P-1 腕を失った日
目が眩むような暑さだった。
風はとっくに死に、熱された空気が体にまとわりついて離れない。
額から流れる汗は、砂の匂いと混じって鉄の味になった。
リュッカ・リンドベリは太陽を睨むように顔を上げ、ふう、と息を吐いた。
辺り一面、見渡す限りの砂漠。植樹が必要とされる極度の乾燥地帯。
景色で唯一目を惹くものは、等間隔に並べられた鉄の楔で、それは「立ち入り禁止」区画を示すためにリュッカら緑化作業員が設置したものだった。
楔の先端には白い布。布は目印としての役割を放棄して、炎天下にぐったりと垂れていた。
数メートル先のその一画が「立ち入り禁止」とされている理由は単純だ。
安全が、保証されていない。
この場所が、比較的最近まで地域紛争の中心地となっていたことは、19歳になったばかりのリュッカもしっかりと理解していた。
激しい戦火が、すべてを砂塵へと還した土地。こういう土地には、人の悪意が物理的に残っていることがある。
呪いなどではない。もっと現実的で、残酷なものだ。
この一帯は特に危険だと、朝のミーティングでも繰り返し聞かされた。
それでも――この不毛な土地を、自分の手で救うのだ。
リュッカは唇を噛んで、己に言い聞かせる。
灼熱の砂漠に立つリュッカを奮い立たせるのは、そんな使命感だけだった。
容赦のない陽射し。肺を圧迫する熱気。灰色の短髪から汗が滴り落ちて、乾いた砂地に染み込んでいく。砂漠もリュッカも等しく水を欲していた。
ここらで一旦休憩するか。
リュッカは土壌改良のためのディガーショベルを砂に突き立てて、作業仲間を振り返った。
リュッカの一番近くにいた、後輩の綾部鷹則――通称「綾鷹」は、脇目も振らずに土を掘り返している。こちらの視線に気づく気配はない。
極東エリア出身の綾鷹は、よくも悪くも頑固で、生真面目な男だった。生まれは華道の家元だとか。砂漠では黒髪が陽光を集め、リュッカよりもずっと暑そうに見えた。
リュッカは暑さで朦朧とするのに任せて、綾鷹の作業をぼんやり眺めた。
疲労が滲んだ、緩慢な動き。砂をほとんど掘り起こせていない。この様子では、土壌改良剤を混ぜる深さまで掘り進めるには、かなりの時間を要するだろう。
そんな動作の繰り返しのあと、ふと、綾鷹がしゃがみ込んだ。
綾鷹がショベルを置き、砂の中から両手で何かを拾い上げる。
黒光りする金属製の箱。それはどこか、オルゴール箱に似ていた。
何だ、これ?
綾鷹の口がそう動くと同時に、箱の表面がぎらりと光った。
妙に、不吉なきらめきだった。
まるで、長い眠りから覚めた獣がこちらを見据えたかのような。
背筋を伝う嫌な予感。リュッカはにわかに胸騒ぎがして、慌てて綾鷹のもとへ駆けだした。
――まさか、それが光に反応する地雷だなんて。
そんなものが今も残っているなんて、思いもよらなかった。
ただ、綾鷹が持つ箱が一秒後に爆発することは、なぜか直感的にわかっていて、
「それに触るな!」
リュッカは砂の上を飛ぶように走り、綾鷹を突き飛ばして箱を奪った。
この箱は掘り出してはいけないものだ。
絶対に、光を当ててはいけないものだ。
言葉にならない、確信めいた恐怖があった。
いつか緑化作業員の研修で聞いた、旧式の感光式地雷が脳裏をかすめる。
前時代の負の遺産。砂に埋もれた人の悪意――掘り起こされ、光に晒された瞬間に牙をむくもの。
ならば、光を遮れば、起爆は免れるはずだ。
だけど、日陰のない砂漠の真っ只中でどうすれば――?
ためらう間もなく、考えるより先に体が動いた。
人気のない方向へ大股で一歩。リュッカは手にした地雷を両腕で抱き、ラグビーのトライよろしく無我夢中で地面に転がった。
そのまま地雷に覆い被さるように体を伏せ、光を遮る。この間わずか一秒。
時が止まったかのような一瞬の静寂をおいて、
視界いっぱいに、閃光が走った。
刹那、耳をつんざく炸裂音。
熱風が強く胸を打って、意識が吹き飛んだ。
何かが弾ける反動と、骨が軋む感覚。焼け焦げた肉の匂い。
視界の隅で、人の手が宙を舞っているのが見えた気がした。あれは、誰の腕――?
砂埃の向こうから悲鳴が響く。
あの冷静な綾鷹が、子どものように声を張り上げていた。
やがて音声は遠のいていき、季節外れの寒気が全身を包む。
リュッカの体を起点にして、乾いた砂が赤く染まっていく。
その光景は、砂漠に紅い花が咲いたかのように鮮烈で、幻想的で――それでいて、どうしようもなく血生臭い現実だった。