BOUQUET
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◆ブーケ【bouquet (仏)】
:花束。生花や造花を何本か束ねたもの。
一説に、古来「虫除け」として用いられたハーブの花束が、花嫁を守るウエディングブーケに転化したといわれる。
また中世ヨーロッパでは、男性が女性に求婚する際に、野の花で花束をつくってプロポーズをした。これがブーケの由来とも伝わる。
求婚を受け入れた女性は、花束から一輪抜きとって男性の左胸に挿す。
今日の結婚式で、男性が礼服の胸元につける花飾り「ブーケトニア」は、この習わしが残ったものである。
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二人がヨナギ村を出発した翌々日。
朝の空気は凛と冴え、樹々が冬に身構えはじめた森のなか。
チトはクヌギの倒木にもたれて、リュッカがテントを畳むのをぼんやり眺めていた。
どうにも、まだ寝足りない感じがする。自然に囲まれて過ごす夜も悪くはないが、野営が続くと、ベッドが恋しくなってしまう。斉藤家の布団が懐かしい。
リュッカは焚き火の灰と土を混ぜ合わせて、かまどをさっと片付けた。
随分と手慣れている。おそらく、現場作業が多かった緑化作業員時代に身につけたスキルなのだろう。
チトはおもむろに立ち上がり、
「……リュッカ。それはなんだ? フラワーアレンジメントか?」
手慰みに草花を弄っていたリュッカに、問いかけた。
リュッカはステンレスボトルを花瓶に見立て、そこらで収集した山野草を詰めていた。
「生け花ですよ、生け花。昔、極東エリア出身の同僚がレクチャーしてくれたんです。あれから会えてないけど……綾鷹、元気にしてるかな」
生け花――花・葉・枝などを器に飾る古典芸術。
華やかさを重視するフラワーアレンジメントと違って、空間を表現する芸術だ。
生け花では、あえて枯れた草花を用いたり、色味を抑えたり、余白を多く設けたりする。その精神性を重んじるのが「華道」だと聞く。
暴力性すら感じさせる鉄の手指が、おっかなびっくり、小花をつまんでボトルに活ける。
リュッカはしばらく自称・生け花に取り組んだ末、
「うぅん……イメージと全然違う。やっぱり義手だからかな」
「いや、単にセンスの問題じゃないか?」
チトはリュッカの作品を覗き込んで、ぼそっと告げた。
生活に不都合が多いとはいえ、何でも義手のせいにするのはよくない。
見れば、リュッカの生け花は技術以前の問題――気に入った草花を順番に挿してみた、といった印象。そんな情緒もへったくれもない作品を前に、チトは呆れて腕を組んだ。
美的感覚に義手は関係ない。
そして多分、彼には生け花のセンスがない。
「あーあ、もうやめた! せっかく、綺麗な草花をかき集めてきたのに。どうせ俺は『勘が鈍くてダサくて不器用』ですよ」
「そこまでは言ってないが……」
過去に、誰かからそう言われたのだろう。
開き直ったリュッカは、草花をむんずと掴んでボトルから引き抜いた。
そして、そこから葉や枝を取り去り、残った花に何やら手を加えたかと思えば、
「地味で不格好だけど……はいどうぞ、チト。
生け花としては落第だけど、ブーケなら悪くないでしょ。とりあえず『第一任務お疲れ様』ということで」
細い茎で束ねられた、野に咲く花のミニブーケ。
リュッカはチトにブーケを差し出すと、直前までいじけていたとは思えないほど、屈託なく笑った。
花束の色は白、黄、淡いピンクに薄紫。
秋の名残を集めたような、控えめな彩りだった。
どれも周辺に自生するありふれた花に違いなかったが――リュッカが真剣に選んだ事実が、束ねられた花の具合からひしひしと伝わってきた。
「………………」
チトは、渡されるままにブーケを受け取った。
「――って言っても、生け花もどきの失敗作じゃ不満ですよね。すみません」
と、冗談ぽく付け加えたリュッカに、お礼も言えないまま。
野営道具を三輪バイクに積み直し、西へと進む。
次の派遣先は海の向こう、内陸の荒涼地帯である。道のりはまだ長い。
チトは三輪バイクの揺れに合わせて「ひゃっ」と悲鳴を上げ、そのたびにリュッカの腰を掴み直した。
落とさないように、潰さないように。やわらかく握ったブーケが、チトの手から滑りそうになる。鞄にしまっておくべきたったかもしれない。
VERTの特派員としての最初の任務――
その労いに贈られた、小さな花束。
チトはヨナギ村での出来事を回想し、ブーケから一輪抜き取って、
「……お疲れ様、リュッカ」
三輪バイクを運転するリュッカの後頭部に、そっと花を挿してみた。
灰色の短髪に、愛らしい花がぽっと咲く。
チトの口元が思わず緩む。
それから時間差をおいて、はたと気づく。
何の気なしに贈られたブーケだとしても、これじゃまるで告白の返事だ。
一抹の気まずさが胸をかすめたとき、
「ん? チト? もしかして俺の頭に、虫とかついてました?」
浅く振り向いたリュッカが、水浴びの後の犬のように頭を振った。
(……あっ、だめ……っ!)
制止の声が間に合わない。
ぶんぶん、と、リュッカの髪が荒っぽく揺れる。
――が、やがて静まった後頭部には、まだちゃんと花が残っていた。
チトは無意識に止めていた息を、ほっと吐いた。
花が外れなくてよかった――そう思った瞬間、胸の奥がきゅっとした。
たかが野の花の一輪。気まぐれの戯れ。
頭に虫が止まったと勘違いする彼が、ブーケから花を一輪返す意味なんて知るはずがないのに。
――自分は、どうしてこんなに焦ったのだろう。
痛みでも安堵でもない感覚が、しこりのように胸に残る。
それは例えるなら、野の花のようにささやかに咲いた、まだ名前のない気持ち。控えめながら、確かな変化のきざしだった。
チトは確かめるように胸に手を当て、平静を装って「……別に」と返す。
そして、リュッカの腰に掴まり直すと、流れていく晩秋の景色へ顔を逸らした。
「もうじき冬なので虫も出なくなりますね」
なんて、気楽に言うリュッカに、無意識に頬を膨らませながら。
【閑話】BOUQUET・終わり
今回は閑話。ある日の二人の一幕でした。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。