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異界物語編纂録  作者: あどん


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3/3

星辰を読む魔術師 ― アスト=セイミル伝 ―

魔法使いは、いかにして英雄となるのか。


――異界暦921年編纂。第三史料庫所蔵『異界物語編纂録』より抜粋。――



魔法の行使は、生まれ持った才能によるものではない。

少なくとも――後世に編まれた記録は、そう断じている。


歴史を振り返れば、数多の英雄が魔法を振るい、戦場を駆け抜け、世界の流れそのものを変えてきた。

彼らは皆、「選ばれし者」と呼ばれた存在だ。


だが、その実態は少し違う。


英雄たちのほとんどは、生まれながらにして魔法を宿していたわけではなかった。

むしろ、魔法を使えない者のほうが圧倒的に多かったのである。


では、なぜ彼らは魔法を操れたのか。


編纂録には、こう記されている。


――魔法とは、選ばれた者に与えられるものではない。

――それを強く望んだ者に、応えるものである。


才能とは、魔法を得た瞬間には、何の価値も持たない。

真に問われるのは、ただひとつ。


「何を願い、何のために魔法を使ったのか」


その答えを体現した存在として、後世の物語はしばしば、ひとりの宮廷魔術師の名を挙げる。


彼は星の声を聴き、複雑な術式を操り、己の命を削る代償を厭わず、王国を救った。

それほどの功績を残しながら、彼は一切の報酬を求めなかったという。


魔法は、力であり、手段であり、信仰であり――時に呪いでもある。

彼はそのすべてを理解したうえで、それでもなお、魔法を信じ続けた。


魔法を操れたから英雄になったのではない。

英雄になるために、彼は魔法を選んだのだ。


それこそが、

アスト=セイミル――その存在の本質である。


ーーー


第一節:星の声を聴く少年


彼が最初に魔法という概念に触れたのは、夜空だった。


幼い頃のアスト=セイミルは、孤児だったという。

親の顔も、名も知らない。街の片隅で、誰にも属さずに生きていた子供だった。


だが彼には、ひとつだけ、誰にも奪われない居場所があった。

それが、夜空である。


日が落ち、街が眠りにつく頃。

アストはいつも、石畳に寝転がり、星を見上げていた。


星々は無秩序に瞬いているようでいて、決してそうではなかった。

規則正しく並び、時に流れ、時に異様な輝きを放つ。

そこには、目に見えない“何か”が確かに存在していた。


アストは直感的に悟った。

――星は、ただ輝いているのではない。語っているのだ、と。


彼は次第に、星々の動きに意味を見出すようになった。

配置、周期、微かな揺らぎ。

それらを組み合わせることで、世界の法則の一端が浮かび上がってくる。


ある夜、アストは村外れに住む占術師のもとを訪れた。


占術師は、言葉を失った。


七歳の子供が、すでに星読みの基礎を理解していたからだ。

それも、誰かに教わった形跡はない。

まるで、星そのものから学んだかのようだった。


占術師は、後にこう記している。


「彼は星に問いかけているのではなかった。

 星が語り始めるのを、静かに待っているように見えた」


その日を境に、アストは街の人々から「星の子」と呼ばれるようになった。


だが、その呼び名に、優しさはなかった。


大人たちは彼の知識を“便利な道具”として扱った。

明日の天候を占わせ、市場の流れを読ませ、祭りの日に誰が儲けるかを当てさせた。


そこに敬意はない。あるのは、理解できないものへの畏怖と、都合のいい利用だけだった。


そして、ある日。

アストは、ほんの小さな予言を口にする。


「南の大橋が、崩れる」


誰も真剣には受け取らなかった。

些細な事故で済むはずの話だった。


――だが、橋は本当に崩れた。


死者は出なかった。

それでも、予言が現実になった瞬間、人々の目は変わった。


尊敬ではない。

崇拝でもない。


恐怖だった。


異様な知識を持つ子供として、アストは遠ざけられる存在となった。

囁き声と視線が、彼を囲むようになる。


その経験を通じて、アストは学んだ。


魔法も、言葉も、使い方ひとつで人を救うことも、突き放すこともできる。


それ以来、彼は己を鍛え始めた。

星を読むだけでは足りない。

四元素の挙動を分析し、魔力の流れを理解し、制御する術を探った。


当時の魔法理論は、まだ未成熟だった。

だが、アストはそれに頼らなかった。


彼は学ぶよりも先に、構築していたのだ。


記録には、こう残されている。


「彼は理論を学んだのではない。理論そのものを、生み出していた」


この頃に築かれた思考と観測の積み重ねこそが、

後に宮廷魔術師として名を刻むアスト=セイミルの、確かな礎となったのである。


ーーー

第二節:宮廷魔術師アスト=セイミル


アスト=セイミルが王都に迎えられたのは、王国が内にも外にも、不安を抱え込んでいた時期だった。


王権は揺らぎ、地方では反乱の兆しが絶えない。

さらに星辰の巡りまでもが、占術記録において「凶」と記されていた。


剣だけでは、もはや国は保たない。

そう判断した当時の宮廷は、武よりも知を――

力よりも、未来を読む眼を求めていた。


そこで白羽の矢が立ったのが、ひとりの魔法使い。

アスト=セイミルである。


彼は、いずれの貴族家にも属していなかった。

魔術学院の正規課程を修めた記録も存在しない。


経歴だけを見れば、宮廷に迎えられる理由は何ひとつない。

だが、それでもなお、彼は否定できなかった。


彼の魔法は、過剰でも派手でもない。

だが、寸分の狂いもない精度を誇っていた。

そして、星読みに基づく予見は、王宮に集う誰の占術よりも現実に即していた。


魔法の基本とされる四属性――火、水、風、土。

アスト=セイミルは、それらを等しく扱い、いずれかに偏ることを嫌った。


「一つに寄れば、視野が歪みます」


そう語ったと、記録には残されている。


彼が重視したのは、魔法の威力ではない。

星の配置と、時間の流れ。

世界が、どの方向へ傾こうとしているのか――その兆しだった。


いつ雨が降るのか。

いつ疫病が広がるのか。

いつ、人は争いを選びやすくなるのか。


彼の星読みは、未来を断言するものではなかった。

だが、「備えるべき時」を示すには、あまりにも的確だった。


王は、アスト=セイミルを宮廷魔術師として迎え入れた。


ただし、その扱いは、極めて慎重だった。


彼に、軍を動かす権限は与えられない。

王命を代行する資格もない。


彼は、助言する者。

決断しない者。

責任を負わない立場に置かれた。


それは、王権を守るための判断であり、同時に、彼を単なる「便利な道具」にしないための配慮でもあった。


この頃の記録には、アスト=セイミルが政治的な発言を徹底して避けていたことが、何度も記されている。


彼は王に進言する際、必ずこう付け加えたという。


「選ぶのは、陛下です」

「星は、理由を与えるだけです」


その姿勢は、宮廷内で静かな信頼を得る一方、「何を考えているかわからない男」という評価も同時に生んだ。


やがて、人々は気づき始める。


彼が語らない未来ほど、もっとも大きな意味を持つのではないか――と。


この疑念こそが、後にアスト=セイミルを歴史の表舞台から遠ざけることになる、最初の兆しであった。

ーーー


第三節:影を使う者


アスト=セイミルが宮廷に仕えてから、しばらくのあいだ。彼の魔法は、ほとんど語られることがなかった。


理由は単純だ。彼の行使した魔法の多くが、人目に触れなかったからである。


王都では、いくつかの不可解な事象が記録されている。


夜ごと、巡回兵が理由もなく同じ場所を避けるようになったこと。反乱の兆しを見せていた貴族家の屋敷で、誰も侵入していないはずの中庭に、足跡だけが残されていたこと。王宮地下の倉庫で、厳重に封印されていた古文書が、翌朝には整然と並び替えられていたこと。


いずれも、犯人不明。

事件として扱われることもなく、ただ記録に残された。


だが、同時期の文書には、共通する証言が散見される。


――宮廷魔術師アスト=セイミルは、夜に仕事をしていた。


彼は、自ら前に出ることを好まなかった。その代わりに用いたのが、「式神」と呼ばれる存在である。式神とは、魔力によって形作られた使役存在。精霊とも魔物とも、明確には区別されない曖昧な存在だった。人の形を取るものもいれば、獣の姿をしたものもいる。多くは名を持たず、記録にも残らない。


アスト=セイミルは、それらを「使う」とは言わなかった。


「任せているだけです」


彼は、そう表現したという。


彼の式神は、敵を討たなかった。血を流さず、声も上げず、ただ配置を変え、流れを歪めた。


結果として、争いは起こらなかった。

あるいは、起こる前に形を失った。


この頃から、彼に対する評価は、微妙に変化し始める。


「救っているのか、縛っているのかわからない」

「見えない手で、国を動かしている」


そうした言葉が、宮廷の奥で囁かれるようになった。


やがて、ひとつの噂が、決定的な意味を持ち始める。


――彼の母は、人ではなかったのではないか。


記録によれば、アスト=セイミルは自身の出自について、ほとんど語らなかった。

ただ一度だけ、古い文書の片隅に、次の一文が残されている。


「母は、夜に還った」


その意味を説明する記述はない。


だが、同時期にまとめられた異類誌には、奇妙な逸話が記されている。

人の世に留まり、子を成した狐の話だ。


知恵を持ち、星を知り、人の理から外れた存在。昼には人として振る舞い、夜には本来の姿へと戻るもの。


後世の編纂者は、この二つを結びつけた。


アスト=セイミルの星読み。式神との異様な親和性。鬼や妖と呼ばれる存在への、異常なほどの理解。


それらはすべて、「人ならざる血」に由来するのではないか――と。


彼自身は、この噂を否定もしなければ、肯定もしなかった。鬼を使ったという記録は存在する。妖と交渉したという報告も、複数残されている。だが、それは支配ではなかった。彼は、鬼に命じなかった。妖を縛らなかった。条件を示し、境界を定め、互いに踏み越えない線を引いただけである。


「力は、押さえつければ反発します」

「だから、最初に居場所を決めるのです」


この考え方は、人にも、魔にも、等しく適用された。


その姿勢は、一部の者からは「調停者」として評価された。だが、別の者には、より危険な存在として映った。


――彼は、人と異類の境界に立っている。


そう認識された瞬間から、アスト=セイミルは「必要だが、近づけてはならない存在」へと変わっていった。


彼の存在は、静かに、しかし確実に、恐れられ始めていた。


この節の末尾には、後世の編纂者による短い注記が添えられている。


「彼が式神を使ったからではない。鬼や妖と語ったからでもない。


人々が恐れたのは――


彼が、それらを“理解していた”からである」


ーーー


第四節:平穏を守る魔法


アスト=セイミルが王宮に仕えていたあいだ、

王国は大きな動乱に見舞われることなく、平穏を保っていた。


この事実について、後世の編纂者たちは、しばしば彼の名を挙げている。


宮廷魔術師アスト=セイミルは、戦を起こすこともなければ、敵を焼き払うこともなかった。


彼が行ったのは、ただひとつ。

王国に生じかけた「不安定な要素」を、静かに取り除くことだった。


疫病の兆しがあれば、流行する前に断ち切る。

魔獣の気配があれば、接近する前に察知する。

戦争の火種が生まれれば、燃え上がる前に潰す。


それは、事が起きてから対処する魔法ではない。

起きるはずだった未来を、存在しなかったものにする――

いわば「予防」に近い働きである。


だが、その成果は、あまりにも静かだった。


誰も、彼が何かをしたとは気づかなかった。何も起こらなかったことこそが、彼の仕事の証だったからだ。


歴史に名を残す戦場において、彼は一度も剣を振るっていない。


それでも王国が滅びなかった理由として、人々は次第に、「見えない力」の存在を意識し始める。


アスト=セイミルが行っていたのは、王国内に流れる魔力の均衡を保つことだった。


水の魔力が偏った土地には、土の力を導く。風が荒れすぎた地域には、火の温もりを流し込む。


それは魔法というより、星と地と人とのあいだを取り持つ「交渉」であり、絶え間ない「調整」だった。


その積み重ねは、やがて王国全体を覆う、目に見えぬ結界のような役割を果たしていく。


こうした行為は、当時の宮廷魔術師としては極めて異例だった。


多くの魔法師は、権威を示すための儀礼的な魔術を披露するか、あるいは軍事力として破壊を担う存在だったからだ。


アスト=セイミルは、そのどちらでもなかった。


彼は、王国という巨大な仕組みの中で、静かに不具合を修理し続ける技術者だった。それは、語られることのない仕事だ。華々しい戦績も、称賛される瞬間もない。


だが、それがなければ――

王国は、幾度となく破滅の淵に立たされていたであろうことは、

記録を追えば明らかである。


ある史料には、こう記されている。


「彼が守ったのは、勝利ではない。栄光でもない。ただ、王国が“在り続けること”そのものだった」


ーーー


第五節:王が求めたもの


王が、アスト=セイミルに次第に不満を抱くようになった理由は、実に単純だった。


――彼は、勝っていなかった。


戦は起きず、反乱は鎮まり、疫病も流行らない。

王国は確かに安定していた。


だが、その平穏は、王の威光を高めるものではなかった。


王が欲したのは、目に見える戦果だった。


敵を討ち、領土を広げ、武勲を記録に刻むこと。

民に語られ、歌にされ、後世に残る「物語」である。


アスト=セイミルの仕事は、それと正反対だった。


彼は、物語が生まれる前に、それを消してしまう。

戦が起きなければ、英雄は生まれない。

危機がなければ、王の決断も語られない。


やがて、宮廷の奥で囁きが増え始める。


「あの魔術師は、本当に必要なのか」

「この平穏は、彼の力によるものなのか」

「それとも、ただ何も起きていないだけなのではないか」


記録によれば、ある時期を境に、王の側近たちは派手な魔法を好むようになったという。


儀礼の場で炎を掲げ、敵国への威圧として雷を落とす。


そうした魔術師たちが、王の寵を受け始めた。


アスト=セイミルは、その流れに与しなかった。


彼は変わらず、進言だけを行い、決断を避け、星の巡りを語り続けた。


「今は、動くべき時ではありません」

「勝利は得られますが、代償が大きい」

「その道は、十年後に歪みを残します」


それらの言葉は、次第に王の耳にとって、不快なものとなっていった。


王は、勝ちたかった。

今、この瞬間に。


やがて、宮廷からアスト=セイミルの名は減っていく。

会議に呼ばれなくなり、

星読みの記録も、公文書から外された。


彼が行っていた結界の調整は、誰にも引き継がれなかった。

そもそも、それが「仕事」であると認識されていなかったからだ。


そして、ある年を境に――

彼の名は、公式の記録から消える。


追放されたのか。自ら去ったのか。あるいは、最初からそうなる運命だったのか。


それを断定できる史料は、存在しない。


ただひとつ、後年に添えられた注釈がある。


「この年より、王国では戦が増えた」


アスト=セイミルは、歴史に敗れたのではない。


彼は、物語を欲した時代において、物語を生まれさせなかったがゆえに、静かに消えたのである。


ーーー


後日談:星の沈黙


アスト=セイミルの名が記録から消えてから、しばらくのあいだ。

王国は、表向きには変わらぬ平穏を保っていた。


そのため、多くの者は彼の不在を意識しなかった。

星読みが行われなくなったことも、王国全体を覆っていた調整が止まったことも、誰にも気づかれなかった。


変化は、あまりにも静かに始まった。


まず、季節がずれた。

雨は降るべき時を外し、川は氾濫と干上がりを繰り返す。


次に、疫病が散発的に広がった。

致命的ではない。

だが、村々の労働力を削り、物資の流れを鈍らせるには十分だった。


その隙を突くように、辺境で小規模な衝突が増えた。

かつてなら起きなかった規模の争いが、

理由も曖昧なまま、次々と発生する。


宮廷は、それらを偶発的な不運として処理した。

誰も、それがひとつの流れであるとは考えなかった。


やがて――戦が起きた。


王が、かつて望んでいた通りの、派手な戦である。


勝利は得られた。

敵は討たれ、戦果は記録され、王の名は称えられた。


だが、その翌年。

星辰は、かつてない乱れを示したと、後世の史家は記している。


勝利は、続かなかった。


国内の不満は高まり、疫病は広がり、

魔獣の出現が、各地で報告されるようになる。


かつてなら、起きる前に消えていたはずの出来事が、次々と「物語」として、歴史の表に現れ始めた。


ある古い写本の余白には、無名の書き手による、短い走り書きが残されている。


「昔、この国には、

 何も起こさせない男がいたという」


それが、アスト=セイミルを指しているのかどうかは、分からない。


だが、この一文が書き加えられた頃から、王国の年代記は、戦と災厄の記述で埋め尽くされていく。


星は、もはや語らなかった。


語る者が、いなくなったからである。


――異界物語編纂録『星辰を読む魔術師 ― アスト=セイミル伝 ―』了

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