P-4 与えられた任務
――ピシピシ、バキッ。
運んでいた育苗コンテナから不穏な音がして、リュッカの額に冷や汗が浮かんだ。
「おいおい……苗木は潰さないでくれよ?」
「緑化作業員で一、二を争うヒョロガリのリュッカが、まさか破壊神になるとはね」
乾いた風が吹きすさぶ大陸の荒廃地。
水源の確保まで完了したその土地で、緑化作業員たちの苦笑いが響いた。その日の作業は、過酷な環境でも生きられる先駆植物の植栽だった。決して難しい作業ではなかったが、現場に復帰したリュッカはミスを連発していた。
「すみません。力加減が難しくて……」
リュッカは内心で舌打ちして、ひび割れた育苗コンテナをそっと下ろした。
グー、パー。義手の手のひらを握ったり開いたりしてみる。意思通りの動きはするものの、握力の調整が未熟だった。とりわけ触感を失った右手が深刻で、掴むものを皆壊してしまう。「破壊神」とは言い得て妙だった。
悔しい。過酷なリハビリを経て、やっと帰ってきた居場所なのに。
義手を持て余したリュッカは、早々に植え付け作業から外されていた。それでは、資材や苗木の運搬といった力仕事で活躍できるかといえば、この有り様だ。
さながら、鉄の木偶の坊。このままではVERTを退職させられる日も近いだろう。作業員仲間はリュッカを責めなかったが、焦燥は募るばかりだった。
だからこそ――珍しく現場に出てきたフリッツがリュッカを呼び出して、
「話がある」
と短く告げたとき、草原へ変わりつつある荒廃地に、凍えるような緊張が走った。
「お、俺、まだやれます……! もう少し時間を――」
「落ち着け、リュッカ。まずは座れ」
呼び出しの翌日。
VERT本部の地下会議室で前のめりになるリュッカを、フリッツは静かにいなした。
「現場の仮設テントではできない話」と告げられて、後日設けられた面談の席は、フリッツと二人きりなのにひどく息苦しかった。例えるなら、死刑宣告を受ける囚人の気分だった。
自分はまだ、VERTを辞めたくない。
幼いころに夢見た〈庭師〉のままでいたい。
リュッカは祈るように鉄の拳を握ったが、聞こえてきた言葉は無慈悲だった。
「お前に辞令が出ている」
「そんな……嫌です、俺まだ――!」
「リュッカ、いいから最後まで聞け。義手では書類を捲るのも難儀だろうから、今回は私が代理として読み上げる。一度しか言わないからな」
フリッツは青ざめるリュッカを一瞥し、辞令を読み上げた。
----------
《特務辞令(抜粋)》
送付先:
植生支援局‐第四課 リュッカ・リンドベリ
X月X日付で現任を解き、VERT特別派遣員に任命する。
役職名称:VERT特派員
任務分類:一級庭師チトの調査同行
等級変更:五級 → 三級(※特務扱いに伴う臨時昇進)
目的:下記四エリアにおける植物異常の観察および調査補助
・第一地区「ヨナギ村」――菊類の生育異常
・第二地区「紅渓自治区」――薬草資源を巡る紛争調査
・第三地区「フローラ温室」――遺伝子操作品種の監査
・第四地区「VERT中枢」――機密扱い
----------
「以上」と告げて、フリッツが口を閉じる。会議室が静まり返る。
「……ええと、つまりどういうことですか?」
リュッカはぽかんと口を開けた。
退職勧告でないことは何とか理解できたが、内容が頭に入ってこない。
呆然と瞬くリュッカを見かねて、フリッツが表現を砕く。
「要するに異動だ。お前はVERTの特別派遣員に選ばれた。世界各地の、植物の〈異変〉が起きている土地に赴いてもらうことになる」
フリッツは書類を捲って続ける。
「最初の派遣先は、東方の島国――菊の文化を重んじる村で、菊の花が咲かなくなったそうだ。生育異常、風土病の疑い」
「次の土地は、内陸の荒涼地帯。製薬会社が牛耳る都市と、花畑を抱えるスラム地区で対立が起きている。薬草を巡る衝突だ」
「第三の地は、お前の出身地の近くだな。最新の植物研究施設で、きな臭い事件が続発している。監査目的の訪問になる」
「そして最後の任務地は、ここだ。VERTの中枢区画。詳細は私も知らされていない」
フリッツは書類を閉じると、短く息を吐いた。
つまり、リュッカの新たな仕事は、VERTの代表として世界中を巡る調査員。
理解が追い付かないが、重大な任務には違いなかった。与えられる裁量も、緑化作業員とは比べものにならないだろう。二年目の新人に割り振られる役職ではない。それに……
「なぜ俺なんですか?」
フリッツからの回答は単純だった。
「わからない。チト直々の指名だ」
「チ――」
『チト』だって!?
リュッカは衝撃に飛び上がった。
まるで予期していなかった名前に、電流が体を駆け抜ける。
「チトって、あの〈みどりのゆび〉を持つ幻の庭師ですか!? 百年以上前の伝説の人でしょう。冗談ならやめて――」
しかし、リュッカが言い終わらないうちに、フリッツは辞令の一部を指さした。
示したのは【任務分類:一級庭師チトの調査同行】の記述で、
「チトは実在する。お前が話した百年前の人物ではないが、伝説と同じ、植物を操る異能〈みどりのゆび〉を持つ者がいる。今のVERTの最高権力者だ。そして、そいつがお前を指名した――『VERTの特派員として、わたしと一緒に来ないか?』と」
――にわかには、信じられなかった。
幼少期に夢中になった異能が実在したこと。
それを持つ御仁が今も、チトの名で生きていること。
それからチトが、特務の相棒に自分を選んでくれたこと。
忍耐強さを買われたのか、それとも彼の荷物を運ぶだけの役割か。抜擢の理由は微塵もわからなかった。
それでも、遠回りして得たチャンスに目頭が熱くなる。
リュッカが感極まる一方、フリッツは渋い顔をして、
「……私個人としては、この辞令は蹴ってほしいところなんだがな。緑化作業員を引き抜かれるのは気に入らないし、あいつに関わると早死にする。ただ――決めるのはお前だ」
珍しく私情を交えて話すフリッツに、リュッカは少し驚いた。途中、聞き捨てならない台詞があった気がしたが――それは「過酷な任務」の比喩だと解釈することにした。
リュッカは、フリッツの想いと一緒に、辞令書類を大切に受け取った。
植物に触れなくなった自分にも、まだできることがある。誰かの役に立てる。単純にそれが嬉しかった。
リュッカが頭を下げると、フリッツは「もう同じ〈三級庭師〉だろう」と、呆れ混じりの微笑を見せた。
・・・
リュッカが特派員の任に就く日は、穏やかな快晴だった。
手入れの行き届いたVERT本部の庭園を抜けて、敷地の外れへ向かう。
目的地は石造りの時計塔。時計塔は小ぶりながらクラシカルな雰囲気で、VERTのランドマークとされていた。
仲間から聞いた話では、密かな逢引スポットとして重宝されているとか。
(ついに、チトに会えるんだ)
リュッカは時計塔の入口に立ち、そわそわと辺りを見回した。
一級庭師チトの謁見に時計塔が指定されたときは驚いたが、チトが人目を避けたいのだと考えれば納得できた。
チトは、リュッカでさえおとぎ話だと思っていた存在。世界の理から外れた異能力者である。悪目立ちしたくはないだろう。脳内で思い描くのは、高潔で寛大なジェントルマンだ。リュッカが妄想に耽っていると、不意に、扉が開く音がした。
音源は背後だった。
慌てて振り向けば、時計塔の中から人が姿を現した。
リュッカは驚いて目を凝らす――が、シルエットは随分と小柄だった。背丈はリュッカの肩にも届かない。
人影は暗がりから一歩表へ出ると、朝露のように澄んだ声でこう言った。
「きみが、リュッカだね?」
少女だった。
声の響きに、はっきりそれとわかった。
眩しさを錯覚したのは、彼女の金髪のせいだろう。長くやわらかなブロンドヘアーに、否応なく目を奪われる。
服装は、深緑を基調としたケープと膝丈のドレス。パニエでふんわりと膨らんだスカートが、編み上げブーツの華奢な足を引き立てる。両手に嵌めた武骨な皮手袋だけが、わずかな違和感を放っていた。
透き通った蒼い瞳。日焼けを知らない白い肌。
リボンとレースで彩られた衣装に、馴染みのある紋章を見つけて直感する。
「あなたが……チト……?」
想像とはまるで違う人物像に、リュッカはひたすら呆気にとられた。
浮世離れした風貌は、まるで人形のよう。幻を見ているみたいだった。
棒立ちになるリュッカに、チトは踵を鳴らして近づいて――その拍子に、ずるりと足を滑らせた。か細い体がバランスを崩して、宙に浮く。
「あっ」
躓くような障害は大してなかったはずだが、
「危ない!」
リュッカは咄嗟に腕を伸ばして、チトを受け止めようとした。
その瞬間、花の香りが鼻をかすめた。いつか病室で嗅いだ香りだった。そういえば、やけに軽い靴音にも聞き覚えがあった――入院生活を無言で支えてくれた誰かを、やっと見つけた気がしたのに、
「わたしに触るな!」
鋭い拒絶が、リュッカの耳をつんざいた。
それは、悲鳴にも似た叫びだった。
転びかけたチトはぎりぎりのところで体勢を立て直し、かばおうとしたリュッカをきつく睨んだ。その目は何かに怯えるように、不安定に揺れていた。
(……は?)
唐突に向けられた、強い否定の感情。予想だにしていなかった反応に、伸ばした手が行き場を失くす。
ひょっとして、砂漠で地雷を掘り起こしてリュッカに突き飛ばされた綾鷹も、こんな気持ちだったのだろうか――動揺したリュッカはついそんなことを考えたが、すぐに思い直した。
そもそも、リュッカをVERTの特派員に選んだのは、他ならぬチトのはず。地雷事故のときとはワケが違う。それなのに、チトは、いざ対面したらいきなり暴言ときた。ショックと混乱で思考が鈍って、反論すら浮かばない。
金髪碧眼の美少女という外見からして、リュッカの想定の斜め上なのに――目の前に立つチトは、性格面でも曲者の予感がした。前途多難の予兆がちらりと覗く。
自分はこの先、彼女とうまくやっていけるのだろうか……
リュッカは萌芽前のような落ち着かない気持ちで、いつかの憧れに向かい合った。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
次章より本編開始、全4章(各章12話)構成となります。よろしければ。