ジンルイはメツボウしました
人気のない施設の奥。そこだけは明かりがともされた部屋の中。ひとりの少女が手術台の上に横たわっていた。
透き通るような白い肌。色素を感じさせない銀色の髪。女の子は口に吸気マスクを付け、完全に意識をなくしている。
身体中に繋がれた無数の管。それらはすべて天井に延ばされ、途切れることなく様々な投薬がつづけられていた。
力なくだらりと伸ばされた少女の細い腕。
手首には個体認識用とおぼしきバーコードが刻印されてあった。人間が読める表現に変えれば、彼女の名前は『アマンダLUH 3417』。
女の子のそばでは一台の医療用マシンが控えていた。
無機質な円筒形のボディ。クリーム色の筐体から何本ものマニピュレーターが出ている。先端に取り付けられた、さまざまな術具。マシンはそれらで少女の身体を切り刻むように弄り回していた。
壁際に設置されている、いくつものデジタルモニター。そこに彼女のものと思わしきバイタルサインが複数表示されている。
突如、患者の容態が急変した。
鳴り響くアラームに色調反転して緊急事態を告げる数多のモニター類。
反応して、医療用ロボットの頭頂部で輝いていたイエローのLEDが赤色に変化する。
女の子へ繋がれた管の一本、そこをわざとらしく色付けされた毒々しい液体が満たしていった。即座に薬液は少女の体内へと注がれる。
間もなく、患者の身体が激しい痙攣を起こし、全身が大きく弓なりに曲がった。明らかな過剰投与である。しかし、限界を超えた処置を施してもなお、少女の身体に改善の兆候は見られない。
医療ロボのマニピュレーターが変形し、二枚の電極パッドが広がった。それを眼の前の痩せた胸元に当て、機械の内部からバッテリーのチャージ音が漏れてくる。
ランプの一部がカウントダウン用の液晶表示となり、三カウントでAEDが作動した。
無論、機械にこのような分かりやすい医療行為の実行を示す合理的な理由はない。すべてはまだ人類が数多く生存し、人間の医師ではなくAI制御によるロボットの医療行為。それに対し、少しでも抵抗感を和らげるためだった。
なおも限界を超えた救命行為がつづけられていく。
少女の身体が二度、三度と跳ね上がるが、状況は依然、かんばしくない。モニター上のバイタルサインがオールフラットのまま、ついには医療ロボットの光源が消失。
人体蘇生の可能性が完全に潰えたことで、みずからの機能をオートで停止した。
すべての電源が失われた暗闇の中、不意に青白い炎が浮かび上がる。現実ではない、この世ならざる幽鬼の灯火。その中心にひとりの年老いた亡者が浮かび上がった。
「……ついに来た、この時が」
男はもはや単なる肉塊と果てた少女の遺骸を前にひとりごちる。その正体は冥界の支配者であり、すべての死者を従える冥府神ハデスであった。
「これで始まるのだ。神話の時代まで遡る、この星の次なる支配者を決める戦いが……」
ハデスが声も高らかにゲームの始まりを宣言する。
「そして、現在の勝者に敬意を表し、その似姿を持って戦いに参加するのが古よりの習わし……ならば、しきたりに従うのも一興」
冥府神が不敵につぶやくと、少女の周りを青白い炎が包み込む。火にあぶられたように女の子の白い肌が段々と土気色に変化していった。全身の皮膚が浅黒く色づくと同時に、少女の閉ざされていたまぶたがピクピクと痙攣を始める。
「目覚めるがいい。我が決闘代行者よ。神の御業を持って、この星に覇を打ち立てよ。汝の新たな名は冥府の主、ハデスが擬人化姫、【小麦肌のミカ】だ。さらに『ゾンビーメイデン』の称号をそなたに遣わそう」
自らの従者に資格と能力を与え、冥府神は青白い炎とともに消えていった。
ふたたび闇に閉ざされた広い部屋の中、死者となったはずの女の子の瞳が突如として見開かれる。彼女は片手を上げて自身に繋がれたいくつもの管を乱暴に引き抜き、口元の吸気マスクをわずらわしそうにむしり取った。それから台座を降り、血まみれだった手術着を捨てて、ベッドのシーツをタオル代わりに身体へ巻き付ける。
暗がりの中、台座を回り込むように闊歩して、いまだ沈黙をつづける医療ロボットのかたわらに立った。それから、躊躇なく足を振り抜いて、FRP製のカバーで覆われたマシンの胴体を勢いよく蹴り飛ばす。
痩身からは想像できないほどの威力で機械は壁際に吹き飛ばされた。衝撃で再起動する医療ロボ。グリーンのインジケーターランプが点灯し、同時に異常を示す赤いシグナルが激しく明滅していた。
「……クソ野郎が。人の身体を好き勝手にいじくり回しやがって。いいから、さっさとあの扉を開けなさい。それで、こんなところからはサヨナラよ!」
片手で部屋の出入り口を指し示し、イラついた口調でそう告げた。
彼女の声には抑えようのない激しい怒りが渦巻いている。生きている間にはろくなことがなかった。ただ心臓を動かすだけの人形。自分の意志では指先ひとつすら自由にはならない状況。それはまるで死んでいるのと同様であった。
ミカの命令にロボットが一度、短く緑のランプを点滅させた。同時に閉ざされていた金属製のドアが真横にスライドし、廊下の明かりが室内に差し込む。
「構わないわ。自由にやっていいのなら、好きなだけ暴れてあげる。この世界がどうなろうが、わたしには関係ない……。やりたいようにやるだけよ」
決意の表明というよりは、復讐を心に秘めたアヴェンジャーといった趣の声。覚悟を決めたミカは振り返りもせずに扉を抜け、廊下の明かりの中へ姿を消していった。
彼女はいま初めて自分の人生を歩もうとしている。たとえそれが【リビングデット】としてもだ。