められるわけはない、力だけなら。
≪―――君は最初からずっとヒメサマと一緒だろう?なら冷静になればここにいる誰よりも理解できるはずだ。この方法が何よりも手っ取り早く全てを終わらせることができる方法なのだということを。≫
ノヴァはその鈍く光る刃をちらりと見せながら、深い闇を纏いフレインを見つめた。怒りの感情ですらも闇に飲み込もうとするノヴァの冷静さ。
≪僕らが本来の力を出せるようになるにはヒメサマが力を取り戻さない限りは無理だ。今のような中途半端な力じゃヒメサマは護れない≫
ノヴァの、何かの一言がフレインを興奮状態から冷静な彼へと戻したらしい。勢いに任せて踏み込んできた一歩がゆっくりと下げられた。そして、いつものフレインの、あのすがすがしい表情に戻った。
≪――――そうだった、取り乱して悪い。それにそんなおいそれた大業をなすんだ、それ相応の準備ってもんが必要だろう。それまではのんびりさせてもらおうじゃねーか、この無駄に広い城でな≫
「――――準備?」
「まさかすぐにできるとでも?馬鹿ね、魔法を使うのよ?最初に魔力を戻してもらわない限りできるはずないじゃない」
私の一言に、それはもう大きく目を開いた東王。自分が主導権を握ったままの契約だと思ったら大間違いだ。何年生きていると思っているの、300年よ。伊達に長く生きてない、そう思いながら椅子から立ち上がりフレインたちの元へ行く。
東王の横をはちみつ色の髪がすれ違い、そして微笑みながら言うのだ。
「魔力が体になじむまでは、折角ですからゆっくりしましょうか」
「――――チッ、食えない魔女だ。これが純血か、末恐ろしいですよ」
どうやら緊張も完全にとけ、彼本来の口調に戻ってしまっている。あんまりにも悔しそうにしていたし、魔女が約束を違えることはしないということを証明するためにも一度足を止め振り返り彼のその背中に向かって言った。
「言ったでしょ。私は願いを聞き届け、契約を完了し…って。心配しなくても契約した以上決して裏切りはしないわよ。普段から人を裏切ってばかりだからこんなときでも信用できないのよ。」
八ッと彼はこちらを振り返り、私を見た。そんな彼を背に再びフレインたちの元へ向かうため足を進める。
「人間って…馬鹿よねぇ」
そう言って、嘲笑うことも忘れずに―――