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P-3 鉄の義手

「申し訳なかった。すべて私の責任だ」


 地雷の爆発事故から一週間。

 リュッカは病室で、初めて見た上司の頭頂部に動揺していた。

 整髪剤で()でつけられた見事なオールバック。お辞儀の角度は90度。深々と頭を下げたまま微動だにしないその男は、フリードリヒ・ベッカーといった。階級は〈三級庭師〉。三十代後半とは思えない威厳を備えた、リュッカの直属上司である。


「今回の事故は、完全に、上層部の判断ミスだ。『立ち入り禁止区画』の策定段階で、重大な見落としがあったことが判明している……リュッカ、お前に非は一切ない。本当に申し訳なかった」


 低い声に滲む、確かな自責と(いきどお)りの感情。

 平身低頭する上司の姿にリュッカは慌てて、


「お、お願いですから、もう頭を上げてください。フリッツさんが地雷を埋めたわけじゃないんですから。考えなしに突っ込んだ俺が悪いんです」

「…………」

「それにほら、俺、ケガだけで済みましたから……まあ、腕は持っていかれちゃいましたけど、命に別状はなかったわけですし」

「……対人地雷は、人を殺すための兵器ではない」


 フリードリヒ・ベッカー――フリッツは頭を下げたまま淡々と言う。

 確かに、対人地雷は、被弾者を生かして苦しませるためのものだ。相手の戦意喪失を狙った悪魔の兵器。しかしそんな風に言われては、リュッカは黙るしかない。現場を指揮するフリッツの冷静さは常日頃から尊敬するところだったが、このときばかりは少し寂しかった。


 二人の間に、気まずい沈黙が流れる。

 リュッカは逃げるように、窓辺へ視線を()らした。花瓶の花は薄紫のリンドウに変わっていた。

 毎日毎日、いったい誰が()けているのか。朝に目覚めたときには花の種類が変わっているので、真夜中、リュッカが眠っているうちに用意されているのは明らかだった。だが、花の送り主に心当たりがない。まさかフリッツでもないだろう。

 すると(そば)から、

「……でも、お前が死ななくてよかった」

 噛みしめるような呟きと、優しい眼差し。

 視線を戻すと、頭をあげたフリッツと目が合った。フリッツはリュッカの無事を確かめるように、厳しい顔を不器用にゆるませた。


 やがてベッド脇の簡易チェアに腰掛けたフリッツに、リュッカが問った。


「皆は――綾鷹(あやたか)は、無事ですか?」

「ああ、お前以外は全員無事だ。ただ……綾鷹は、あの日以来現場には来ていない」

「そうですか……無事なら、よかったです」


 安堵(あんど)が胸を満たすと同時に、ざらついた後悔がふっと湧く。

 きっと、綾鷹が現場に復帰できないのは自分のせいだろう。綾鷹は、リュッカが綾鷹をかばって負傷したのを気に病んでいるに違いない。彼はそういう男だ。綾鷹の顔を見て「気にしなくていい」と伝えたいのに、それができないのが歯痒(はがゆ)かった。

 (うつむ)くリュッカを見て、フリッツがそっと口を開く。


「リュッカ……何か、困っていることはないか。不満や要望があれば遠慮なく言ってほしい。VERT(ヴェール)としても最大限の補償をするし、私個人への要求でも構わない」

「困っていること、ですか?」


 リュッカは欠けた右腕を見て、少し考えた。失われた左肘から下もちらりと確認して、苦笑する。病室で目覚めてからの数日間、正直、困ったことしか発生していなかった。


「俺……早く、自分の手が欲しいです。食事も、着替えも、その……トイレも全部看護師さんに手伝ってもらわなきゃいけなくて。助けられてばかりで情けないです。一日でも早くVERTの〈庭師(にわし)〉に戻るために、自分のことくらい自分でできるようにならないと」


 リュッカが言うと、フリッツは「まったくお前は」と溜め息を()いて、


「つまり『義手』か――そうだな。私の知人に義肢医(ぎしい)がひとりいる。性格に少々難があるが、腕は一流だ。義手の件、私のほうで話をつけておこう」

「ありがとうございます、フリッツさん」


 礼を言うリュッカにフリッツは小さく頷いて、


「しかしそれまでは……飽きるほど休養をとっておくことだ。()()()()()()()()が減ってしまって、今、現場はてんてこ舞いなんだ。私もあいにく、怪我人を除籍(じょせき)する余裕などなくってな。復帰したら休む間もないだろうから、覚悟しておくように」




 フリッツの面会から数日後。

 紹介された義肢医は、前情報に(たが)わずエキセントリックな人物で、


「あらあらあらあら良い断面~! 後腐れがなくて(なめ)らかで、一流の樹木医が剪定(せんてい)した枝の切り口みたい。へえ、左上肢は動かせるの? 神経が残ってるのね」


 義肢医はリュッカの体を()でまわして、歓声を上げた。


「ええと、ドクター・ヴァレリア。そろそろ解放してくれませんか……?」


 リュッカはおずおずと尋ねるが、VERT直属のバイオエンジニアであるヴァレリアは興奮するばかりで、まるで話を聞いてくれない。

 栗色の長髪をひとつに結んだヴァレリア医師は、体格のいい二枚目だった。しかし足元にはハイヒール、口調はオネエ言葉。唇には深紅のリップが塗られていた。自己紹介もないままリュッカの体に飛びついてきたから、男か女かさえ曖昧(あいまい)だ。


(なんだか患者というより、被検体になった気分だ)


 どこか楽しげに義手のモデルをあてがうヴァレリアに、にわかに不審が募る――が、下手に刺激して乱暴にされてはたまらない。リュッカは風変わりな医師にされるがままの状況を、半泣きになって耐え忍んだ。


 それから、ヴァレリアは数日にわたってリュッカの体を検査した。

 性別はさておき、ヴァレリアはフリッツから凄腕医師と言われるだけあって、早々に二つの気づきを提示してみせた。


「リュッカちゃん。あなた、異様に傷の治りが早いのね? 二週間そこらで傷口が(ふさ)がるなんてまるで魔法よ。普通は、こんなに早く回復しないわ」

「……そう、なんでしょうか?」

「そうよ、驚異の回復力だわ。でもね、反対に適性試験の結果はよくないの。最新のバイオ生体素材が軒並(のきな)み不適合。リュッカちゃんってアレルギー体質? 子ども時代は病弱だったとか、そういう過去はない?」


 ヴァレリアの質問の意図がわからず、リュッカは首を傾げた。


「端的に言うと、今流通している義手は、どれもあなたの体に適合しないのよ。素材が合わなくて体が拒絶しちゃうの。これでは義手の装着は難しい。百歩譲って提案できるのは……旧時代の鉄製義手くらいかしら」


 鉄――その冷たい響きにリュッカはどきりとした。

 鉄と言えば、砂漠の地面を掘り上げるあのディガーショベル。草を刈る(かま)、木を切る(おの)。ナイフに鉄砲、巨大な戦車。禍々(まがまが)しいものばかりが脳裏を()ぎった。


 しかし、リュッカに適合する素材の義手を開発するとなると、早くて数年はかかる。

 ヴァレリアはそう説明すると、途端につまらなさそうな顔で腕を組んだ。紅い唇が「へ」の字になる。リュッカが義手の装着を諦めるだろう、と(たか)(くく)ったかのように。

 鉄の義手など、いかにも「植物で世界平和」を(うた)うVERTが嫌いそうな代物。好戦的な破壊の象徴だ。ならばもう、義手の装着は諦めます――ヴァレリアはリュッカがそう言うのを待っていたが、


「鉄製の義手でもいいです。お願いします」


 リュッカはベッドの上で、迷いなく頭を下げた。

 自立するためには、なりふり構っていられなかった。

 たとえそれが()()手でも――手があれば、まだできることがあるはずだった。昔と同じようにはいかなくても、植物に携わることはできる。それなら、VERTの〈庭師〉として生きられる。夢に追い(すが)れる。

 現場で待っていてくれるフリッツの想いも無碍(むげ)にしたくなかった。


「ふ~ん……いいわね。その新芽みたいなまっすぐさ、気に入ったわ、リュッカちゃん。あたし、全身全霊で執刀してあげる。回復力自慢のあなたならきっと大丈夫だと思うけど、リハビリはキツいわよ!」


 ヴァレリアがリュッカの背中を、ばしん、と叩く。

 リュッカは背中に受けた衝撃にむせたが、その勢いは不快ではなかった。張りつめていた気持ちが、(せき)と一緒に口から出て行く。ついでに強がって笑ってみる。

 強い力で押された背中。前進するための決意。腕のない青年と性別不詳の義肢医が笑い合う光景を、窓辺の花瓶のヒマワリがじっと見守っていた。




 義手の適応訓練は二か月半に及んだ。

 義手接続手術は壮絶だったが、リハビリのもどかしさはそれ以上だった。


 神経が残った左腕は、筋肉の動きから電気信号を受け取って稼働する筋電義手(きんでんぎしゅ)。直観的に動かせるとはいえ、指先の細かい操作がおぼつかない。リュッカは食事の皿を割って、ボールペンを折って、頬を掻いてケガをした。

 神経を移植した右腕の義手は、ほどんと制御不能。感覚のない右腕は制御が難しく、ちょっとした動作ミスで、病室の壁に穴を開けたこともあった。


 鉄の義手は重く、いっこうにリュッカの一部にはならなかった。

 それでもリュッカがリハビリに耐えられたのは、ヴァレリアの叱咤(しった)や、看護師や理学療法士の献身のおかげだった。

 それから、定期的に様子を見に来ては無言で帰るフリッツと、お見舞いに来たVERTの仲間達の、


「うわっ、本当に鉄の腕じゃん。マジ強そう!」

「リュッカが生きてて本当によかったよ~……うぇ~ん……」

「その鉄の義手、慣れたらまさに百人力だね。頼りにしてるから!」


 そんなたわいない会話が何よりもありがたかった。

 あわせて看過できないのは、毎日誰かが取り替えていく、病室の窓辺の花。

 優美なアルストロメリア、小花が可愛らしいミモザにカスミソウ、清廉なクリスマスローズ。どれも開花時期が違うはずなのに、いったいどこで入手しているのだろう――不思議だったが、リュッカを(なぐさ)めるようなそれらの花言葉を知ったときに、追及は野暮(やぼ)だと思った。


   ・・・


 リュッカが緑化プロジェクトに復帰したのは、その年の10月。

 再びの乾燥地帯。ようやく戻ってきた憧れの地。そこで鉄の手が何の役にも立たないと思い知るのに、大した時間はかからなかった。


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